宰相ぉ……ムカつく
部長がバルバロス殿下を追い返した翌日、研究室に五十過ぎの男性が現れた。
「邪魔するぞ」
わたしも、部長も、慌てて席を立って直立不動となる。
宰相リュネィ・ガルーノフ閣下。
彼は、近侍の少年が運んできた椅子を室内に置かせると、そこにドカリと座り、わたしたちに着席を促す。
宰相閣下は、こめかみを押さえながら顔をしかめていた。
「イタタタ……頭痛が続いてイライラしているのに、イライラごとを増やしおって」
そう愚痴った閣下が、片膝をついてかしこまったわたし達を眺めた。
王弟殿下は、気さくな雰囲気で接しやすい空気を作る方だが、この人は威圧感があり、口ごたえすると殺されそうな不安を覚える。
「昨日、バルバロス殿下への不敬を働いたのは、そちかな?」
部長は、宰相が持つ杖の先端で頭をコツコツとされる。
ムカつく……。
「私でございます」
「なにゆえ、そのような行動に出たのだ?」
「……失礼ながら、この国に仕える魔導士である私は、王子殿下のなさりように憤りを感じておりましたので、いたしました」
「憤り? 平民ごときが魔法を使えるだけで王家の男子に憤るのか?」
「……ゴミのような私にも、感情はあります」
「はっ!」
宰相は笑い、次にわたしを見る。
「知っておる。お前が原因であろう? 王子殿下を誘惑しておきながら、王弟殿下にも様々な便宜を図ってもらうべく色目を使っておると聞く。お前は、この男にも女であることを利用し、盾に使ったのであろうが?」
わたしは、沈黙する。
何を言っても無駄なのだ……この人たちには。
自分たちにとって、都合の悪いものは存在してはならないのだろう。ゆえに、彼の娘を選ばない王弟殿下が、わたしを選んでいることに――それは嘘なのだけど、彼らはわからない。だから、ソフィアが嫉妬と愚考と倨傲をもってわたしが悪という結論ありき話を伝え、この男はそれがどうして生まれたかを理解しつつも、娘と自分のためにそれを真実であると信じたいから、こうしてわたしの前にいる。
王弟殿下とソフィアを夫婦にしたいのだ、この宰相は。
どうして?
バルバロスの愚かさを、わたし以上に知る宰相はきっと、次の世代にて訪れる好機を確実に掴みたいのだろう。かといって、バルバロスを始めとする王子たちでは彼の野心が露見しやすい。
彼にとって、王家の血を継ぐ孫が、成人する頃までは、その野心を誰かに追求されたくはないのだろう。
「なにを黙っておるか? 平民」
わたしは、顔もあげずに口を開く。
このムカつく宰相に一矢むくいてやりたく、また部長への批判もそらしたかった。
「何を申し上げても、結論ありきで物事を見て、決めて、声に出される閣下を前に、わたしの言は届きませんでしょう」
「なに?」
「そもそも、王子殿下に言い寄られ、何度もお断りをいたしたにも関わらず、しつこいあのお方はどうやっても諦めてくれませんでした。それで――」
「勝手に喋るで――」
「聞いて頂きます――」
わたしの説明を遮った宰相を、さらに制して言葉を紡ぐ。
「――それで、王弟殿下に相談いたしましたら、殿下がわたしを恋人と扱うことで、わたしの仕事の邪魔を王子殿下がしないようにしてあげようと言ってくださったのです。ですから、王弟殿下はわたしを、演技で情人として扱っているに過ぎませぬ……宰相閣下もみごとに騙されていたのであれば、わたしたちはとても演技がうまいということ……自慢させて頂きま――」
「しかしお前は――」
「――まだです。そして閣下はさきほど、便宜をどうのと仰いましたが、王子殿下のせいで遅れた治癒魔法の研究を、本来の工程へと戻すためにケイロス殿下が協力くださったのです。それをどう勘違いしたのか……狭い世界、閉じられた社会で、容姿と血筋を己の価値だと信じる嘆かわしい者たちには、王弟殿下がわたしの気をひくためにそうしていると見えるようですね? 恥さらしな主張だとここに抗議いたします。王弟殿下はそのようなくだらないお方ではないと、わかりもしないほどに人を見る目のない者たちこそ、宰相閣下は叱るべきかと思いますが如何ですか!?」
叫んだ!
たまっていた鬱憤が、一気に爆発した!
研究室の扉は開かれていて、近侍の少年や、宰相の護衛たちが何事かと室内を覗きこんでいた。
そして、ここは軍部の建物だから、兵士や騎士たちも同じく、騒ぎになっているからと様子を窺っていた。
その中で、わたしはこの国の行政の頂点に立つ男を、大きな声を出して非難したのである。
ざわめきの中で、宰相は固まっていた。
お前が刃を抜いたから、わたしも刃を抜いたんだ! 言い返してこんかい! という内面は表に出さず、相手の発言を待つ。
わたしの隣で、部長が石化の呪いをかけられたように固まっていた……。
宰相は、咳払いをして口を開く。
「ひとつ、確認する」
「なんなりと」
宰相は、仕事場の外で様子を窺う人たちを一瞥し、わたしへと視線を戻した。
「おまえは、王弟殿下とはなにもないのか?」
「あたりまえでしょう? 王弟殿下ですよ? わたしのような者に手をだされるはずがございませんでしょう。王子殿下のように女にだらしないなら別でしょうけど、文武両道で王陛下をお支えする王弟殿下ですよ? 閣下……しっかりしてください」
「ぐ……」
宰相は黙ると、すっと椅子から立ち上がる。そして、わたしたちに背を見せ、声をかけてきた。
「弁がたつようだが……無礼は許さん。査問会を開くゆえ、そこで処分を決めてやろう」
彼が姿を消した後、兵士や騎士たちがざわざわとする。
「リオーネどの」
名前を呼ばれ、視線を転じるとフィルズ殿がいた。
彼は、わたしと視線があった直後、右手拳の親指だけをたてて見せる。
すると、彼の周囲の人たちも、同じようにした。
部長が、目を丸くしてわたしを見ていた。
「君は……すごいね?」
「……やってしまいました。でも、スッキリしました」
偽りない気持ちだ。
どうせ、部長やわたしをどこかに追い出すつもりで来ていた宰相なのだから、言いたいことを言わせてもらおうと、腹立たしさで決意ができた……そして、言いながら腹立ちが増してきて、止まらなかった。
大学や軍部に迷惑がかかるかもしれない……という後悔が、冷静になりつつある今はある。
だけど、わたしは自分を褒めてあげたくて、微笑むことができていた。