嫌がらせに負けたくない
二月も終わろうかという頃、それは突然の出来事だった。
「すまないが、今日から君はここに入ることができなくなった」
お城の地下、解剖をおこなう部屋の前で、わたしは兵士に止められた。
一緒にいた医師たちが、どういうことかと兵士に詰め寄ったが、彼は上からの命令だというばかりでラチがあかない。
わたしは、医師たちの迷惑になってはいけないと、引きさがり、外交部を訪ねる。
王弟殿下なら、なにか事情を知っていると思ったのである。
彼がわたしを見つけて、手招きしてくれた。
「どうした?」
「あの、もし事情をご存知であれば教えてほしいのです。解剖に同席できないと先ほど言われまして」
「は? 俺は何も聞いていないが……一緒に来てくれ」
ケイロス殿下に続いて、地下への階段を降りる。そして、さきほどの兵士が殿下を見て緊張した。
わたしはこの時、殿下の威を利用している自覚があり、わたしの嫌いな連中とそう変わらないなと情けなくなる。
ただ、ケイロス殿下は兵士を問い詰めることなどしない。このあたりが、他のおバカさんたちとは違うのである。
さすが!
「君、彼女が同席できない理由は聞いているかい? 俺が許可をしていたことなんだ」
「いえ、理由は聞かされておりません! 自分は命じられたことのみをいたします!」
「わかった。どこからの命令か知っているかい?」
「わかりません」
「君の上官は?」
「フィルズ様です」
王弟殿下は、次に近衛連隊の事務室を訪ね、フィルズという騎士と会った。
兵士にした説明をして、どこからの命令かと訊く。
フィルズ卿は、気まずそうに答える。
「理由は私もさっぱり……ただ、上に圧力がかかったそうで……軍部が、大学に魔導士を城に寄越して研究させろというから、彼女が城にいるのだろうと……リオーネどのがバルバロス殿下を誘惑し、次にケイロス殿下にのりかえて風紀が乱れていると……また、医師の資格がないのに解剖室に出入りさせるとは何事かと」
「なるほど……独り言を言う。兄上ではない者に言われて、将校たちが受け入れるしかないとすれば……甥たちか?」
「……」
「肯定なら、頷け」
騎士どのは、動かない。
「では、宰相か?」
騎士どのが、コクリと頷いた。
王弟殿下は、わたしに言う。
「ありがとう。もう帰っていいよ。俺が話をしてみよう」
「あの……ご無理ならわたしは――」
「君のためでもあり、医学のためでもあり、魔法のためでもあり、王国臣民と我々の未来のためだ。これは、君一人がどうこうではない」
「……はい、ご迷惑をおかけします」
深々と頭を下げた時、フィルズ卿が教えてくれる。
「リオーネさん、私たち軍は貴女が懸命に研究されていることを知っています。評価しています。だから味方をしたいのですが、戦時ゆえ予算のこともあり、予算を握るところから言われると、つらいところなのです」
「はい……承知しました。いろいろとご迷惑をおかけしました。お気遣い、恐縮です」
わたしはペコリとして、殿下と別れ、研究室に戻った。
フメルス部長が、「あれ?」という顔で質問をしてくる。
「解剖は? 今日の午後二時からじゃなかった?」
「それが……制度がかわって、わたしは入れなくなってしまいました」
それで何かを察した部長は、席を立つとわたしを手招く。
溜息をついて、自分の席に戻ると部長が香草茶を淹れてくれた。
「さっき、飲もうと思って淹れたやつだから、まだ温かいよ」
「ありがとうございます」
「……君のこと、悪く言う奴らがいるのは全て、君のせいじゃないよ?」
「……でも、わたしが――」
「君は、悪くないよ」
わたしが、王弟殿下の親切を利用して王子から逃げているから。
わたしが、王弟殿下に嘘をつかせているから!
「部長……わたしが悪いんです。王弟殿下に言って、嘘はもうやめてもらいます」
「今さら、それをしたところで君が解剖に同席できるようになるわけでもないし、馬鹿な奴らが噂を流すのを止めることもできない。だったら、これまで通り王弟殿下に協力してもらうべきだ……でなければ、王子がまた君を訪ねてここに来るよ」
嫌だ!
あいつの顔なんて、本当に見たくない!
「今、君の異動の件、軍部と理事会が話し合っているから、もう少し待ってほしい」
「ありがとうございます」
「異動先でも、今と同じ研究環境を整えられるように調整してくれているんだ……軍と大学は、君をちゃんと評価している。だから自分を恥じちゃ駄目だよ」
わたしは上司とお茶の温かさで、少しだけ癒してもらえたと感じる。
その日の夜、解剖を終えた医師たちが、わたしのために脳の断面図を描いてもってきてくれた。
それを眺めながら、模型を作ろうかと思っていると、フメルス部長が徹夜明けだからと先にあがる。
一人、研究室で図を眺めていると、扉をコンコンと叩かれた。
誰だろうかと思うと、ケイロス殿下だった。
彼は、仕事場に入るなり、深く頭を下げる。
「ちょ! 殿下、やめてください」
慌てて、彼よりも低い視線となるべく両膝をつくと、彼がわたしを立たせてくれた。
「すまない……解剖に同席をさせてあげることはできない」
とても疲れた顔の殿下は、わたしの顔を見ると、表情を歪めた。
「君を優遇しすぎだとする声が多いと宰相は言った……おそらく、妬まれているのだろう……甥が君に夢中だから」
「わたしが殿下にお願いばかりをしたのが悪いの――」
「ちがう、それは違うよ。俺は……俺は悔しい……こんなことで、こんなことで可能性を潰す現実に勝てもしない……申し訳ない……リオーネ、申し――」
「謝らないでください」
わたしは、この人に謝らせては駄目だと思った。
王弟殿下は、こんな地方出身の平民出のわたしに、考えられないほど親切にしてくれている。たしかに、国や医療のことを考えてそうされているんだろうけど、だとしても、そうだとしても、わたしは自分のためにしてくれているように感じて、彼には感謝しかない。
だから、わたしは謝られたくない。
わたしは、お礼を言いたい。
「ケイロス殿下、ありがとうございました。本当に、感謝しています。解剖に同席させて頂いた時の情報や数値、模写もあります。今日は医師の皆様が、断面図を描いて持ってきてくれました。なんとかなると思います」
なんとかするしかない。
この方にばかり、お願いするのは卑怯だ。
彼が与えてくれた機会で得た資料で、わたしはわたしの治癒魔法を必ず完成させる。
そう決めて、わたしは初めてみる弱々しい王弟殿下を励まそうと、わざと笑ったのだ。