王弟殿下と宰相の娘
新年祝賀会、詩会、雪まつりなどがある年が明けての一月。
わたしはここで王子が女性からとても人気があることがわかった。
雪まつりに参加する貴族の女性陣たちから、自分を相手に、あるいは自分の娘を相手にという攻勢を受けて、困ったなぁと言いながらわたしをチラチラと見てきていた。
わたしは王弟殿下の隣で、無言で、スっと前だけを眺めて時がたつのを待つのみだ。
スッ……。
この、スッとすること、とてもうまくなった!
今日は一月二十日で、この日までには雪が降って積もっているだろうということで、毎年一月二十日なのだけど、今年は例年に比べて初雪が遅く、量も少ない。王城の庭園は地表をうっすらと雪が覆う程度で、こちらとしては過ごしやすいが、冬の神の力が弱まっているのではないかと神官たちは困っていた。
季節ごとの神様が、おかわりなくお過ごしくださることで、作物は実り、動物たちは元気に過ごし、天候は穏やかで、わたしたちも助かるのだ……というのが神官たちの言い分だ。だから彼らは、雪が少ないのは南の温かい海流が例年よりも強くて、それで寒気が大陸に南下してくるのを邪魔していると言うと嫌がる。
神官と魔導士は、相容れない関係なのだろう。
だから、王弟殿下の席に神官たちが挨拶にみえた時も、スッとして前を眺め、無言を保った。
会話は聞こえている。
「殿下、例年通りの寄進、ありがとうございます」
「まったく、殿下のおかげで今年も一年、よい催しができましょう」
「王陛下にぜひ、削減の方針をお考え直して頂くようお伝えください」
彼らの金せびりを聞きながら、スッとしたまま香草茶を飲んだ。
王弟殿下が喋る。
「今は戦時ゆえ、金がかかるのだ。七カ国となって長いが、こうまで戦の気配が強いのは過去にないゆえな……神々によろしく祈ってくれ。その祈りが通じて勝利が続くようであれば、陛下も増額を認めやすくなるだろう」
彼らが去った後、わたしはスッを解除して、疲れた様子のケイロス殿下をいたわる。
「ご苦労様です……神官とは、聖人ではないのですね? よくわかりました」
「彼らも……生活がある。我々、人間は皆、それぞれに立場があるのだから」
「はい、よくわかります」
「そういえば、医師会の理事たちから、君を褒める声が届いている。礼儀正しく、敬意をもって接してくれているらしいね?」
わたしは、解剖で協力をしてもらっているので、医師の方たちとの勉強会にも参加するようにして、魔導士側の意見や考え方、手法などを彼らに話して聞かせていた。これで彼らも、新しい治療方法を確立できるのではないかと喜んでくれている。
例えば、これまで幾度か夏に猛威をふるう悪痢に関しても、対処療法だけではなく、防疫対策の考案と、原因究明の調査にも着手することになったが、この観点は勉強会で生まれたものだ。他にもいくつかあるが、どれも今後の医療発展に役立ちそうな取り組みになると期待していた。
一方、わたしもとても助かっている。
医師たちの生の声を聞くことで、治癒魔法の分野に優先順位をつけることができたのだ。
人体の解剖に立ち会い、気付いたのは人体を完全に理解するなど神の領域……魔導士らしからぬ表現と医師たちに笑われたけど、本当にそうだった。
各臓器、血管、神経、骨、筋などなど、はっきり言ってわたしは甘かったのだ。
全ては無理なら、部位に集中しようと考えた。
結果、医師たちが「お手上げっす」という箇所の研究に総力をあげることにしている。
頭部、だ。
外科手術をしようにも、対象が繊細すぎて手をつけられない。患部の特定をしたくても、開いたからには後遺症の可能性がでてくる……などなど厄介らしいので、治癒魔法は頭部に集中することにした。こういうことをケイロス殿下に話すと、なんども頷きながら賛意を示してくれる。
「それがいい。頭部は大変だからね……今は脳に原因があるのではないかと思われる病も、内科的手法しか治療方法がなく、それが駄目なら諦めるしかない……頑張ってくれ」
「はい、でも頭部もまた複雑なので大変です。でも、わたしが始めることで、きっといつか、魔法は戦争の道具だけでなく、人助けになるものだと認めてもらえたら……って思います」
彼はここで、香草茶を飲み干して、わたしを誘うように立つ。
「散歩をしないか? 庭園の雪景色もこの暖冬だと見納めかもしれない」
「はい」
彼に続き、遊歩道を歩く。
王子が、女性たちを引き連れて歩いていた。彼女らは皆、王子を見つめて、キラキラと目を輝かせている。
上目遣い。
顎に、両手をグーにして添える。
なぜか、小刻みに顔を左右にフルフルとさせている。
どうしてか、口をアヒル口のように変化させている。
不思議なことに、女子たちは皆、そうしている。
その彼女らを連れて、王子は微笑みを保ち、彼女たちが喜ぶ台詞を言いながら、わたしをチラチラと見てきたけど、わたしはスッとしてその集団とすれ違い、やり過ごしてから王弟殿下の隣で溜息をついた。
「あのように、好いてくれる女性から相手を選べばよいと思うのですけど」
わたしの意見に、王弟殿下は苦笑する。
「好いてくるから、興味がないのだろうね。ただ、あれは長男ゆえいずれ王になるだろう。その時、王の隣にふさわしい女性でなければならない……兄上があれたちの中から選ぶはずもないだろうな……一晩の遊び相手であれば俺も兄上も反対はしないだろうがね」
「男性は、女性をそう扱いたがりますが、おもちゃではありませんよ?」
「……いや、失礼した」
わたしは謝られて、ハッとなって詫びる。
「こちらこそ失礼しました。思わず……」
「甥の前で、恐怖で身がすくんでいる君を想像できないな……」
「お恥ずかしい話ですが、本当にそうなります」
「……訊いてもいいか? なにがあった? 昔、ひどいことをされたと言うが、君は諸侯の娘ではないし、将校の家族でもない。どこで接点が?」
わたしは、無言でしばらく歩く。
王弟殿下は、急かすでもなく黙ってくれた。
話すために、思いだすのもつらい。
「申し訳ありません……はな……話そうと……ると……思い――」
話そうとすると、心にまだ残る恐怖がわたしの呼吸を激しく乱した。
うまく話せないわたしに、ケイロス殿下が慌てる。
「すまない。無理強いをした。許してくれ」
謝るのは、こちらのほうです……え?
手を握られた。
驚いて彼を見ると、ケイロス殿下は居住館のほうへとわたしを誘う。
「詫びに、美味しいお菓子をご馳走しよう。おいで」
「……はい、殿下」
わたしは、剣胼胝でゴツゴツとした男性の手にひかれて、雪の上を歩いた。
- We're through. -
二月十日。
ケイロス殿下のお供で、晩餐会に出席することになった。
殿下は多忙で、あちこちの席をまわって挨拶をするので、出された料理に手をつけていない。今も、南西の国境を接するシスニーク王国の大使と歓談をしている。
「あなたがリオーネ?」
王弟殿下から視線を外して、わたしの名前を呼んだ女性を見た。
知っている。
宰相リュネィ・ガルーノフ卿のご息女で、ソフィア様だ……。
シェリル情報によると、王弟殿下を好きらしい。
嫌なものを見るような目で見られているけど、その理由は訊かずともわかります……。
わたしは一礼を返した。
「はい、リオーネでございます」
「バルバロス殿下を色仕掛けで惑わし、次は王弟殿下を狙っている尻軽ね? ……平民風情がノコノコと出入りして、恥というものを母親の胎内に忘れてきたのではないかしら?」
「……」
「貧しい生まれの者が魔導士というだけでこのように城にまで出入りし……借りもののドレスでわたしたちの社交場を汚すようなおこない、皆は迷惑をしているのよ。次からは辞退なさいな。わかった?」
「そうですね。仰る通りでございます」
腹は立つが、喧嘩をするわけにはいかない。それに、ソフィア様がわたしをこらしめている光景を、ご令嬢たちが遠目に眺めて微笑んでいるので、ここは彼女らの鬱憤をはらしてあげることで、今も仕事場に届く死ね死ね手紙が減ればいいなと思ったわけだ……けど、ムカつくな、この性格ブス。
おっと、王弟殿下が戻ってきた。
どうした? と目で合図を送ってきたので、目を伏せて一礼する。これは、二人の間で決めた合図で、嫌がらせをされていますという意味なのだ!
こういう場所に、王弟殿下が一人で出ると、王子は「あいつら切れた、大勝利!」とまたわたしにちょっかいを出してくる。かといって、わたしが参加すると、諸侯の娘をはじめとする上流階級の女性陣から嫌な目で見られ……嫌がらせをしてくる奴もなかにはいるだろうと容易に想像できる。
だから、そういう時は合図を出せと彼に言われていた。
「ソフィアどの、リオーネに用か?」
「いえ、もう用はすみました、殿下」
腰を振るような歩き方……をして、ソフィアが離れていく。猫歩きってやつね……わたしにはできません。
晩餐会が終わるまで、仕事を終えた殿下は隣にいてくれた。
ふと視線を感じるので、そちらを見ると王子がわたしを見つめている。
ぞくぞくぞくぅ! と悪寒がして、わたしはさっと視線をそらした。
その翌日。
いつもドレスを貸してくれるシェリルにお礼をしたくて、王都で人気のお菓子店で購入したザッハトルテを抱えて侍女室を訪ねた。
「ええ!? そんないいのに! 一緒に食べる? 珈琲いれる」
機嫌がいい。
甘いものしか勝たん!
彼女が珈琲を淹れて、わたしがザッハトルテを切り分けた。
シェリルが、気になることを教えてくれる。
「諸侯の間で、王弟殿下によくない噂がたってるわよ?」
「え? どうして?」
「あんたよ、あんたを王子殿下から奪ったって……それに、わたしもそうだけど平民のわたしたちが、王族に目をかけられることに高い自尊心が傷つけられた娘さんどもが、お父上にあることないこと……いや、ないことないことを言いつけて、あんたと王弟殿下の悪い噂を垂れ流してるわ……」
……聞きたくない。
嫌な記憶が蘇る。
幼年学校……王子のイジメは壮絶なものだったけど、貴族の子弟たちもおもしろがってわたしをイジメた。それこそ、王子がいない時は、自分たちの番がきたとばかりに意地悪をしてきた……。
ああ……嫌な記憶よ去れ! とザッハトルテを口に運ぶ。
うまぁい……おいしぃ!
嫌な記憶ぅ、さよならぁ……忘れられん。
わたしは、珈琲を飲みながらシェリルに訊く。
「王弟殿下、それで損することありますかね? そうなったら困る……わたしがお願いしているんです」
「さぁ、ないんじゃない? まぁ、陰口が本人に届くと気分を害するってのはあると思うけど?」
「……はぁ、実害がないのだったらいいですけど」
「あんたのほうが、ひどい言われようよ? なかには、城から追い出して地方に飛ばせという過激な声もちらほら……」
それは!
それは最高です!
そうなってくれたら、どんなに楽かと思います。