王弟殿下の嘘と、わたしの図々しいお願い
「ああ言っておけば、ちょっかいを出してこんだろう?」
ケイロス殿下は、馬車の中で笑って言った。
嘘です。
大ウソつきがいます。
「ですが、貴方は王弟殿下なのですよ?」
「言っておくけど、君を助けるために嘘をついたのだよ? 俺とてしたくてしたわけじゃない。シェアトへの借りがあるし、君は優秀な魔導士だ。甥のおもちゃにされて泣きながら去っていった娘たちを幾人も見た俺としては、親友の養女がそうなるのは見たくないしな……俺も、ひどい男だな……」
「……どうしてですか?」
「これまでは無視していたのに、君は親友の養女だから助けようとしている。これまでの娘たちも、助けてやればよかったのにな」
「……それまでの女性たちも、わたしと同じく嫌がっていたのですか?」
ケイロス殿下はそこで顎を撫でて、次に苦笑した。
「いや、喜んでいたな……城の者たちに尊大な態度をとる者もいた……身から出た錆か」
「……本当に、薬草の場所まで送ってくださるのですか?」
「今、送っている。そして、帰りも送ってあげるよ。そもそも、君はこれまで一人で、危ない夜の森に入っていたのか?」
「王城の裏山です。危ないことはありません。城壁の内側です」
「……熊は出るぞ」
「本当ですか?」
「君は魔導士だから、多少の危険は自分で排除できるのかもしれないだろうが、いきなり襲われたらやられてしまうぞ? 今後は、軍に護衛の依頼をして森に入りなさい」
「……わかりました。あ、あの、このあたりで」
馬車を停めてもらい、わたしは外に出る。
森の中、泉の周辺に月下美人が咲いているのだ。
泉の周囲は、木々は枝葉で空を隠せていないから、星空を見上げることができる。だからここに、月下美人が集まるのだ。
わたしは、青白い花弁の花々が群生する場所へと歩み寄り、踏まないように注意しながら、丁寧にひとつずつ摘ませてもらう。
古の言語で、感謝を意味する言葉を囁きながら、花を籠へと入れていった。
「終わりました」
「これだけでいいのか?」
籠を覗きこむ王弟殿下に、わたしは頷く。
「はい、これで十分です。摘みすぎても、花が死んでしまっては意味がないのです……明日の調合に使う分だけを頂きました」
「わかった。爺、帰ろう」
王弟殿下に爺と呼ばれる老人は、馬車の御者席へと戻り、馬車の方向を転じた。
「美しいな」
隣の王弟殿下の声に、わたしは彼を見ていた。
彼は、星空を見上げている。
わたしも、彼の視線を追った。
「アリアス座……に、プレアノウス星団も見える」
王弟殿下の言葉に、わたしは問いを返した。
「お詳しいのですね?」
「俺は、天文学者か医師になりたかった」
変わった人だ……王家の人なのに。
「だが、生まれは王の次男だ。望みは叶わぬ……ならば、自分の望みを叶えようと努力する者を応援ができるよう、王家に生まれた立場を利用することに決めた。なのに、こうして星空を見上げると、後悔する」
「後悔?」
「ああ……抜け出して、どこか異国で夢を実現しようとしていたら、もしかしたら……」
ケイロス殿下は、そこで言葉を止めてわたしを見る。
目があい、ドキっとした。
「やめよう。おじさんの愚痴に付き合わせて悪い。帰ろう」
「いえ、おじさんだなんてそんな……謙遜しすぎですよ」
「君たち若い女性からしたら、りっぱなおじさんだろう? 馬車へ」
ケイロス殿下が、わたしの背をやさしく押す。
わたしは、この人にそうされるのは嫌じゃなかった。
- We're through. -
王都シュタクブルグは、冬至祭を迎えて賑やかだ。
ラミリア王国はアトラティス大陸の北西部一帯を支配する国で、王都は国土の北と南をわける中間ライン、オルガ湾に面したラス河の河口にある。人口は都市単体で十万規模、周辺の農園や集落をいれた都市圏全体だと二十万人に及ぶ大都市だ。
その大都市の市街地は街路と水路が縦横に張り巡らされていて、人と物を運ぶ。
その街路と水路に、今夜だけは大量の蝋燭が灯され、冬至を祝うのだ。
街路はいつもの油を使った街灯は消されているが、この日のために用意された億を超える蝋燭が街を光で包む。また、水路には幾艘もの小舟が出され、それらもまた蝋燭に火を灯していた。これをするだけの国力があると誇ることに意味があると、どこかで聞いたことがある。
この日は研究を早めに切り上げ、街に出て冬至祭を楽しんだ。
ただ、街に出ている人々の多くは連れだって歩いていて、一人であちこちを見て回るわたしは珍しい……。
誘う相手がおらん。
フメルス部長には、素敵な奥様がいて、可愛いお子さんもいる。
シェリルは城のことで忙しい。わたしより十歳年上の彼女は、その年齢ながら城で働く者達の上に立つ立場についただけあって仕事人間だ。誘ったら、秒で断られた。
「王弟殿下の恋人なんだから、王弟殿下のところに行けばいいのに」
「そういうこと言います?」
彼女には、事情を話してある。だから、シェリルの言葉は冗談だとわかるのだけど、顔はおもしろがっている顔なので、こいつめ、と思うのだ……。
彼女にも断られ、結局ひとりで祭を見学し、美しい夜景に満足して宿舎へと戻った。
翌日、仕事場に入ると、王子がいて固まる……。
「リオーネ、叔父上とは終わったのだな?」
ど、どういう?
「嬉しいぞ! やはり先日のあれは、叔父上が一方的に言っていただけであろう? 叔父上の顔を潰すまいと、お前は黙っていたのだろ? そうだな?」
「あの……どういう事情かわかりませんが、今は仕事中なので」
「僕よりも仕事をとるのか?」
悲しいという顔になった王子が、大袈裟に溜息をついてわたしを抱きしめようとしてくる。
あわわわわ……わわわ……ああ、気持ち悪いし怖い……。
「殿下、彼女の仕事が遅れると、軍部から彼女が責められます。そのあたりで……」
フメルス部長の助けで、王子は仕方ないという顔でわたしから離れたけど、手を握られ、手の甲にキスをされてしまった。
ぞくぞくぞくぅ! という凄まじい恐怖で、わたしはカチーン! とかたまる。
彼は、笑顔で部屋を出て行った。
フメルス部長は、うんざりとした顔で溜息をつき、わたしは手洗いへと駆け込み、嘔吐し、手をゴシゴシと石鹸で洗ってから仕事場へと戻った……。
部長が、ある提案をしてくれた。
「異動願い、出してみるか? ただ、軍部にはそれなりの理由をつけておかないといけないけどね」
お願いします! 是非!
こうして、部長から大学へと、異動の相談をしてもらうことにしたが、結果は早くても半年後だ……。
お昼休み。
わたしは、食事をする元気がなく、何があったのかを知りたくて、外交部を訪ねると、王弟殿下が官僚たちと仕事の話をしていた。
終わるまで、部屋の隅っこで待つ。
「リオーネ、どうした?」
途中、わたしに声をかけてきた王弟殿下に、「お仕事を終えてからで」と答え、ひたすら待つ。
彼は、打ち合わせを終えて、わたしを執務室に誘った。
外交部の隣に、彼の執務室があるが、寝室も兼ねているらしいと察することができる……。長椅子で寝ているらしく、前回と同じく、また毛布が丸まっていた。
お風呂……どうしてるんだろう?
あの夜……薬草を摘みにいった日は十日ほど前だったけど、その時の体臭は気にならなかったから、ここで寝泊まりしているとしても、お城でお風呂に入って……居住館のほうや、自分の屋敷の広いお風呂じゃなくて、兵士や使用人が使う大浴場で? まさか……ね?
王弟殿下が長椅子に腰掛け、対面を示すので座る。卓上には書類や地図やら手紙が散乱している。
「散らかっててすまんな……片付ける暇がない。どうした?」
「とんでもございません。お訪ねいたしましたのは、王子殿下が今朝……」
わたしは、今朝の出来事を話した。
ケイロス殿下は苦笑し、「そういう理解をしたか」と呟くとわたしを見て口を開く。
「すまない。俺が甘かったよ。冬至の食事会に一人で参加した……昨日だ。皆、妻やら恋人を連れてくるが、俺が一人だったのであいつに尋ねられたんだ。リオーネは? と……仕事が忙しいから断られていると伝えたが、それを甥はいいように解釈したのだろう」
ケイロス殿下はそこで悩むように腕を組み、脚も組んだ。
わたしは、ひとつ、提案をした。
「あの、お世話になっておきながら、このような図々しいことを申し上げてもよいものかと思いますが、バルバロス殿下は本当に無理なので、思い切ってお願いしたいことがあります」
彼は笑う。
「本当に無理……よくそこまで嫌われたのはすごいな……なんだい?」
「ケイロス殿下が、その……女性を伴うべき催しに参加される際、わたしにお声をかけてくださいませんか?」
恥ずかしい。
図々しいにもほどがあるお願いだ……だけど、そうでもしないとあのクズはまたわたしのところにやって来て……あの口で……ひぃいいいいいい!
嫌だ!
気持ち悪い、気色悪い。
ケイロス殿下は、笑うでもなく、怒るでもなく、呆れるでもなく、穏やかな目でわたしを見て、頷く。
「わかった。次からはそうしよう」
「本当に申し訳ございません。ただ、いつまでもというわけにはまいりませんでしょうから、半年ほどはお付き合いいただけないでしょうか?」
「半年で、いいのか?」
「はい。わたしを地方の研究室に転任させてもらうよう、上司を通して依頼をしてもらっています。それが決まるのは半年後だということで……」
「なるほど、わかった。俺はかまわないよ」
「本当にありがとうございます。あの、お礼にわたしにできることはございませんか?」
ケイロス殿下は苦笑し、「いや」と呟くと顎を摘まんで考えた。そして、無言で待つわたしをまっすぐに見て、口を開く。
「治癒魔法の開発、必ず成功させてほしい」
わたしは深くふかく、頭を下げたのだった。