王弟殿下の嘘
舞踏会を終えた翌日である今日、わたしは休みだ。
宿舎に戻り、たまった洗濯物を洗い場へと運んで片っ端からゴシゴシと洗濯をしていく。これが重労働なので、お城で働く人たちは、大量の着替えを毎日、ゴシゴシしているなんてすごいなぁと感心する。こういうのも魔法でやれればいいのにと考えたことはあるけど、魔法が全てを解決してくれるわけではない。
王弟殿下に言われて、気付いたことがある。
魔法は万能の力を秘めているけど、それで全てを実現しようという考えは駄目なんだろう。
魔法を使うことができるのは、魔力をもって生まれた魔導士だけだ。これはどういうわけか、両親がそうだからといって必ず子供も魔導士として生まれてくるわけではない。また、魔力がない人が努力で魔導士になることもない。
魔導士は、聖神から授かった貴重な才能なのだ。百人に一人、という確率よりも低い。
そういう人が、社会のあらゆるものを独占してしまったらどうなるか……。
王弟殿下は、そこを危惧されていた。
わたしは、魔導士に囲まれて十代を過ごしたから、魔導士側の論理で物事を考えていたことで、魔導士ではない人たちからどう思われるかという点を考えていなかったのである。
洗濯物を抱えて自室に戻り、室内に干したところでベッドに寝転ぶ。
どこかに出掛けようかと思いながらも、昨日の疲労が今さらのように襲ってきて睡魔に襲われた。
欠伸をして、毛布にくるまる。
起きたら、夕方だった……。
すごく損した気分の、休日となってしまった。
- We're through. -
舞踏会を終えての初出勤日。
いつものように、午前八時に仕事場へと入る。
「ああ! リオーネ、おはよう! 昨日は大変だったよ!」
「おはようご……昨日?」
舞踏会は一昨日だったけど?
フメルス部長が、わたしの机を指で示した。
机の上に、大きな薔薇の花束と手紙、御菓子などなど……手紙はいくつも? これは王子からだけど、他のは……知らない人たちだ。
差出人が書かれていない封筒を破り、便箋を取り出すと、赤い字で『死ね』と書いてあった……。
おお……おおおおおおおお……。
紙面を背後から覗き込んだフメルス部長が、「ひ」と引きつった声をあげて、それに驚いたわたしは「ひゃ」と声を発して手紙を放り投げる。
わたしは他の手紙たち……舞踏会に参加していたらしい男性たちから、二人で会いたい的なお誘いの手紙や、差出人不明の、お前を呪うなど殺すなどの手紙をまとめてゴミ箱に詰め込んだ。そして薔薇……たちには罪はないので、仕事場を出て王室庁のシェリルを訪ね、彼女に差し出す。
「これ、飾るのに使ってください」
「あら、綺麗。どうしたの?」
事情を話すと、笑われた……。
「さっそく……誰かと付き合ったら?」
「興味はありますが、手紙を送ってきた人たちとはありません」
「バルバロス殿下に連れられて現れて、次はケイロス殿下に抱えられて消えた……女性陣は大狂乱よ」
シェリルは、おもしろいことになった! という顔で言う……。
「王弟殿下も、人気あるんですね?」
「あたりまえでしょう? 顔、性格、血筋と三拍子そろっているうえに、他国からも一目おかれる方よ? とくにソフィア様は王弟殿下を慕っておられるから、嫌がらせの手紙のうち、ひとつは彼女が犯人ね」
「ソフィア様とは、宰相閣下のご令嬢の?」
「そう。先日、ソフィア様が隣国からの縁談を蹴ったのは、彼女が王弟殿下を慕っているからって噂になってるわ……宰相閣下も、それならば現王家との関係を強化させようかとケイロス殿下にそれとなく、うちの娘をもらわんか? 的なことを打診したらしいけど、あっさり断られて恥をかかされて……宰相閣下と王弟殿下の関係、ぎくしゃくしてるのよねぇ。リオーネに怒りの矛先が向かうかもしれないから、気をつけてね」
すごい情報網だ……諜報機関みたいだ!
「ありがとう。気をつけます」
わたしはそう答えて、彼女と別れて仕事に戻る。
薬草を摘みにいけなかったから、今夜にしよう。
それまでに、これまで集めた数値の集計と分析をしなくちゃ。
- We're through. -
午後五時過ぎ。
陽が落ちるのが早い今ごろは、午後六時ともなると真っ暗になる。だからわたしはフメルス部長に出掛けると伝え、籠を抱えて仕事場を出た。
通路を歩き、階段を降りて、建物から出ようとした時、王子がこちらへと歩いて来るのが見えた。
あちらも、わたしに気付いた……。
最悪。
「リオーネ!」
王子が、わたしへと駆け寄ってくる。
わたしは懸命に立った。
バルバロスは、わたしの肩を抱こうと手を伸ばしてきた!
嫌だ……。
縮こまって、最低限の抵抗を示すも、あっさりと抱きしめられる。
こいつは、自分が女子にこうすることを、女子は喜ぶものだと思いこんでいるに違いない。
相手は、自分を受け入れるのが当然とばかりの思考だ……。
「心配したぞ、リオーネ。昨日はちゃんと休めたのか?」
「は……はい」
「どこに行く? また無茶な仕事をさせられているのか?」
「いえ、違います」
「今日はもう仕事をやめて、僕とおいで。これから歌劇を観にいこう」
「あの……わたしは仕事が――」
「大丈夫、僕があの男に言っておくから」
ちがう!
ちがう!
わたしが仕事をしたいの!
ちゃんと話を聞いて!
「バルバロス、どうした?」
この声は、王弟殿下だ。
背後からの声に、肩越しにそちらを見ると、軍部の将校と階段を降りてきた王弟殿下が、わたしたちへと近づいて来るところだった。
バルバロスが、わたしから離れた。
よかった……。
「叔父上、リオーネを見舞って、それから歌劇に招待しようとしたところですよ」
王弟殿下はそこで、バルバロスからわたしを隠すように立つと、こう言ったのだ。
「それは困る。彼女は俺の誘いを受けてくれた。彼女は俺の恋人だ。手を出されては困るな」
は?
茫然とするわたし。
王子は、目を限界まで見開き、口をあんぐりとさせてわたしと王弟殿下を交互に眺めた。
バルバロスの口から、声が漏れる。
「嘘だ」
「嘘ではない、本当だ。昨日、舞踏会での礼を言いに彼女が訪ねて来た際、ひと目で気に入ったと伝えた。彼女も受け入れてくれた。だから、リオーネに手を出すな」
王弟殿下はそこで、わたしの手をひく。
どういうことですか?
混乱するわたしに、彼は言う。
「どこに行く? 送ろう」
わたしは、王弟殿下に手をひかれて、建物を出た……。