王子をクソメンと呼ぶ理由
むかしむかし、ラミリア王国という国がありました。
治癒魔法発祥の国です。
この治癒の魔法を考案したのは、リオーネという女性でした。
「リオーネ」
嫌な声で名前を呼ばれ、書物から視線を転じて相手を見る。
王子殿下だ。
席から立ち、その場で一礼してお迎えする。
胸は恐怖で鼓動が早くなり、身体は嫌悪で硬直していた。
わたしは、この男が嫌いです……。
彼は――人間の価値が、見た目で決まるのならば最高の男性だろうと思うほどの王子は、笑顔でわたしの肩を抱き、髪に触れてきた。
わたしは気持ち悪くて後ずさりをするも、王子は笑っていた。
「ははははっ、相変わらず照れ屋なんだな?」
「いえ……」
「今夜の舞踏会、君を誘いに来たんだよ」
「……仕事があります」
王子はそこで、わたしの上司を見た。
「彼女を夜まで働かせているのか?」
「も……申し訳ありません。彼女はこの後、薬草を摘みに出かけるので、報告書や書類作業などは夜におこなうことに……」
だから、明日はお休みを頂いているんです。
王子は上司を睨んでいる。
「彼女は今夜、僕の相手として舞踏会に出る。他の者にさせよ」
「そ……それは……」
上司――フメルス部長が困るのは、わたしがお願いをして、やらせてもらうことにしていた仕事だからだ……わたしの研究である治癒魔法の開発に必要なことだから……。
夜にしか咲かない月下美人という花は、とてもいい薬草になるから。
王子は、夜の仕事をしなくてもよくしてやったぞという顔でわたしに言う。
「リオーネ、では迎えをやるからね?」
わたしは、恐怖のなかでも懸命に口を開く。
「で……殿下、その仕事は、わたしがお願いをしたのです……部長は悪くありません」
「君は優しいね? わかった。そういうことにしておこう。でも、次に嫌がらせをされたらすぐに僕に言うのだよ? いいね?」
「は……あの、今夜はわたしがお訪ねいたします。ドレスなどがないので、王室庁で借ります」
「わかった。侍女のシェリルを訪ねればいい。話をしておく。次からは僕がドレスを買ってあげるからね」
わたしは、笑顔で去る王子を一礼で見送る。
彼は、わたしの髪を撫でて部屋を出ていった。
緊張から解放されて、安堵のあまりその場で両膝をつく。
部長に、助け起こされて椅子に座らされた。
「リオーネ、舞踏会、大丈夫か?」
「……出なくてはいけませんので、なんとか一曲だけ……あとは体調が悪いといって」
それしかない。
踊りは得意でも苦手でもないけど、あいつの相手として踊るのは嫌だ。でも、彼に逆らえない。
……深呼吸をした。
はぁ、憂鬱だ。
- We're through. -
王子の前に立つと、過去の恐怖が蘇って、わたしはわたしじゃなくなったみたいに弱々しくなる……。
なにをされたのか?
イジメられた……。
王子だろうが、王様だろうが、帝王だろうが、イケメンだろうが、なんだろうがあの男は無理だ!
クソメン! イケメンじゃなくてクソメンなんだよ!
だいたい、あれだけひどいことをしておきながら、わたしのことを誰だかわかってもいない。
わたしは平民出だけど魔法が使えて、学問は好きだったので、難関試験を突破して王都の最高学府である王立大学の幼年学部に入ることができた。
九歳の時だ。
九歳から十二歳までをここで過ごし、成績優秀者ならば十三歳から十六歳まで高等学部に進み、さらに優秀者は大学部に進み……という最初の学部に入ることができたのである。
だけど、そこにあいつがいた……。
この国の王子バルバロスだ。
わたしよりもひとつ年上の王子は、入学したわたしにこう言い放った。
「おい、平民。お前のせいでレイト侯のアイルズが入学できなかったぞ。お前、死ね」
は?
え?
混乱するわたしに、彼は手にしていた杯の中身をぶちまける。
馬の尿だった!
最悪!
最悪の入学式だった!
それからわたしは、数々のイジメ……わたしと仲良くしたら一緒にイジメると皆に言い、わたしを孤立させた。
食堂でわたしの給食を、わざとひっくり返して、床にこぼれたものを拾って食べろと強いられた……。
他にも、ブス、クズ、死ね、はやく学院をやめて帰れ! 平民のくせに! 国の金をアテにする寄生虫! などなどと会うたびに暴言をはかれ、時には目があっただけで顔を平手打ちされたり、皆の前で服を破かれたり……水をかけられたり、倉庫に閉じ込められたり……。
思いだしただけで、悲しくなっていたのは数年前までで、今は滅茶苦茶に腹が立つ! だけど、あいつを目の前にすると、あの時の恐怖が蘇って身体がすくんで、思考はにぶり、心は閉じてしまうのです……。
ひどいことをされていたわたしを、助けてくれる大人は幼年学部にはいなかった。皆、王子に注意ができなかったのである。
だけど、助けてくれた人が、大学にいた。
大学の魔法学部の学部長を務めていたシェアト先生だ。
先生はあの日――呪具が保管されている倉庫にわたしが閉じ込められていた時、倉庫に用があって扉を開けた。そしてずぶ濡れでうずくまっているわたしを見つけて、驚いて駆け寄ってくると抱きしめてくれたのだ。
何があった? どうした? 私の上着を着なさい。服を乾かそう。おいで……わたしは彼の研究室に連れていかれ、そこで清潔な衣服に着替え、温かいお茶を飲ませてもらった。
あの日が、わたしの運命を大きく変えた日になった。
わたしは、何があったのかと訊かれて、これまでのことを泣きながら話した。そして、故郷の両親を心配させたくないから、楽しくやっていると嘘の手紙を送っていることも話した。
「辞めちゃうと、わたし、学費をお父さんとお母さんが、高いのを払わないといけない。でも、お金ない、うちには、払えないんです……卒業、我慢する、決めたです」
一年間のイジメに耐えたわたしは、あいつが高等部にあがるまで我慢すればという希望をもっていると伝えたのだけど、先生の考えは違った。
「心を殺されるよ? 君、自分では気付いていないみたいだけど、言葉は順序が滅茶苦茶だし、声は寒さではない震えがひどい……目は濁っていて、私と目をあわせるのを無意識で避けている……」
先生は、そう言うと研究室にいなさいと言って、部屋を出て行った。
しばらくして、先生が戻ってくると、こう言ったのだ。
「君の成績表、これだね?」
手に、わたしの名前が書かれた成績表を持っていた。
「入学試験、完璧だ……首席入学……なのに、一年でこんなに成績が落ちて……うちの教員は何をやっていた!?」
怒鳴った先生に、わたしは脅えた。
先生が慌てて謝る。
「ごめん! ごめんよ……私が君の先生になろう。いいね? 幼年学部には戻らなくていい……君の両親には、私から手紙を書いて事情を説明するから、名前を変えて私の弟子になりなさい。いいね? メナ?」
わたしは、意味がわからないまま、優しい声で話しかけてくれる先生に頷いていたのです。
こうして、わたしはメナという女の子ではなくなり、リオーネとなって、先生の調査や研究を手伝いながら学ぶことができるようになったのだ。
そして二十歳になった今、わたしは大魔導士エニフ・シェアトの弟子であり養女のリオーネ・シェアトとして、王国に仕えている。