聖杯の聖女 君は妹より劣っていると婚約破棄されましたが、真の聖女はわたしだったようです。もう伯爵の元へは戻りません
わたしは奇跡の力を持っている。
聖杯の力。多くの聖杯を召喚して、大量の水を国に齎した。その甲斐があって、降水量の少なかったネプテューヌ帝国に水が戻り、人々が喜び、幸せになった――はずだった。
「フィセル、婚約破棄してくれないか」
エタンセル伯爵ことロワンは、険しい表情で唐突にそう告げてきた。あまりに突然だったので、わたしは驚いて困惑した。
「二週間前に婚約を交わしたばかりなのに……どうしてですか? わたしに不満があったのなら言ってください」
「不満は大ありだよ。君は確かに多くの水をその聖杯で作った。でも、君の妹のシトロンの方がもっと大量の水を作れる。力の違いだよ」
わたしにはシトロンという妹がいた。今までは奇跡を持たず、聖女という立場でもなかったというのに、三日前になって突然その力に目覚めたらしい。母から受け継いだ血のせいだろうか、遅咲きだったのかもしれない。
それからは、妹の活躍が目覚ましい成果を上げていた。
それからだ。
それから、ロワンの態度は急変した。
「そんな……わたしを愛してくれていたのではないのですか!」
「君は確かに美しい。その雪ような銀髪も、容姿も健康的な体つきも申し分ない。どこへ出しても恥ずかしくない女性だった……だが、奇跡の力は妹より劣ったんだ。そう、所詮君の力はその程度だったというわけさ」
そんな風に見下してきた。
彼は、わたしというよりは『聖杯』の力に興味があったようで、そこに愛はなかったみたい。ショックが大きすぎて、頭が真っ白になる。
「……」
「この屋敷から出て行って貰おうか。ここは君がいるべき場所じゃない……さあ、おいでシトロン」
パンパンと手を鳴らす伯爵。すると、奥の部屋から妹のシトロンの姿が。豪華なドレスに身を包み、今までの修道服ではなくなっていた。教会に仕えるただのシスターだったはずなのに、どうして。
「ふふっ、これが現実よ、フィセルお姉さま。少量の水しか出せない聖女なんて、もう需要がないの。聖杯から大量の水を出せるわたくしこそが本物の聖女です。ねえ、そうでしょう、ロワン」
「もちろんだ。フィセルは使えんし、シトロンのような優雅さが足りなかった。あぁ、あと上品さにも欠けたかな。さあ、おいでシトロン。君のそのフィセルよりも美しい銀髪を撫でさせてくれないかい」
「ええ、いいですよ」
二人はわたしの目の前で――。
もう見ていられないし、此処に居たくない。
――わたしは屋敷を出た――
その日は、三年ぶりに大雨となった。
ゴロゴロと雷が鳴り始めて、雷雨となる。
わたしは大雨に曝されて、ずぶ濡れとなった。
「――――」
……おしまいね。何もかも。
アテもなく霞がかかる小さな裏路地を彷徨う。この周辺の治安は良いとは言えない。貧窮している者が金持ち貴族を狙い、金品を狙った強盗事件も頻発していると聞く。
やっぱり、現れた。
ならず者の男は三人。
わたしに狙いを定めていた。
「おぉ、こりゃ……噂の聖女じゃねえか」
「だなぁ。美人さん大歓迎」
「やっちまおうぜ」
ジリジリと寄ってくる。わたし……こんな所で――嫌だ、そんなの。逃げようとして、でも、男たちに捕まりかけた――その時だった。
『その人に手を出すな』
そんな強い一言が発せられると、雷が走った。
黒々とした雲から雷が落ちて――あの男三人を撃った。
『『『ギャアアアアアアッ!!!』』』
男たちは倒れて、黒い煙をプスプスと上げていた。あれは死んでしまったのだろうか……?
「あ、あの……あなたは?」
「どうやら無事のようですね、フィセル様」
その顔を見て、わたしは納得した。
一度だけお会いした事があった。
あれは二週間前ではあったけど、聖水の力を公衆に示したあの時だ。声を掛けられて、話をと誘われたけど断っていた。
「タンドレス城伯……ですよね」
「いや、今は辺境伯の地位も賜っているのです。二つの爵位を持っているんですよ。でも、堅苦しいからレザールと呼んでくれると嬉しいかな」
えっ……そうだったんだ。
あの時は城伯だって仰っていたから。
そうなんだ、今は辺境伯なのね。驚き。
タンドレス城伯――いえ、辺境伯は、背が高くて、サラサラとした金髪をしていた。その体格もスマートで無駄がない。聞くところによれば、水と風の専門魔法使いだとか。
「分かりました、レザール様。先ほどは助けて戴き、感謝しております。……でも、どうしてわたしを救って下さったのです?」
「はい、実はですね……三日前のシトロン様です。ほら、聖杯の力に目覚めたっていう……彼女もその力を民に知らしめていたんですよ。
その時、僕もその場にいましてね。その後でした……シトロン様がエタンセル伯爵と親し気にされていた所を目撃したのです。これはオカシイなと思い、後を付けていけば……二人は抱き合っておられました」
――そう、その時に妹は伯爵と。
「もういいです。あの二人の事は聞きたくありません……。それより、わたしは疲れました。何もかもを失いました……このまま死なせて下さい」
「そうはいきません。僕にはあなたの力が必要だ」
「わたしの? 妹よりも劣っているのに?」
そう聞き返すと、レザール様は優しく微笑まれた。そんな笑みを向けられ、わたしは不思議と安堵する。なんだろう、まるで太陽のような……心がポカポカする。
「劣ってなどいませんよ。フィセル様こそが本当の聖女なのですから、堂々と胸を張って下さい。少なくともこの僕は認めます」
「でも、もうわたしは……」
「大丈夫、信じてください。貴女の妹……シトロン様は、もう数日持たないでしょう」
彼は不思議な事を口にした。
シトロンが持たない?
「どういう事ですか?」
「いいですか、フィセル様。聖杯から湧きだす聖水は、人間の心によって左右されるのです。清き心を持たねば水は穢れてしまう。それを証拠にフィセル様の水は透き通っていて綺麗だった。対して、妹のシトロン様の水は、ただの水。早くも汚れも目立っておりました。水と風の専門である、僕が言うのです。間違いありません」
そうだったの……そうね、信じるに足る十分な説得力があった
「つまり、シトロンの聖水は劣化しているという事なのですね?」
「ええ、もう間もなく『汚水』となるでしょう。そうとなれば、フィセル様が再び注目されるんです。だから、あなたが必要だ。如何でしょう、僕の所へ来ませんか?」
エメラルドグリーンの瞳を向けれ、わたしはドキリとする。優しい目。この人なら信じられる。わたしを助けてくれたし、ずっと前から見てくれていた。
わたしは彼の手を取った。
◆
――三日後――
レザール様のお屋敷に入って、新しい生活を送っていた。彼の言う通り、妹のシトロンの出す水は『汚水』になって、民から抗議が大殺到。強い非難にさらされていた。
「どういう事だよ、シトロン様!」「水が汚いじゃない!!」「こんな臭くてマズイの飲めるか!」「死活問題だよ、こんなの!」「フィセル様の方が良かった!」「そうだ、フィセル様に戻せ!」「お前は必要ない!」「役立たず!」
「――そ、そんな……わたくしの聖杯が……聖水が……。エタンセル伯爵、た、助けてちょうだい……!」
「し、知るか! こっちまで実害が出ている。申し訳ないが、君とは婚約破棄する。……くそっ、こんな事ならフィセルを……フィセルを……戻って来てくれぇ……フィセル……うあぁッ!?」
シトロンも伯爵も汚水を浴びせられていた。
それから二人の信頼は失墜。
民から一切信用されなくなっていた。
その光景をわたしは遠くから見ていた。もちろん、レザール様のお屋敷から。此処は三階もあって快適だし、見渡せる風景も綺麗だった。
「ほら、こうなったでしょう」
「ええ……そうですね、レザール様。でも、わたしはどうも思いません。だって、今がとっても幸せなのですから」
「僕も君と出会えて最高に幸せです。やっとこの気持ちを打ち明けられる……愛していますよ、フィセル様」
静かにレザール様は婚約指輪を取り出された。
わたしはそれをお受けした。
以来、わたしとレザール様は幸せに、そして、民に幸福を齎した。わたしは、真の聖女として民の希望となった――。