天国の花園
この話にはゴキブリやネズミが出てきますので、苦手な人はご注意下さい。
【 天国の花園 】
目の前にスチール缶のノズルが迫り、そこからシュッと薬剤が噴射された。
ゴキブリはたまらず巣に逃げ帰ろうとしたが体が麻痺を起こして、その望みは叶わなかった。
同じ場所をクルクルのたうちながら焦っていると、再び薬剤が噴射。
「もうだめだ」薄れゆく視界に、死を予感したゴキブリは生まれて初めて神様に問うた。
「慈悲深い神様、私は何ゆえにこんな目に合うのでしょうか? この家に住む人間に危害を加えた覚えはありません。いつも捨てられた残飯だけを食べ、彼が活動する昼間には、じっと床下で潜んで慎ましく暮らしておりました」
するとゴキブリの近くで別の声がした。
ゴキブリが噴射された薬剤をついでに浴びせられて、落ちてきたハエだった。
ハエもまた床の上で羽をブンブンと痙攣させ、死の時を待っていた。
「神様、私もこのような目に合う覚えはありません。私はこの家の人間が植えているイチゴの花粉を舐めました。そのためにイチゴの実は大きく育ち、喜ばれていたはずです。私が生まれたのはこの家の天井裏。死んでいたネズミの死体を兄弟達と仲良く食べて育ちました。もし私達がネズミの死体を食べなければそれは腐敗し、強烈な臭いと共にカビや細菌の温床となって、この家に住む人間は病に苦しんだことでしょう」
「そのネズミです・・・」
か細い声を出したのはネズミの幽霊だった。
「私はこの家の近くにある大学の実験室から逃れ、猫がいないこの家に住み着いた者です。大学では仲間達がウィルスや病原菌の被害を計る実験に使われ、苦しみながら死んでいきました。私自身は心理学のストレス実験と称するもので、毎日電撃を当てられたり、水に沈められたりして暮らしてきました。辛かったので何とか逃げ出し、この家の天井裏にたどり着いたのです。ですがある日、巣の近くに殺鼠剤がまかれており、私はそれを食べて死にました」
「ああ、それで兄弟達の大半が蛹にもなれず死んだのか・・・」とハエが苦笑した。
その時、ごみ箱からネズミの幽霊よりも小さな声がした。
「神様、私達はこの家の植木鉢の隅で育ったカタバミやノゲシ、ポリゴナム等の雑草です。確かに私達は家の人が植えたものではなく、風に乗って種が飛ばされてきたり、初めから土の中で眠っていたものですが、この家の人間は私達をまったく歓迎してくれませんでした。彼は私達を根元から引き抜くと踏みつぶされたゲジゲジ達と一緒にここに捨てたのです。チューリップの話では、人間はみな花を見て喜ぶということでした。だとすると私達もあと少しで小さくて可愛い花を付けられたのに・・・。本当に悔しいです」
ゴキブリやハエやネズミの幽霊、それから雑草達の話を黙って聞いていた神様は、
「かわいそうに、かわいそうに」とつぶやき、「人間を恨まないでやっておくれ。彼らは確かに必要以上にお前達に辛くあたっているようだが、生きるためにもがいているのだから。私にはお前たちの命を救ってやることはできないが、天国の花園を用意してあるから、みんなそこにおいで」と言って慰めた。
「ありがとうございます。でも私達だけそんなもてなしをして頂いたら仲間に申し訳ない気がします」
ネズミの幽霊が小さな声で言った。
「大丈夫。みんな、みんな一緒に招待するよ。ゲジゲジもナメクジもみなおいで」
そう言って慈悲深い神様はにっこりと微笑んだ。
やがて時がたち、家の人間も天に召される日がやって来た。
一人で虹の橋を渡り『天国の花園』という標識がある場所にたどり着くと、そこは一面にカタバミやノゲシ、ポリゴナム等の雑草が生い茂る広大な野原で、無数のハエが軽やかに飛び、ゴキブリやネズミが楽しそうに走り回っている楽園だった。
むせるように漂うゲジゲジの匂いを嗅いで戸惑っていると、遠くから荘厳な鐘の音が響き、耳元で神様がやさしく語り掛ける声がした。
「人間よ、天国へようこそ。ここでは誰もがもう苦しむことは無い。学校も会社も無く一切の義務からも解放される。永遠の命が与えられ、食べる必要も無い。これからはここにいるみんな一緒に楽しく末永く暮らしなさい」
めでたし、めでたし。