悪人は強いですか?
強いのは悪人に決まってる。
だって捨てるものがないから。
守る物がないから。
自分を第一にできるから。
善人は善意につけこまれて悪人から搾取される。
悪人っていうのは、法律を守ってても悪人。悪人には法律なんて関係ない。
だって、善人が悪人の餌食になるときは法律は守ってくれないから。
***
「悪かったよ。悪かったって」
男は平謝りしながら女から後ずさりした。
でも後ろは袋小路で、男に逃げ場はない。
女は先ほどカッターナイフを手に持って、男の顔を切りつけていた。
この男はさっき、女に後ろから襲い掛かって胸を揉んだり、服を脱がせたりして強姦しようとしていた。だから人気のない逃げられない場所で女を襲った。
でも、女が鞄からカッターナイフを出して切りつけてきたから男は謝ってる。
顔から思ったよりも血が出ているのを男は感じていた。思い切り振りぬいたということも、冷静になれば分かってきて怖くなった。
男は強姦しようとしたが、それはただの性的欲求を発散する目的だけの衝動で、顔の傷の鋭い痛みと、頬を伝っていく血の感触で恐怖が勝った。
だから謝っている。
「悪いと思ってない」
「思ってるよ。だからそれをしまって」
「私がさっき“やめて”って言ったときに、貴方はやめなかったよね。なんで自分の主張だけが通ると思ってるの?」
女はカッターナイフを握りしめたまま、男の方ににじり寄っていく。
「やめろって。警察を呼んだら大人しくしてるから」
それを聞いたときに女は笑った。
「ははは。大丈夫。警察は呼ばないから」
「逃がしてくれるってこと?」
呑気な返事をした男に対して一気に女は距離を詰め、カッターナイフを男の首に当てた。
男は完全に腰を抜かして後退ってそれから逃げようとする。
「おいおいおい、何するんだよ」
「ムカついたから、殺そうかなって思って」
何かの聞き間違いかと思って、男は目を見開いて女を見た。女は冗談を言っているのだと男は思った。
「落ち着けって。俺を殺したら……殺人罪に問われる。確かにレイプしようと思ったけど、もう俺は降参してるのに……そんな俺を殺したら、ただの殺人罪だ。正当防衛にはならない」
男は何度か強制わいせつで警察に捕まったこともあるし、裁判を受けたこともあるし、刑務所に入ったこともある。
だから法律の専門家ではないがそれを知っていた。
「知ってるよ。貴方、どうせ何回か同じような罪で捕まってるでしょ」
「……なんで分かる?」
「やり口が手慣れてる。人気のない袋小路までつけてきてたでしょ。それに後ろからきて、躊躇いもなかった」
「そんなことまでわか――――」
ザッ!
女は持っているカッターナイフを振り上げて男の顔を更に傷つけた。
「いってぇ!! 何すんだよ!?」
「頭悪いの? さっきも言ったでしょ。殺そうとしてるんだよ」
「頭悪いのはそっちだろ! 降参してる俺を殺しても正当防衛にならないから殺人――――」
ザンッ!
「あぁああああぁああ!!」
女は容赦なく男の身体を切りつける。男は情けない声を出して切られた部分を押さえて転げ回った。
「イカれてんのか!? こんなことしてお前に何の得があるんだよ!?」
「私は確かに損をする。胸を揉まれたり、服を脱がされて辱められた。それだけで損してる。それ以上に、貴方を殺すことで私は殺人罪にとわれて刑務所行きになる。得をすることは何もない」
「そこまで分かってて何でだよ!?」
「貴方の思い通りにしたくないから」
「は?」
意味の分からない返答に、疑問符が男の頭上に沢山浮上する。
「警察を呼べば、警察や法律や刑務所の壁が貴方を守る。でも、今は誰も守ってくれない。だから貴方は今日ここで死ぬ」
「ちょっと胸を揉まれたり服脱がされた程度で――――」
ザンッ! グサッ……グチャッ……バキッ
カッターナイフを肩に刺して回すと、カッターの刃は簡単に折れて男の肩に埋まった。外科手術をしなければ取り出すことはできないだろう。
「あああああああああああ!!! 誰か! 助けて!!」
「誰も来ないよ。そういう場所を選んだんでしょ?」
何故、男は自分がこんな目に遭っているのか理解できなかった。
ただ連続して痛みが続く。
その度に男は悲鳴をあげて助けを乞うが、誰の耳にも届かなかった。
「大丈夫。終わったら警察と救急車を呼んであげるから。まぁ、終わった後は救急車が来ても助からないけど」
こんなつもりじゃなかった。
ただ、ちょっと胸を触って服を脱がせただけだ。それに対して俺はこんなに酷い目に遭わなければいけないのか。
自分は殺される程に悪いことをしたのか。
男はそう考えていた。
「強姦殺人は死刑にもなるんだっけ? でも、強制わいせつで死刑にはならない。私も死刑にはならない。1人殺しただけなら」
男はなんとかしてこの場から逃げようと考えた。
でも、目の前の女はどんどん距離を詰めてきて、痛みも相まって考えている間もなかった。
考えたり、言い訳をしたり、色々言う間もなく、女は男の喉元にカッターナイフを突き立てて引き裂いた。
女は男を殺した。
***
「何故、被害者を殺そうと考えたのですか?」
裁判で、弁護士は女に質問をした。
「法律は人を守ってくれません。私がカッターナイフを出して抵抗しなければ、私は強姦されて彼には逃げられたと思います。もしかしたら逮捕されなかったかもしれない。強姦されて初めて法律は罪人を裁き始めます。未然に防ぐことには繋がらないのです。今回の裁判で、彼は過去に3度同じような事件を起こしていると知りました。強制わいせつでは死刑にすることはできません。だからまた彼は刑務所から出たら同じことを繰り返すでしょう。天性の悪人は、初めから悪人になる運命なのです。どのような育ち方をしてもそうです。だから、更生はできません。だから殺す他に、他の被害者を出さないようにする方法はありませんでした。だから殺しました。後悔はしていません。悪人は司法ではなく、悪人が始末をつけるしかないときもあると思います」
END