人殺しは簡単ですか?
「ねぇ、人を殺すのって簡単?」
僕は、彼女の言っている意味が汲み取れなかった。
「素手で……ってことですか?」
「素手でも殺せるよ。どんな方法でも人は殺せる。でも、それって難しい事なのかな?」
手元にある血まみれのナイフをくるくると弄びながら彼女は言葉を続けた。
「心理的負担とか、その後の自分の処遇とか、そういう負荷がある限りは難しいんじゃないですかね……」
「精神の束縛か、恐怖心とかかな。でもさ、実際こうすれば簡単に人なんて死んじゃうんだよ」
彼女は、手元に持っているナイフを何のためらいもなく、人間の首に突き立て、思い切りそのナイフを引いた。
ぱっくりと喉元が裂け、当然その人間は致命傷を受けて動けなくなって、いずれ遠くない内に死亡するだろう。
「殺すことへの罪悪感って、なんで虫と人間だと全然違うのかな? 不思議だと思わない? 蚊とかゴキブリなんて見た瞬間に“殺さなきゃ”って思う訳じゃん? 私が人間を見た時に殺さなきゃって思うのと同じだと思うんだけど」
また1人、拘束されていた人間にナイフが突き立てられ、その人間も呆気なく死亡する。喉を切り裂くのではなく、心臓への一撃必殺の突き攻撃だ。的確に心臓に突き刺さっただろう。こっちは即死かもしれない。
「なんで人間をそんなに殺さなきゃって思うんですか?」
「だって、見た目も気持ち悪いし、ゴキブリ殺すのとあんまり変わらないかな。目障りだから、生理的に気持ち悪いから、とか?」
くるくるとナイフをまるで手足のように自在に動かして弄ぶ。
「憎しみで殺している訳じゃないんですか?」
「憎しみ? 虫に憎しみを抱くことはないよ。目障りだからひねりつぶすだけ。だって命は平等だって学校で教えてるじゃん。蚊なんて、子供が埋めない身体に遺伝子操作されて減らす実験してるくらいだよ。人間だって害悪なんだからそのくらいしても良いと思うけど。強制不妊手術とかってちょっと前に問題になったけどね。でも、冷静になって考えてみれば遺伝する系の障害がある人が子供を生んだら障害が遺伝する可能性もあるしさ、そんな状態で生まれさせられた方はたまったもんじゃないよ。私みたいにね」
そしてもう1人、今度は目の中にナイフを突き立てられた。これは脳に達しているだろう。こちらも即死だ。そして、彼女の行動の1つ1つに何のためらいもないことを僕は確かめる。
「素手で殺せるか試してみようか?」
近場にいた人間の首に両手をかけ、彼女は首を絞めた。あっという間に首を絞められている方は息ができなくなったのか苦しそうな呻き声をあげるが、こちらも数秒で意識が落ちて動かなくなった。そのまましばらく彼女は首を絞め続け、心拍が止まったことを確認した後に手を放した。
「ほらね。簡単。君もやってみなよ」
「僕は……殺人罪で捕まりたくないですし……」
「そういう罰に対する抑止力があるのかな? まぁ、それが間違いだとは言わないよ。でも、それ以上に同族殺しっていうことに対して大きなセーブがかかってるんじゃない?」
そう言って彼女はその辺にあった虫かごを取った。
何故そんなものがあるのか分からないけど、彼女は虫かごの中にいたゴキブリを1匹素手で掴み、床に放つ。よくゴキブリなんて素手で触れるなぁと僕は嫌悪感を示す。
「ほら、お前らの大嫌いなゴキブリだ。殺してみなよ」
「どうやって殺すんですか……」
僕は何も持っていなかったので、直に踏みつける以外の殺し方はなかった。だから、おそるおそるゴキブリの近くまで歩いて行って、ゴキブリを踏み潰した。
グシャリという嫌な感触が足裏に伝わり、僕は背筋がゾゾゾッとする。
「じゃあ次はこっち」
彼女は僕の前に1人の人間を転ばせてよこしてきた。
「これをどうしろと……?」
「踏みつけるんだよ。ゴキブリ殺したみたいに。まぁ、ゴキブリよりは硬いと思うけど、頭踏み潰せば簡単に死ぬから」
「いや……殺人じゃないですか」
「ゴキブリは簡単に殺せたのに、なんで人間だとそんなに抵抗感があるのかな? 私には分からないけど、やっぱり人殺しって難しい事柄なのかな?」
「…………」
結局、その転ばされた人は彼女が何度も何度も頭部を踏みつけるものだから頭がぐちゃぐちゃになって息絶えた。
「私には分からないんだ。何故殺人者とは唾棄されるものなのか。他の動物も虫も共食いをすることは別に珍しくない。何故、人間の肉は食べたらいけないんだ? 純粋に美味しくないから? ならヴィーガンでも食べればいい。私は子供で5歳から7歳くらいまでのヴィーガンの少年が一番食べごろだと思うのだが、それに比べてこいつらは不味そうだな」
比較的歳を召している老人の、残り少ない髪を掴んで彼女は頭をあげさせた。
そして、首元に顔を近づけ、何のためらいもなく食い千切った。
「ぺっ……まぁ、生肉は食べない主義なんだ。寄生虫が怖いからね。しかし、こんな硬くなった肉、正直食べたくないね」
彼女は手際よくその老人の足に縄を括りつけ、逆さづりにした。
食い千切られた部分から出血し、まるで動物の血抜きをしているように見えた。
「ねぇ……殺人者と殺人者でないものってどう区別されるの?」
「それは、前科とかで……」
「そんなの他人の貼ったレッテルじゃん。そうじゃなくてさ、人を殺したことのある人と、殺したことのない人ってどう違うの? 心の病? それとも衝動性? でもさぁ、そんなこと大したことないと思うんだよね。私は今も何人か殺したけど、世界の景色は何も変わってないよ」
これから捕まるかも知れないのに、彼女は別に何を杞憂している訳でもなさそうに椅子に乱暴に腰かけた。
「人を殺すことなんて何にも特別じゃないと思うんだ。だって、私たちは比較的裕福に暮らしていられるのって、その下で犠牲になってくれてる人たちがいるってことでしょう? そういう大義名分があれば殺してもいいの? 直接手を下さなくても未必の故意ってやつでしょ」
カリカリカリカリカリ……
ナイフの刃の部分で椅子の木を削る。
「戦争なら人を殺していいの? でも非人道的な毒ガスとか核兵器とかは禁止されてるよね。それってとんだ綺麗事じゃない? 私は手っ取り早く毒ガスばらまいて相手を無力化させる方が良心的だと思うよ。だって殺してないから。後遺症は残るかも知れないけどね」
「…………」
「で、君が私に殺人という行為が唾棄するべきやってはいけない行為だって証明してくれないと、どんどん私はここの人たちを殺していくけど、君にそれはできそう?」
生きている人間はこの場にあと30人くらいいる。
その全員が殺される前に僕は彼女に殺人は割ることだと証明しなければならない。
「例えば……貴女の大切な人が誰かに殺されたら、悲しいって思ったり、憎いって思ったりしないですか? 殺人って行為は必ず誰か悲しむ人がいます。だから駄目なんですよ」
「へぇ~、随分模範的な回答をしてきたね。でも、私は大切な人を殺した人を殺すだけだよ。死んじゃったのは仕方ないじゃん。それが他意があったか、事故だったのか、病気だったのかなんて関係ないと思うんだよね。死んだって事実は同じだから。その悲しみとかを向ける相手がいるかいないかって話でしょう?」
彼女は1人の首の両端を持ってグルンッと回転させて首の骨を折って1人殺した。
「癌で死んだら医者を恨むの? 癌だったら諦められる? 癌を克服する術を見いだせない研究者を恨む? 憎む? 病気で死んだって恨もうと思えばその怨嗟の対象を誰かにすることはできる。逆に、明らかに殺されたとしても、それは仕方のないことだったって諦めることもできると思うんだよね」
今度は注射器を取り出して謎の液体を1人に注射した。注射された人間は間もなく苦しみだし、もがき、首を引っ掻き、もがき苦しんだ末に絶命した。
「っていうかさ、生命保険かけて死んでも500万くらいしかもらえないでしょ? 交通事故だったら何千万も出たりするし、いっそのこと確実に任意保険に入ってるであろう高級車にひき殺させた方が金が沢山入って嬉しいじゃん」
次はチェーンソーだ。物凄いエンジン音を響かせチェーンソーが鳴り響くと、それを当然のように生きている人間に押し当てる。盛大な血しぶきが飛んで、当然その人は絶命した。
「死んでも悲しむ人がいない人もいるよ。誰かも必要とされない人って思ってるより結構いるんだよ。前の男との連れ子とか、邪魔に思ってる人も少なくないし。勝手に作っておいて、親ってのは勝手だよね」
そう言って彼女は妊婦の腹に蹴りを入れた。妊婦は腹を何としてでも守ろうとするが、彼女は凄い勢いで容赦なく蹴り続けて妊婦は破水した。それでも彼女は妊婦を蹴るのを辞めない。
「もう殺し方のバリエーションがなくなってきたなぁ……」
なんて言いながら、今度は水槽の中に全身縛られた状態の人間1人を放り込んだ。当然拘束されているから泳いだり酸素を補給することもできずにその人はやがて動かなくなった。
「憎しみの連鎖を断ち切るのは皆殺し以外ありえないと思うんだよね。私が人類絶滅させたら、誰が私を憎むのさ? むしろ他の動物にとってはそっちの方が自然な形なんじゃないの? 動物園とかさぁ、正直、滅茶苦茶気持ち悪いんだよね。人間が檻の中に入れられて観察されて、エサ与えられて、子供ができたらニュースで大はしゃぎ。そんな状況、人間として耐えられる?」
1人の腹部をゆっくり割いていき、出血死しないように傷口をバーナーで焼きながら、丁寧に内臓を取り出して本人に見せつける。僕にも、その内臓を見せつけてきた。内臓の色は血の色でよく分からなかったけど、多分思っていたほどピンク色じゃない。
「じゃあ貴女自身が大勢の人に殺されかかってもいいんですか? 人を殺してはいけないっていうのは、秩序を保つために必要な事です。そして、力を合わせて文明を発展させてきたはずです」
「もうこれだけ殺してる。そうなるさ。私を死刑にしろって声が出るに決まってる。それも考慮してのこの状況なんだから、それは当然だと思う。別に良いよ。どんな罵詈雑言でも吐けばいい。それに、確かに力を合わせて文明を発展させてきたけど、その力を合わせて他国を牽制するために核兵器を作った。核だけじゃない、銃とか、毒ガス兵器も。知恵を出して力を合わせることで大きな戦争になる。自分の正義を貫くためなら他者の命なんて虫と同等程度に思ってない。それが人間の本質だ。私は性悪説推しなのでね」
確かに人間は人間同士で争う。
人種差別とか、宗教差別とか、障碍者差別とか、何かと自分と違う者にし対して容赦しない。自分の統率する国が正義だと証明する為なら、異国の民などただの死体の山にしてしまう。
「感情論じゃ私は論破できないよ。だって人間は命の重さを実際に選別している。虫を殺すのと人間を殺すのは明らかに違うように描写するけど、無慈悲に殺される虫の気持ちなんて一片も考えちゃいない。今の私はそれと同じ。人間は目障りだからと言う理由で殺す。簡単な理屈でしょう」
「それでも……殺人は唾棄される事柄です。貴女に同族を殺すことへの嫌悪感はないのですか?」
「あるように見える? そんなのどうでもいいよ。1人殺したらただの殺人犯、10人でもそう。でも1万人殺したら? 100万人殺したら? それはそいつが絶対正義になる。勝ち残った方が正義なんだからさ」
そう言って1人の頸動脈を正確に狙ってナイフは振り降ろされて。その人は絶命のカウントダウンが始まる。
「カマキリとか蜘蛛とか、交尾の途中で相手を殺したりしたりするでしょう? 私は虫じゃないからわからないけど、そういうのが当たり前の生物だっているんだ。私は異端に生まれたかもしれない。でも、殺人が簡単なことなのか、難しいことが分かるまでは私はこれを辞めることができない」
最初は殺しのバリエーションで楽しませようという意志が彼女にはあったが、そのモチベーションが続かなくなって殺し方が雑になってきた。
「だって簡単でしょう。このナイフの一振りで人間は絶命する。人間だけじゃない、虫だろうが、動物だろうがこのナイフ1本あれば簡単に殺せる」
「貴女は自分の大切な人が目の前にいても同じことができるんですか?」
「場合によってはね。殺してほしいと懇願されたら、私はそれを強く引き留めはしないよ。だって、私に殺しを頼むほど疲弊して、絶望しているんだろう? この世の希望を教えてるのは私の仕事じゃない。だから、その意思を尊重するよ。私の一人よがりで殺さないのは可哀想だ」
そこで、彼女は笑い出した。
「可哀想だって? あぁ、そうさ。こんなクソみたいな世の中に生まれたことに心底落胆している。私は望んで生まれてきた訳じゃない。生まれさせられたんだ。生まれるか生まれないか選択できるなら、絶対に生まれるなんて選択はしない」
次々と人はその翻るナイフによって絶命していった。
「虫を好んで殺す趣味はないからね。私は虫みたいなものを一々踏み殺すほど暇じゃない。ここにいるのはただの偶然だ。でも、殺人鬼と一緒の部屋に入れられたのは残念だったな」
もう、僕と彼女しかこの部屋で生きている者はいなくなった。
そういえば話すのが大分遅れたけど、なんでこんな状況になってるか僕が殺される前に話さないといけないかな。
僕らは大勢の人数で、広い部屋に閉じ込められていた。その中に彼女がいて、僕がいた。
彼女は世間を騒がせていたシリアルキラーらしい。最近ニュースで連続殺人が報道されていたまさにその人という訳だ。
そして僕はというと、普通のサラリーマンだ。彼女が退屈しのぎの話し相手に僕を選んだのは、彼女の次に目が覚めたからという簡単な理由だった。
僕らは目が覚めたら知らない場所にいて、彼女と僕を除く全員の脚の腱が切られていた。腱を切ったのは彼女だ。僕はそれを見ていた。僕の脚の腱が無事だったのは、彼女に腱を切られる前に意識を取り戻したからというだけで、彼女の次に僕が目を覚まさなかったら僕も同じようにされていたと思う。
だから途中で誰かが目を覚ましても、誰も彼女を止めることなんてできなかった。
でも、部屋に閉じ込められていること自体のこれは彼女が仕組んだことじゃないらしい。彼女曰く、人を殺すべく偶然立ち寄ったライブハウスのドリンクに睡眠薬を盛られたのではないかと言う。日常的に服薬している睡眠薬に耐性があるから、彼女は1番に目覚めたんだと思うと自分で言っていた。僕がライブハウスにいたことを言ったら、十中八九ドリンクに睡眠薬が混ぜられていたのだろうと推察した。
そして、目を覚ますと50人くらいが部屋に閉じ込められていて、それ相応の凶器が部屋にあったことから嫌な予感がし、彼女は自分の安全を確保するために他の人の脚の腱を切った。腱を切られた痛みでも起きない人がいるのは正直驚いてるけど、睡眠薬以外の要因がある可能性を探る気は彼女にはないようだった。
腱を切られて目が覚めても結局動けなくて簡単に殺されて行った。彼女は手際の良い優秀なシリアルキラーだ。
そして、案の定ここに人間を50人くらい詰めた人間は彼女同様、あるいは彼女以上の異常者らしく「最後の1人になるまで殺し合え」とメッセージがあった。
彼女の感は当たっていたという訳だ。
彼女はそのメッセージを見た後に、出口を必死に探す訳でもなく、簡単に人を殺し始めた。
元々殺人鬼なのだから殺すことに何の抵抗もない様子だった。
だから僕は彼女に辞めるように言ったんだ。
腱を切られていない僕が彼女を止めることもできたと思う人もいるかもしれないけど、一般人のサラリーマンが殺人鬼相手に勝てるわけがないということは理解してほしい。
僕は死ぬのが怖かったんだ。
簡単に人を殺す、彼女が。
人殺しは簡単にできないことなのに、なんでそんな無表情で人を簡単に殺して行けるのか僕には分からない。
結局、僕は彼女を説得できずに止められなかった。
僕らは2人になった。
1人になるまで殺せという事なんだから、当然最後の1人は僕だ。
「さて、もうこの部屋に残っている生存者は私と君だけだ。ここを出られるのは1人って話だったな。ほら」
彼女は今まで使っていたナイフを僕に柄をむけて渡してきた。
「え……」
「君が私を殺せ、そして証明するんだ。君の正義感の尺度で測って、明らかに悪である私を殺せば、この茶番もフィナーレだ」
「……僕が、貴女を殺す……?」
「そうだ。ここらから出る条件は残ったたった1人だ」
「そんなことをしたら、貴女が死んでしまう!」
「殺せば死ぬのは当然だろ。殺すってことは死なせるってことなんだから。別に、私は生きてることに未練解かないし、一突きでやってくれても構わない」
そういって強引に渡されたナイフを僕は、彼女を刺すべきか刺さないべきか迷っていた。
先ほどまでの彼女の身のこなしはなく、ただ僕の前に立っているだけの女性だ。
でも、僕がそれをしてしまったら彼女の術中に嵌まっている。人を殺すのは悪い事だと彼女に主張していた僕が、自分の命欲しさに彼女を殺すというのは大きな矛盾が発生する。
「おいおい、簡単でしょう? 刃の部分を相手の首元に当てて、思い切り振りぬけばいいんだよ。殺意なんて必要ない。殺意は刃を鈍らせる。当然のように殺すんだ。蚊が腕に止まったから殺すみたいな、そんな理由でいいんだよ。人間なんて同族だって変わりはしない。肉と血の詰まってくる皮袋だ。ほら、早く、自分が殺される前に私を殺さないと」
「……じゃあ、僕を殺してください」
この人に勝てる見込みは皆無だ。技術としても、精神面でも、常軌を逸している。
そんな人間と対等に話せるわけがない。
彼女の殺しの腕は確かだ。なら、僕を殺してもらえば彼女は解放される。
でも、こんなに手際の良い殺人鬼をまた世に放つのは、それは間接的に僕がその人たちを殺しているという事になるのではないだろうか。
でも、僕が彼女を殺してもここから出られる保証なんてどこにもない。それに彼女を殺して当たり前みたいに日常生活に戻れるはずがない。
つまり、僕はどちらに転んでも詰んでいる状況なんだ。
「私は悪い奴なんだよ? 君を気まぐれで話し相手にしたけど、別に情はない。殺そうと思えば簡単なんだよ。だから殺人を否定した君が私を殺して最高のフィナーレを迎えようじゃないか」
「でも、僕は結局どちらに転んでも殺人犯に加担することになる。なら、いっそこのまま助けが来るまで――――」
「助けなんてくる状況じゃないのは分かってるでしょ。飢餓で死ぬのは上手に殺されるよりもずっと苦しいよ」
「………………」
「それか、私が君にここにある“肉”という“肉”を食べさせ続けようか? それなら先に死ぬのは私になるね」
殺人と同じくらい、カニバリズムも忌避される行為だ。
彼女に倫理観を今更求めるのは間違ってるのは分かってるけど、どうして僕をそこまでして殺したくないんだろうか。
「僕を殺せば出られるかもしれないのに、どうして僕を殺さないんですか……?」
「私は別に生きてることに意味を見出してない。でも、今は目的がある。殺人を否定する君が自分の命の為に私を殺すかどうか興味がある。性悪説が真で、性善説が偽って証明したいんだ」
「そんな証明……誰も語り継いでくれませんよ」
「別に誰かが認めるとか認めないとかは関係ないよ。私は私の理論が正しいかどうか確認したいだけなんだ」
彼女は狂ってる。
普通、こういうパニック映画だったら、起きた人たちは最初は対話が始まるんだ。そして徐々に狂って人を殺して行って最後の1人になるまでに色々ドラマがある。でも、彼女は対話もなにもなかった。映画の尺が短めの60分だったとしても、内容としては30分で終わってしまう方法を選んだ。
彼女は最初から自分以外の他の人間なんて殺すつもりだったんだから。
「幸せというものは自分自身が決めるものだから……自分が不幸だと思っていれば不幸になるし、どれだけ貧困に喘いでいても幸福だと感じればそれは幸福に感じる。だから、別に私は殺されても自分の理論が証明できればそれが自分の命と引き換えでも嬉しいよ」
僕が持ってるナイフの刃の部分を持って、彼女は自分の首に刃をあてがう。
僕は怖くて、手が震えていた。
シリアルキラーを殺す僕。僕が殺される側じゃなくて殺す側。
「ほら、手に力を入れて、一気にやって。少しずつだと痛いからね」
「……この罪を全部僕に着せるつもりですか……」
「今までの事件の罪も? まさか、警察もそこまで間抜けじゃないでしょう。君はうだつのあがらないサラリーマンから正義のヒーローになるのさ」
「…………」
でも、彼女を殺して、僕が外に出る時に対面するかもしれない異常者に、僕は立ち向かえるだろうか。
彼女ならその異常者を簡単に殺すことができると思う。
僕は? 僕は無様に逃げ出すのか。逃げ出せるようになっているとも思えない。
そもそもそんな簡単な話なのかは分からない。
僕が震えてナイフを持っているところ、彼女は「しっかり持って」と言って僕にしっかりナイフを持ち直させた。
そして、言った矢先に彼女は自分の首が切れるように自分が動いて、自分の喉を切り裂いた。
僕はただナイフを突き出して持っていただけなのに。彼女の首から血が噴き出てくるのが見える。
「!!!」
「これは自殺だから……大丈夫……君は人殺しじゃないよ……」
がくりと彼女は膝をついて、ゆっくりと死に向かって行った。
ただ、僕はどうしたらいいかわからずにうろたえた。
彼女は狂っているが、だが頼りになる人だった。だから、途端に何の取り柄のない僕が残ってもどうにもならないのに。
でも、僕が1人残ったところ、出口が開いて光が射した。
僕はこの地獄の最後の生き残りだ。
どう考えてもこれは全部僕のせいになる。
だってここで何があったかは、異常者と僕しか知らない事になったのだから。
異常者はどこにいるのだろうと思ったが、僕はここから一刻も早く逃げ出したかった。
だから僕は一目散に逃げた。
出口の外はどこかの山の中のようだった。
僕は心もとないナイフを持って逃げた。
ダァン!!!
後ろから、何か分からないが僕は打ち抜かれた。多分、銃だと思う。
銃弾が当たった場所は心臓付近だった。僕の心臓あたりの臓器は全部僕の中から出ちゃったと思う。
心臓がなくなった僕はすぐに意識が遠のき始めて、何も考えることはできなかった。
ただ、最後に聞いた言葉は
「期待外れだな」
だった。
それがどういう意味なのか、考える時間もなく僕は死んだ。
***
「期待外れだな。生き残ったのがこんな奴だなんて。あの中に最近話題の殺人鬼が偶然いたのは面白かったな。手際が良すぎて面白味にかけるところはあったけど。やっぱり最後の1人を後ろから撃ち殺すのは気持ちが良いぜ」
小太りの不潔な男は銃を持って最後に殺したサラリーマンに近づいて、内臓をぶちまけてる様子を眺めて満足そうに笑った。
そして、その小太りの男は気づくと自分の背部に強い衝撃を感じた。
「それには同感だね。最後の1人を後ろから殺すのは気持ちいいよ」
衝撃の次は激痛が襲ってくる。それだけではなく、脊椎を分断されたらしく下半身が動かずにそのまま崩れ落ちた。
「なんで……死んだはずじゃ……」
「あんなそこら中血塗れの場所で、私の血かどうか確認できないでしょ。それに、自分で切る深さを調節したしね」
女の首の傷は浅くなかったが、かといって致死的な傷でもなかった。
「死亡確認はちゃーんとしておかないと。これはプロの殺しの鉄則だよ。まぁ、アドバイスしても貴方はこれ以上殺人には手を染められないけど」
女は手際よく小太りの男の首の頸動脈を狙ってナイフを勢いよく振りぬいた。
「があぁっ……!」
「蟲毒の巣をやろうってなら、規格外の殺人者を入れておくのは結果が見ていてて面白くないだろうに。設定ミスだね」
――さぁて……ひとしきり殺しまくったところで……この異常者に全部罪を着せるってのもありだけど、でも実際殺したのは私だし、手柄を横取りされると嫌だなぁ
ひゅいんひゅいんとナイフを指先で弄びながら、女は小太りな男をコマギレに切り刻んでバラバラにした。
女性の腕でナイフ1本で小太りな男性を解体するのはかなり力仕事だが、女は人間の肉をどうきれば簡単にバラバラにできるか知っていた。
だから、関節のところの部分に沿うようにナイフを入れて丁寧に身体をバラバラにしていく。
そして出来上がった肉片をそのままその辺に投げ捨てた。
ここは山奥にある廃棄されたコロニーか何かだ。ともすれば、早々見つかるわけがないだろう。廃墟マニアがもしかしたら来てみるかもしれないけど、それまでに野犬とかカラスとか他の肉食獣が肉を食いつくしてしまうだろう。
「さて、今度はどこで殺人をしようか」
彼女はそう独り言を言って下山を始めた。
その後、彼女は幾重にも大量殺人を繰り返した。連続的に毎日。だから警察も操作が追い付かずに彼女は長い事殺人行為を繰り返した。
その人数が999人に達したとき、彼女は1000人目は自分にしようと決めていた。
色々な殺し方をしてきたが、やはり死ぬときというのは苦しむものだと分かっていた。即死であっても即死にいたる瞬時は痛みや苦しみを感じるものだ。
彼女の目的は、本当の安楽死を見つける為の殺人だった。
そして、自分に相応しい死に場所探しの旅であった。
逮捕されて拘置所で死刑執行されるのはまっぴらごめんだと彼女は考えていたし、殺した人数を考えれば裁判まで長期化するのは目に見えていた。取り調べも面倒だと思っているし。
「よし、これでいいか」
彼女が選んだのは無人の教会だった。
恐らく教会の廃墟であろう。
そこであらかじめ調達してきた睡眠薬を飲み、そして意識が朦朧としてきたところで毒を飲む。
わざわざここで死ぬためにそれっぽい棺桶を用意した。
彼女はそこに入って、蓋を閉めた。
――窒息する前に毒で死なないと……
そう思いながら、彼女の意識は睡眠薬で混濁してきた。
そのまま意識がなくなり、彼女は眠りに落ちた。そして後から効いてきた毒が彼女を蝕み、眠るように彼女は息を引き取った。
***
結局、生きる意味も、生まれさせられる意味も分からなかった。
人間を殺したら悪いってことも理解できなかった。まぁでも、そんなの些細なことだから、どうでもいいか。
人殺しが簡単な人間を生み出した親の罪は弾劾されないのかな。
なんで自分が生まれてきて良かったって思えないのに子供なんて作るのかな?
私が殺した人の中には誰かに恨みを買ってた人もいたと思うし、殺してもらえてよかったって言う人だっているはず。
人権人権って、そんなもの建前だけじゃん。ばっかじゃないの?
今度こそ、私は生まれるか生まれないかの選択の時に「生まれない」方を選ぶ。
それが唯一の正義だと思うから。




