図書館員達の憂鬱
王家直轄領にある王立図書館分館。
そこの図書館員達に突如舞い降りたお仕事絡みのお話です。
若い男の2人組が持ち込んだ、バラバラになった絵本。
作者の初期作品の初版本だ。
これは、文学史的にも素晴らしい資料だ!
ぜひ本館の所蔵として、閉架書庫で大事に保管されなくてはならない貴重な物で……
ページは揃っていますね!組み立て修理ができればあとは保管のための処理を施して……
バンっ。
若者の内の1人がテーブルを叩いた音だった。
我々は彼らを見た。
「その本は、個人の所有物です。あなたがたの一存で勝手に図書館の所蔵本にする事はできません。裏表紙の内側を見てください。所有者の名前が入っています。稀覯本とは知らずに書いてしまったものですが、まずはその所有者と交渉すべきではありませんか?」
ハッとする。
そうだ、持ち込み修理依頼だった……本に書かれた名前は、女性だった。
目の前には、男性が2人のみ。
「……所有者ご本人様はどちらにいらっしゃってますか?」
交渉できるなら、してしまいたい。
「ここへは来ていません、何かと忙しい身ですので。そして我々は修理依頼のみの代理人です。譲渡に関しては権限がありません」
おおう……。
「まずは修理から始めていただきましょう。話はそこからのような気がしませんか?」
差し出した修理依頼の申込書へ、男性の1人が記入し始めた。
覗き込むと……そこには、ハマー伯爵領主のご長男のお名前が。
王位継承権をお持ちの伯爵令息が従者だけを連れてわざわざお見えだったとは!
「ええと、その……これは、ハマー伯爵家の……所蔵本ですか?」
誰かが訊いた。
「いいえ、イリーナ・ホイットニーという女性の宝物ですよ。僕と義弟は運んだだけです」
……まって。
今、伯爵令息が「おとうと」って……。
て事は。
従者だと思ってたこちら……伯爵夫人のご子息!?
………………まずい、まずいぞ。
さっき、従者の方は云々ってハッキリ口にした奴いたぞ……。
「とりあえず、修理をお願いします。その後ホイットニー女史にお渡ししたのち、彼女が図書館へ譲渡してもよいかを決める事となる……そういう事でよろしゅうございますね、館長殿?」
伯爵令息が冷ややかにおっしゃった……。
伯爵家のお2人がお帰りの後。
「ホイットニー女史、とおっしゃっていたよな。知っているか?」
作戦会議が始まった。
「いや、知らない」
「貴族でホイットニー姓は……メイズ子爵家か」
「……おい誰か貴族名鑑持ってこい」
1人が書架へ走る……すぐに戻って調べ始めた。
「そのお名前の方の掲載はない」
「では、ハマー領の住民なのか?」
「若い御方がわざわざ女史とおっしゃるのだ、年輩の方なのかも」
「調べろ、とにかく調べろ!」
修理依頼の翌日。
配達人が大至急便の手紙を持って現れた。
ハマー伯爵領の、テイラー&テイラー薬剤師館の封筒。
「……資料請求?」
薬剤師館からの薬草・薬品に関する書籍の問い合わせは珍しくもなんともない。
だが。
差出人名を見て色めき立った。
「おい皆!イリーナ・ホイットニー女史からの手紙だ!」
『このたびは、私ことテイラー&テイラー薬剤師館所属薬剤師イリーナ・ホイットニー所有の「蔓バラの騎士」を修理していただけるとの事、誠にありがとうございます。
つきましては、いつ頃までに完成し修理にかかった費用をいかほど負担すればよろしいのかをご相談いたしたいのですが、
なかなかそちらへお伺いする事がかないません。
そちら様にわざわざこちらへおでまし願うのも筋違いと存じますので、早々に見積もりならびに工程表を当方へお送りいただけませんでしょうか。』
複数人が、事情を悟って青ざめた。
1人は見積もりを出せと言われている事に。
1人は工程表を出せと言われている事に。
1人は「依頼人は譲渡に応じないかも」という行間を読んで。
そして1人は差出人が「テイラー&テイラー薬剤師館所属薬剤師」であるという事に。
「テイラー&テイラー薬剤師館、と言えば……2年前、国王陛下の巡幸の際に現職の王城職員が起こした事件の時の……」
「王国初の男性薬剤師にして若き剣豪とも言われてる……」
「襲撃犯を3秒で叩き斬ったとか」
「いや斬ってないって。確か生け捕りだったはず」
「捕縛だろ、猟の獲物じゃないんだから」
「見積もりの出し方知ってる人いますー?出した事ないんですー」
「あー、いつも本館から依頼されて修理して本館に送って終了だもんな」
「工程表って何なんですかー!」
「知らんよそんなもん」
「……どの作業を何日までに終わらせるかを可視化して相手に提示するものらしいぞ、たった今調べたところによるとだが」
「えええー、そんなの出した事ないですー」
「黙々と作業して、完成次第納品して終わりだもんなあ」
「どうしましょうーー」
「その工程表っつ奴は出さないといけないのか」
「依頼者の要望だからなあ、見積もりも工程表も出さないと譲渡の交渉もしてもらえなくなるぞ、きっと」
「誰かに訊く?」
「教えてくれそうな人、いるか?」
「……いないね、たぶん」
「あああもうどうしましょうーー」
修羅場と化した。
見積もりも工程表も出来上がらぬまま4日経過した。
『イリーナ・ホイットニーでございます。見積もりと工程表がいまだ届きません。早々にお送りいただきとう存じます』
大至急便で届いたのは、見積もりと工程表を催促する修理依頼者からの手紙だった。
「催促するほどの物なのかこの見積もりと工程表とやらは……」
図書館に出入りする業者に見積もりと工程表の事を訊ねてみた。
「あー、民間業者は大事にしますよ。見積もりは特にね……なんだ出してないんですか?王城職員はトノサマ商売だからねえ。世の中言い値を払ってくれる人ばっかじゃないんですよ」
食堂への食材納入業者。
「要求された工程表を出してない?そりゃマズいんじゃねえかな。さっさと出したほうが……ってまさか工程表知らんとか言わんよな?」
刃物研ぎのおじさん。
……そうは言われても。
知らんしわからんのだ。
結局、3度お手紙をいただいた……早く見積もりと工程表を出せという内容のものを。
「3度も催促されてるなんて!」
食材納入業者に怒られ、派遣されてきた業者の女性事務員に厳しく指導されながらようやく見積もりは完成した。
「……先方に、とりあえずこれだけでも送り……」
「お待ちなさい!ご依頼主様は何度も大至急便で催促のお手紙をくださっています。ここは大至急便よりも早く着くもので送らなければなりませんよ。思いっきりお待たせしているんですから」
「……はあ」
気の抜けた返事しかできない。
「……工程表、は、どうなったかな」
「刃物研ぎの奥様がビッシバシ指導していましたから……できたんじゃないかしら」
できていた。
「では、配達人を特別にお雇いください」
「……どうしてわざわざ」
「この見積もりと工程表だけを今日中にお届けいただくためです!3度も催促されてやっと腰を上げるようなぐうたら業者、民間だと淘汰されてお終いです!料金がかかるとはいえ、先方はすでに4度も大至急便の料金をお支払いになっています!それに比べりゃ配達人の特別雇用料金1回分など、大した事ないわっ!」
……あ、はい。
書籍修復士は、可能な限りの早さで絵本「蔓バラの騎士」を修理し終えた。
できたと連絡をいれたら、持ち込んだ2人組……じゃなくてハマー伯爵家のご兄弟のうち弟君のほうが受け取りにみえられた。
「修復にかかった費用は預かってきております。見積もりのとおりお支払いしますとの事です」
代金と引き換えで本を渡さなければならないわけだが。
「ええと、その……譲渡いただけるかどうかの交渉はできないのでしょうか?」
最後に訊いてもいいだろう?
「ああ、その件について伝言を預かってます」
伯爵家の弟君はさめた目で大きく息を吸って……
「お断りします。図書館全館の年間予算を50年分もらっても渡しません、だそうです」
にっこりとほほえまれた……ほほえみって、眼光鋭いものもほほえみっていう?
「強奪しようなんて思わない事ですね、死にたくないなら」
それだけ言い置いて、絵本を抱えて立ち去って行かれた……死にたくないなら、とは?。
外で人の声がした。
「クロード、受け取ったんだろ?帰ろうぜ」
「モーガン、そっちは?薬剤師館の納品と仕入れ済んだの?」
「バッチリ。ついでに勉強中の少年薬剤師候補とおしゃべりまでしてきたぞ」
「OKじゃあ帰ろう」
……剣豪薬剤師と連れだって帰るから「死にたくないなら強奪など考えるな」と言ったのか。
ああ、もう分館で書籍修復は受けたくない。
よくも悪くものーんびり「王城職員」として仕事をしてたら、とんでもない仕事が舞い込んだ図書館員達でした。
それにしても。
噂というものはねじ曲がりますねえ。
いつの間にかモーガンは薬剤師にして剣豪という事になっており、3秒で襲撃犯を叩き斬った事になっていました(本当は1分以内で制圧)←どちらも大差ない気がしますが。