遺された物の行方と遺された者の行先
かつてチャールズ・グレイが潜伏に利用していた建物のその後。
『ジェファーソン皮革工房』。
私が7歳までいた家。
チャールズさん達が、居住区域だけは私達一家が出た時のまま残してくれてた。
正確には、チャールズさんが率先してお1人で。
「店舗兼工房部分と倉庫はカムフラージュも兼ねて使わせていただいてましたが、撤収後に原状復帰はしてあります。エレナさん達4姉弟は元々の住人だから、自由に入っちゃってかまいませんよ」
って言ってくれてて、鍵と登記簿を渡されたんだけども。
「姉ちゃんが持っててよ」
とマルコにもカルロにも、ピエトロにまでも言われて、今私が預かってる。
登記簿……建物の所有者を示す書類の氏名欄には、「ニコラス・ジェファーソンの法定相続人」って書いてある。
世間一般的には、法定相続人っていえば法的に認められた配偶者と子供達。
うちの場合、両親は未婚だったそうだから母さんは正式な法定相続人にはならない……というより、母さんのほうが2日ほど先に亡くなってるって事だから相続は関係ない話か。
法に詳しい人に登記簿を見せて訊いたら、自宅兼皮革工房の建物は私達4姉弟の共同名義になってると思って間違いないとの事。
じゃあ4人で分ける相談を……と思っていたんだけど。
「姉ちゃんが書類とか鍵とか持っててよ」
3人が口をそろえてそう言う。
書類なんか特に物件の近くにあったほうがいいでしょ、と思うのに
「うちやカルロんちの農場やピエトロんとこの食堂の書類と混同しちゃいそうだから」
というのが、弟達の主張。
「姉ちゃんちには鍵かかる棚とかいっぱいあるでしょ?そこに入れといてよ」
薬品棚に登記簿を入れろ、と……?
「鍵がかかるとこっていっても、俺達の家だと鍵かかる棚とかがあっても、それが他人も出入りするところにあるんだ。だから姉ちゃんとこだと食堂の食品庫とか農場の備蓄蔵とか獲物の熟成室に置いとくよりずっと安心だし安全だろ。てかさぁ、テイラーさんちに盗みに入るバカはほぼ確実にいないんだから、たぶんこの世で一番安全な場所だと思うんだけど?」
まあそうなんだけども……イヤあの待ってテイラーさん宅は私の家じゃないわよ、私の部屋になっちゃってる個室はあるけど。
「ほんとにもう、みんな勝手に言ってくれちゃって……」
ため息まじりでつぶやく羽目になった。
「じゃあせめて鍵だけは持ってなさい」
と若干偉そうに合鍵を作って各々に持たせた。
「あいつら、結局全員でエレナに丸投げしやがったのか」
私が書類戸棚に登記簿を入れたいと先生に相談してたら、横にいたモーガンが呆れたように言った。
「何か知ってるの?」
「知ってるも何も、あいつら雁首揃えて真剣にどこが一番安全な保管場所かの相談してるところに、リックと一緒に行き合わせた」
「それがどうしてこうなるわけ?」
「あいつらの家の鍵がかかる場所は、納品やら出荷やらで人の出入りがあるからどうしたもんかって話をしてるのを聞いたリックが執務室みたいなのはないのかと言ったら、そんな贅沢なものはないという返答が3つ。オレ達は、だったら姉ちゃんともしっかり相談しろと言い置いて帰ったんだが」
「相談どころか、3人からは『姉ちゃんとこに置いといて』しか聞いてないんだけど」
「あいつら……相談なしかよ!」
「テイラー家に侵入する馬鹿はいないから、世界一安全な保管場所とか言ってたわね」
「まぁ、うちに忍び込むなんてのは馬鹿か阿呆か考えなしか位だもんなぁ」
返り討ち間違いなしだものね。
「もしくはその全部でしょ」
「とにかく、お父さんが遺してくれてた財産なんだ。薬品庫の劇物の棚に空きがあったろ?そこに入れて鍵かけとけばいい。あそこなら、もしも万が一……っつか百万が一うちに侵入する酔狂な阿呆がいたとしても、薬品庫なら入ることができないんだから盗まれる心配はほぼ皆無だ。4姉弟で分ける話はおいおいやりゃいいんじゃねぇの?」
――――――――――――――――――
ジェファーソンの遺産相続に関して、わしは立会人としてガストン食堂に呼び出された。
4姉弟と下3人の嫁達、下3人の養家夫婦3組が揃っている。
人使い……老人使いが荒い奴らだ。
「俺達には、養家の家業とそれに附随する不動産その他諸々がある。だから、あの家は姉ちゃんが引き受けてくれたらいいんだけど」
代表してマルコが言い出した。
「ブライアントさんディアスさんガストンさんのお身内は、養子に跡を継がせてかまわないの?」
エレナさんの懸念もわからんではない。
「ブライアントもディアスもガストンも、他に子供はいない。甥も姪もいない。ヴァルジがやらかした愚策のせいで独身男性の年齢層が高めなのは知ってのことと思うが、この3家に限らず晩婚子なし夫婦ってのが多いのも愚策の影響でなぁ」
徹底した外国人排斥のせいで、先祖の出自をひた隠しにするあまり結婚に二の足を踏む人が多かったわけだ。
外国に出稼ぎに行ったまま帰らん若い世代も増えてしまったしな。
「ニコラスの子供達を預かると決めたのも、その後養子として引き取ると決めたのも、純然たる善意からじゃない……なんて言ったら軽蔑されるかな?」
ブライアントが言い出した。
「子供が4人もいていいな、うちには子供来なかったよ、って……羨ましかった」
ディアスも言う。
「ニコラスの革細工は誰かが継ぐだろうから、継がなかった子のうち誰かうちに来てくれないかな、なんて本気で考えた事もあったねぇ」
ガストンの嫁まで言い出す。
「あんな事になっちゃって、子供を羨ましがったりしたからじゃないかなんて悔いた事もあるけど、それでも返すべき親がこの世からいなくなってしまったからには、かわりに責任もって育てるしかないだろう?」
ブライアント夫妻ディアス夫妻ガストン夫妻、それぞれが息子をかなり厳しくしつけておったのは見聞きして知っとる。
「あと何十年かしてニコラス達に会った時、あんた達の子供はちゃんとした人間に育てておいたと胸を張れるようにしなきゃなと思って」
真剣で深刻な話題が続く中、食堂の上階からニコラス達の孫にあたるチビどもの声が降ってくる。
エレナさんと一緒に来ているモーガン薬剤師殿が、偶然通りかかったリチャード・サムズ医師を連れ込んで子供達の面倒をみてくれてて。
サムズ医師は下に4人の弟妹がいる大家族の出身だから大丈夫だと気安く引き受けてくれたが、いきなり連れ込まれてご迷惑ではなかっただろうか?
「モーガンが絡むと、だいたいいつもこんなもんですよ」
なんてサラリと言っていたが、いいのかそんな振り回され人生で。
「ああそう言えばお姉ちゃんは養子にこそなってないものの、テイラーさんの家で育ったんだったよね」
ディアスの嫁が思い出したように言った。
なんとか無事に橋を渡りきったエレナさんは、恐怖のあまり記憶がぶっ飛んでしまった状態で保護され、そのままテイラー家で大人になるまで養育されておった。
なんでもテイラー夫妻は揃って「親が探しに来たら返すんだから養子にはしない」と公言しておられたとの事だったっけか。
そして、以前モーガン薬剤師殿とエレナさんから聞いた話を、目を閉じて思い出してた。
「エレナって、うちに来たばっかの頃は父親に引き取られたオレの異母姉かなんかじゃねえかなんて思われてたみたいでさ、オレ4つか5つの頃にエレナといる時に『お姉ちゃんと仲良しでいいわねー』なんて皮肉っぽくよく言われて、当然ムカついて反論ばっかだった。うちは母親が若くて父親がけっこう年嵩って家庭環境だから、オレに異母の兄やら姉やらがいてもおかしくないって思うんだろうけど、そりゃねぇよなって」
モーガン薬剤師殿の述懐が、少々不穏……よくよく考えてみれば、あの見た目どおりに堅物だというテイラー氏に対してずいぶんと失礼な話。
「オレ4歳だったけど、今でもめちゃくちゃ覚えてんだ。エレナが家に来た日の事」
モーガン薬剤師殿いわく。
晩飯食ってる時、寒くもないのにガタガタ震えてる女の子をおぶった父親が帰って来て。
森番小屋兼薬剤師館に仕事しに来てる人達が男女問わず皆、手に手に女の子の服を持って押しかけて来て。
母親とその友人の2人が女の子にかたっぱしから思いつく限りの名前を呼びかけて反応を見てた横で、母の友人の息子と2人でずっと遊んでいたと。
「最初は、なんでこのちっとも笑わねぇ子うちにいるんだ?って思ってたんだけど、親が探しに来るまでうちで預かるんだよって言われたな」
お前もどこかで迷子になったらオレが迎えに行くまで大人しく預かってもらっとくんだぞ、ともお父さんから言われたとか。
「ま、オレが迷子になるような事はなかったんだけどな」
「どこかウロウロしてても、迷子になる前に『あ、森番小屋の!』とか『薬剤師館の!』って顔見知りに発見されてたものねぇ」
エレナさんの証言つき。
「近所の大人全員顔見知りだもんな、うちの場合。近所に住んでる森番のおっちゃんの奥さんや森番の兄ちゃんのお母さんや姉ちゃんが薬剤師館の薬剤師なんだから」
「川に落ちたのを拾って届けてくれたのも、近所の人……」
「いやあれ、あの日非番だった森番のおっちゃんなんだ。オレ、拭かれもしないままびちゃびちゃで家に届けられた覚えがあるよ」
「確かにしずく垂れたまま届いたわね、ぶら下げられて」
「馬小屋から持ってきた毛布の上に座らされてさ、『川っぺりは足元よく見ないで走るんじゃないって言われてただろ!』って怒られた。普通の親なら川の近くで遊ぶんじゃないって言うとこなんだろうけど、うちは両親揃って少しズレてっからな」
「木から落ちて骨折しても『折れそうな枝を掴んだ選択眼が甘かったね』って言われてたし」
ご本人からうかがうエピソードの何もかもが、いろいろと凄すぎ。
「以前こっちに潜入する前に火炎瓶もどきの作り方と使い方をオレとエレナに教えたのって、傭兵出身の元軍人な父じゃなくて母だしなぁ」
わしはまだお会いした事はないが、モーガン薬剤師殿のお母さんもけっこうな人物のようだ。
まああのテイラーさんをご亭主に選ぶだけの人物だという事か。
「……エンリコさん、起きてます?」
エレナさんに声をかけられてる事に気がついたわしは、目を開けた。
「この工房の建物、私がもらう事になりました。工房として使う事は、おそらくもうないと思いますけれど」
わしがちょっと意識をとばしてるうちに話がまとまって、エレナさんがもらい受ける事になったようだ。
「革職人に貸し出す事もできるのではないのか?」
「持家の部分貸しはトラブルのもとだと不動産関連に詳しい御方からうかがいましたので、やめておきます」
それは、賢明だ。
元皇城である公爵邸と旧国境の間にある、6人家族が余裕で住めていた大きさの家と店舗兼工房と商品倉庫。
庭はないが、まあかなりの大きさではある。
「まあ今すぐどうこうしなければならん事もなかろう。世情が落ち着いてからゆっくり考えたらいい」
世情が、とは言ったが、本音はエレナさんが落ち着いたら。
唐突に7歳以前の記憶が戻ってジェファーソンの娘の立場を取り戻し、その後国土の植生調査とやらをしながら薬剤師の最高ランク試験を受けて合格して……と目まぐるしい環境の変化だったわけだから。
「そうですね、不動産は逃げませんから」
いや、そっちじゃないんだが。
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エンリコさんから聞いたわ、エレナさんがお父さんの遺した不動産である元の自宅を受け継いだって。
居住空間は2階と3階。
メインベッドルームとベッドルームが4つ、あとゲストルームが2つとダイニングキッチンとバスルーム。
それだけでも相当広いのに、1階部分が革細工の店舗兼工房となっているのだとか。
そのうえ裏口脇に別棟で大きめな倉庫のような建物まで。
「革細工職人でもない独身女性がもらっても困る物件でしょうに」
「だからって革細工職人に工房部分だけを貸すのはやめたほうがいいってアリアドネが進言してたよ」
仕事にかこつけておしゃべりしに来たマリリン。
ハマー伯爵夫人アリアドネさんは現在も不動産業のオーナーであり、もともと経営もしておられたから詳しいわね。
「登記簿を預かってもらってるからってエレナが家を見て欲しがっててね、こないだついに根負けして見に行ったんだよ。そうしたらまあなんとも広い店舗兼工房でね……広めの庭つき2階建て一軒家を建てるような土地に、庭なしで3階建てと別棟で2階建て倉庫が建ってるような感じかな」
それは、個人宅としてはかなり大きいほうかと。
「ここからはエレナ次第な話になるんだけどもね」
そう前置きしたマリリン。
「薬剤師組合が推し進めてる『ルブラン進出計画』があるだろ?あれに乗っかって、うち……テイラー&テイラー薬剤師館の分館を、こっちに作りたいなと思ってるんだ。今はタリアが館長の薬剤師館があるとはいえ、旧皇城の中に1軒あるだけだろ?一般庶民には敷居が高すぎるんだよ……人によるとは思うけど」
「それは私も思ってるわよ。帝都……じゃないや、領都に住んでる人みんなが公爵邸に薬を買いに来れるわけないしね」
「そこで、今のところ私が勝手に考えてるだけなんだけど、エレナにルブランで1軒受け持ってもらえないかななんてね。そうしたら弟くん達とも距離が縮まったりしないかなとか思ったりもしたんだよ」
「そうね、エレナさんはルブラン出身のSクラス薬剤師って事になったわけだし、経験年数なら豊富だし、Sクラスの成績は過去最高点だったってきくし。1軒持つ資格ほぼありよね」
「Sクラスとしての経験年数だけだね、足りないのは」
ついこの間合格したばかりだもの、それだけは仕方ないわね。
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エレナがもらった、お父さんの遺産の不動産。
公爵邸へのおつかいという名の母さんのパシリのついでに、オレも見に行った。
旧国境の橋と旧皇城の公爵邸の間にあって、ガストン食堂はすぐそば。
そこから少し旧国境側郊外に出ると、ディアス農場。
更にもう少し旧国境側へ行くと猟師のブライアント家。
旧国境の橋はブライアント家の庭先から森の小道を抜けてすぐのところ。
意外とオレの家から近い場所に、エレナの弟3人がいたという話だ……ただし、迂闊に落ちると確実に死ぬレベルの深い谷にはばまれてたけど。
「エレナが開業資格を得られたら、向こうで庶民向けの薬剤師館を始めてもらってもいいんじゃないかなぁ」
「……モーガンもそう思うかい?」
母さんがオレの独り言を聞きとがめた。
「あのデカい家の1階部分、今は工房だけど、改装すりゃ薬剤師館で通用しそうじゃねぇ?倉庫も基準を満たせば薬品庫にできるんじゃねえかなと思って見ちまってたよ、他人様んちの不動産なのにな」
「それは私も思ったから、モーガンをとやかくは言えないね」
似たもの親子、だよなぁ……同業者なわけだし。
「開業するにあたって一番大変なのは、用地の確保なんだ。うちの場合は……アリアドネっていう不動産業者の知り合いがいて、そのやり手の業者すらもてあます広さの空き地があったっていう幸運が重なったからなんだよ」
なんだそれ、初耳だ。
いやオレ達世代は知らないだけの話なのかも。
「オルトランさんの親戚だっていう、伯爵家の先代の執事さんが子供の頃から空き地だったそうだからね」
そんな由緒正しい(?)空き地だったのか、うちの場所。
「既存の建物からの流用の場合、その建物の所有者と改装について要相談だったりするんだけどね、もしもエレナがその気になってくれたら、改装費程度で済むんだよ。融資も受けられるし、条件次第で優遇金利の対象になるし」
「条件ってなんだよ」
「取り急ぎ新規で薬剤師館を建てなきゃいけない事情がある場合が多いね。うちもだけど、エルレのサムズ一家の薬剤師館もそうだよ」
サムズ薬剤師館は、エルレの軍基地の敷地内に建ってたよな確か。
「うちと同時期に建ったんだ。リック医師のおばあちゃん経営の薬剤師館がエルレに移転するから、かわりに薬剤師館を頼むと言われてね」
リックのばあちゃんの跡を引き継ぐんじゃなくて、まったく別のを建てたわけか。
「うちが異業種併設のはしりなんて言われてるけど、本当はサムズ薬剤師館が少しだけ先なんだよ」
エルレ辺境部隊併設の扱いなのか、あそこ。
「うちと違って、見学に行きづらいだろ?」
森林保護局と国軍の施設じゃ、そりゃ段違いだろうな、見学の許可の出かたが。
「王都からだと、うちよりエルレは遠いから」
……そっちかよ。
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「エレナに、折り入って相談があるんだけどね」
何日かは迷ったものの、やっぱりこうするべきかと思って話を持ちかける事にした。
「エマーソン公爵領にも薬剤師館を広める計画があるのは、知ってるね。で、まず手始めにうちの分館を置きたいんだけどね……」
そこまで言ったら。
「私まだ開業資格が得られてないですよ……あ、そっか、その手がありますね」
エレナが何かを思いついたようで。
「私があの家を薬剤師館に改装して、モーガンを館長に据えて、私は大家兼所属薬剤師として住んじゃえば、私が資格取得まで待たなくても解決……します?」
アリアドネがエレナに『不動産部分貸しはトラブルのもとだからやめたほうがいい』と言ってたから……考えたわけね。
「エレナがそれでいいのなら、かまわないよ……モーガンの意思確認はまだだけどさ」
きっとモーガンはわめくだろうねぇ……
「親が人使い荒いのは今に限った事じゃねぇけど……エレナもかよ!」
やっぱり。
ニコラス・ジェファーソンの遺産は、薬剤師組合の壮大な計画の一端を担う事になった模様です。
そしてモーガンの意思はあとまわしwww




