橋をどうにかしたい人達
『旧国境の橋』と呼ばれるようになった、森の中の谷にかかる橋。
国境ではなくなったため、以前の比ではなく楽に何でもできそうですよ。
(修正完了しました)
かつて森の谷には、ほんの申しわけ程度の橋がかかっていた。
大人1人がおそるおそる歩いて渡るしかないような物。
しかしその橋は、とある一家が追討の手を逃れるため脱出を試みた日に崩落した。
当時7歳だった一家の長女が走って渡りきり、それを追った大人4人が一度に追おうと試みて壊してしまっていた。
その後早急に今の橋がかけられたわけだが、国家間の橋だという制約があったため徒歩で渡る橋しかかけられなかった。
行商人も徒歩で何度も往復して荷を運ぶ必要があったため、大がかりな商隊は1組減り2組減り……対等合併する頃にはローウェル商隊だけになっていた。
まあローウェル商隊は何があっても国境を越えたい理由があったわけだけれども、それでもたくさんの荷を人力だけで運ぶのは大変だ。
「もう国境ではないのだから、もっと頑丈な橋をかけられませんかね?」
「それは私も思っていました……そうですね、一緒に陛下へ申し出ませんか」
「一緒に」
「隣人同士が連れだって拝謁しようじゃありませんか」
私は、橋を渡って来てくださったエマーソン公爵に提案してみた。
というのも。
私をはじめ各有爵家の当主は、何例かの特別な場合を除きたいがいが先代や先々代当主と共に乳幼児期から拝謁している。
特別な事情。
たとえば、とある侯爵家は3男4女に恵まれ安泰といわれていたのにもかかわらず流行り病で先代夫人を含む一家10人全員が亡くなったため、先代夫人の甥が急遽爵位を継いだ……等の急な継承位しか聞いた事はなかった。
しかし。
今回の対等合併により、旧皇家が叙爵されたという状況。
これまでにない特別な事情。
初の謁見に付き添う先達たる先代や先々代等はいらっしゃらない。
そして、もとはサン・トリスタン王国民であられた夫人は、3人めのお子さんをご出産になったばかり。
ルブランから王都までの移動は過酷だろう。
ならば、私がお連れすればよい……と考えたが、不用意なぎっくり腰により行動不能。
いまだ医療陣から起き上がっていい許可は出ていない。
「無理に起きようとすると、息子の妻が処方した催眠性の強い鎮痛剤を盛られるんです。それも、妻の手で」
いつの間にか飲食物に混入され、薬を入れられたと気づくのは目覚めた後だ。
さすが、軍人の娘。
「テイラー夫人も一枚かんでいらっしゃる気がしますけれど……」
「ああ、あの方は義父の部下の娘さんですから……あり得ない話じゃないですね。その上、テイラー氏も元は軍人。彼の監修のもとで行われたに違いないと思っています」
まあ、寝台から抜け出そうとしない限り盛られる事はないから……。
「伯爵、もう頭があがりませんね」
「この先ずっと、そんな気がしますよ……そして公爵もお気をつけて。ご長男の抱っこはもうおよしになったほうがいい」
同世代……私より少し若いだけの公爵もじゅうじゅう警戒が必要だと。
「肝に銘じます」
私の腰が治る頃には、公爵夫人と赤ちゃんのアイリス公女も長時間の移動ができるようになっている事だろう。
……おそらく。
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新興の公爵家というかつてない家柄となったエマーソン公爵家。
ご当主は元皇帝陛下のゴードン閣下。
元国家元首が元の国土を領地として爵位を授かるという前代未聞の合併劇だった。
過去に他国を吸収したのとはわけが違う。
トーヴァンは、討ち滅ぼして吸収した。
エルレは、2度のクーデターの2度めに協力して併合した。
トーヴァンの時は……私が指揮をし、副官がシグナスだったな。
先方から国王陛下に宛てた親書の宛名が間違っていると真っ先に気づいたのは、親書を使者から受け取ったシグナスだったっけ。
……その書き誤りがきっかけでトーヴァンは滅び、後日「固有名詞の書き誤りは国を滅ぼす」という教訓として国軍内で語り継がれるに至っている。
シグナスは娘のマリリンさんによく話していたらしく、おかげで見てきたように語れるまでになったマリリンさんはテイラー氏の名を誤記した人に血の気が引くほどの勢いで説教したという話を聞いている。
それはともかくとして、だ。
アリアドネから聞いたのだが、エマーソン公爵がハマー伯爵家へ見舞いにいらっしゃったとの事だった。
今では旧国境の橋と呼ばれる橋だけでなく「もっと頑丈な橋」をかけたいとのご相談もあったようで。
エドモンド様はエマーソン公爵ゴードン様と一緒に陛下への謁見をしようともちかけられたとか……まだ動けないのに。
伯爵邸へ日参してくれているというマリリンさんいわく、重症ゆえしばらくは外出などとんでもないとの事。
しかし……先方も一家揃って謁見におよぶのであれば、公爵夫人の産後の養生あけ位の時期にはエドモンド様の腰もましになっている頃合いだろう。
伯爵家にはイリーナ夫人という最高ランクの薬剤師が常駐しているのだからな、医師が指示をしたという「無茶しようとするなら昏睡させてでも安静にさせるように」とかいう物騒な内容でも即座に叶うだろう……すでに3度ほどエドモンド様はイリーナ夫人が処方し薬をアリアドネに盛られて昏睡させられたそうだし。
謁見はまだ先の話だとして。
ゴードン様が思っていらっしゃる新橋の規模はどんなものなのだろうか気になった。
お呼び立てするわけにはいかない。
かといって私が伺うわけにもいかなi……ああそうだ、こういう時のエンリコだ。
奴に聞き出してもらおう。
「あいつはフットワークの軽いじいさんだからな」
ふと口から出ていたようで、秘書官が私を見ていた。
その目は「あんたもだよ」と言っているようだった。
否定は、しない。
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ネルソンから手紙がきた。
前回は経由、今度は直接だ。
「……ゴードンが新しく橋をかけたいと思ってるらしい?その想定する規模を知りたい?聞き出して欲しい?なんでまた……あ、この間伯爵の見舞いに行った時に何か言ったのか。ネルソンは伯爵夫人の親だからな……」
いや、聞き出すも何も……わしも一緒に計画を練ったから、何もかも知っとるんだが。
「ネルソン様は急きょエルレの旧国境へ向かわねばならなくなりましたので、私が代理で」
確かわしはネルソンに面会を申し入れ、ネルソンがルブランに来てくれるとの事だったはずだが……現れたのは伯爵家の執事でもあるサイラスだった。
「職務は放っといていいのか?」
「執事ならもう1人いる上、彼の下についている見習いが3人いるんでね……老骨は本日休暇でここへ来たと」
ならいい……いいのか?
「ネルソンが知りたいのは、ゴードンがどんな橋をかけたがっとるかだろう?」
「今の規模と同じものを隣にかけて1本ずつ一方通行にするとかお考えで?」
「いや。馬車ごと渡れるような橋は予算いくら位でかけられるか、架橋の専門家を知ってたら紹介して欲しいと言われとる」
「馬車ごと!?」
「荷馬車のまま渡れれば行商人も戻ってくるだろうし、旅行者も楽に渡れるにこした事ないだろう?」
ゴードンの思惑は、わかっとる。
「馬車ごと渡れれば、物流量も増えますね。ネルソン様にそのようにお伝えします」
では、とサイラスの奴はさっさと帰って行った。
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馬車ごと渡れる規模の橋を、今の橋の近くにかけたい。
エマーソン公爵ゴードン様のご希望です。
アリアドネ様が個人的に手がけておられた不動産業の関係者の中には、架橋に特化した業者は確かいませんでした。
ですが、架橋できる業者を知っている人はいそうです。
そちらをあたっておきましょう。
……やってはみるものですね。
いろいろ問い合わせた結果、昔馴染みの不動産仲介業者の従甥孫が架橋専門の建築会社に勤務している事がわかりました。
ネルソン様に、エンリコから聞いた事も含めてすべて報告するとしましょう。
「馬車ごと渡る……なるほど。国境ではなくなったのだから、大きな橋でもかまわないな」
「公爵様は夫人とお子様達と一緒に馬車を降りる事なく谷を渡りたいのでしょうか」
「それもあるだろうが、行商人を楽にルブラン入りさせたいのだと思うぞ?夫人は薬を扱う行商人だったという話だしな」
「確か夫人はマリリンさんの同期、でしたね……ああ夫人のご家族が楽にルブラン入りできるようになさりたいと」
「そういう事だろうな。陛下に公爵領からの意向をお伝えしておこう」
ネルソン様は一応軍幹部ですかr……
「国家事業として架橋するよう進言しておこう。同一国家となったわけだ、物流の観点からも必要不可欠だし……エマーソン公爵ゴードン様は、ご家族皆様で王都へ赴きたいだろうしな」
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父上の代理だからと僕にお祖父様とお母様がお話を持ってこられた。
お2人がなにやらなさっているな……とは思ってた。
「いくら全権代理だとはいえ、父上のいない場所で重大なお話を受けるわけにはいきませんよ」
という事で、父上を寝台の住民にしたままお話をうかがった。
「……いいお話ではないですか。国家事業であるなら、以前のようにルブランとハマー領で負担する必要もないのでしょう?」
「陛下は国家予算からの建設を宰相へお命じになった。よってエマーソン公爵家ハマー伯爵家ともに一切の負担はない」
財政難ではないけど、馬車ごと渡れる規模の架橋事業ならかなりの額になるはずなので助かった。
「公爵家のお子様がたもリンド準男爵領へ行きやすくなりますね。ガーネット様をお引き留めした事が、少々気になっていたんです」
父上が寝台の中からつぶやいた……僕も気になってたやつだ。
「橋がかかれば、護衛と離れる事もなくリンド領まで行っていただけるようになる。大公様がお好きだという果実蒸留酒も、お届けし放題だ」
「お祖父様はエマーソン大公シルベスター様と果実蒸留酒をご一緒したいだけでは?」
ふとよぎった事を口にした。
お祖父様は「なぜわかった?」という目で僕を見た。
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私のかつての知己の従甥孫が、上司と引退した大伯父を伴って伯爵邸に来ました。
「アリアドネさん……ではないですな。伯爵夫人、ご無沙汰いたしております。このたびの国家事業に姪の息子が勤める事業所を推挙いただいたようで……」
特別に目をかけたわけではないのよ……かける橋の規模が大きすぎて、他業者では不可能だったというだけ。
本当ならテイラー家の建物を設計した方の知己を頼りたかったんだけど、そちら方面には架橋できる業者がなかったの。
「ハマー伯爵夫人、どうかよしなにお願いいたします」
従甥孫の上司って男が口を開けたけど……言っておかなきゃならない事があるのよね。
「国家事業ですから、主導は宰相様が任命した土木事業担当長官です。あなたがた業者は国の下請けになります。暴利をむさぼる事は許されません。そこのところはご理解くださいね」
ええ、この業者が暴利をむさぼる可能性が高いと……クロードがどこからか調べて来たの。
わが子ながら、有能よね。
シャルルが表なら、クロードは裏。
「一社独占状態だからか、あまりいい噂を聞かない。担当長官も薄々ご存知だし。だから、何かやらかしたら即座にとぶよ!あの業者」
クロードからは、不穏な言葉も聞いたけど。
「……暴利、など……そんな」
「あなた方が下請けを雇う事はできますが、孫請けは雇えません。国家事業で違法なひ孫請け雇用を発生させられませんから」
業者の顔が青くなったわ。
「あと……」
「……まだあるんですか!」
「旧国境の谷は恐ろしいほど深いです。安全帯の使用方法を完全にマスターして来てください」
「……」
「落ちると、身元確認が不可能なほど原形をとどめないんだそうですよ……実際に落ちた人を見た方からの情報ですけれど」
これだけ脅かしておけば、人件費や安全管理費を削る愚はおかさないでしょう。
後日。
ものすごく立派な橋がかかると同時に、わが国唯一の大型橋がかけられる架橋専門の建築会社は解散・分社化し全国へと展開していきました。
なんでも……土木事業担当長官の目を盗んで悪事をはたらいたそうです。
あれほど国家事業だと言っておいてあげたのに。
人の忠告をなんだと思っていたのかしら。
かなりご立派な橋が早々にかけられる模様です。
そして。
従甥孫:兄弟姉妹の男孫・甥姪の息子。
女の子だと従姪孫。
エンディコット家のルチアから見たハマー伯爵家の子供達が従甥孫・従姪孫になります。