薬剤師と森番(才女と猛獣)≪5≫
しつこくも≪4≫から続きます……
ガリーニ将軍のお嬢さんから驚きの提案をされてから、数日。
オレは、シグナスさんを載せた馬車を高速で駆っていた。
行き先は、ハマー伯爵領。
伯爵家の執事氏から小屋のオレ宛にに会合参加のお知らせ的な手紙が来ていて、その手紙がオレにではなくティラーって森番のもとへ届いていたという冗談にしては笑えなすぎるミスにより……もう薄暗くなりかけた時間に大急ぎで馬車をぶっ飛ばす羽目になってる。
「……ったくもう!テイラーさん達誰も悪くないですからね!最初に綴り間違えた人が悪いの!」
強引に借り出した2頭だての箱馬車の中で、シグナスさんが激怒してる。
「しゃべっちゃダメだ、舌噛むぞ」
「大丈夫!急患で連れていかれる猛スピードの荷馬車より快適!屋根壁あるし、そんなに揺れてないし!」
……そういう問題なのか?
いや、かなり揺れてるぞ?
こんな時間に馬車をぶっ飛ばしてるのには理由がある。
発端は、オレのメールボックスにティラー宛の封書が入っていた事。
ティラーの事務机に置きにいくと……奴のメールボックスは封書であふれていて、奴本人は不在。
「こいつどこ行った!?」
「夜勤明けで帰りました」
「呼び戻せ!……いや、連れ戻して来る!」
「メールボックスあふれさせた位で……?」
「こいつ宛のがオレんとこに来てるって事は、逆もあるって事だろ!特にオレは今、重要事項の連絡先を小屋にしてんだよ!」
寝に帰るだけの部屋に送りつけられるより確実にオレの手元に届くと思って、そうしたわけだけど。
「テイラーさんからの返信が遅れるとまずい書類とか来るんですか?」
「それに近いもんがある……とにかくティラーが家で寝ちまう前に、この山を何とかさせろ!」
オレは走らないほうがいいという頭の判断で、若い奴がティラーを引っ張って戻ってきた。
「何すか、自分眠いんっすけど」
「……お前宛のがオレのメールボックスに入ってた」
「あー、そりゃどーも」
「で、置きに来たらこのザマだ。オレ宛のが混ざってねえか確認しろ」
「起きたらやりまーs」
「今すぐやりやがれ!てめえがいつもいつも書類遅すぎて……本部の事務官ににらまれてんのはてめえじゃなくて俺なんだよ!メールボックス放置してるから事務仕事遅ぇんじゃねえのか!」
……頭のカミナリが落ちた。
完全に目が覚めたティラーは、オレと頭に左右から見守られながらメールボックスからあふれた封書を確認し始めた。
「……あれ?なんか名前が違う」
ティラーが気づいた。
こいつの名前はトレヴァー・ティラーだが、アンソニー・ティラー宛がいくつも出てきた。
もしかしたら……いや、もしかしなくてもそれ全部オレ宛だ。
「貸せ」
名前間違いの封書をすべて手に取った。
差出人は……軍関係者と、ハマー伯爵家の執事。
「ティラー、お前軍やハマー伯爵家から手紙が来る心当たりあるか?」
「……全部ないっすけど」
「じゃああれは全部テイラー宛だな……どうしたテイラー」
伯爵家執事からの手紙を開封して目を通していたオレは、その他の封書を全部取り落とした。
「……朝一番で、土地の業者と伯爵家の執事との三者会合の予定をいれておきましたがいいですか、って内容なんだが」
オレは手紙の用件を口に出した。
「その日付が、明日なんだよ!」
最後は絶叫になってた。
「それ、いつ来てた奴だよ……4日前だぁ!?ティラーてめえ!」
頭が封筒の消印を確認してティラーを怒鳴りつけた。
「てめえがメールボックスを毎日確認しねえから、どえらい事になっちまってんじゃねえか!」
「過ぎちまった事は仕方ない。オレはシグナスさんに知らせてくる」
「お前走るな、馬で行け。こっちで箱馬車用意しとくから、焦らず行ってこい」
薬剤師館に着くと、門衛のおじさんに驚かれた。
「森番小屋で急患かい?」
「いや、シグナスさんに急用」
「知らせて来ようか」
「お願いします……あ、館長さん通したほうがいいのか」
「あー、館長から呼んでもらったほうがいいかもな。馬は預かっとくから、館長室行って来な」
「オレ部外者……」
「いやもうあんた身内みたいなもんだろ。半年いたんだ場所はわかるな、案内はいらんだろ」
「そんないい加減な!」
「テイラーさん、あんただからだよ。あんたじゃなきゃこんな事言わんよ」
そんなもんかと思いつつ。
オレは館長室へ押しかけた。
「おやまあそりゃ大変だ!」
事情を知った館長さんは、大至急シグナスさんを呼びにやってくれた。
「それにしても失礼な話。名前を間違えるなんて」
「しかも偶然にも間違われた姓と同じ綴りの奴が同じ職場に実在して、そいつが根っからのずぼらだとか……偶然も重なり続けると奇跡の域ですね」
「それはそうだけど……伯爵家の執事と国境警備軍からの手紙だけ間違えられてるんでしたっけ」
「そうですが……」
「今回の件に関するものだけ間違われてるって事は……まさか」
薬剤師館長、急に立ち上がって隣室への内扉を叩いた。
「医師館長!いるんならちょっとこっち来な!」
……キレてる。
ものすごく、キレてる!
「なんです騒々しi……」
内扉を開けて顔をのぞかせた医師館長が、オレの顔を見て言葉を詰まらせた。
「……もしかして、名前の綴り間違えたのって」
「医師館長!あんたまたやったね!?ご本人の許可もなく!!」
「きょ……か、なく……って、なんでそんな」
どうやら医師館長さんは立場が弱いらしい。
「名前の綴りが間違った手紙が届くって事は、そういう事だろ!姉ちゃん情けなくて涙出るわ」
……え。
オレは薬剤師館長さんの一言に驚いた……姉ちゃん!?
いや、そこに引っかかってどうすんだ。
今、気にするところはそこじゃない。
「許可とかなんかいろいろおっしゃってますけど、オレの名前を誤記して伯爵家の執事さんとかに伝えちゃったって事で間違いないですか?」
「私は、まさか誤記しているとは思ってなかっt……」
「誰かにやらせたのかい!」
「……秘書見習い」
あー、納得。
あの粗忽者なら、やりかねない。
何しろ2人を探しに来て2人とも見つかったのに次を探しに行こうと走り去る奴だもんな、あいつ。
「呼びな、シメてやるから」
薬剤師館長さんが怖い。
とても、怖い。
世間一般的に怖い顔といわれるオレが怖いと思うほど、怖い。
「待ってください。シメるとかそういうのは後でお願いします。今は、その……明日の早朝までにハマー伯爵領に着くように何とかしなきゃならないんで。オレ1人なら小屋の馬でぶっ飛ばしゃ何とかなりますけど……」
「シグナスも行かなきゃいけないからねえ……2人乗りでぶっ飛ばすわけには?」
「馬に負担がかかりすぎます」
「……だろうねえ。じゃあ馬車か」
「それについては、小屋のほうで足の速い馬で牽ける箱馬車を準備させています」
移動手段は、大丈夫。
問題は移動時間のみだ。
「暗くならない内に出なきゃいけませんよね」
いつの間にか、シグナスさんが館長室に来ていた。
「手術に入る前でよかったです……引き継ぎしてきますのでお待ちください」
シグナスさんはそう言うと館長室を急いで出ていった。
「では、オレは馬車をとりに戻ります。書面になってる身分証と着替えだけありゃ何とかなるかと思うとシグナスさんにお伝えください……シメるだの何だのは、オレ達が出発してからにしてください。オレが参加したくなるので」
言い残してオレは館長室を出た。
頭が馬車の準備を請け負ってくれてたから、今戻ればもう出せるようになっているはずだ。
身分証と着替えは家にあるから、そっち先に行ってから小屋で馬と馬車を交換して……戻る頃にはシグナスさんの準備も整ってるだろうし、整ってなくても準備でき次第出発できるはずだ。
薬剤師館から家までの間に小屋があるので、一度顔をのぞかせた。
「テイラーさん、馬車にランプつけときますか」
若いのが馬車を用意してくれていた。
「前後左右と中に1つずつ頼む。あと長剣を御者席に、槍を屋根に仕込んどいてくれ」
「そんなのやった事ないですよ!」
「……だよな。長剣と槍を用意しておいてくれたら、あとは戻って自分でやる」
言い置いて、必要と思われる物だけ持って小屋へとんぼ返り。
ランプが5つ取りつけられていて、長剣と槍の用意もできていた。
オレは礼を言ってさっと仕込んだ。
「使い勝手悪そうですね」
「ま、傭兵がよくやる奴だからな」
「テイラーさん元傭兵団長だもんなー」
口々に言われながら、箱馬車の座席下に荷物を入れて薬剤師館へ戻った。
オレの準備は整ったが、シグナスさんはまだだった。
「急患が入ってごたついててね……ちょっと待っててもらえると」
……それなら仕方ない。
更に待つ事しばし、太陽の位置が正中から少し傾き始めた頃。
「お待たせしましたっ!」
かばん1つ持ったシグナスさんがかけ込んできた。
「こっちの都合で急がせてすみません」
ずぼらなティラーがもっと早く気づいていれば防げた事態だからな。
「テイラーさんの名前を書き間違えた粗忽者のせいだときいてます……帰ったらシメてやる」
不穏な言葉を吐きながら、馬車へ。
「テイラーさん!シグナスさん!これ持ってけってコック長が!」
厨房の下働きの若いのがバスケットを持って走ってきた。
「飯です!ええと、大小あるうち小さいほうが昼ででかいほうが晩だって言ってました!」
礼を言って受けとり、馬車へ積んだ。
「人通りが途切れたらスピードあげますから、それまでに食っててくださいね……飛ばしだしたら食うどころじゃなくなるんで」
領都を出るまでは事故防止のため普通のスピードで走るけど……環状街道に出たら飛ばす予定だ。
「テイラーさん食べなくていいんですか」
「直前まで仕事してた人からどうぞ。オレは余裕が出たら食います」
たぶん昼飯のほうは、片手で食える奴を作ってくれてるはずだ……休みなく進軍する時でも食いやすいと評判よかった物をコック長には教えたから。
だけどオレはなかなか昼飯にはありつけなかった。
ずっと道が混んでいた。
スピードがあげられない。
通行人にも気をつかう必要がある。
環状街道に出た頃には、太陽はかなり傾いていた。
「中間の準男爵領まで止まらず行きますよ……そこの宿場で馬を交換する手はずが整ってるって頭が言ってたんで」
馬を急がせた。
リンド準男爵領入口にあたる宿場で馬を交換する頃には、一番星が出そうな空になっていた。
「ランプに火を入れてください……それから座席下の荷物入れですが、オレが荷物入れてるほうにシグナスさんのも入れてください。シグナスさんが座ってるほうは空けておいて」
ここからは、夜間行軍みたいなもんだ。
「もしもオレが屋根を4回叩いたら、シグナスさんは空けた荷物入れに入って隠れてください。シグナスさんなら入れるはずです。で、オレが開けるまで出ないでください」
夜間に移動する民間の箱馬車なんて、盗賊のカモ以外の何ものでもない。
護衛の数が少ない場合、非戦闘員は隠すしかない。
「わかり……ました」
オレは黒いジャケットの上から白のコートを羽織って御者席に上がった。
交通量が減った環状街道を、可能な限り最速で飛ばした。
ハマー伯爵領近くまで進んだ時。
松明のような光がいくつか前方に見えた。
お迎え……じゃなければ、緊急事態だ。
オレは屋根を4回叩いた。
馬車を走らせたまま、仕込んだ長剣と槍を確認する。
長剣は腰に差しなおし、槍はすぐ握れるようにしておいた。
光はどんどん近づいてくる……4つ、いや5つ。
オレはコートから腕を抜いた。
「こんな時間に馬車でどちらへ」
近づいてきたのは……警備兵に見せかけた胡散臭い男達だった。
急停車。
「急用でハマー領へ」
「ふーん……ぐぁっ」
屋根から槍をひっこぬき、抜いた勢いをつけて柄で頭をぶん殴った。
あと4人。
「何だこいつ!」
「やっちまえ」
槍を持って御者席から飛び降り、片っ端から手加減なくぶん殴っていく。
殴られた奴は、誰も動かない。
そして最後の1人。
「お前……何者」
対峙した状態で訊いてきやがった。
「森番」
「……は?」
「そんなのどうでもいい。お前らの仲間はこれだけか?」
穂先を鼻に当てて訊き返してやる。
「あ……ああ……これだけだ」
血の気の失せた顔で答えた。
「わかった」
容赦なく、槍を横に振って柄で頭をぶん殴って昏倒させた。
馬車の扉を開けると、指示どおりにしてくれていた。
荷物入れを開けると、ギチギチに詰まった状態のシグナスさん。
「すみません。あなたなら入れると思ったんですけど、狭かったですね」
「いえ、おかげさまで出るに出られない状態でした」
外に出たシグナスさんは、地面に転がる男達を見て唖然としていた。
「これを、1人で?」
「ああ、はい。ですが拘束用の縄が足りなくて」
「それならお任せください」
シグナスさんはかばんから包帯を取り出した。
倒れている男の手を前で合わせ、親指・中指・小指どうしを包帯でくくりつけ、更に手首を合わせてくくりつけ、ひじも合わせてくくりつける。
手際よく、サクサクと全員にそれを施していった。
「あとはひとまとめに縄でくくって木から吊るしておいて、通りかかった警備兵に知らせればいいですね」
……この拘束方法は、何なんだ。
「暴れる患者さんを押さえる時に、こうやって手をくくってしまうんです……患者さんの時は親指だけですけど」
ふうん、くくり方は覚えておこう。
「で、これ何なんです?」
「たぶん盗賊」
「襲われた……んですね?」
「返り討ちにしましたけどね」
「そのようですね……」
「止まりついでに、晩飯食って行きましょう」
木に吊るした盗賊を放置し、改めて出発した。
ハマー領に着いた時には、もう夜も更けきっていた。
「宿、とれますかね?」
「とれなきゃ国境警備軍の詰所に押しかけるまでの事……将軍から当事者に話がいってるから」
結論から言って宿は2部屋確保できて、何とか休む事はできた。
何とか、間に合った。
三者会合に備えて、もう寝よう……
……何か忘れてる気もするが。
わお、まだ続くとかスミマセン。
何か忘れてる……あなた盗賊を吊りっぱなしです。