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水戸黄門時空漫遊記  作者: 本山貴春
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(壱)黄門さまがやってきた

年明け早々、気分はブルーだ。中学校に入学して新しい友達もできたのに、あの忌まわしい核空襲によって同級生の多くが地方に疎開してしまった。それで残った数少ない生徒が再編されることになり、中学1年の3学期から新しい学校へ強制的に編入されたのである。


僕はため息をつきながら、その真新しい高層ビルを見上げた。このビルに、文部科学省などの教育行政機関と、これから通うことになる「九州府立平野国臣記念中学校」が同居している。


   *


「皆さん、おはようございます」


「おはようございます!」


クラスメイトもほぼ全員が初対面のようで、教室はよそよそしい空気に満たされ、朝礼前に私語をする者はほとんどいなかった。教師がホワイトボードに名前を書く。


「今日から皆さんの担任となります。古畑です。専門は社会科ね。年齢は…キミ、何歳だと思う?」


唐突に指名された最前列の女子生徒が困惑している。


「え…っ、さあ…」


「あ、ごめんごめん。おじさんの年齢なんかわからないよね。はい、今年で40歳です」


少し教室がざわついた。古畑は、30代前半に見えたからだ。


「まあ、先生の自己紹介はおいおいやっていくとして、お互い早く顔と名前を覚えよう。じゃあ、端から立って順に自己紹介。時間がないから1人1分ね」


慌てて、最前列の右端にいた男子生徒が立ち上がって自己紹介した。緊張しているのか、吃っている。自己紹介といっても、二学期までいた中学校の名前と、所属していた部活くらいしか言うこともない。二人目以降の生徒も、ほとんど同じ項目を述べた。そういえば、この学校でも部活動はできるのだろうかと考えているうちに自分の番がきた。


「ムネキヨです。宗教の宗に、清いと書いて宗清。部活は剣道部。あ、前は城南中でした。以上」


特に反応はなく、すぐ後ろの席の生徒が続いた。僕は他の生徒にあまり関心もなく、ほとんど名前も覚える気がなかった。どっちにしろ、一度に30人以上の顔と名前を覚えるなんて無理だ。それに、全員制服の胸元に名札をつけている。年末までいた学校のクラスと違う点は、男女比のバランスだった。だいたい男女半々だったのが、このクラスは男子が20名、女子が10名。それだけ女子の方が多く疎開しているということかも知れない。


   *


「キミ、変わってるね」


声をかけられたので顔を上げると、目の前に女子生徒が立っていた。やや栗色がかったポニーテールで、目鼻立ちがはっきりしており、冬というのに肌が褐色に近い。外国人の血が混じっているのかな、と思った。何も応えずにじっと顔を見ていると、勝手に話を続けた。


「キミだけが、名前の漢字を説明したじゃん」


「ああ、なんだ。よく聞かれるから、先に言う癖がついてるんだよ」


「そうなんだ。ねえ、この学校でも剣道部に入るの?」


「さあ、あるなら入るけど。この建物に武道場とかあるのかな?」


「あるみたいよ。体育館だってあるんだから。今日、部活の見学いく?」


「うん、じゃあ行ってみる」


「そう、わかった!」


そういうと、彼女は会話を切り上げて自席に戻った。休み時間の教室は今朝と打って変わって騒がしい。早速、あちらこちらで新しい友達ができているようだ。いま唐突に話しかけてきた女子生徒も、他の女子と親しげに話している。どうしていきなり僕に話しかけてきたんだろう…疑問に思いながら、タブレット端末での読書を再開した。


   *


「このクラスでは、今日からVRを使った特別授業を始める」


この学校に転入して初めての社会科の授業で、担任の古畑が唐突に宣言した。前の学校でも映像を使った授業は多かったが、VRは初めてだ。他の生徒も同様の様子で、教室がざわついている。


「VRってなんのことか、みんなわかるよな? マサル、説明してみろ」


「はい、バーチャル・リアリティの頭文字で、仮想現実空間のことです」


「その通り。昔は眼鏡型が主流だったが、近年はカプセル型が増えている。カプセル型は高額なのでまだ小中学校での導入は進んでいないが、この平野中学は国の指定モデル校になっていてな、他校に先駆けて導入されることになった。みんな喜べ!」


「先生」


「なんだ、ヨースケ」


「それって、僕らが実験台ということですか?」


「中学生に関してはキミらが初めてだが、高校生以上では安全性が確認されているから安心しろ。他に質問はあるか?」


「VR廃人になる危険はないんですか?」


女子生徒の発言に、また教室がざわつく。最近時々ニュースで話題になっている。VR廃人とは、要するにカプセル型VR世界に没入して現実世界に戻ることを拒否する現象だ。仮想現実世界では容易に理想の環境を実現できるため、中毒になってしまうことがあるらしい。


「これからみんなに体験してもらう歴史VRは1回の制限時間を30分とする。そして実際にVRに入るのは月に1回だ。他の日は文献調査と班ごとの研究発表をやってもらう」


古畑の返答を聞いて、教室中に落胆の空気が広がった。ゲーム感覚で楽な授業を受けられるのかと思ったが、意外に面倒臭そうだ。


「では、5人ごとの班わけを行って、視聴覚室に移動しよう」


   *


「ようこそ、中学生向け歴史シミュレーター水戸黄門時空漫遊記ベータ版へ! 儂は越後の縮緬問屋の隠居、光右衛門じゃ。そちたちには儂のお供として一緒に歴史を旅してもらう。では、先ずはユーザー登録じゃ。名を名乗ってもらおう」


VR空間に入ると、和室風の部屋にいきなり態度のでかい老人が現れた。黄色っぽい和服に、紫色のちゃんちゃんこを羽織っている。白髪白ひげで、頭巾を被っていた。手には太い木の枝の杖を持っている。和風のサンタクロースだろうか。


「おじいさん、和風のサンタさん?」


同じ感想を抱いたらしく、くじ引きで同じ班になった女子が老人に質問した。初日に僕に話しかけてきたポニーテールの子だ。


「おお、そなた、可愛らしい顔をして失礼なことを申すのお。おっと、すまんすまん。可愛らしいなんて言ったらセクハラになるんじゃった。ちょっとしたシステムのバグじゃ。許せよ」


「いいですよ、私が美少女なのは事実だから。サンタさん」


「いかんいかん。儂はサンタさんなどという西洋の妖怪ではないぞよ。ううむ、致し方ない。少し早いが、儂の正体を教えてしんぜよう…」


老人は、勿体ぶって言いながら懐から黒いケースを取り出した。家紋のようなものが刻印されている。


「ええい、控えおろう! この紋所が目に入らぬか! ここにおる儂をどなたと心得る。何を隠そう、さきの副将軍、水戸光圀であるぞ!」


僕を含めた5名の班員は、ポカーンとなって黙ってしまった。どう返して良いかわからない。


「ん? どうした? ちょっと台詞が違うから戸惑っておるのか? これ、自分で言うのは恥ずかしいのじゃ。本当はお主らお供の台詞なんじゃから…」


急に自信を失ったらしく、段々小声になっていく。


「水戸光圀って、誰?」


ヨースケが、ずばりと聞いた。


   *


それから僕らは、VR空間の中で古い時代劇を見せられる羽目になった。誰一人、水戸光圀を知らなかったので仕方がない。


今回使用する歴史VRのタイトルにもなっている「水戸黄門」とは、江戸時代の第2代水戸藩主、徳川光圀のことを指すという。光圀は藩主引退後、商人の御隠居さんに変装して諸国を巡ったという伝説があり、それがドラマや映画になって人気を博した、らしい。


「どうじゃ、これで儂のことがわかったかな?」


5名の班員に、微妙な空気が流れる。思い切って、僕が発言することにした。


「本当にそんなことあったの?」


「喝! そなた、名を名乗らっしゃい!」


徳川光圀の人格AIに気圧されてしまう。


「ムネキヨです」


「うん。まずは言葉遣いから改めねばならんのお。この頃は子供が親や教師に友達のような口の聞き方をするというではないか。嘆かわしいことじゃ。儂のことは、御老公と呼ぶが良いぞ」


「はい、御老公。そもそも水戸黄門というお話は史実ですか?」


「ムネキヨよ、なかなか良い質問じゃな。儂が身分を隠して諸国を巡ったという話は、基本的に作り話じゃ」


「えっー」


班員たちが落胆のあまり口を揃える。


「しかしじゃな、江戸市中や水戸藩内を頻繁に視察しておったのは事実じゃよ。身分を隠して民と触れ合ったことも度々ある。そうすることで庶民の暮らしや考えを知り、まつりごとに活かしておったのじゃ。御三家の当主ともなれば、庶民のことがわからなくなるものじゃからのお」


「御三家って何ですか? あ、僕はヨースケっていいます」


「うむ。ヨースケよ、中学生にもなってそんなことも知らんのか。仕方ない、教えてしんぜよう。御三家とは、徳川将軍家に準じる大大名でな、将軍家に後継のない時は、替わりに将軍職に就くという役割もあったのじゃ」


「御老公、マサルと申します。質問ですが、副将軍という役職は本当にあったのでしょうか。初めて聞いたんですけど」


「マサルか。おぬし、なかなか詳しいようじゃな。確かに、副将軍というのは正式な職名ではない。儂がよく幕政に意見しておったことから、天下のご意見番、天下の副将軍などと称されるようになったというわけじゃ」


優等生然としたマサルに、尊敬の視線が集まる。


「では時間もないことだし、残りの二人もユーザー登録を済ませるとするかの」


ポニーテールの女子はマイ、口数の少ない男子はリュウと名乗った。


   *


けっきょく初回の歴史VRは、水戸黄門の時代劇を見せられて、ユーザー登録だけで終わってしまった。


「なかなか愉快な人格AIだっただろう?」


翌日、担任の古畑が含み笑いをこらえるように問いかけた。


「みんなはまだよく知らないと思うが、水戸光圀公という人は日本の歴史において非常に重要な人物だったんだ」


すかさずヨースケが反論する。


「でも、信長とか龍馬と比べても全然知名度が低いんじゃないですか?」


「そうだな。では簡単に解説しよう。光圀公が育った時代は、戦国時代が終わって、長い平和な時代が始まった江戸時代初期だ。御三家当主の1人として当時の国政にも影響を与えたと言われているが、あくまで将軍の補佐役に過ぎない。それでも名君として、江戸市民や水戸の領民には慕われていたらしい。それが後に講談などの題材となって広く親しまれるようになったという訳だ。そんな光圀公の最大の業績について調べてきた者はいるかな?」


教室が静まりかえる中、マサルが手を挙げる。


「大日本史、です」


「えー、何それ?」と女子生徒が小声で呟く。


「マサル、偉いぞ。みんなも、宿題に出されてないからといって疑問を放置してはいかん。何にでも興味を持って、自分で調べることが大事だからな。いまマサルが言った大日本史とは、光圀公が編纂させた歴史書のことだ。水戸藩は莫大な費用と時間をかけて、この歴史書の制作に取り組んだ。なんと、完成したのは明治時代になってからだ。この事業を通じて形成されたのが水戸学という思想で、幕末には尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。歴史を学ぶことで、日本が本来どういう国なのか、多くの人が知ることになったという訳だな。それこそが光圀公の狙いだったんだ」


「先生、それって変じゃないですか?」


シホという名の女子生徒が反論する。


「御三家である水戸家が、徳川幕府を倒すきっかけを作ったことになります。なんか矛盾してます」


「そうだな。それが歴史の面白いところだ。その理由を知るには、日本史における皇室と武士の関係を学ぶ必要がある。きみたちには歴史VRを通じて、その秘密を探ってもらいたい。水戸黄門は、そのナビゲーターという訳だ」


こうして、波乱のVR歴史授業が幕開けたのであった。

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