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01.百合の目ざめ



 きらきらとお日さまの光がわたしを包んでいる。

 加えてなんだかとってもモフい。

 手探りで身じろぐと、質の良いシーツの感触が当たる。

 どうやらわたしはベッドで深く眠っているらしい。


「……ん、ん……うん?」


 掠れた言葉にもならない声を零して、わたしは強烈な違和感を覚える。腹筋を使って起き上がろうとすると、わたしの意思に従って布団を剥がそうとする小さな手が視界に映った。


(なんだろう?)


 近くに子供がいるのだろうかと一瞬思ったが、その小さな小さなもみじが、わたしの意のままに動くことに気づくまで、そう時間は掛からなかった。


「あ……れ?」


 明瞭に言葉を出すと、自分の声が、自分の声でないことに気づく……と言うと紛らわしい。ええと、確かに発しているのはわたしなんだけれど、二十年と少し聞いてきた声とは全く違う。まるきり幼い声音なのだ。困惑して掌で頬を触ってみると、モッチモッチしている。柔らかい。柔らかすぎる……失われたはずの肌艶を感じる。


 わたしは深呼吸をした。辺りを見回しても、馴染みのない内装だ。

 てっきり一命を取り留めて入院でもしていたのかと最初は思ったが、明らかに病院ではない。おそらく民家だ。見慣れない埴輪のようなヘンテコな置物や簡素な……強いて言うならばアンティーク調の雰囲気を見るに、日本ではないのでは? とすら思う。


 どう見たって異常事態。困り切っていると、左手に見えるドアが前触れもなく開いた。


「おや、目が覚めたかい?」


現れたのはふっくらとした体つきの女性だ。歳は30代後半から40代といったところだろうか。穏やかな顔つきで、赤みがかった茶色の前髪から覗く、オレンジ色の眼差しが優しい。深い緑を主体にした柔らかい素材のワンピースは素朴で、腰に巻かれているのはエプロンだろうか。


「……あの、えっと、わたし……」

「ああ、いいんだよ。それより、無事で良かったねえ。今医者を呼んでいるからね。怖かっただろう?もうすぐ青の季節だってのに、薄っぺらな布切れを着せて外を歩かせるなんて、まったく信じられない!」

「青の……?」


 その人は一息でそう言ってしまいながら、わたしのベッドの隣にある椅子へ腰を下ろした。聞き慣れない単語に戸惑うわたしだが、女性はそうは思わなかったようで、わたしに言葉を重ねる。


「どうして、ここにいるのか分かるかい?」

「……わかり…ません」

「自分の名前や、親の住んでいるところも分からないかい?」

「……リリー」


 分からないと首を振ろうとしたら、パッと思いついた単語があった。口に出してみる。やけに舌に馴染む名前で、漠然とそれが名前であると認識する。

 親についても、”わたし”の状況についても分からないことを伝えると、女性は眉を下げた。


「リリー。一応言っておくんだけどね。どの道、あんたみたいなまだ読み書きもおぼつかない子供を、厳しい寒さが待ち受けている道端に放り出した時点で、親失格さ。厳罰は避けられない。騎士様か賢者様がたがすぐ見つけちまうだろうし、庇っても意味はないんだよ」

「……?」

「……困ったねえ。本当に覚えていないのかい? あんたの親は魔法使いかね」


 首を傾げまくる。分からないものは分からない。

 わたしは質問に答えられない沈黙の心地の悪さにじっとりと変な汗をかきながら、話題を少し変えることにした。


「あの……失礼ですが、おなまえは」

「まあ! 丁寧な子だねえ。あたしはシンディ。この町に住んでるなら聞いたことはあるだろう? アンデルセンの経営者さ! あたしよりパンを上手く焼ける奴はここにはいないからね」


 どうやら女性──シンディさんはパン屋さんの店主のようだ。

 無害そうなので気が抜けていく。とはいえ、この不可思議すぎる状況に対する混乱は収まっていない。ここはどこで、”わたし”の今の状況はなんなのか。どうして推測するに赤の他人であるシンディさんがわたしに優しくするのか。聞きたいことは山ほどあって、唇を開こうとすると、ぐらりと目眩がして額を抑える羽目になった。


 シンディさんは驚いたようにわたしの背中を支えた後、そのままベッドに寝かせるように動いた。もっと話がしたかったけど、強烈な眠気も相まって、すんなりと目蓋を閉じる。ひどいめまいだ。意味もなくグルグルと回り続けて、三半規管が馬鹿になったときの感覚にそっくりである。何をするにも健康だ、と思ったわたしはそのまま、素直に眠りについた。




■ ■ ■




『あんたなんか、生まれてこなければ!』


 夢の中で、母親の罵声が聞こえる。

 つまり、リリー(わたし)は虐待を受けていた子供らしい。


 虐待を受けていたので、この子供はまともな教育を受けていないようだ。曖昧な知識も多い。この世界について分かったことは、一部の人々が魔法を使えること。お使いをさせられていた時に知ったお金の価値。騎士や戦士、魔法使い、旅芸人、旅商人などのRPGものに出てきそうな職業があり、身分には王族、貴族、平民の三種類があること。


 わたしの父は町に所属している兵士で、わたしを魔物から庇って殉職したことも分かった。

 それをきっかけに母がおかしくなり始めたことも知る。

 まあ、察したよね。あちゃあ〜……と他人事のような反応をしてしまう。


 あまり外に出してもらえなかった。でも、ずっと閉じ込めておくわけにはいかなかったようで、前述したとおりお使いをさせられたり、時折別人みたいに穏やかな母と外出をした。外では<おりこう>にしていないと余計に痛くて苦しいだけだったから、大人に助けを求めることもできなかった。


 耐え忍ぶだけの日々を過ごしているうちに、わたしはついに我慢の限界を迎えて、奇妙な感覚を獲得した。おそらく、魔力とかいう不思議パワーを得たのだと思う。そしてその魔力を暴走させた。母はわたしが魔力を持っていることにはあまり驚かなかったようで、怪我をしても無表情である。怖いよ。わたしのお母さん、多分、疲れている。というよりどう考えても精神病を患っていらっしゃると思う。誰か気づいてやれよ。


 そんなこんなでちょっとヤンチャなポルターガイストを披露し終えたわたしに、母は適当な布のローブを着せ、家の外に出し、『二度と帰ってくるな』と言った。母に初めて抗って傷までつけてしまったショックで茫然自失のまま、言われた通り一心不乱に歩いているうちに、わたしは町を一つ越えてしまったのである。女児が独学で覚えた、この国の言語らしきものが彫られている案内札が、<エデン王国 ソーレ・イースト町>から<エデン王国 ルーナ・ウエスト町>になっていたので間違いない。


 見慣れない町並みを眺めながら丸一日歩いて体力が限界を迎え、行き倒れていたところを親切なシンディさんという大人が拾ってくれた、というのが事の顛末だと思われる。


『だから、おねえちゃんにあげるね』


 女児の壮絶な実体験という夢を見ながら頭を抱えていると、過去ではない声が頭に響いた。


「……もしかして、リリー?」

『リリーは、もう、いいの。はやく、おとうさんにあいたい』


 いつの間にか、よく分からない鈍色の空間に、光莉(わたし)とリリーが立っている。

 深い藍色の髪を肩まで伸ばして、瞳は橙色に光っている。深い夕暮れのような色合いで、子供ながらに端正な顔立ちとわかる小綺麗な少女だったが、鎖骨から覗く痣にわたしは顔を顰める。少々痩せすぎていて、貧民と言われても納得してしまいそうなほどに、暗い表情をしていた。

 ……信じがたいが、この子供はもう一度生きたいと願ったわたしに、その生を譲ろうとしているらしい。

 

「……いい人に出会えたよ。これから幸せになれるかもしれない」


 シンディさんのことは詳しくはまだ分からなけれど、決して悪人ではない。基本的に人を見かけで判断してはいけないのだけれど、あの暖かい眼差しを疑いたくはなかったし、この子にも疑って欲しくはなかった。


『おとうさんにあいたいの。おねえちゃんは、いきたい、んでしょ?』

「それは、そうだけど。君のお父さん、泣いちゃうよ。まだ早いって言いながら、きっと号泣するよ」

『ううん。わたし、おとうさんにあやまらなくちゃいけないから』


 ──だから、あげるね。ありがとう、おねえちゃん


「……リリー!」


 待って、早計だ、世界は広い、君の人生はこれからじゃないか──言いたいことはたくさんあったのに、リリーは笑って、泡沫状に溶けて消えてしまった。


ヒーローが出てこない…。ステイ、ステイだ鬼畜王子よ。

しばらく現状把握と異国に馴染むための生活です。

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