第三話 親友のお願い
現在のオルティスは8人の偉大なる魔導士アルティメイツたちによって分割統治されている。
それぞれの統括地区はその統治するアルティメイツの性格が色濃く反映されており、さえぎる壁一つ隔てれば別世界が広がっているとさえ言われていた。
だがどの地区もカカシたちにとっての地獄だということだけは変わりはなかった。
エンドバーの統括地区では隣り合う他の地区を仕切る外壁とは別に、魔導士たちの住処である中央区とカカシ達の住む貧民街区を隔てる巨大な壁が存在していた。
そしてその壁には排水のための溝が設けられており、魔導士街区から一段低いカカシたちの街区へと汚水、廃水、魔導実験の残留物、そして無残な姿と化したカカシの死骸などありとあらゆる不浄なものが垂れ流されていた。
カカシに対する差別意識が特段につよいエンドバーらしき統轄地区の光景である。
そんなカカシ街区と魔導士街区をさえぎる壁との境目に、1軒のパン屋が建っていた。
白を基調としたまだ真新しい塗装が施された外観、観音開きの扉の上におそらく店名であろう『リッキー』と書かれた看板が掲げられている小さな店舗。
まだ宵の口のためか、そのパン屋の中からは物音ひとつしなかった。
エンドバーとコート姿の男の戦いからまだ1時間しか経過していない刻限であったので、当然といえば当然ではあった。
そんな静寂に支配された周囲の気配に溶け込むように、コート男がどこからともなく姿を現わした。
コートのところどころには赤黒い斑点が滲んでいるその男は、さきほどエンドバーと対峙していたコートの男その人であった。
男は脇目も振らずに壁との間にあるリッキーの店舗裏まで歩を進めると、少し辺りを伺って裏口らしき扉を開け放ち中へと身体を滑りこませていった。
パァンッ!
途端に乾いた破裂音が男を包んだ。
「…おい、驚かせるな、寿命がちょっと縮まったぞ」
「おかえりラグ。無事でなによりだ」
ラグと呼ばれたコートの男は、クラッカーを手にした青年に出迎えられていた。
「記念すべき日だと思ってね」
「だとしても他のやり方があるだろグラム。夜中に大きな音を出しやがって。先に寝てていいって言ったのに……」
「寝れるワケないだろ。親友の初陣の夜だっていうのにさ。それにしても冷静なもんなんだね。もっと興奮して抱きついてくるかと思ったけど」
「ふざけるなよ」
グラムと呼ばれた男は肩をすくめておどけてみせる。
それだけで絵になる優男であった。
「これくらいの冗談は見逃してよ。それより長年の宿願がようやくかなって今、どんな気持ちなんだい?」
「くだらん。先に寝るぞ」
「おいおい下らないことはないだろ。罪を同じくする友が祝ってやろうと裏口でずっと待ってた、その気持ちを少しは斟酌してくれよ」
「明日にしてくれないか」
「……今すぐじゃなきゃダメだ。後生だから教えてくれってラグネイト」
深夜とは思えないやたらテンションの高い男、グラム。
本名はグラム=ソードという。
オルティスからは遠く離れた場所にある豊かな国の、貴族の子息である。
ひょんなことから知り合ったコートの男、ラグネイトに興味を持ち、その支援を勝手に行っている変わりものであった。
「……うるさいな。分かったよ。でも本当に特に話すことはないんだ」
「そんなことないだろ。たとえばオルティスの魔導士の魔法、実験で食らった時の魔法とは一味も二味も違ったんじゃないか?」
「そんなことはなかった。この秘面はエンドバーの魔法も完全に無効化してくれた。これの力はやっぱり本物だ」
ラグネイトはそううそぶくと兜を脱いでくるりと回転させる。
まるで生きているかのような不思議な光沢を放つ兜を眺めながら嘆息する。
「さすが伝説の魔女サマ謹製の品だけのことはある」
「そりゃそうだろ、ソイツを手に入れるのに僕がどれだけ苦労したか…………………って、ラグ、キミは今なんて言ったんだい? エンドバー? それは……あの、新アルティメイツに就任したサー・エンドバーのことかい?? な、な、なぜいきなりそんな大物を狙ったんだいっっ??」
「最初はヤツと決めていたんだ。アイツには大きな借りがあってな……」
「……そ、そうか……そ、そういう事情があるなら仕方がない……のか?……いや、しかし、これは参ったぞ……」
エンドバーの名前を聞いた途端にグラムのテンションはみるみる下降していき黙ってしまう。
「グラム?」
「ちょっと待ってくれ……」
そのあとたっぷり数十秒ほど時間をかけ、それからグラムはうんうんと納得するように頷く。
「……彼の魔法を無効化できたならきっとオルティスにいる他の魔導士もその秘面を破ることは出来ない。なんせエンドバーは性格に難があったからアルティメイツ入りが遅れていただけで実力は他のメンツよりも優れていたっていうウワサだったし……」
「あ、あぁ……そうなのか……」
「いきなり実力トップを殺すなんてさすが我が親友だ。いやーケンカの仕方を心得ているね!」
「おい」
「明日になればオルティスの全魔導士たちは戦慄することになるだろうさ。ぜったい安全だと思っていた楽園に恐ろしい殺人鬼が潜んでいるって分かったんだからね、毎日震えながら過ごすことになるに違いないよ!」
「どうしたんだ?」
あきらかに無理やりなテンションのグラムにラグネイトは動揺する。
そして肩に置こうとした手をあっさり払われてしまう。
「どうしたもこうしたもないよ! なぜそんな大物からいってしまったんだい!? 僕との約束はどうなったんだよ!?」
「グラム」
「もうこうなったらとれる選択肢なんてほとんどないよ! うん、そうなんだ。間違いない。分かったラグ」
グラムはそこで一息つくと、深呼吸して気持ちを静める。
顔からは笑顔は消え失せ、真剣そのものの表情になっていた。
「もうこれで気が済んだろう。復讐は終わりだ。すぐに僕とこの街を出よう」