第二話 初陣!
夏も終わりにさしかかったある蒸し暑い夜のことである。
「……き、きもち悪い、の、飲み過ぎた……」
赤い燕尾服にステッキを手にした初老の男が、背中を丸めながら千鳥足で市道を歩いていた。
彼の名はエンドバー=クライシス、悪逆非道なオルティスの魔道士の中においても屈指の残虐さを誇る男である。
彼の手にかかったカカシの数は低く見積もっても千は下らなく、しかもそれは魔導の探求のためではなくただ単に趣味の虐殺によってであると言われている。
そのやり口は他の魔導士たちですらあきれるほど醜悪で凄惨であり、彼の統括地区はカカシにとって地獄以上の地獄であると恐れられていた。
だがそんな彼も酔えば普通の人、何度も立ち止まってはその度に餌付いていた。
時刻はすでに深夜、街の灯もとうに消え去り月明かりもない夜であった。
「おえっ、、や、やべオロロロロロォ〜〜〜!!」
結局堪えきれずに往来の真ん中で吐き出すエンドバー。
そんな彼の吐瀉物は、灯のない夜だというのになぜか光を受けてキラキラと輝いていた。
その光源はエンドバーの周囲を漂うこぶし大の光球から発せられていた。
球の正体はエンドバーの得意魔法でもある炎水晶と呼ばれる魔法であり、その輝きは主人が嘔吐中でも休むことなく周囲を照らし出していた。
魔法の発動には多大な精神力を要する。無防備な嘔吐中に魔法を安定させることはかなりの至難の技であるといえた。
「うッ…………ヴォエェェェェェェェェェ、オッ、オェェ………はぁっ、はぁっ、はぁっ、うぅ、も、もう、大丈夫おっおっおっ…………ヴォエェェェェェェェェェェ!!」
間髪入れずに第三波に襲われている最中でも炎水晶の輝きはこゆるぎもしない。それもむべなるかな、彼は特別な魔道士なのだ。
「はぁはぁはぁはぁ、さ、さ、流石にもう、胃がひっくり返ってなにもねぇ……クソッ、新人の昇進祝いだからってレンブルトンの野郎がしこたま飲ませるやがるからヴォエェェェェェェェェェェェ!!!!……………はぁはぁはぁはぁはぁ…………も、もうヤダ……もうぜったいに飲まない……」
そんな絶対不可能な誓いを立てながらエンドバーは吐瀉物がかかった襟元に手をあてる。
「…せっかくのスターツにもかかっちまってる。最悪だ、帰ったらすぐカカシどもを叩き起こして洗濯させねぇと……」
ぼやく彼の襟元には12個の星が並ぶ階級章がきらめいていた。
それを汚したことに彼はひどく腹を立てていた。
それほどまでにこの星は重要なモノなのであった。
魔力至上主義者のオルティスの魔導士たちにとって、身分の差とは魔力の多寡そのものである。
すなわち強い魔導士こそ偉い、単純な理屈だ。
そこで序列を明確化するために魔導士たちはスターツ制度を取り入れた。
魔導士の優劣を星の数で現したのだ。これまた単純な身分制度である。
だが並の魔導士では星を一つ手に入れるだけでも死にもの狂いの研鑽をつまなければならないほどに星の価値は重かった。
そんな星を12個も持つ魔導士はオルティスでも8人しかおらず、魔導士たちは彼らのことを畏怖をこめてアルティメイツと呼んでいた。
そしてオルティスは現在アルティメイツたちの手により分割統治されている。
つまり、このエンドバーという男、オルティスの支配者の一人なのである。
「ひっく……チッ、クソッ……お次は尿意か……アルティメイツがゲロの後に立ちションなんて様にならねぇなぁ…………よし、あとでカカシどもの血で清めるとしよう。だから今だけは許してくれや」
ジョボボボボボボボ~~~~
「我ら選ばれしアルティメイツぅ~~♪ 素晴らしきオルティスにぃ~♪ 永久の繁栄をもたらさん~~♪」
ご機嫌な鼻歌を歌いながら小用を足すエンドバー。
何物にも縛られることの無いこの世の春を全身全霊で満喫していた。
だが彼はこの時まだ知らなかった。
永久の繁栄が、ついえようとしていることに―――
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
出すもの出したエンドバーは炎水晶を操りながら帰途へとついていた。
「……おっ?」
すると道の先に誰かが立っているのが見えた。
その人物はどこに向かう訳でもなく、ただエンドバーの方を向いてじっと佇んでいた。
深夜のこの時間に人がいることにエンドバーは驚いたが、炎水晶がその人物の全身を照らし出した瞬間、度肝を抜かれることになった。
その人物は熱帯夜とよべるほどに暑苦しい夜だというのに厚手のコートを着ていたのだ。
それだけではない、その額からは一角獣のようなツノが飛び出ていたのだ。
エンドバー先ほどまでの酔いがスッと覚めていくのが分かった。
「オイ、お前なんだそのツラは……? それはもしかして……兜なのか? レプリカか?」
「………………」
「レプリカだとしても趣味が悪すぎるぞ。武器検知は防具にも反応する。万が一引っかかったらどうするつもりだ?」
覚めた頭で当然の疑問を投げかけるエンドバー。
武器検知の魔法は武器・防具そのものに反応する。そのため持ち主が魔導士、カカシの区別はしない。カカシに与する魔導士もオルティスにとっては害であるから当然の措置であるといえる。
富とヒマを持て余した魔導士が時たま検知に引っ掛かり、魔導士でありながら処分されることがある。
エンドバーの語気には、そんな愚かな魔導士に対する侮蔑の感情が込められていた。
「なんとか言え」
「………………」
エンドバーは言葉を投げかけながら、対面する人物から別の可能性を感じ始めていた。
オルティスは魔導士にとっては楽園であるが、それは魔導士同士の争いが生じないよう厳格に序列がつけられているからである。
そのため自分より高い序列の魔導士の求めには応じなければならないことになっている。
「……オイ、オレはアルティメイツのエンドバー様だ」
「………………」
「お前の階級章を見せろ、星はいくつだ?」
「………………」
12星の階級章を見せているというのにまったくの無反応、その様子を見てエンドバーは半ば確信する。
この人物は魔導士の常識の埒外にいる人物である、と。それは取りも直さず―――
「テメェ、まさか……カカシかっ!?」
警戒し身構えるエンドバー、そこでようやく対面の人物が言葉を発した。
「……エンドバー=クライシス、お前の名前はよく知っている。そしてお前がやったこともはっきりとな。だから最初のターゲットに選んでやった」
それは若い男の声だった。
そしてエンドバーには全く聞き覚えのない声であった。
「ターゲットだとぉ!? カカシ風情がほざくなっ!!」
「カカシじゃない。オレは人間だ。お前ら魔道士をこの世から一人残さず抹殺するために舞い戻ってきた人間だ」
「あぁぁぁん!? カカシ風情がなに反論してやがるッ!? オマケに抹殺だ?! 立場をわきまえやがれッッ!! オレら魔導士は貴様らの主人だぞっ!!」
「主人……? 貴様が主人な訳がない。オレの主は生涯アニマ様一人だけだ」
「なにぃ!? ……………いや、まて、その名……覚えがあるぞ……たしか……旧王家の娘がそんなだったような……も、もしかしてテメェ、旧王家の生き残りかよ!?」
魔道都市オルティスが誕生する10年前、この地には旧オルティス王国が存在していた。
だが、大魔導士エクスディアスに率いられたエンドバーをはじめとする魔導士たちによって王国は一夜にして滅ぼされ、その跡地に今の魔道都市が建立されたのだ。
そしてその際に王族やそれに連なる者、従者の一人、その家族に至るまで徹底的に抹殺された。
禍根の元は全て断たれているはずであった。
しかし、その生き残りが目の前に立っている。
それはエンドバーにとってとても腹立たしいことであった。
彼は魔力を持たないカカシを心の底から侮蔑していた。
そしてそんなゴミ以下の存在に歯向かわれることが何よりもガマンならなかった。
だが―――さすがはアルティメイツまでのし上がっただけの男である。
彼は目の前の男に怒りを覚えると同時に、その執念に敬意もはらっていた。
一介のカカシが自分に命がけの闇討ちを仕掛けようとしている、その執念を警戒すべきものとして認識していた。
そのため彼は気づかれないように指先を動かしていた。
その軌道が描くのは魔道を発動する詠唱の陣。
すでに戦闘は始まっており、そして終わろうとしていた。
「そうかよ……10年間もの隠匿生活ごくろうだったなぁ。それにビビらすためにそんなレプリカの兜まで用意してよぉ。その涙ぐましい努力に敬意を払ってご褒美に新作魔法で焼殺させてやるわ」
「!?」
「初出しだ。あばよ、炎上三重奏」
そしてエンドバーの指先が詠唱陣を描き切った瞬間、コートの男の下半身が突如炎に包まれた。
「!!!」
「どうだい炎の足湯の火加減はよぉ? これはよぉ、じっくり人を焼殺するために編み出した連続魔なんだよ。あんまり熱くし過ぎると人ってすぐ死んじまうから、だからそうならないように工夫したのさ」
エンドバーは口元に嗜虐の笑みを浮かべながら楽しそうに語りだす。
「炎の苦痛を最大限に引き出して殺すには3種類の炎が必要なんだよ」
「っ!」
「まずはこの火傷を負わせるくらいの炎で表面を軽く炙ってやる。全身を燃やすと火傷ですぐ死んじまうから4分の1くらいがミソなんだよ。で、そこで一回炎が消える、そうするとさ、面白くってよ、もしかしたら助かるかも知れない、ってミンナ勘違いするみたいなんだよな。苦痛の中で顔が晴れやかになる瞬間があるんだ。で、そのタイミングで一気に第2の炎がオートで発動する。そうするとさ、さっきまでの顔がいきなりしわくちゃになってスゲー絶望感を感じたんだなって分かるんだよ。あああ、助かるかもって思ってたのに結局死んじゃうんだって」
「………………」
「もう訳わかんないくらい泣き出して喚くのよ。で、そのあとは五感を司る部位をちょっとずつ燃やしていくんだ。嗅覚と聴覚は最後まで残す。そっちの方が恐怖が持続するからな。自分が燃える匂いと音を聞きながら段々と焼失していく自分の死を体感させるんだ。もうここまできたら大分もうろうとしてきてあんまり意識もなくなってるから、反応が無くなってきたなって思ったら全身を蒸発させる第三の炎の登場だ。これでオシマイ。間違っても煙で窒息させるとか野暮な殺し方はしねぇ。完全にオレの炎で燃やし殺す」
「………………」
「オイ、なんでこんな話してるか分かるか? それはな、お前の執念が在ってはならないものだからだ。アルティメイツに対する復讐なんてのはオルティスには存在してはいけねぇんだ。だからその執念ごと消すためにあえて概要を話してやったんだよ。お前は忍耐力がありそうだからきっとぶざまな醜態をさらさないようにけっこういいとこまで我慢できるはずだ。だが、今の話を聞いてさすがにビビったはずだ。そして今、すこぉし後悔し始めてるはずだ。エンドバー様にたてつくんじゃなかったって。家でおとなしくマスでもかいてればよかったって、奴隷のままでいればよかったって、そうっ感じ始めてるはずだ。その強い後悔のみがオレ様の溜飲を下げ、そして愚かなカカシの妄念も消滅させられる、だから話したんだ」
「………………」
「おい、自分の意思で声出せるのは今の内だぞ。もうすぐ第二の炎のお出ましだ。今の内にはやく懺悔しろ。たてついてすみませんでしたって」
コートの男の周囲には三つの球体が浮遊していた。
それは赤・橙・紫に発光している炎水晶だった。
それぞれが独自の炎を作り出す三重奏の演奏者なのであった。
そして赤の炎水晶の輝きが穏やかになり、橙の炎水晶の輝きが増していく。
「もしかしたら大サービスでいきなり第三の炎で全身蒸発させてやれるかもしれない。そうしたら少しは苦痛が減るぞぉ、ほら、はやく謝れよ」
「……このくだらない魔法を作り出すために何人の人が死んだんだ?」
「……アン? ナンだそりゃお前? そういう事聞きてーんじゃねえって分かんねぇのか? もうそういう段階じゃねえってのに……ふざけんなよ!!」
「ふざけてるのはお前だ。もういい、終わらせる」
「終わってんのはテメーだよ、このクソカカシがッッッ!!」
橙の炎水晶が太陽光のようなまばゆい輝きを発しながらコート男の腕に取りつく。
そして空気を燃焼させながら人体発火の温度まで上昇しようとした瞬間、コート男の腕が上下した。
そして空気を切り裂くような音とともに、エンドバーの左耳が吹き飛んだ。
「イテッ!…………アレ、なんで、これ、血…………な、なんで血が? あ、あ、あ、あ、ああぁぁぁぁ~~~~!! いっ、いてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
予期せぬ痛みにのたうち回るエンドバー、
その傍らにコートの男が仁王立つ。
「これからお前に起こる事を教えてやる。お前は死ぬ。オレに殺される。だが安心しろ、オレはサディストじゃないから拷問はしない。それがオレの流儀だ。まずお前の声帯を切り取る、そして声が出なくなったお前を少しずつ切り刻んで行く。お前がどんなに痛がってもオレには分からないから躊躇なくお前を切り刻める。そして指先から少しづつ切断していき、徐々に自分という存在が消失していく様を実感させる。切り取った部位はもちろんその都度見せてやるから安心しろ」
「ち、ちょっと待て、ど、どう聞いても拷問以上な拷問じゃねぇか!? って、いうか、お、お前、何をしたんだ!? なんでオレ様の魔法を食らって平気で、なんでオレ様だけこんな目にあってんだ!? クッ、クソォォォ!! 燃え死ねぇぇぇ!!!!!!」
苦痛に顔を歪ませながらエンドバーは第三の炎を発動させる。
紫色の炎水晶が人間には可視できない光を発し、人間を瞬時に蒸発させるほどの熱を生じさせる。空気が蒸発し石畳が溶解する。
だが、その灼熱の炎の中にあっても、コートの男は依然として顕在していた。
「な、な、な、な、な、な」
「エンドバー、自分の意思で声を出せるのは今の内だ。すぐにお前は声が出せなくなる。だから早く懺悔しろ。今まで奪ってきた罪なき人の命に対して―――」
「な、な、な、なんでオレ様の魔法が効かねぇんだよ!!??」
「そういう事を聞きたいんじゃない……だが、まあいいだろう。今際の質問には答えるのがオレの流儀だ」
そう言うとコートの男は袖口から光り輝く物体を取り出した。それは月なき夜でも怪しく輝く鋭利な刃物であった。武器検知の魔法が張り巡らされているオルティスではありえないはずの光景、
エンドバーは青ざめた顔で男を見上げる。
そして兜の奥から覗く男の瞳と目が合ってしまう。
そこに想像以上の憎悪が込められていることを見て取り、絶望する。
「オレにはお前らの魔法はいっさい通用しない」
そして刃は無慈悲に振り下ろされた―――