第五話 わんわんわん!
翌日。やっぱり僕は豪華なベッドの上だった。結局昨日は熱を出して寝込むだけで終わったが、今日は何かしら建設的なことをしていきたい。
というのも、どうやら僕は魔王らしいので。魔王ということは、王様だということなので。全く想像出来ないが、仕事は何かしら色々あって大変なのだろう。
まだ前世の未練とか後悔とか色々残ってるけど、気持ちを切り替えないと!
「ハルトムント様、お目覚めでしょうか。シオンです、お部屋に入ってもよろしいですか?」
「あ、えっと……ど、どうぞー」
頬をペシペシと叩きながら自分に言い聞かせていると、ノックの音と共にシオンの声が聞こえてきた。
ああ、まだ着替えどころか顔すら洗ってないのに。初っ端からつまづいてしまったことに軽く落ち込みつつ、笑顔でシオンを出迎える。
寝起きの僕とは対照的に、シオンはビシッと身支度を整えていた。時間はわからないが、まだ早い時間だと思うんだけど。
「おはようございます、ハルトムント様。ロレッタは後で参りますが、お体の具合はどうでしょうか?」
「うん、もう大丈夫だよ」
「そうですか、それは良かったです」
ほっと胸を撫で下ろすシオン。ほんの少しだが、顔を綻ばせる彼女に不思議と胸がじんわりと温かくなってくる。
彼女が笑ってくれたら、きっと凄く綺麗なんだろうなぁ。
「ハルトムント様、本日より側仕えを一名配置いたします。このお部屋の外に待たせているのですが、お会いして頂いてもよろしいでしょうか?」
「え? うん、どうぞ」
「ありがとうございます」
一礼してから、一旦シオンが部屋の外へ出た。そしてすぐに戻ってくると、彼女の後ろに一人の少女が居た。
ベッドの前で立ち止まり、にっこりと笑いながら少女がはきはきと言った。
「初めまして、魔王さま。今日から魔王さまのお世話を担当します、キナコ・ダイフクと申します、わん!」
セミロングの亜麻色の髪に、黒色の瞳。ロレッタさんのことがあったからちょっと身構えたけど、メイド服を着た十代後半くらいの普通に可愛らしい女の子だった。
……ふっさふさの尻尾と三角の犬耳がある少女を『普通』って思ってしまう辺り、この世界に馴染んできたって思ってもいいのかな。
いや、ていうか。
「……きなこ大福?」
うーん、美味しそう。この世界にもきなこってあるのかな?
「じゃあ、キナコちゃん……で、良いのかな? よろしくね、キナコちゃん」
「わんわん! 魔王さまにお名前を呼んで貰えて嬉しいですっ、末永くよろしくお願いします、わん!」
「わん! あはは、元気で良いね」
嬉しそうに耳と尻尾をパタパタさせるキナコちゃん。柴犬みたいで可愛い。撫でまわしたい。でも、手を伸ばそうとしたところで気難しい咳払いが割って入ってきた。
目を向けると、何やら文句でも言いたげな表情のシオンと目が合ってしまった。
「……キナコはこんなですが、手先が器用で体力もあります。何でもお申し付けください」
「は、はい」
な、なんか、怖い。文句は言われなかったが、絶対に何かに苛立ってる。僕、何かした?
「……わふふっ、シオンってばヤキモチ焼いてるわん。わかりやすいわん」
「や、ヤキモチなど誰が焼くか! 変なことを言うなキナコ!」
「きゃうーん! シオンが怖いわんっ。魔王さま、助けてわん!」
「うわわっ!?」
ガバッと逃げてくるように、キナコちゃんが抱き付いてきた。
ち、近い! お花みたいな良い匂いがするし、何かはわからないがとても柔らかいものが当たっている。
「こ、こらキナコ! ハルトムント様から離れろ! ご迷惑だろうが!!」
「わふふん。これでシオンよりも一歩リードだわん。キナコの身長を吸い取ったのが悪いんだわん!」
「吸い取ってない! お前の背が低いのは好き嫌いばかりするせいだ!」
「あわわわ……どういう状況なの、これ」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくるキナコちゃん。シオンが彼女を剥がすまで、僕には慌てることしか出来なかった。
※
「失礼しました、ハルトムント様。キナコには、私なりに厳しく言い聞かせたつもりだったのですが……何か不愉快なことがあれば、すぐに言ってください。ビシバシ指導しますので」
あれからしばらく。キナコちゃんは僕の朝食の準備をしてくれるということで、部屋を出て行った後だ。
「えっと、ちょっとびっくりしたけど大丈夫。元気いっぱいな感じが良いと思うし、子犬みたいで可愛いよね」
物凄い疲労感に辟易しつつ、僕は笑って答えた。結構強烈だったけど、シオンやロレッタ先生とは違う親しみやすさがあるし。彼女のような存在は、周りも明るくしてくれる。
光春の時、近所の家で飼われていたワンコを思い出す。懐っこくて可愛かったんだよなぁ。
「子犬……ハルトムント様は、小さい方がお好きなのか」
「へ?」
「い、いえ! 何でもありません!」
気まずそうにシオンが視線を逸らす。そういえばキナコちゃんと争っている時、身長がどうとか言ってたっけ。
「ねえ、シオンって凄く背が高いけど……エルフの人って皆そうなの?」
「うぐ! その……確かにエルフは高身長の者が多いですが、私はその中でも特に大柄な方で……幼い頃からずっと剣の修行をしていたからだと思うんですけど」
今までの凛とした彼女はどこへやら、ボソボソと最後の方は消え入るように話すシオン。
これは、どうやら自分の体格の良さを相当気にしているらしい。アラサーの僕が立って並んでも、頭一つ分は負けてるかもしれない。
でも、自分の見た目を気にする彼女はただの可愛い女性だ。
「うーん、でも気にしなくて良いとおもうけどな。モデルさんみたいで格好良いよ」
「モデル? モデルってなんですか?」
「あ、いや、なんていうか……とにかく背が高いシオンは格好良いんだよ!」
誤魔化すように捲し立てるが、シオンが格好良いのは本当だ。今の僕が病み上がりだからか、彼女の健康的な格好良さが際立って見えるのだ。
「そう、ですか。ま、まあこの身は陛下をお護りする為にあるので……き、気に入って頂けたようです何よりです」
「言い方もう少しどうにかならない?」
「と、ところでハルトムント様。魔界を治める王として、貴方の役目をお話させて頂きます」
急に話の流れが変わった。未だにベッドの上でパジャマ姿だが、大事な話なので背中を伸ばしてシオンの言葉を待つ。
「昨日も申し上げたように、今の魔王はハルトムント様です。魔界における主導権は貴方の手の中にあります。ですから、ハルトムント様には自覚と責任を持って頂く必要があります」
真剣な面持ちのシオンに、どうしても緊張してしまう。ただの会社員だった僕に務まるかわからないが、こんな身の上になってしまっては嫌だとは言えない。
……流石に人間界を滅ぼせとか、お姫様をさらえとか言われたら無理だけど。思わずごくりと喉を鳴らして、シオンに続きを促した。
「わ、わかった。全然想像出来ないし、色々迷惑をかけると思うけどやってみるよ。それで、僕は何をすれば良いのかな?」
「何もしなくて良いです」
「……へ?」
きょとんと、僕は首を傾げた。あれ、聞き間違えたかな? そう思ってしまう程、シオンの言葉は予想外だった。