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ある日本語のまあまあ上手な外人の伝記

作者: 鯉屋魁

【あいうえお】


「はじめまして。わたしは、ナムです。ベトナムからきました。にほんご、を、べんきょうしています。どーぞ、よろしくおねがいします」

 私は立って、みんなの前で小さい声でじこしょうかいしました。そして、はやくすわりました。はずかしかったです。日本語のおとはいいやすいですが、ぶんしょうは長くて覚えにくいです。がんばってぜんぶ覚えました。

 ですが、ここは日本ではありません。みんなも日本人ではありません。ここはハノイの日本語センターのきょうしつです。私はここでしゅうに三回日本語をべんきょうしています。

 じこしょうかいはぜんぶ覚えただけではありません。意味もわかります。ですが、「どーぞよろしくおねがいします」の意味はわかりません。どうしてそれをいいますか。それは日本のぶんかですか。ベトナム人はそれをいいません。

 でも、おもしろいです。

 アニメは好きですし、マンガも好きですから日本は好きです。大好きです。ですが、私はベトナム人で、今はベトナムの大学の一年生です。

じつはベトナムは好きではありません。大きらいです。ですから、私はきめました。今の大学をやめて、日本へりゅうがくします。日本へ、行きたいです。本当に行きたいです。


【初級】


「はじめまして。私はナムといいます。ベトナムから来ました。日本に来る前に日本語を少し勉強していました。日本は好きだから日本語をがんばりたいと思います。どーぞよろしくお願いします」

 この自己紹介はたくさん練習したので、速く言うことができました。アニメやドラマや映画などでは日本人が話すスピードはとても速く聞こえるから私も速く話したら日本人のように聞こえるでしょう。

 日本に来てから数か月経ちました。入学した日本の大学には私のような外国人が本当に多いです。たとえば、現在の私の日本語クラスには友だちのベトナム人のほか、アメリカ人、ドイツ人、中国人、韓国人やタイ人がいます。みんなは私と同じく日本語を一生けんめいに勉強しています。みんなの自己紹介を聞いて、日本語を習う理由がいろいろあることが分かりました。ほとんどは日本でのしゅうしょくのために勉強していますとか、ときどきはマンガやアニメが好きだからとか、一人二人は日本人の彼女がほしいからとか言っていました。しかし、みんなはやっぱり自己紹介のさい後に、「どーぞよろしくお願いします。」を言うのです。そして私もそれを言います。けれども意味はまだ分かりません。日本文化はわかりにくいです。

 このクラスには日本語が上手な人がいますが、とても下手な人もいます。下手な人々は、だいたいヨーロッパ人です。話すときはゆっくりと話して日本人のように聞こえません。書くときも字が汚いです。特に漢字はひどいです。けど、上手な人々は中国人か韓国人かベトナム人です。中国語はまだ漢字を使うし、日本語と韓国語の文法は同じところがおおいし、またベトナム語はむかし漢字を使ったから、日本語が上手なのは当たり前でしょう。やっぱりアジア人とヨーロッパ人とはちがいますね。

 学生なのでテストが多いです。書くテストと話すテストがありますが、ほかに学生発表会もあります。話題は「日本の不思議なところ」です。少ししか日本語を習わなかったので私はこわかったが、しなければなりませんでした。ですから私はがんばってパワーポイントを作ったり、スクリプトを書いたり、一人のときに大きい声を出して練習したりしていました。私はあいさつについて話しましたが、ほかの学生はいろいろなテーマをきめたようです。たとえば日本の温泉で「はだかのつきあい」とか、日本の女子高生の短いスカートとかいうテーマでした。日本は本当に不思議なことが多い国だと思います。

 発表の日、自分はよくできましたと思います。しかし、私はびっくりしました。先生はもっとがんばってほしいなといったからです。先生は私の発表があまり好きではなかったでしょうか。私の日本語の発音はまだ上手ではないでしょうか。ベトナム語のくせがまだあるそうですが、どこを直したらいいでしょうか。先生はなにもはっきりといいませんでした。おかしいです。もっと詳しく教えてください。

 仕方ありません。私はもっと日本語が上手になりたいです。日本人のように上手になりたいです。ですから、先生がたすけてくれなくても、これからもがんばっていきたいと思います。


【中級】


「こんにちは、みんなさん。初めまして。私はナムと申します。ベトナムから参りました。趣味は日本語を勉強することです。またアニメを見たり、マンガを読んだりすることも好きです。どーぞよろしくお願いたします」

 今度の自己紹介は教わった敬語を使用してみた。ただ、違和感しか感じられない。どうしてかというと、これから一緒に学ぶことになる学生同士に対して、仲のいい友達になれるかもしれない人たちに対して敬語を使ったほうがいいという日本人特有の認識は変だと思うからだ。すくなくとも今まで出会った日本人がみな丁寧語か敬語の口調で話してくきた時、そうしてくれちゃったら私は一体どうすればあなた方と親しくなることができるだろうか、と思っちゃう。産まれてから来日までベトナムで十九年間過ごしてきたが、ベトナムでは年配の人だけが尊敬の対象に当たるものだ。それでも呼称を変えることだけであって、言葉を長く長くするようなことはしない。今更だけどこれがカルチャーショックというやつなのか。正直に言うと敬語は堅すぎて、必要ない。

 「どーぞよろしく」なんて言って毎回自己紹介を終わらなくてはダメだというルールもずっと前から同じぐらいの違和感を抱いた。だって、私からすれば、それは「おはよう」とか「おつかれさま」のような、とにかく何か言わないと人間関係が気まずくなるような、感情が全然込めていないあいさつだけだ。それ以上それ以下でもない。お願いしていることが全く伝わっていないじゃないか。まるでロボットか読み上げソフトのようだ。

 だから私も無感情機械となって見事に自己紹介を済ませた。それから、次の学生が席を立って自己紹介のために話し始めたのだが、自分の耳を疑った。やや大きな唇を動かしてペラペラ日本人らしい発音をなしてる隣の学生は、青目を持つ金髪の若い女の子だったのだ。覚えのない顔というのは恐らく初級は別のクラスだったからだろう。注意を払って聞いていると彼女は日本人の苗字と名前を持っていることがわかった。さらに詳しく聞くとハーフであることもわかった。そういった人はたまにこの大学に入学してくると聞いているのだが、なるほどそうだったのか。彼女の母語が日本語だからこんなにきれいな発音ができるのだ。じゃないとアジア人らしくない見た目をなす彼女は私のようなアジア人より日本語のしゃべりが上手いはずがない。一瞬焦った。しかし、結局彼女のような人達も、私と変わりなく日本人ではないだろう。

 まあ、よく考えればどうでもよかったか。自分がおしゃべりが下手だというなら、文章を書く力で補えばいい話だ。中級ではライティングを向上させることを目標としているらしく、感想文や似た様な文章を書かせられることが多い。だから結構好きだ。グループワークをしなくてもよいということは、日本語の下手なやつに仕事を任せることなくて済むことでもあるのだ。とにかくもっともっと日本語能力が向上するよう努力しなきゃ。そうすれば、日本文化というものについて理解を深めることができるだろう。


【上級】


「僕はナムという。ベトナム人だ。よろしく」

 この間、一人称を「私」から「僕」に変更した。自分の普段の言葉遣いに何かの斬新さを求めて辿り着いた選択なのだが、もう一つの候補である「俺」はイメージ的に釣り合わないため論外にした。これは実に些細な事であり、恐らく気付いてくれる人間は一人もいないであろうが、自分にとっては大変勇気を与えてくれるものである。つまり、日本人らしく居られる。

 実は最近しばしば日本人似と言われてきている。決して初めての事ではないし、アジア人の血を引き継いでいるわけだからそれは納得し難い事ではなかろうが、やたらという程言われてきている。しかも自分を本当に日本人と勘違いして日本語で話しかけて来る人までいた。悪い気持ちはしない。

 閑話休題、今回はもっと話すべきことがあった。それは、コミュ障と自覚していた自分は現在正にモテている最中である。というのも恋愛的のアレではなく、日本人の友人を作る事は前より容易になったという意味合いである。最初はまさかコミュニケーション能力が時間の経つにつれて自ずから高めてきたわけではなかろうなと思ってしまったが別にお喋りの特訓をしていないし、ごく普通な大学生生活を送っていると思う。あるいは何らかの理由も無いかも知れない。とにかく現在は日本人の知人の数が最も多い時期なのである。

 私はサークルメンバーである一人の女の子に惚れている。東京出身で、目見よい顔貌の持ち主であるどころか発音の綺麗な標準語で喋っている。地方の知り合いが時々方言で喋ってくるのだが全く意味不明の言葉ばっかりである。だからこのこの女の子に告白して恋人にするつもりである。今の僕ならそれは難しい事ではないはずである。主人公になれる。

「僕は君に初めて会った時から一目惚れだったのだ。僕と付き合ってください」

「………ごめんなさい。嬉しいですがあなたにはお付き合いできません。友達でいましょう」

 そのポーズの意味は何であろう。理由を訊いても彼女は曖昧な返事しかてくれなかった。実に日本人らしいが、そんな気遣いは余計なお世話である。なぜ彼女が僕を振ったであろう。僕を好きではなかったか?嫌いだった?告白の発音は完璧だったはず。それとも僕は外国人であるため?僕はまだ日本人に成り切っていないため?そう言えば日本人の人間関係におけるツールボックスには「本音」と「建前」の使い分けがあった。つまり、彼女は僕に「建前」だけを言って「本音」を言わなかったに違いない。本当に嬉しいのか?彼女の「本音」は何であろう。僕達の関係は果たしてそんな薄いものだったのか。しかも敬語で断った。もう他人のようではないか。いや、この場合は赤の他人といった方が強調できる。そう、まるで赤の他人ではないか。薄情者である、彼女は。きっとそうに決まっている。というか、「本音」を表すことが滅多にない日本人こそ薄情者に見えてくる。卑怯者である。盾を前にするように、「建前」に頼り、円滑な人間関係を築くなんということは、卑怯者のマネである。素直でいることがとがめられ、本性を隠しつつ人と接するのが王道。結局誰も嘘吐きになってしまう。彼女は、所詮それだけである。僕は偽りを嫌う人間であり、自分の信条に忠実である。故にもう、惚れる理由は無い。好きではなくなった。

 これから僕は何の為に日本語の勉強を進めようか。


【?】


「はじめまして。私はナムです。ベトナムから来ました。日本語を勉強しています。どーぞよろしくお願いします」

 私は立派な自己紹介の見本を生徒共に見せた。パータンがあって非常に簡単な自己紹介であるが、彼等の能力程度では難しかろう。だから、私のような日本語を使いこなせている師範が傍らに居て指導してあげなければ彼らは悩んで悶えて苦しんで仕方なかろう。彼等はかつての自分の如く、日本という国家へ憧憬を抱いている。また同じくポップカルチャーの亡者であり、流行のマンガ、アニメや実写映画を鑑賞し魅了され、それらの中で描写される日本社会の形姿を母国の現状と比較しながら、素敵な先進国情緒を背景に、夢を追いかける自分の姿を頭に浮かべている。そうに相違ない。一目瞭然。なぜかと云うと、彼等は実際にあそこに往った事無い故に、日本を全く誤解しているからである。日本は、素晴らしく何て無い。マスメディアは偽りばかり、日本人自身も偽りしか無い。誤った文化表象である。日本で異人として暮らすことが窮屈であり、非常識であるわけだ。肝を舐めてそれを知った私は、こうして日本人知人と悉く縁を切って日本を去り立ち、現在日本語の学校を経営するわけであった。同じく彼等もきっと日本を嫌になる日が来るであろう。もう一つ大事な事を述べよう。我々にとっては日本人がalienである同様、日本人にとっても我々がalienである。それは永劫変える事が出来まい真理である。真理だからこそ、たとえ我々はペラペラお喋りできようとも、スラスラ仮名漢字を綴れようとも、心が繋がる事あるまい。言語の壁なんと云う者は虚構である。在るのは渡りようのない千里溝渠のみである。日本人又は彼等の社会は異な人間を拒むものである。拒み続けて来たのである。変わりつつあるとの事だが騙されまい。それは「建前」に過ぎない欺瞞である。

 日本語教育と云えば、それさえ嘘臭い。知る人少なかろうが外国人に教える日本語は、国語ではない。簡略された物に過ぎない。勉強熱心かつ無邪気な学習者に本来の日本語ではない捻くれた形を吹き込んでいるという事だ。そして学習者共は間違った知識を持ったまま、留学とか研修とかへ赴くのである。やはりこれでは駄目であると信じ切ったものの、外国人の分際でシステムを革めるに無理がある。主張を貫く術はない。教室を開いて自己流の指導方法で自己満足するのみである。

 然し、近頃漸く名案を思い付いたのである。それは小説執筆だ。芥川、夏目、三島、太宰と云った明治時代の文豪達は、初めは自殺を択んだ人が多かったなと不思議がったが、読んでみるとなるほど。彼等はフィクションを著す事によって自己を巧妙かつ婉曲的に表現する事が出来よう。ならば日本語の達者である私にも、出来よう。小説を、書くとしよう。そうすれば、やっと日本人以上、日本語が上手に成れよう。


(別府市、二〇一八年八月)


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