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#5

2017年、太平洋

北緯11度22.3分、東経142度35.5分

 am9:57


 ゴウンという音と共に探査挺が前方へと大きく傾き、チャールズは危うくシートから落ちそうになるのを手すりに掴まって何とかこらえた。突然の衝撃にドクが握っていた操縦桿を倒して、ドルフィン号が更に斜めに傾く。ドクが声を上げ、慌てて体勢を立て直そうとする。直ぐ横で痛みとも恐怖とも取れる悲鳴が上がり、タカハシの体が前に投げ出された。ベルトに固定した安全帯のために腰を吊られシートにぶら下がる。

 ギギィィーー

 船底を擦るような2度目の衝撃。ハッとして顔を上げると、窓枠の向こうに黒く巨大な生物の姿がドルフィン号のライトに照らされ浮かび上がった。深淵の、暗く冷たいトワイライトゾーンに突如として現れたそれは、とてつもなく太くて長い海蛇のようにも見えた。胴体の側面には無数の青白い光を放つ眼のようなものを備え、それらがゆっくりと明滅しながら、息を飲む間に深海の闇の中へと消えていった。

「今の見たかい」

 揺れが多少収まった後にチャールズが2人に声をかける。

 ドクが悪態をつきながら応えた。

「そんな余裕はない。いったい何だってんだ!?」

「何か、巨大な生き物みたいに見えたな。一瞬だったので良くは分からなかったが」

 口を開いたタカハシの呼吸はまだ乱れていて、声も掠れていた。

「深海生物の巨大化については色々と仮説があるけど……この深さで、しかも、探査挺を動かせるほど巨大な生物がいるなんて……たったいま遭遇したばかりだってのに、まったく信じられないよ」

 緊張感から解放されるとチャールズは興奮を隠しきれずに捲し立てる。

「コックピットの気圧は大丈夫みたいだ。酸素タンクの漏れも無いが、左舷下方のライトが切れたようだ」

 独り忙しく計器やパネルをチェックしていたドクが肩越しに声をかけた。

「チャールズ、ロボットアームが動くか試してくれ」

 コントローラを手に取り、アームの先についたカメラの映像をモニターでチェックする。カメラアーム、フィンガーアーム共に問題なく動くのを確認した。どうやら左舷ライト以外の故障は無さそうだ。

「航行には問題ないが……どうする。」

 ドクが後ろの2人を振り向いて訊いた。

「勿論、調査を続けるよ」

 チャールズは答えた。タカハシは何も言わず、肯定とも否定ともとれる仕草で小さく首を振った。

「もしかしたら、光を餌だと勘違いして襲って来たのかも知れない。ライトを白色灯から赤色灯に変えてみよう」

 チャールズがそう提案して、操作パネルに手を伸ばした。ドルフィン号の船体に装備したライトが明るい白色から淡い赤色の光に変わる。視認出来る距離は大分短くなったが、これで未知の深海生物を刺激することはなくなったと思いたい。

 ドクは安定を取り戻したドルフィン号を操り、再び最深部へと向けて進めた。


「なんだあれは」

 ドクが呟く。

 ドルフィン号の赤いライトに照らされた海底に幾数もの奇妙な物体が現れた。その物体は円錐形を逆さにした形で、円錐の頂点を海底に、巨大な底辺が上を向いて海中に大きな丸い口を開けている。

 ライトにぼんやりと照らし出された謎の円錐形の物体は緩やかに湾曲していて、表面はざらついた鱗の様なもので覆われており、それらが螺旋を画いている様は巨大な角笛のようにも見える。

「もっと近付いてみてくれ」

 チャールズが前に身を乗り出しながら言った。ドクが慎重に操縦桿を操る。ドルフィン号は最も近い物体のひとつへとゆっくりと近付いて行く。

 近付いてみると巨大さがわかる。底辺から天辺まで4メートルから5メートルほどもあるだろうか。天辺の円形の穴の大きさは直径が約7、8メートルか、或いはもっとあるかも知れない。その円形の縁の部分には細い触手の様なものがびっしりと生えていた。

「イソギンチャクか何かだろうか」タカハシが独り言の様に呟いた。

「ロボットアームを伸ばしてみよう」

 チャールズがモニターをみつめながら手元のコントローラを慎重に操作する。船首下方にある2本のロボットアームが伸び、左手のカメラを備えたアームがドルフィン号と謎の物体との間で止まった。右手のアームはそのまま伸びて円錐形の表面に触れる。チャールズは物体を傷つけないようにとフィンガーアームの先端を開き、物体の表面を覆う鱗状のものに触れた。

「堅いな」

「かたい?」

「ああ。イソギンチャクと言うよりは、同じ刺胞動物のサンゴか何かかも知れない」

「でも、サンゴだとすると、太陽光の届かない、こんな場所でどうやって養分を採っているんだ」タカハシが訊いた。

「サンゴの中には太陽光からの光合成を必要としない種がいるんですよ。見たところ全体の形状はイソギンチャクの先端にある触手の様にも見えますが、体表が硬質でもあるので、非造礁性サンゴの仲間かも知れませんね」

 チャールズが振り向き答える。

「非造礁性サンゴ?」

「ええ。先ほど説明した、太陽光を必要としない種です。水深200メートルから1000メートル未満の深海に生息するのですが……これ程深い所にいるのは聞いたことがないな」

「その非なんたらとか言うサンゴは、どうやってこんな深海で養分を得ているんだい」

「すみません。僕もサンゴの事はそんなに詳しくないんです」

 チャールズは小さく左右に頭を振って申し訳なさそうに苦笑した。

「そうか。でもまあ、イソギンチャクの様に他の魚類などを捕食しているのかも知れないね」

「どうでしょう。水深200メートルほどの深さなら餌となる生物も多いでしょうから、それも考えられますが、水深10000メートルの、この深さでは難しい気もしますね。だとしたら何か餌を誘き寄せる方法があるのかも知れません」

「それか、他の生物と共生してるとか」

 暫く黙っていたドクがそう言って口を挟んだ。

「……この先にもまだ在るみたいだぞ。少し周囲を見てみよう」

 ドクが探査挺を進める。直ぐにフロントの窓に一際大きな円錐形の物体が現れた。

「でかいな。10メートル以上あるんじゃないか」

「もっと寄れるかい?」

 ドクが首を振る。

「他のが邪魔して駄目だ。少し浮上して、上から見てみよう」

 そう言ってドクが操作パネルを触った。探査挺の後部、排出口から徐々にバラスト水を排出する。それと同時にドルフィン号が海底から少しずつ浮上しだした。


 7、8メートルは上がっただろうか。それでもまだ上が見えない。

 更に5メートルほど浮上すると、漸く上部が見えてきた。巨大な開口部はドルフィン号がすっぽりと納まるほどであろうか。

「ライトを開口部の方へ向けてくれ」

 カメラアームからの映像がモニターに映し出された。ライトに照らされた開口部の中は、ひだの様な突起物が内側にびっしりと生えていた。奥は深く底までは見えない。

「凄いな」

 操縦桿を握るドクが呟く。

 隣でタカハシが小さく身震いした。

「ああ……」

 チャールズも、この深海の巨大な造形物を前にして畏敬の念を禁じ得ない。

「こんな巨大な物が幾つも……よもや人工物なんて事はないだろうね」

「それはさすがに無いでしょう」

 冗談にしては笑えないが。チャールズが隣に視線を向けるとタカハシの真剣な表情が見て取れた。どうやら冗談と言うわけでは無さそうだ。

「深海生物巨大症の仮説の1つとして、他の深海生物に捕食されない為ではないかとの考えがあります」

「となると、これを食べようとする、もっと大きなやつが居るかも知れないって事か」

「案外、さっきのヤツがそうかも知れないな」

 タカハシの言葉を受けてドクが答えた。

「あの先端部も良く見てみたい。もう少し寄せれるかい?」

「オーケー」

「ロボットアームを伸ばしてみる」

 ドクがドルフィン号を開口部付近に寄せると、チャールズは再びコントローラを操作し、物体の開口部の縁に等間隔に付いている触手状のものに向かってロボットアームを伸ばした。

 触手にロボットアームが触れた瞬間、謎の物体が膨らみ、身をくねらせるようにして動き出した。開口部が更に大きく開いてドルフィン号を飲み込む。触手が絡み付き、ドルフィン号を締め付けながら奥へと押込み始めた。探査挺の船体が強い圧力により悲鳴を上げる。金属がひしゃげ擦れる耳障りな音がコックピットの中に響いた。

「うわぁああ!」

「何だ、どうしたんだ!?」

「分からない!飲み込まれた!」

 ランプが明滅する。窓にひだが押し付けられた。ガラスを引っ掻く甲高い音。

「何とかならないのか!」

「早く逃げよう!」

「駄目だ、レバーが動かない」

「故障ランプが点いている。酸素が漏れてるぞ!」

「このままじゃ不味い!ドク、バラストを投下してみてくれ」

 異常を知らせるブザーの音が怒鳴り声と悲鳴に掻き消される。

「くそっ!」

「何とかしてくれ!助けて……」

「こっちはロボットアームを使……押し出せるか……てみ……」

「駄目……中に押し込まれ……」

「……!」

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