#1.5
2015年、6月
「こっちです」
「随分と作業者が多いんだね。手作りだと言うから、もっと少人数のこじんまりしたものかと思っていたよ」
「各パーツにそれぞれ専門の技術者がいますからね。これでも少ない方なんですよ。グーグルや日本の三菱なんかの企業がバックにいる所なんかはこの何倍もあるでしょう。あ、そこ、頭に気を付けて」
乱立する機材や資材の山を避けながら、案内をする研究員の背中を追いかけてビジネススーツを着こなしたアジア系の男が2人、作業場へとやって来た。
「我らが秘密のアジトへ、ようこそ。Mr.タカハシ」
来客の気配に振り返ったドクがそう声を掛けて右手を差し出す。2人の内の一人、短い髪をオールバックにまとめた背の低い方の男がそれに応えた。
「後ろの方は?」
「ああ、うちの会社の顧問弁護士だ。簡単な物だが、後で幾つか書類にサインを 貰いたくてね」
「分かりました。ああ、そうだ。チャールズ!」
技術者と一緒に船首にあるアームの動作をチェックしていたチャールズがドクの呼ぶ声に振り返る。
「来てくれ」
チャールズがその場にいる技術者と言葉を交わし、やがて皆の元へとやって来た。
「チャールズ、こちらがこのプロジェクトの出資を引き受けて下さったMr.タカハシだ」
「ああ、ドナルドから話は伺ってます。チャールズ・マッコイです」
2人は握手を交わした。
「何でも海洋学の専門家だって? 彼から聞いてるよ」
「正確に言うと僕が専門にしているのは海洋生物です」
「興味あるな。私の顧問弁護士と君の友人が書類と格闘している間に話を聞かせてもらえるかね」
「ええ、喜んで」
チャールズは弁護士から差し出された書類とにらめっこしているドクの肩を叩くと、タカハシを手招きして探査機の方へと向かった。
「お仕事は金融業とか」
「ああ。サンフランシスコでね」
「お住まいは日本?」
「いや。生活拠点はこっちだよ。でも、日本には両親や学生時代からの友人がいるし、仕事以外でも行ったり来たりしているな」
タカハシがチャールズたちの研究について知りたいと言うので、簡単に説明することにした。
「海はよく宇宙に例えられます。1970年代に人類は初めて月面に着陸しましたが、広大な宇宙空間と同様に、地球上にある海の凡そ90パーセント以上が、人類にとって未だに未知の海域なんですよ」
「ほう」
「一昔前なら伝説や噂に過ぎなかった生き物、例えばシーラカンスやリュウグウノツカイなどでもせいぜい水深200メートルから500メートルで生息しているもので、平均して4000メートルとも言われている世界の海の深さからいえば表層の、ほんの1割程度でしかないんです」
2人は足を止め、建造中の探査機を見上げた。
「深海にはまだまだ私たちの知らない世界がある。そこに生きる未知の生物に出逢えるチャンスも」
「……この潜水艇は骨組みが剥き出しだが、完成には程遠いのかな?」
「いえ、あらかた完成していますよ。何度か潜ってもいます。今は浮力材を新しい物に入れ換えている所です」
「あの、ウィンチで吊ってる板の様な物は?」
「バラストですね。探査機が海中に沈む為の重りですよ。あれによって探査機を海底に向けて進めていくわけです」
「随分重そうだが……あんな重りを乗せたら、帰りはどうするんだい? 浮かび上がれないんじゃないのかな」
「ああ、それは大丈夫です。探査が終了したらバラストを海中に投棄して戻るんです」
「なるほど。使い捨てなわけか」
「そういうことになりますね。ですが、使い捨てといっても、あのバラストにはミリ単位の正確さと重量が求められるんですよ」
「棄ててしまうのにかい?」
「ええ。サイズに狂いがあると、投棄の際に船体の何処かに引っ掛かってしまうこともありますし、また充分な重量がないと進水速度にも影響しますから」
「上手く投棄出来ないと帰れなくなるということか」
「そうならない為にもバラストの調整は重要なんです。探査機には他にも左右にタンクがあって、そこから海水を吸水したり排出したりして、水中での細かい動きを調節出来るようになってます」
「あの円いのは?」
「あれがコックピットです。チタン合金で出来ていて、かなりの水圧に耐えれる設計になっています。時間があれば中もお見せしますよ」
「チャールズ!」
呼ぶ声に振り向くと、いつの間にか事務所へと移動していたドクが頭の上で手招きしている。
チャールズは説明を中断してタカハシと共に事務所へと向かった。