親友と呼ぶ、その日まで
旧姓は井上 ゆき。
今は、朝霧家に引き取られて名字を朝霧と名乗っている。
学校でよく姉妹なのに顔が似てないねって質問をされるから、その時は裕二の用意した事に習い、遠縁の朝霧で両親は既に他界しここに引っ越ししてきたと説明する。そしたら気を使ったように違う質問が次々と来るのだ。
何処から来たのか、この街は何もないよね?、と転校生として小学校に来ていたゆきの周りには同い年の1年生の子達が集まる。
そして、高校に上がるまでの間、人の噂なのか何処から漏れたのかは分からないが、ゆきの両親は既に事故で亡くなっている。だから両親についての質問はしないように、と一体誰がそんな事を言いふらしたのかは分からないが、ゆきからしたら感謝しかないのでその事に関して怒ると言う事はない。
だって、朝霧家の人達は本当に親切だ。つい甘えてしまう、自分にも訪れるであろう家族との思い出、絆。
他人の自分を、本当の娘みたいに扱ってくれる。
それがゆきにとっては嬉しくて、申し訳なくて……何か出来る事、と考えるも幼いゆくにはまだ色々と早い。しかし時が経てばそんな悩みは吹っ飛ぶものだ。
「よし、今日も上手くいった」
幼いゆきはまず朝起きから慣れる事にした。
陰陽師家の者は幼い麗奈も含めて皆早起きだ。夜中に怨霊退治をしているのにだ。始めは起きれなかったが、慣れてくれば目を覚まし、自分を保護してくれた由香里からは褒められ、麗奈には大喜びして一緒にはしゃいだくらいだ。
そんなささやかな、何でもない日常。
それがゆきにとっては憧れで、自分が生き残ったのには何かしらの意味があるのだと思った。
毎朝、5時には起床し麗奈達の朝食、自分達のお弁当を用意していたゆき。髪を軽く結び、黄色いエプロンをして料理をする様は慣れたものだ。
「おはよう、ゆきちゃん。毎朝すまないね」
いつも30分後に来る誠一が挨拶をしながら、後から来る武彦の為にと緑茶を用意する。
「おはようございます、誠一さん」
ニコリと笑顔で答えれば、誠一は困ったような表情をし「もう、12年も経つね」と独り言のような声量で言う。ゆきはそれを聞き、一瞬だけ瞳を伏せもうそんなに……と実感する。
「……ゆきちゃんには感謝してるよ。娘の事もそうだし、色々とね」
母親の由香里が亡くなってから朝霧家も揉め事が多くあった。幼い麗奈の教育を土御門家に一任するかなど、協会からも土御門家からもしつこい位に問い合わせがあった。
それらは、夫の誠一が全て断り自分達で行うと言い続けた。
ゆきも麗奈も、その辺の事情は知らない。
彼女達はワザとこの話題から外したのだから。だから、誠一の中では2人に対しての罪悪感がある故か、幼い頃に甘えてきた麗奈との接し方が分からなくなっていた。
「私は好きでやってます。それに誠一さん達が今日も揃っているのが嬉しい事ですから」
そう言ってネックレス代わりのお守りを固く握る。
まだあの時の自分は生きている実感がなくて、言われるまま朝霧家に行った時の事。
もうあれから12年も経っているのだと改めて実感をした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ー12年前ー
「はい、ゆきちゃん。ココアだよ」
「………」
子供用のコップに入った甘い香りの飲み物。好きなはずだったのに、今飲んでも味が分からない。でも出してくれたからと言う申し訳でゆっくり飲んでやり過ごす。
そんなゆきの様子に由香里とまだ14歳の裕二は、互いに顔を見合わせそっと目を伏せた。
「わああっ、きゅーびー、くすぐったいよー」
《先にイタズラしたのはそっちだからな!!!》
何かがゴロゴロと転がり、壁にぶつかる音。
その音にビクリとなるゆきは、恐る恐る視線を音がした方へと視線を向ける。そこには赤毛の狐が壁にぶつけたと思われる少女を器用にさすったり、撫でられていた。普通と違うのは9本もある尾を使って、だが。
《わりー、平気か?》
「ん!! きゅーびーにもイタズラしたから」
《おあいこ、な。主人に怒られっかなぁ》
視線を感じ同時に寒気を感じた。
母親の由香里が笑顔でありながら、明らかに雰囲気からは怒りを感じ取ったからだ。ビクリと体と尾を震わす九尾に、麗奈は気付かずに「どうしたの?」と首を傾げて聞いてくる。
コテン、コテン、と首を傾ける姿はとても可愛らしく年相応だ。本当なら可愛いと言いながら、撫で繰り回すのが九尾だ。しかし、母親の視線に晒されながらとなると話は別だ。
確かに1度死んでるが……生きた心地がしねぇーよ、と心の内に秘めながら麗奈の質問にどう答えようかと考えていると──
「見付けたぞ、九尾!!!」
《うがっ》
スパーン、とハリセンガ九尾に直撃しあまりの痛さにのたうち回る。九尾の背に乗っている麗奈を抱えた誠一は満足げな表情で、由香里は口には出さなくとも嬉しそうに頷いている。なので同じ気持ちだった、と分かり裕二は静かに溜め息を吐いた。
「……」
一方のゆきは今のやり取りを見ても分からないと言う疑問が占めていた。
彼等は何と話している
それが感じた疑問で不可思議なものに、反応を示すまいと心を閉じる。反応したら最後で自分も両親のように、互いに誰か分からず刺されるのだと思い無関心を貫く。
「ねぇ、おなまえは?」
「……」
「なーまーえー!!!」
「……」
「おーしーえーてー!!!」
何かが隣で訴えかけている。
体を揺さぶられているが無視をする。
「んーー、むししないでーー!!!」
目線が自分の事を睨む同い年位の女の子に向けられた。頬をぷくーっと脹らまし、顔がパンパンの女の子。
綺麗な黒い髪、吸い込まれそうな綺麗な黒目。キラキラした目で見られ答えに困り視線を逸らす。しかし、逸らしたら追ってくる。麗奈は話が聞きたいからしつこくし、ゆきの方は話し掛けないでと言う気持ちで逃れようと逸れ続ける。
「………ゆき」
約5分位に続け根を上げたのはゆきの方。名前を聞けた事が嬉しくてギュッと抱き締められ「ありがとう、れいなです!!!」と、元気良く返した。
「……」
『嬢ちゃん、時間だから行くぞー』
「ん!!」
頷き何処かへと行くつもりなのか身支度をする。既に夜の時間帯なのに、何を、どうして行くのかと疑問が出てくる。
「じゃ、行ってくる。夜中になる前には戻る」
「気を付けてね」
行って来る、と微笑みかけ最後にゆきにも「行って来るね」と声を掛けてくれる。無反応で返すのは悪いと思うが、それが自分に向けられると分かるまでに時間が掛かり気付いた時には既に誠一の姿はなく慌てる。
思わず裕二と隣に座った由佳里の顔色を窺うようにし、段々と青ざめて「ごめん、なさい……」と謝ればポンポンと頭を撫でられる。見上げれば優しい、菩薩の様な笑顔。それが怒っていないと分かり、段々と視界が見えなくなる。
「っ、うぅ………」
自分の両親は亡くなった。
あんなに自分に優しかったのに、なのに……何故か自分の事を憎む様な視線に合い、首を絞められ思わず苦しいと訴えた。いつも優しく微笑みかけてくれるのに、それが一切ない冷たい瞳に初めて怖いと思った。
首を絞めてきたのは父親だ。いつもニコニコとなんにでも笑顔で対応し、怒った所がないとさえ思う程に温厚な父親。いつも肩車をしてくれる優しい手は今は娘に手を掛けている。
――あんなに、やさしいのに……何で? 何で?
分からないのに怖い恐怖感。疑問が占めるのに、目の前には自分を憎む確かな眼と証明するように力を込められる両手。隣を見れば母親は倒れておりピクリとも動かない。母親も動かないのかと思ったその時、フラフラとなりながらもゆっくり立ち上がる母親にゆきは助けを求めた。
「お、かあ、さん……!!!」
声に反応するように母親は娘に視線を合わせる様にしゃがむ。しかし、そこでゆきは絶望に陥る。
「っ……!!!」
ガン、と頭を強く打ち付けられる。いや、打ち付けられた。
母親に何度も何度も。父親は未だに首を絞める力を緩みはしないが、気絶するかしないかギリギリの所で加減をしている。母親を見て、父親と同じように憎しみに満ちた瞳で睨み付けられている。
――しぬ……? しんじゃう?
自分の確かな死を感じ取ってしまった。
両親が自分を。何で憎いと感じ取れるのか……それは両親の後ろに居る変な黒い影の所為なのか。
もう、意識が保てない。
我慢、しなくて……良いんだ。
痛みも苦しみも、両親から向けられる視線からも逃げたくて意識を手放した。それと同時に由佳里達が踏み込んだのは同時だった。
≪居たぜ、主人!!≫
「由佳里、あの子を頼む。裕二、お前は結界の維持を続けろ。外には漏らすな」
「は、はい……!!!」
「任せて誠一さん!!!」
怨霊は人に憑依する。自分達が直接手が下せないから、その代わりに器に慣れる者を無差別に選び乗っ取り周りを巻き込む。
それが表になって現れるのは、集団自殺や一家心中といった形で出て来る。実際にそうなっているのも含み、全てが怨霊の仕業と言うには偏見が含むかもしれないが、怨霊が居るだけで悪影響を与えるのは事実でもある為に一概に言えない。
ゆきが目を覚ました時には全てが終わっていた。
一家心中に似た状況で由佳里達はたまたまその場に居合わせ幼いゆきを保護したと言い、警察の介入や周りの目の事もあるがあとは陰陽師協会が上手く手を回したからかそれ以上は深くは追及もされずに終えた。
呆然と自分の身に起きた事が分からなくて、一先ずはと居合わせた由佳里達の家で一時的に引き取り今に至る。
「泣いて良いんだよ、ゆきちゃん」
優しく抱擁する由佳里は、慈愛に満ちた目でとても儚い。でも、もう自分の両親が居ない事、1人になったと理解して思い切り泣いた。
「うあっ、うああああっ………うわーーーーーん!!!!!」
泣きじゃくり、力一杯に由佳里を抱きしめ返した。頭を押し付け自分に溜まっていた感情を、思いを、全てをぶつける様にして泣き叫んだ。裕二は思わずもらい泣きしているのか、ずずっ、と鼻をすすり嗚咽を漏らしている。
「もぅ、裕二。貴方、男の子だよ? それだと麗奈を任せられないじゃない」
「っ、ずみ、ません……」
「ほら、この甘えん坊め」
幼いゆきが泣き叫ぶ中、裕二も背中越しで泣く声を抑える。
彼は感化されやすい。それがいつか怨霊に狙われる要因になるのもいずれは知るだろうけど、でも今の彼は優しすぎるのが欠点でもある。いつか、大きくなって娘の麗奈を任せられる日が来るのかと思い悩むのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「………あの、由佳里さん」
甘えて泣いてしまった事にショックを覚えながも、由佳里だけが知る事ならと我慢した裕二は心配そうに彼女を見る。既に時計は午前12時の夜中になり寒さが体に突き刺さる11月。
しかし、由佳里は分かっていると言うように視線で訴えるも、家の玄関から一歩も動かなくなったゆきの事を見ている。
「あの、あの子……寝れなくなったのなら子守歌で寝かせる、とかしないのですか?」
「って、言ってもね……動かないもの。代わりに私が作った式神でクッション代わりにしてるけど寝る気配すらないもの。このまま見守るわ」
家の中とは言え結界で覆っているのは防音仕様のみであり、寒さを和らげたりする効果はない。泣き疲れたのは少し寝ていたゆきは、寝ぼけたままでも由佳里とお風呂に入り裕二はその間に服を探していた。
ゆきと麗奈は同い年なので服の好みは分かれる可能性があるが、可愛いデザインのものは全て麗奈に却下され放り出されているので、ゆきに着せれる物は自然とそういったデザインのものが多かった。
(麗奈ちゃん、何で女の子らしい物を嫌うのかな。……単色系のものばっかりで、大体が赤系だし)
小学校に入学するまでに時間はまだあり、幼稚園の時期は終わりを告げていないが休みの大半を九尾と過ごしている影響なのか彼の毛色の服ばかりを好む。やっと認めてくれたのは星型のデザインのものくらいで、それ以外のフリルのついた服や動物の絵は全て裕二に投げ付けて「いーやーだー!!!」と拒否をされている。
「………」
ゆきが着ているのは淡い水色の下地のパジャマ、可愛らしい人形の絵がプリントされたものを着ている。そして、由佳里が作った式神を固くぎゅっと人形代わりに握りしめ玄関先からピクリと動かなくなったのだ。
何度も部屋で寝る様にと言ったが、彼女は頑なに首を振り「まつ……」と確かな拒絶を占めした。困ったように由佳里に視線を向ける裕二に、彼女は自分達も誠一が帰るまでは寝ない気でいるので一緒に待つ形となったのだ。
「んーーー、さむい!!!」
≪おーし、俺が温めてるぞ!!!≫
ガラガラと大きな音を立て開き戸が開かれる。帰って来た麗奈は相変わらず九尾と一緒にじゃれている。それを「変わらないな……」と呆れ半分、いつもの光景に苦笑する裕二に由佳里は誠一に向けておかえりなさいと言って、寒いであろう手を温めている。
「どうだった?」
「あぁ。……あの辺一帯の怨霊は全部退治してきた。麗奈も幾つか退治したからいずれ1人で行かせられるだろうな」
「まぁ……ホント?」
「裕二よりも強いかもな」
ニヤリ、と意地の悪い顔をする誠一に裕二はむっとなり頬を膨らませる。麗奈は九尾に抱き着かれており頭が少しフラッとなるとボフッと目の前が暗くなる。
何だろう? フニフニする。
式神を作った時にはクッションの様な肌触りがあり、弾力性は柔らかい。たまに式神と寝る時があり、枕代わりにすると最高だと九尾から聞いてから実行していたら怒られるようになった。
その感触に似ていると、ぷはっと息を吐けば目の前でパタパタと手を振る式神と目線が合いやがてそれを抱きしめているゆきとも視線が合う。
「どう、したの?」
「……」
戸惑いながらも聞いてくる麗奈にゆきは答えない。
由佳里から少しだけ聞いた。両親の異変は目に見えない存在である事で、自分達はそれらを退治している者だと。そして、驚いた事に麗奈はそれを行う為に教育し夜中に出かけている事。
九尾に守られながら目に見えない異形と戦っており、彼女はそれをこなす為に日夜問わず勉強し、修行をし一人前になる為に必死で頑張っている事。自分の様な者を出さない為に訓練している。
「………」
ゆきには半分も理解していない。
父親の霊感が強い事。自分が見てしまったのが怨霊の類であると知るのはもっと後の事であるが、それよりも……自分と同い年なのに、あんな怖い目に合うのかと心配になった。
お礼を言った笑顔が忘れられない。
無視を決め込んだ自分を振り向かせる為に必死で動いた事。
「だい、じょうぶ……?」
両親を亡くなってすぐなのに、自分を気に掛けた女の子が気になったのだ。そして泣きそうだった。自分と関わったらこの子にも危険が及んでしまうのでは、と不吉な事を思った。
「へーき!!!」
笑顔でそう言いぎゅっ、ぎゅっと抱きしめられる。頭をグリグリとされてからエッヘンと胸を張り「きゅーびー、つよい」と言えば≪バッ、照れんじゃねーか!!!≫と尾が嬉しそうに振り頭を抱え悶える九尾。
そうしたら麗奈から黒い勾玉を渡されてキョトンとなる。
「おまもり!!! わるいもの、よせつけないよ!!!」
九尾はゆきに姿を認識できるようにと調整しており、その様子を悶えながらもチラリと見る。そして彼は見た。今まで無表情を貫いていたゆきに変化があったことを。
少しだけ、ほんの少しだけ笑ったような表情。
≪(やっぱり嬢ちゃんは敵わないなぁ~)≫
それは自分にも経験があり、思わずニヤリとなった。
自分が悪夢にうなされていた時、彼女と一緒に寝るようになってから霧が晴れた様な穏やかな気持ちになれた事。
ゆきにも同様の事が起きていると分かり、麗奈と仲良くなってくれればいいなと思った。そして、それが確実にゆきの心に変化をもたらした。
朝霧の養子として手続きをし、一緒に住めるようになった事。あれから麗奈と行動を共にし離れないでいる事が多くなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「こらーーーーー!!!!」
麗奈の叫び声と共に壁が壊れる音が聞こえ、九尾の≪うぎゃあああっ≫とワザとらしい声を上げ響く。誠一はこめかみに青筋を立て、ゆきはクスリと笑いを堪える事に必死だった。
(また麗奈ちゃん覗かれたんだね)
九尾から聞いている。
彼は麗奈の事が好きであり、幼い事からずっと傍に居続けていた事から毎朝好意を全面的に押し出してくる。行き過ぎで毎朝覗きをしてる訳なのだが……。
「ふふっ、麗奈ちゃんも大変だ」
そしてそれは自分にも言えている事なのだ。
九尾は麗奈が好きであり、自分も麗奈を大事に思い身を案じている。出来るなら自分が代わりたいし、誰かを守る為に自分の身を犠牲にするのも躊躇しない麗奈。
心配であり何も出来ない自分は帰りを待つのが仕事となり、それが務めだと言うのが分かる。が、しかしと彼女は思った。
叶うなら、麗奈の隣に立ちたい。共に戦いたい、と。
それがそう遠くない未来、ゆきは決断をしていくことになる。
こことは違う世界へと導かれ、その世界で暮らしていく事になろうとも思わず、魔法を扱う世界であるともこの時の彼女は知らない。
麗奈の新たな一面も、自分の新たな一面ものぞかせて来るなんて……この時は思わなかったのだ。