7
「リョウ君、リョウ君。」ライブを終え、楽屋で汗を拭きビールを呷っている所に、リョウも見たことのある音楽雑誌のライターが入って来た。
「ああ、何すか。」今日も不満の残る曲とライブであったと、頗る機嫌が悪いのである。
「DEAD AGAINのメンバーが、君に会いたいって。」
リョウの顔が固まった。それはつい二日前に来日ライブを見た、リョウの敬愛するバンドだったのである。
「え。」
「だから、今日DEAD AGAINのメンバー、と言ってもギターとボーカルだけだけど、観に来てたんだよ。知らなかった?」
「し、知らねえ。」
「いいから、ほら、こっち。来て貰える?」
リョウは信じられないとばかりに、それでも一応立ち上がった。ビールの呑み過ぎて足元がふらついた。
物販コーナーでは、先ほど一緒にライブをやったメンバーが直立不動で何やら金髪の長身の外国人二人と会話をしている。その相手は見紛うべくもない、一昨日ステージ上で観たばかりの、リョウの愛するあの面々である。リョウの脚は固まった。
ライターが親し気にその金髪の外国人に話しかけると、その一人は微笑みながら振り向いた。そして、リョウを見た。リョウは固まったまま、茫然と見つめ返した。DEAD AGAINのギタリストは笑いながらリョウの所へ歩いてくる。そのまま手を握り、肩を叩いた。英語で、最高だったよ、君のギターは素晴らしい。エモーショナルでテクニカルで。でも、まだ若いんだね、幾つ? 矢継ぎ早に言い掛けるのである。
リョウは「20。」となぜだか枯れた声で呟く。
――一昨日のステージを観ました。最高でした。あなたのギター程泣けるものはない。特に新譜の最後の曲、あれはメロディックデスメタルの歴史に残る一曲です。全ての感情が一気に胸中を覆い膨れ上がり、そして一言も出なかった。
「……僕は今日、とてもハッピーなんだ。君と出会えたから。リョウ、君のギターはこれからもっと、伸びる。音に世界が宿っている。こういう音を出せるギタリストは、実際ほとんどいないんだ。どんなにセールスのあるビッグバンドであってもね。でも、君の音には深淵なる世界が籠められていて、そしてそれはもったいないことに、未だほんの僅かしか表に出てきていない。これから幾つも曲を作り、それをステージで表現し続けていけば、その世界は出来上がっていく。君は神になれる。多くの人間をそこに引き入れ、救うことができる。そのためには正直、今のバンドではダメだ。君は引き摺られている。抑え込まれている。君が主体となる、君の世界を創り上げる、そういうバンドを創り上げないことには、君は今のままだ。厳しいことを言うようだが、わかるね?」
リョウは夢うつつのまま小さく肯いた。
「君の成長を楽しみにしている。また日本に来た時に見せてくれ。」
「……そう言い残して、DEAD AGAINのギタリストは帰国して行ったんだ。」
「良かったのねえ。」
「その日の内に、っつうか、その打ち上げの席でリョウはバンド辞めるっつって、あのリョウが、酒豪で知られたリョウが、酒一滴も飲まねえで家に帰った。それからだ。メンバー集めてLast Rebellionをスタートさせたのは。意味は、知ってるだろ?〝最後の革命〟あれって、リョウがこのバンドで最後にする、自分主体の人生を変えてみせる、っつう決意なんじゃねえのかなって思うよ。……つっても、本人に聞いた訳じゃねえから、わかんねえけどな。でもメンバーとして近くにいると、そうなんじゃねえのかって思うわ。」
ミリアには難しいことはわからなかったので、ただ小さく肯いてみせた。
「でな、Last Rebellionに俺が入って、アキが入って、そんでお前の前にギターが入って、リョウがガンガン曲作って、そんでレコーディングやって、ライブやってって、バンバン活動やり始めた矢先、DEAD AGAINのその人は死んじまったんだよ。」
「え。」ミリアはぱちりと目を見開いた。
「銃で撃たれて。アメリカでのライブが終わった後、イカれた客に撃たれた。他のメンバーも撃たれて重傷だったらしいが、その人だけがな、死んじまったんだ。撃ち所が悪かったんだろう。犯人はその場で自殺したから、何が目的だったんかはわからない。ただ、麻薬中毒だったとか、危ねえ思想にかぶれてたとか、そういう話はニュースでもやってた。でも、そんなこたあどうだっていいんだ。その人がいなくなっちまってから、リョウは一人ぼっちになっちまった。どう頑張って行ったらいいのか、目的を喪っちまった。」
ミリアは布団の中に顔を潜らせ、鼻を啜り上げた。
「実際、それからリョウは半年ぐれえ新曲持ってこなかったしな。まあ、スタジオでは平然とはしているが、内心はど偉ぇショックだったと思うよ。DEAD AGAINの話もできなかった。」
ミリアは再び啜り上げた。
「でもな、そんな時ミリアが来たんだよ。したらな、何かいつの間にか戻ってた。」
「どーして?」ミリアは布団の中からくぐもった声で尋ねた。
「さあな。でも、お前がリョウの丸ごと全部をすごい大好きかっこいーって言ったからじゃねえのか。」
ミリアはぐい、と布団から顔を出した。案の定泣き顔で。
「ミリアが言ったから?」
「そーだ。お前はリョウがギター弾いても、曲作っても、飯作っても、何してもかにしてもリョウすっごい、リョウすっごい、って言うだろう? で、リョウは段々そんで自信を取り戻し元に戻って来た。こいつを守ってやんなきゃマズいなっつう思いもあったろうな。バンバン凄ぇ曲も作るようになった。」
「だって、すっごいの。」
「そうなんだよ。実はな、そうやってちやほやしてくれる存在があいつには必要なんだよ。人間一人じゃあ生きていけねえっつうかんな。」
「シュンは? アキは?」
「俺らは、また、……なんつうか違うんだよなあ。俺らがちやほやしたって、あいつにしてみりゃあ気持ち悪ぃぐれえなもんだからな。」
「ミリア、リョウのこと褒めたげる。だってね、何だって知ってるんだもん。」
「そうかあ?」
「そうなの。だってミリアの名前のゆらい、だって知ってるんだから。リョウはミリアが産まれた時のことは知らないはずだよ? だってミリアがリョウのおうちに来るまで、ミリアがいるってこと、知らなかったはずだもん。だのに、ゆらい、教えてくれた。リョウ、一生懸命考えて教えてくれた。」
シュンは呆気にとられる。ミリアは知っていたのだ、リョウがそもそもミリアの名前の由来なんぞ知らなかったことを。
「お前、リョウが名前の由来知らねえってわかってて聞いたのか。」
「だってリョウはすっごいんだもん。何だって、知ってるんだもん。」ミリアは楽し気に言った。
その時である。聴き慣れたバイクの音と、それに次いでバタバタという忙しない足音が近づいて来たのは。ミリアとシュンは、にっと笑みを交わし合う。
「おいおい、ただいまー。ミリア大丈夫か。飛び降りてねえか。」
「大丈夫だ。ベッドから一歩も出てねえかんな。」
リョウは安堵したように大きなスーパーの袋を抱えたまま、ミリアの顔を覗き込んだ。
「そっか。……今日は旨いモン作ってやっかんな。鶏団子入れた粥だろ、それからプリンもな、こりゃスーパーの半額じゃねえぞ。駅前の旨いケーキ屋行ってな、買って来てやった。滅茶苦茶旨いぞ。それからビタミンが大事だかんな、蜜柑にリンゴ。リンゴはウサギでも何でも切ってやっから。……ああ、シュン、お前も食ってけよな。」
「リョウ、すっごいのね。」
「ああ?」
「お料理もできて、ギターも弾けて、曲も作れて、すっごいのね。」
「今更何言ってんだ。」憮然と告げる。
「うふふふ、だって、リョウ、すっごいんだもの。」
シュンは噴き出す。
「んなこと言ってくれんのは、ミリアだけだよ。ったく。」リョウが折れたように言い、シュンとミリアは同時に笑い出した。
「何だよ。」
「そうなのよう! ミリアだけなのよう!」ミリアは誇らしげに赤い顔を綻ばせた。