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 リョウは海沿いに心地よくバイクを走らせながら、しかし胸中には不安の暗雲が広がっていった。というよりも、疑念と言った方がいいかもしれない。

昨夜、レコーディングに向けて弦の張替えをしていた所にやって来て、「いいなあ、リョウは明日海に行くんだ。ミリアも行きたいなー。」なんて言っていて、「馬鹿だな。レコーディングに行くのに海なんざのんびり見てる暇はねえよ。こちとらメタラーだ。」と言ってはみたものの、夏にでもなったら水着の一枚でも買ってやって、海に連れて行ったらさぞかし喜ぶに相違ない、とリョウは内心ミリアを喜ばせ得る新たなアイディアにほくそ笑んだものだった。

その後も、いつものように台所で夕飯を拵えている自分の所にやってきて、

 「ねえねえ、宿題手伝って。」などと言って甘え、

 「何だよ、宿題ぐれえ自分でやれ。じゃねえと馬鹿になるぞ。」と脅すと少々しょげたようになり、

 「だって、だって、今日の宿題はミリア一人じゃあできないんだもの。リョウに教えて貰わなきゃあ。」などと言う。

さすがに気の毒になり、リョウは鶏肉を切る手を休め、ミリアの前にしゃがみ込む。

 「……どんな宿題だ、見せてみろ。」

 ミリアは恥ずかし気に身を捩って「見せるとか、ないの。」と言う。

「じゃあ、どんな宿題なんだよ。何だ、計算とか漢字じゃねえのか。」

「うん。そうゆうんじゃあないの。あのね、……『なまえのゆらい』なの。」

 「はあ?」

 「ねえ、ミリアって、どんな意味?」ミリアは恥ずかしそうに嬉しそうに一層身を捩って訊ねた。

 ――そんなこと、断じて知る訳がないのである。何せ自分が名付けた訳ではなければ、名付けた張本人とも縁はとうに切れている。何よりお前がここに来たのは六歳の頃だったではないか、と喉元まで出かかった言葉を慌てて押し込んだ。それまでは互いに存在さえ知らないでいたではないか、と。

 しかし、そう現実というものを突きつけていいものかどうか、リョウは暫し混乱する。そんなことを今更言語化してほしくないのは、ミリアを見ていればよく、わかる。だとしたら、自分の成すべきことは……?

 ごくり、と生唾を飲み込み見据えるミリアは相変わらず、何だか嬉しそうである。

 「あのねえ、美桜ちゃんはねえ、桜の綺麗な時に生まれたんだって。四月でねえ、ママが美桜ちゃん産む病院から見える桜がまんかいで、とってもきれいって思ったから、美桜ちゃんにしたんだって。」

 それは美しい話だ。名前の由来に相応しい。リョウは思わず感心する。

 待てよ、リョウは眉根を寄せる。ミリアも同じような、美しい出生の思い出を知りたいのだ。しかしそんなことは知るはずがないのである。誕生日以外、それがどういう日であったのかも、その時親という人間がどんな思いでいたのかも、何も知らない。名前を付けた人間も父親なら死んでいるし、母親ならどこにいるかも知れないが、そんなことは知ったことではない。それはミリアも十分にわかっているはずだ。だのに何で、俺に、聞くんだ! そう喉元で詰まっていた言葉が、ミリアのキラキラと期待に輝く瞳を見ている内に喉の奥にすうと引っ込んで行った。――何はともあれ、答を提示しなければならない。ミリアを悲しませては、いけない。それが絶対的な価値としてリョウの胸中に君臨したのである。

 「そ、そうだなあ。ミ、ミリアの『ミ』はなあ……。」そうして苦しく考え込む。ミリアは一層目を輝かせてリョウの顔を見つめる。

 ――美桜は美しい桜、か。

 「『ミ』はな、美しいって意味だ。」

 「美桜ちゃんと一緒!」

 「……そうだな。」

 待てよ、喜ばせたのはいいものの、そう言ったら「リ」と「ア」についても同じような答えを与え続けなければならない。リョウは必死になって頭を巡らせた。

 「じゃあ、『リ』は?」

 案の定来た。

――りんご、りす、りか、……これではまるでしりとりである。違う。もっと綺麗な何かを。ミオのオは桜。リの付く花は? リンドウ。リン?

 「リはな、あれだ。凛。凛としたの凛。」

 「りんとしたって、なあに?」

 「クールでかっけえってことだ。」

 「わあ! ミリア、かっけえの?」

「そ、そうだ。」

「じゃ、『ア』は?」ますます期待が高まっていく。でもこれで、最後だ。

 「あ? ああ。あ……。」あめんぼ、あめふらし、あめだま……。ああ、ダメだ。もう何も浮かばない。ああ、あいうえお。

リョウははっとなった。「あ。『あ』っつうのは、あいうえおのあだから、一番っつうことだ。」

 「きゃー! すっごい!」ミリアは頬を抑えて飛び跳ねる。

 「ええと、そうだな。だから、つまり全部合わせると……、美しくて凛として、ってことはクールでかっけえで、しかも一番っつう意味だ。ミリアは。」

 ミリアは目を真ん丸に広げたまま、わなわなと震え出す。

 「凄い……。ミリアって、凄い。」

 「そうなんだよ。お前は最高にいい名前持ってんだ。誰にも負けねえよ。」

 ミリアはうんうんと頷きながら、だまってテーブルに戻ると何やらノートに書き出した。今言ったことをメモしているのだろう、ととてつもない達成感と安堵の溜め息を吐きながらリョウは再び鶏肉の煮物に取り掛かる。

 それにしても、急遽のでっち上げだったにかかわらず、なかなか良い理由づけができた。とリョウは内心嬉しくてならない。いかにも、ありそうな理由ではないか。美しくて、クールで、猶更一番だなんて、これ以上ないではないか。

ミリアはミリアで、満足げにノートを見直し、にっこりと微笑んだ。

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