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今朝も早くから都内のスタジオでレコーディングである。全てが終了するまで残り三日。なかなか順調にここまで来た。リョウは自分の歌録りもギター録りも終え、本日はシュンのベースに聴き入っていた。既に五枚目となることに鑑みるまでもなく、シュンのベースは自分の理想そのものを体現していた。ほとんど感心しながら聞いていたその時である。腰ポケットの携帯が忙しなく鳴動したのは。
訝し気に画面を見ると、ミリアの小学校からである。慌てて部屋を出ると声を潜め、「もしもし」と発した。
「もしもし。黒崎ミリアさんのお兄様の携帯でしょうか。」
「はい、そうですが。」
「突然済みません。O小学校の養護教諭の田島と申します。実はミリアさんが先程の休み時間に頭が痛いと保健室にやって来て、熱を測りましたら38度2分もありまして。」
「38度?」
「はい。今保健室の方で氷嚢を当て寝せているのですが、できましたら早急にお迎えに来て頂いて、病院に連れて行って頂ければと思うのですが……。」
心臓がどくり、と蠢くのがわかった。「わ、わかりました。……にしても、今朝家出る時は何でもなさそうだったんですが。急に、何で、そんな。」
「ええ、ミリアさんも、今朝はしっかり朝ごはんも食べて、一時間目の体育も、外でお友達とドッヂボールまでやったと言っているんです。それで、急に熱が上がったとしますと、今、高学年のクラスで流行っている、インフルエンザかもしれません。」
「インフルエンザ?」
「ええ。あるクラスでは五人も罹患しておりまして。ですので是非、早急に病院に連れて行って、検査をして頂きたいと思います。」
「わかりました。すぐ、……」と言って考え込む。レコーディングの予定は、シュンのベース録りのみである。自分がいなくても大丈夫であろう。少なくとも今日は半日、こうして何の口出しもしていないのであるから。しかし海にも近いこの場所からバイクで小学校に向かうとすると……、「ここからだと一時間ぐらいかかるかもしれねえんで、それまですみませんが寝かせて置いて下さい。」と言った。
電話越しにもほっとしたように、「わかりました。では、お待ちしております。」と言って、切れた。
リョウはすぐさま自分同様シュンのベースに聴き入っていたアキの肩を引っ掴み、外に連れ出す。
「後は頼んだ。お前らに、全て、託す。」
「一体どうしたんだよ。」
「ミリアが熱だ。インフルエンザかもしんねえっつうから、今から学校行ってその後病院連れてく。」
「マジか。」
「おお、おお、マジの大マジだ。だから後は頼んだ。シュンの腕は信頼してる。好きに音ぶち込んどけっつっとけ。落ち着いたら連絡すっから。」
「わーかった。」アキはリョウの顔に浮かんだ、保護者としての責任感に笑い出したくなるのを堪えて肯く。「まあ、お前の方はもう終わってんだし、シュンだってもうあの調子でブイブイ、グイングイン弾いてんだから大丈夫だ。もうじき終わるだろう。とっととミリアん所行ってやれ。お前のこと待ってるだろうから。」
リョウはうむ、と一つ深刻そうに肯き、「頼んだ」と呟くと脱兎の如く走り去った。