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世紀末の帝國 第二次世界大戦後空軍概説

1.空軍独立

 空軍は大日本帝國国軍の中でも特に新しい軍種であり、昭和29年に陸軍航空隊と海軍航空隊の一部が合併する形で独立の空軍となった。しかし、それが達成されるまでひと悶着があった。

 空軍独立論自体は第二次世界大戦前より有り、戦間期に戦略爆撃論が勃興すると特に盛んになった。このような論は空軍独立の先駆者であるドイツの影響が強く、航空隊が他の兵科に対して独立色が強かった陸軍で特に強く主張されたが、その度に海軍によって潰された経緯がある。海軍が空軍独立に強く反対したのは、海軍航空隊が陸軍航空隊に比べ独立色が薄く、特に海軍軍縮期以降に陸上攻撃機が海軍艦隊作戦において重要な地位を占めるようになったからである。

 しかし第二次世界大戦を通じて戦略爆撃の威力が明らかになり、さらに核兵器の登場により核兵器の運用を担う戦略航空部隊の重要性が益々高まった。また第二次世界大戦中のソ連空軍に対する本土防空戦において陸海軍が分割していた事で混乱が生じたことから、本土防空の一元化が求められた。

 こうした背景から空軍独立論が再び盛んになったが、海軍は艦隊作戦における陸上航空隊の必要性から空軍の一元化、独立に反対した。空軍独立を巡る論争は平行線を辿り、政府・民間でも激しい議論が交わされた。

 しかし昭和20年代後半に入ると海軍は空軍独立支持へ傾くようになった。その理由は第一に艦隊作戦に必要な陸上航空隊を海軍に残すという陸軍との合意が出来つつあったこと。第二に支那内戦への介入を強めて余裕の無い陸軍に代わって海軍が核兵器開発を主導するようになり、その運用を司る独立空軍に対して大きな影響力を行使できるという見込みが出来たことが挙げられる。

 かくして昭和29(1954)年7月1日に勅令によって空軍が独立した。独立空軍は直協飛行隊を除く陸軍航空隊と、艦載機・艦上機及び陸上攻撃機を除いた海軍航空隊が合併して誕生した。しかし、大陸で活動中は以後も陸軍の指揮下で活動することになり、それは昭和37(1962)年の大陸撤退まで続いた。


2.戦術空軍最優先主義

 かくして誕生した独立空軍であるが、その前途は多難であった。

 空軍の第一の任務と考えられたのが核抑止任務であり、空軍独立の翌年には陸海軍の長距離爆撃機を集めて戦略空軍が設立された。当時配備されていた機体は、陸軍からキ74(R4T-G)、キ91(G9Ka)、海軍からはG8N連山、陸海共同開発のG10N富嶽の4種であった。

 しかし最大の仮想敵であるソ連は国土が広く、本土からソ連の首都モスクワまで8000km以上の距離があった。戦略空軍の爆撃機群の航続距離は重い原子爆弾を抱えてモスクワを爆撃するには足りなかったのだ。また、例え航続距離の問題をクリアしても、爆撃の経路の大部分がソ連上空を通ることになり縦深のある多重の防空網を突破しなければならないという問題もあった。

 当初、空軍は中国奥地の基地を中継基地とし、爆撃後にヨーロッパの西側諸国の飛行場に着陸することで航続距離の問題をクリアしたとしたが、実際に戦時において中国と欧州諸国が日本に飛行場の使用を認めるかどうかは不透明であった。さらに支那内戦の激化、共産勢力の伸張は中国の基地使用を甚だ難しくした。

 空軍はエンジンをターボプロップに換装して航続距離と飛行速度を改善した富嶽の改良型であるG11N新山(昭和30年に初飛行)を投入するとともに、核爆弾を小型化することで航続距離の問題を解決しようとした。新山は北海道を離陸してソ連極東部を横切り、北極海を通ってシベリアを迂回してからモスクワへと南下し、爆撃後にトルコへと向かうことができた。

 しかしソ連の防空網は急速に発達しており、昭和35(1960)年5月にはアメリカのU-2偵察機がソ連の地対空ミサイルに撃墜される事件が発生した。この事件を受けて北極海迂回コースを使ってもモスクワへの有効な攻撃を行うことは不可能と判断し、空軍は戦略爆撃機による対ソ核抑止を放棄することを決定し、開発をはじめた次期戦略爆撃機計画を中止して弾道ミサイルに注力することを決めた。そして弾道弾開発が一段落するまで、防空と前線航空部隊を重視して軍備を行うことになったのである。


3.BADGEシステムの完成

 戦術空軍部隊は本土防空を担う防空軍と、各地の戦場で制空権を獲得すると共に陸軍の支援作戦を行う前線航空軍に分かれる。空軍独立直後は大陸で陸軍の支援を行っている航空部隊は引き続き陸軍の管轄化に残ることになっていたこともあり、本土防空態勢の充実が最重要視されていた。

 昭和30(1955)年、モスクワの軍事パレードでソ連空軍の新型爆撃機が披露され、西側諸国ではボマーギャップ論が盛んに語られるようになった。ソ連の戦略爆撃機は急激に発達しており、第二次世界大戦型の人間による防空管制が限界に達しているのは明らかであった。帝國空軍はアメリカ空軍のSAGEシステムをモデルに防空管制の自動化を目指すことを決定した。

 システムの開発はアメリカ企業の支援を得て行われ、昭和44(1969)年に自動警戒管制組織BADGEシステムとして完成した。

 BADGEシステムは各地のレーダーサイトと接続され、領空に侵入する可能性のある航空機を発見すると警報を発し、付近の戦闘機部隊ないし地対空ミサイル部隊から迎撃部隊を割り当てて緊急発進を命じ、目標まで誘導する過程を全て自動化している。

 J15N<天雷>防空戦闘機はBADGEシステムに対応した戦闘機として開発され、昭和40年代後半から防空の主力を勤めている。

 システムの開発と併行して航空機の新型への更新が進められた。以下は前線航空軍に配備された新型機である。さらに迎撃機を補完する地対空ミサイルシステムとしてアメリカから昭和37(1962)年よりナイキ・エイジャックスが導入され、さらに昭和45(1970)年からは発展型のナイキ・ハーキュリーズの配備を開始した。

 <天雷>に先駆けて日本初の超音速戦闘機であるJ14N<白刃>が配備された。これは支那内戦において空軍の主力であったF-86の後継となる機体である。昭和37(1962)年に撤退する直前の大陸戦線に投入され戦果をあげた。

 P7K<雪山>は<天雷>の同時期に配備された超音速戦闘爆撃機である。<天雷>と同じエイヴォンエンジンを1基装備し、前線での航空阻止任務に投入される。

 一方、敵戦線の奥へと侵入して航空阻止任務を実行する機体としてG13M<夜鷹>が開発された。推力10t級のターボジェットを装備し、可変翼を備えていて超低空で侵攻することができた。大陸撤退後は長大な航続距離を生かした航空殲滅戦の主力として期待された。

 また大陸撤退により多くの航空機が内地に戻り空軍に編入されたことで、後方支援部隊が充実して名実共に独立空軍として体裁を整えた。

 特に大陸で活動していた輸送機を編入したことで空軍における輸送機総数が一気に2倍になった。拡大した輸送機部隊を統括する組織として輸送飛行団が創設され、体制を整えた。しかしながら、その内実はほとんど機体が第二次世界大戦期に開発された旧式輸送機で、輸送能力は限定的なものだった。そこで昭和40年代には輸送力を底上げする為に新型機プロジェクトが始まった。それが後にL14J<大空>となる次世代主力輸送機である。

 <大空>はアメリカ空軍がC-123で確立した現代輸送機の基本スタイル、太い胴体に高翼配置、スロープ兼用の大型後部ドアなどを取り入れ、STOL性と機動力の高い機体を目指した。昭和45年に初飛行し、空軍の主力輸送機として配備された。

 一方、長距離飛行を行い戦略輸送機として国内の民間航空会社でも採用されつつあったアメリカ製大型旅客機DC-8を導入した。L13Dの形式番号が与えられ、南方群島との定期輸送に用いられた他、我が国初の政府専用機として皇族や政府高官の海外渡航にも使われた。性能に満足した空軍はL13Dを空中給油機に改造することを決め、新規調達も行われた。

 そして昭和50年代に向けて新型機の開発も進められた。


4.戦略ミサイル部隊の拡大

 一方、爆撃機に代わって核抑止力の中核となった弾道ミサイル部隊の整備も進められた。

 日本初の本格的な弾道ミサイルである二〇式弾道弾SSR-1は昭和35(1960)年に制式化された。これは液体燃料式の射程1000km程度のミサイルで、専ら通常弾頭型を陸軍が使っていた。しかし、一部が核弾頭を装備し、戦略空軍に配備された。

 その後も弾道ミサイルの開発は進められ、新型の配備が行われたが、極東ロシアと中国を収める程度の射程しかなく、その抑止力は限定的なものであった。

 しかし昭和50(1975)年に三五式弾道弾を制式化した事で、日本は初めてソ連に対する本格的な核抑止力を手に入れた。この<閻魔(えんま)>という愛称が与えられたこのミサイルの射程は8000km以上に達し、モスクワを射程圏内に捉えていたからである。だが燃料が液体式で、移動できない固定的なサイロから発射する形式であり、また核弾頭は単一弾頭のみしか備えていないなど、性能にはまだ不十分な面があった。

 続いて開発されたのは昭和55(1980)年に制式化された四〇式弾道弾<迦具土(かぐつち)>である。四〇式は燃料として固体式を採用している。その為に発射命令が出てから実際に発射するまでの時間を大幅に短縮するとともに、三五式の半分程度まで重量を軽減したことで車両型発射機に搭載できるようになった。移動が可能になったことで、敵の第一次攻撃を生き残る可能性が飛躍的に高まったのである。

 さらに2年後の昭和57(1982)年には三〇式の改良型である四二式弾道弾<大蛇(おろち)>が制式化された。三〇式からさらに大型化されていて、弾頭に複数型弾頭MIRVを装備できるようになった。それにより1発のミサイルで複数の目標を攻撃することが可能になった。

 戦略空軍は四〇式と四二式を、互いに補う形で配備を行い、平成2年までに160基を配備して対ソ核抑止力を整備した。

 また戦略空軍は併行して中国を標的とした中距離弾道弾の配備も進め、台湾を中心に320基を配備している。


5.石油危機と空軍

 昭和40年代前半を通じて順調に戦力の整備を続けていた帝國空軍であるが、昭和48(1973)年に発生した石油危機はそうした状況を一変させた。

 当時、帝國空軍は昭和50年代に向けて3つの主要な事業を進めていた。

 1つ目は支那内戦以来の主力機であったF-86を更新するために開発された<白刃>3型の配備である。<白刃>3型はエンジンを亜音速域での性能と燃費に優れるターボファンに換装し、それによって生まれた推力の余力を生かして全般的な性能の向上を果たした<白刃>の決定版であり、この年より配備が開始されていた。

 2つ目は<夜鷹>爆撃機の改良作業である。防空ミサイルシステムの発達と精密誘導爆弾の登場に対応したが新型の開発が進められており、後に<夜鷹>4型として配備されることになる。

 そして3つ目が、当時一番の目玉であった新型戦術機計画、四六試陸戦である。これは初期型の<白刃>戦闘機や<雪山>戦闘爆撃機のような前線航空軍機と、防空軍の主力である<天雷>迎撃機を単一の戦闘機で更新しようという野心的な計画であり、国内の主要航空機会社2社による競争試作となった。搭載するエンジンは英国製のスペイターボファンが指定されていた。この年には両者の試作機が相次いで初飛行をしていた。

 しかし石油危機により日本の高度経済成長は終焉を向かえて今後の予算な大幅な増加は見込めなくなり、さらに不況対策として政府が緊縮財政を強行して軍予算もその対象となった。その為に空軍の軍備計画も縮小、合理化が求められたのである。

 そこで空軍は核抑止力である弾道ミサイル部隊に予算を注力し、戦術空軍部隊の軍備計画が大幅に見直すことにした。<白刃>3型と<夜鷹>4型の調達数を削減され、四六試陸戦計画を中止して海軍の次期主力戦闘機開発計画に相乗りすることなった。

 しかし海軍の開発していた新型機<旋風>は運動性能にこそ優れるものの、迎撃機に必要な加速力が不足していて前線航空軍ならともかくとして防空軍では不適とされた。その為、既存の<天雷>戦闘機の後継には<天雷>の改良型を充てることになり、防空軍と前線航空軍の配備機種を統一するという計画は破綻したのである。


6.ミグ亡命事件の衝撃

 石油危機の衝撃を抜けつつあった昭和51(1976)年、空軍は再び組織を揺るがす大事変に直面することとなった。この年の9月にソ連防空軍のミグ25が函館空港に強行着陸し、パイロットが亡命を求めるという事件が発生したのだ。

 この事件で空軍は防空識別圏に侵入したミグ25をレーダー網が一度捉えながら、その後に見失ってしまい、地上レーダーも緊急発進した<天雷>も再びミグを捉えることなく強行着陸を許すという失態を演じてしまう。

 後の調査の結果、ミグは地上のレーダーサイトが探知できない超低空から侵入していたことが明らかになった。<天雷>戦闘機の機上レーダーも自機より低空を飛ぶ航空機の探知能力が限定的であり、この事件は帝國空軍の防空網に重大な欠陥があることが明らかになった。

 対策として開発中の改良型<天雷>に低空探知能力を付与することになり、その為に量産開始が予定より2年遅れることになった。しかし、地上レーダー網の死角の問題は既存設備の改善だけでは解決できないものであった。


7.軍拡期への突入

 昭和50年代に入ると石油危機の影響が収まり経済が安定するようになり、同時にソ連のアフガニスタン侵攻などによって冷戦が激化した。

 空軍の軍備計画も見直され、<夜鷹>の調達数が元に戻り、<旋風>の調達数も拡大された。その一方で、弾道ミサイルの整備が進んだことから戦略空軍の航空機部隊が廃止され、最後まで残っていた<新山>重爆が退役し、戦略空軍仕様の<夜鷹>が前線航空軍に移管された。

 さらにミグ亡命事件の教訓から地上レーダー網の死角を補う為に、アメリカから空中レーダーサイトとも言うべき早期警戒管制機E-3セントリーを導入し、V2Boの形式番号を付与して12機配備した。同時期に海軍が導入したE-2Cホークアイとともに防空作戦の中核となったのである。

 同時に防空システムBADGE自体も近代化が行われ、昭和57(1982)年に改良BADGEが稼動を開始した。また昭和63(1988)年からはナイキ地対空ミサイルの後継としてアメリカからパトリオット地対空ミサイルの導入が開始された。

 一方、在韓部隊の撤退や中東事変などを背景に、空中輸送能力の拡大が求められるようになった。空軍は国産のL14J輸送機の導入を進めていたが、速力とSTOL性を重視していた為に積載量や航続距離が他の輸送機よりも劣っていた。それを補う為にアメリカからC-130ハーキュリーズ輸送機の導入を決め、L15Lの形式番号を与えて採用した。

 また空中給油部隊も拡張されることになりL13Dの追加調達も行われた。しかし原型機のDC-8の生産が既に終了していたので、民間航空会社の余剰機を買い取り改造することとなった。


8.新時代の空軍

 昭和50年代後半から60年代にかけて空軍部隊の近代化が進められたが、本土防空を担う防空軍については、改良が順次進められたとは言え原型が昭和30年代に開発された<天雷>が主力を担っており、陳腐化・旧式化が著しかった。特にソ連では昭和50年代後半より航続距離の長い制空戦闘機であるスホイ27の配備が始まり、爆撃機迎撃の為に開発された<天雷>では対処が難しかった。そこで空軍は<天雷>の後継機として、対戦闘機戦にも投入可能な新型迎撃機の開発に着手した。

 新型迎撃機は最新のフェイズド・アレイ・レーダーを装備するとともに、大容量の戦術データリンクシステムを備えてBADGEシステムや僚機と緊密な連携を行える高度なアヴィオニクスを装備し、敵戦闘機との空中戦を行える機動性能を備えることが求められた。

 機体の軽量化の為に新素材である炭素繊維が取り入れられるなど、様々な新機軸を取り入れたが、それ故に開発は難航して初期型の<天雷>の退役に配備が間に合わず、海軍から退役したファントムII戦闘機を近代化改修を施した上で中継ぎとして導入した。

 こうして難産の末、J16N<鎮守>は配備を開始して、平成11(1999)年に最初の装備部隊である北海道を守る飛行第64戦隊が機種転換を完了した。今後も<天雷>迎撃機の後継として配備が続くことになり、当面は残る<天雷>初期型と海軍から受け継いだファントムIIの更新を目指すことになる。

 一方で空軍は、やはり<天雷>と同時期に初飛行をした旧世代の機体であるG13M<夜鷹>の後継機も模索していた。熟慮の結果、アメリカ軍がF-15イーグル戦闘機を改造して開発したF-15Eストライクイーグルの導入を決定した。平成9(1997)年と翌10年に2機ずつ輸入され、平成12(2000)年よりG14Dとしてライセンス契約をした国内企業が本格的な生産を開始することになる。

 また後方支援部隊も新時代に向けて改編が進められた。平成元年に輸送飛行団、航空救難団、その他の支援部隊が統合されて航空支援空軍に再編された。また旧式化した機材の更新も進められる。更新時期が来ているのはDC‐8の空軍仕様であるL13D、それと国産戦術輸送機であるL14J<大空>である。

 L13Dの後継機として国産初の大型旅客機であるYS-100が採用されることになった。YS-100は三発機で、太平洋を無着陸で横断する能力があった。L16Jの形式番号を付与され、まず政府専用機及び南洋群島との連絡機として5機が導入され、その後に空中給油仕様が導入された。

 L14Jの後継機としては新型国産輸送機の開発が始められた。新型機はSTOL性をそのままに、<大空>の欠点であった積載量と航続距離を改善し、さらに湾岸戦争の教訓から旅客機並の高速巡航能力が求められた。また海軍の次期哨戒機と機体の一部を共有することでコストの削減を狙った。新型輸送機は平成10年代中に配備を開始する予定である。

 戦略空軍では四〇式と四二式の両者を更新する新型弾道弾として五五式弾道弾<天照(あまてらす)>の配備が廃止された。これは四〇式の命中精度を高め、弾道をMIRV化したものである。


9.新世紀に向けて

 このような経過を経て西暦においては20世紀の最後の年を迎えた帝國空軍であるが、21世紀に向け新たな課題に直面する。

 アメリカ空軍がF-22ラプター戦闘機の配備を開始し、ソ連・中国でもステルス機の開発が進められるなど、21世紀の戦闘機はステルス化がトレンドになるのは明らかであった。帝國空軍も<鎮守>のようにステルス性を配慮した戦闘機の配備を進めると共に、本格的なステルス機の開発を目指して動き出した。ステルス技術の開発を進め、平成10年代中に技術実証機を初飛行させる計画である。

 また具体的な課題として平成10年代に更新時期を迎える<白刃>3型の後継機と、アメリカが進めるミサイル防衛参加問題が挙げられる。空軍は<白刃>の後継として<鎮守>のエンジン出力を上げ、マルチロール化した改良型の開発を進めている。

 ミサイル防衛は諸国に拡散する弾道ミサイルに対処する目的でアメリカが推進しており、日本も参加が求められている。アメリカの最新のレーダー技術やミサイル技術に触れられる一方で、高額な費用がかかる上に技術的な課題が多く残ることから慎重論もある。

 組織編制の面では、現在の空軍では戦闘機部隊が防空軍と前線航空軍の二系統に分かれているが、戦闘機のマルチロール化が進む中でこのような体制は無意味であるとの主張が強くなっており、将来的には両者が単一の航空部隊に統一されると見られている。

 このような多くの課題を抱えつつも、帝國空軍は21世紀を迎えることになる。


空軍現有主要戦力

 航空機 約1700機

  戦闘機×612

  軽爆撃機×220

  偵察機×105

  電子戦機×70

  早期警戒管制機×12

  輸送機×159

  空中給油機×24

 地上発射型ミサイル

  大陸間弾道ミサイル×160

  中距離弾道ミサイル×320

  パトリオット地対空ミサイル発射機×200

 「登場兵器紹介 航空機編1」と「日本空海軍機種記号」の内容を改訂しました。空軍関連は設定が二転三転してしまい、読者の皆様にご迷惑をおかけします。

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