陸軍地位向上委員会10 日本軍は火力を軽視していたか
というわけで、間を空けましたが、地位向上委員会です。
神楽「さて。久々の陸軍地位向上委員会だよ。今回は砲兵火力について」
深海「さすが、砲兵マニア設定の神楽さん。うれしそうですね」
1.日露戦争、第一次世界大戦
神楽「さて陸軍の“白兵戦・精神力重視、火力軽視”うんぬんは日露戦争の頃から言われていることであるけど、それが必ずしも正しいわけではないというのは前回述べたわね」
荻原「はい。旅順戦は当時において日本史上空前の規模の砲撃から始まったんですよね」
深海「そうだね。少なくとも当時の陸軍は歩兵をただ突撃させれば旅順を落とせるなんて思っていなかったのさ」
神楽「また日本軍は間接照準射撃を日露戦争中から取り入れている」
荻原「間接照準射撃ですか」
深海「前にも説明したよね?」
荻原「大砲から直接見えない敵を、友軍の誘導によって砲撃する射撃法でしたっけ?」
神楽「この頃から第一次世界大戦にかけて世界の主流になっていく、当時最新の射撃法よ」
深海「このように日露戦争時の日本陸軍は大規模な火力集中を行ったり、当時最新の射撃法を実践したりと、決して砲兵火力を軽視していたわけじゃないんだ」
神楽「後の第一次世界大戦における青島攻略戦でも1個師団の攻略部隊に各種重砲、野戦重砲を90門近くも派遣している」
深海「青島戦の勝利は、勿論相手が小規模で孤立した篭城部隊だったてのもあったが、陸軍が旅順戦の戦訓をちゃんと学んで、戦闘に反映したからに他ならない。決して精神論に傾倒していたわけじゃないんだ」
2.日本陸軍の砲兵近代化
神楽「それでは日本軍が火力や機械力を軽視し、精神論に基づく白兵戦に固執していたという太平洋戦争当時の日本軍の実情に迫っていよう」
深海「日本陸軍砲兵の歴史について前に簡単に書いたけど、貧乏な日本軍は戦間期には装備の更新が進まなかった。近代化が進められたのは満州事変以降、軍の予算が大きく増やされてからだ」
荻原「えぇと。1930年代から次々と新型火砲が採用されたんですよね」
神楽「当時の傾向を簡単にまとめると、まず野戦重砲の機械化だね。それまで自動車牽引に対応した火砲はあったが、九六式15センチ榴弾砲や九二式10センチ加農砲は自動車牽引専用砲だった」
深海「実際、この頃から国産の各種砲兵トラクターが次々と制式化されているね」
神楽「野砲についても機動九〇式野砲や機動九一式榴弾砲のように自動車牽引砲化されたものもあるけど、機械化は野戦重砲が優先で、野砲の方はあまり進んでいなかった」
深海「そりゃ野砲の方は数が膨大だからね。特に満州事変以降は師団や旅団が雨後の筍の如く次々と編制されていったから」
神楽「それに野戦重砲の方が重くて移動が困難だからね。自動車牽引にすれば、かなりの戦力アップになる。重量制限を考えずに、性能を向上させることができるし」
荻原「それで野戦重砲優先ですか」
深海「なにより昔の日本は貧乏だからねぇ」
神楽「勿論、野砲も近代化を怠っていたわけじゃないよ。九〇式野砲や九五式野砲と言った新型野砲を導入すると共に、榴弾砲を師団砲兵に加えたんだ」
荻原「九一式105ミリ榴弾砲ですね」
深海「これも第一次世界大戦の戦訓さ。それまで陸軍師団の砲兵は75ミリ級の野砲を使うのが普通だった」
神楽「野砲は小型の加農砲で、軽量で小回りが利き、初速が高く射程も長い。だけど欠点もあった」
深海「最大の問題は長射程で射撃する場合、弾道が低くなるということだ」
荻原「弾道が低い?」
神楽「砲弾と言うのは、基本的に大砲から発射された後、山の形、専門的な言い方をすれば放物線を描いて飛ぶ。装薬の爆発力を推力に上昇し、それから最高点まで到達してから、目標に向かって落下していくわけ」
深海「加農砲は一般的に最高点の高度が低い。低い弾道を描くんだ。低伸性が優れるとも言うけどね」
神楽「低伸性は高い命中精度や長い射程に繋がる。でも問題がある。障害物の向こうに潜む目標への射撃が苦手ということ」
深海「低伸性が高い、つまり弾道が低いということは、目標には浅い角度で当たるということだからね。障害物の後ろに隠れる敵を狙う山越しの射撃が難しい」
神楽「相手が開けた場所に居るならいいのだけど、第一次世界大戦では塹壕を巡る戦いになってしまい、野砲の弱点を露呈することになってしまった」
深海「そこで榴弾砲を師団砲兵に配備するようになった。榴弾砲は比較的高い弾道を飛んで、深い角度で目標に当たる火砲だ。その分だけ初速が低く、射程も短い」
神楽「障害物のずっと上を跳び越して、そのすぐ後ろに命中させることもできる。しかも初速が加農砲より低い分、頑丈さなどが同じ口径の加農砲ほど求められず軽量化もできる」
深海「実際、師団野砲の口径が75ミリなのに対して、榴弾砲はほぼ同等の重量なのに口径は105ミリだ。つまり同じクラスでも威力が大きい」
荻原「山越しの射撃ができて、威力も高い。頑丈な塹壕を攻撃するにはもってこいの兵器というわけですね」
神楽「そういうことね。帝國陸軍では昭和10年頃から師団砲兵を野砲と榴弾砲の混成にしている」
深海「さらに陸軍は師団砲兵の火力向上策を考えた」
荻原「前にも触れられた、師団砲兵の150ミリ榴弾砲と105ミリ榴弾砲の混成編制へと改編するという案ですね」
神楽「その通り。15榴と10榴の混成編制というのは第二次世界大戦中はアメリカやドイツで採用され、戦後に世界中に広がったの」
深海「自衛隊も師団砲兵が155ミリ榴弾砲に統一される前は、そのような編制だった。105ミリ榴弾砲が前線部隊への直協支援を担い、長射程の155ミリ榴弾砲が敵後方への縦深攻撃や対砲兵戦を担うんだ」
神楽「実際、昭和16年度動員計画では野砲兵連隊は4個大隊編制で、3個大隊は10榴中隊2個と75ミリ野砲から成り、残りの1個大隊は15榴が配備される計画だった」
荻原「計画だった…ですか」
深海「うん。結局は完成しなかったがね。それでも一部の師団には四年式15センチ榴弾砲が配備された。主に関特演に動員された関東軍師団にね」
神楽「そうした師団は後にフィリピンや沖縄でのアメリカ軍との戦いに投入されている」
深海「このように日本陸軍は可能な範囲内で砲兵の近代化を進めていたんだ」
3.日本陸軍砲兵の実力
荻原「で、結局のところ日本陸軍砲兵の実力ってどうだったんでしょうか?」
神楽「結局のところ欧米に比べると見劣りしたと言わざるをえないね」
深海「砲は機械化が遅れていることもあって、機動力優先で無理な軽量化をして性能が抑えられちゃったし、前にも書いたように組織、指揮システムにおいても遅れていた」
神楽「しかし、なにより問題だったのは工業力そのものの低さだね。弾も大砲も欧米のような大量生産ができなかった」
深海「陸軍の砲は多い奴でも数千ってところだからね。欧米が万単位で生産していたことを思えば、とんでもない少なさだ」
神楽「砲兵は結局のところ弾数が命だからね。弾が不十分だと、できることもそれだけ少なくなるってもんさ」
荻原「やっぱり、そんなところでしたか」
深海「まあね。だからこそ、戦場では常にアメリカ軍に圧倒されてしまったというわけさ」
神楽「ただ、巷で言われるように“陸軍はバカで突撃すれば勝てると思ってたから、火力を軽視していた”なんて単純な話ではなかったの」
深海「そして陸軍砲兵はアメリカ軍を相手に激戦を繰り広げるのであった。詳しくは次回に…」