陸軍地位向上委員会8 歩兵の突撃は無能の証?
神楽「というわけで具体論に入っていこうか」
荻原「はぁい」
1.陸軍無能論の典型“無謀な歩兵の突撃”
深海「さて、陸軍批判の典型的な文句が“無謀な歩兵の突撃”“白兵戦主義”だろうね」
神楽「前回のテンプレにも何度もそのフレーズが登場しているね」
深海「簡単にまとめれば、陸軍は旅順や第一次世界大戦、ノモンハンの戦訓があるのに無視して、精神力重視、機械力軽視で無謀な突撃を繰り返してる。バカだね。ってわけだ」
荻原「確かにそんな話、よく聞きますね」
神楽「一見、もっともらしいがね。だけど、世の中そんな単純じゃないわけ」
荻原「どういうことでしょうか?」
神楽「まず言っておくべきは、入念に準備された陣地を陥落させようと思えば、最終的に歩兵が突入して占領して確保するしかないわけ。対陣地戦において“歩兵の突撃”という段階を踏むのは当然なの」
深海「日本軍の突撃を語る際には、歩兵の突撃と戦車の使用を対比して後者を良しとする見解が多いが、実際には日本軍よりも機甲戦力や航空戦力を豊富に持っていたアメリカ軍だって、普通に歩兵を突撃させていた」
荻原「つまり歩兵を突撃させることはおかしいことじゃないってことですか?」
神楽「その通りね」
2.進化する“突撃”
深海「それじゃあ問題は陸軍の採用した戦術が精神力頼りの無謀な突撃だったか、ってことだ」
神楽「その手の批判の始まりは日露戦争時の旅順攻囲戦だね。第三軍司令官が無謀な突撃を兵士に繰り返させた所為で無用な損害を被ったって批判が某小説家から始まって現在も続いている」
荻原「よく聞きますね。傑出した人物ではあるが軍人としては凡庸だったみたいな」
神楽「それでは旅順攻囲戦を振り返って見ましょう」
深海「第一回総攻撃が行なわれたのは明治37年8月19日からだ。まず二日間に渡る使用弾薬数11万3000発の大砲撃から始まった」
荻原「いきなり大砲撃ですか」
神楽「砲撃の後、歩兵部隊が突撃して死傷者1万5000以上という損害を出して失敗したわけだが、しょっぱなから大砲撃を喰らわして分かるように、“機械力を軽視して無謀な突撃”なんて単純な話じゃないんだ」
深海「日本軍はその反省から敵の陣地のすぐ近くまで塹壕を掘り進んでいく正攻法に切り換える。工兵による爆破、28センチ砲の砲撃など使える限りの手段を投入している」
荻原「それでも、なかなか陥落させることができなかったんですよね」
神楽「そうだね。10月26日から30日にかけての第二次総攻撃では死傷者4000人弱。11月26日から12月6日にかけての第三次総攻撃では203高地に主攻を向けて、これを確保するも死傷者1万7000人弱。最終的に旅順守備隊は翌年1月5日に降伏した」
深海「最終的な損害は投入兵力延べ13万人に対して6万人だ」
荻原「凄い損害ですね」
神楽「それだけ準備された近代的な防御陣地を攻略するのは大変なことなの」
深海「第一次世界大戦の時の欧米列国が被った損害を考えれば、むしろ、よくこれだけの犠牲で落とせたとだって言えるくらいさ。ヴェルダンの戦いなんて、両軍あわせて70万以上の人間が死傷しているからね」
神楽「というわけで、旅順において日本軍は“白兵戦に固執して無謀無策の突撃を繰り返した”なんてことはないわけだ」
3.新戦術の出現
深海「さて、欧米列国は日本に遅れること10年、第一次世界大戦において近代的陣地に直面した」
神楽「ヨーロッパを縦断する塹壕陣地が構築され、それを挟んで両軍は膠着状態に陥った。それを突破しない限り勝利は無い」
深海「その切り札として登場したのが戦車だ。というわけで塹壕突破の主役は戦車!歩兵を主役にした日本軍は時代遅れ!みたいな風潮が出来たわけだ」
神楽「だけど、世の中はそんな単純じゃないんだ」
荻原「と言いますと?」
深海「戦車ばかり注目されがちだけど、塹壕の無力化は砲兵や歩兵の新戦術をも組み合わせた諸兵科連合の成果なんだ。戦車が歩兵の突撃にとって代わったんじゃない。歩兵の突撃も進歩しているんだ」
神楽「よく準備された陣地に対して戦車を突入させたって、むしろ的になるだけだしね」
深海「沖縄戦の嘉数高地の攻防戦がいい例だね。対戦車火器が貧弱な日本軍ですら、よく準備された防御陣地に篭って対戦車戦を戦った場合、戦車による突破は極めて困難になる」
神楽「というわけで新たに歩兵部隊に取り入れられたのが、前にも説明した浸透戦術」
荻原「前に“編制を学ぼう”で紹介していたヤツですか?」
深海「その通りだね。従来の歩兵の戦術は、大兵力が密集して一点に集中し、突撃して突破するというものだった。機関銃のない時代にはそれが強力だった。だけど機関銃の前には的にしかならなかった」
神楽「そこで敵に見つかりにくくし、また見つかっても狙いにくいように兵力を分散し、広い範囲に小兵力ごとに散開して攻撃するというものだ」
深海「そして抵抗の強い場所を避けて敵の弱点を見つけ出し、そこから突破して主要陣地の後方に回りこんで撹乱して防衛線を瓦解させる。それが浸透戦術だ」
神楽「ちなみに敵の弱点を突破し、後方を撹乱するというコンセプトは電撃戦に継承される。そして、それを実現する為に歩兵部隊の改革と新兵器の開発が行われた」
荻原「戦闘群戦法ですね!」
深海「その通り。フランスは軽量で歩兵が持ち運べる小型の機関銃、すなわち軽機関銃の開発に成功した」
神楽「フランス軍も塹壕陣地への対策から大軍の密集陣形から散開した小グループによる突破へとシフトしていたが、歩兵は分散すると戦力が小さくなってしまう。そこで軽機関銃を配備して火力を底上げしようとした。それは前にも説明したよね?」
深海「それで歩兵部隊を小銃中心から軽機関銃を中心に据えた部隊に改編したんだ。それが戦闘群戦法。この編制は歩兵部隊編制の決定版となり、小銃の自動化、アサルトライフル化が進んだ現在にも受け継がれていく」
荻原「歩兵も塹壕に対抗するために新戦術や新兵器、新しい部隊編制を取り入れて進歩したんですね」
神楽「その通り。そして大切なのは、そのどれかだけあってもダメなの。新しい戦術と、それに適合した部隊編制、兵器が揃ってはじめて威力を発揮するの」
深海「日本陸軍は第一次世界大戦を研究し、積極的に取り入れている」
神楽「軽機関銃の導入も早かったね」
深海「ただ、それ以前から大兵力の密集陣形から散開した多数の小兵力グループという陣形への転換は第一次世界大戦の戦訓を取り入れるまでもなく実施されていたのではないかという話も聞いたことがある」
神楽「旅順戦から既に始まっていて、青島要塞攻略でも取り入れられていたとか。まぁあくまでも又聞きで詳しくはわからなかったけど」
深海「ともかく、日露戦争や第一次世界大戦の教訓を無視して古い突撃戦法に固執したなんて大嘘だ。浸透戦術は確かに“歩兵の突撃”だが、第一次世界大戦の戦訓に基づく最新の戦術なんだ」
4.三八式歩兵銃は旧思想の証なのか?
神楽「それじゃあ、関連してもう1つ。陸軍批判への反論をしておこう」
深海「旧軍批判の代表的なものとしては、小銃に対する批判がある。第二次世界大戦を通じて日本がボルトアクション式の三八式歩兵銃、九九式小銃を主力としていた。それに対してアメリカ軍は半自動式のM1ガーランド小銃を主力にして日本軍を圧倒した、というものだ」
神楽「日本軍が旧式のボルトアクションライフルしか装備していなかったのは、上層部が近代戦に無理解で白兵戦に固執した為だとされることが多いわね。でも、それは本当なのかしら?」
深海「こうした指摘に対して“そもそも自動小銃を主力にできたのはアメリカだけだ”という反論がなされている。他の主要国は日本と同じボルトアクション式だからね」
神楽「でも、今回は違う視点から反論して見ましょう」
深海「ここで問題。日本、アメリカ、ドイツの歩兵小隊、これが他の部隊の支援を受けず、装備以外同じ条件で戦ったとしたら、どこが最弱でしょうか?」
荻原「うーん。やっぱり日本でしょうか?」
神楽「ちょっと軍事を齧ったことある人でも同じ答えを出すんじゃないかしら?アメリカは自動小銃を持っているし、ドイツは優れた機関銃であるMG34やMG42がある」
荻原「それで正解は?やっぱり日本ですか?」
深海「正解は次回!」