登場兵器紹介 砲兵の兵器編1
神楽「歩兵、機甲兵と続いてお次は砲兵の兵器でぇす」
深海「順当だな」
荻原「砲兵ですか…」
深海「文字通り大砲を主武装とする部隊のことだ」
神楽「大砲!大砲!」
深海「そういえば大砲マニアだった、こいつ」
―日本陸軍砲兵史―
―史実編―
深海「で、また歴史解説すか…」
神楽「そゆこと。日本陸軍の砲兵史をおさらいしてみよう。陸軍が入手した最初の近代野砲はフランス製の四斤砲だそうだ」
深海「もともとは幕府陸軍が導入したものを新政府が引き継いだんだ。明治期にはライセンス生産もされた。先込め式でかつ青銅製という旧式な設計だったが、明治の頃の日本にしてみれば頑丈だが加工が難しい鋼鉄を使う大砲より加工のし易く国内に豊富にある青銅製の方がとっつき易かった」
神楽「野砲と山砲が導入され、西南戦争あたりまで陸軍砲兵の主力を勤めた」
荻原「野砲と山砲はなにが違うんですか?」
深海「大砲はできるだけ強力な弾をできるだけ遠くまで飛ばしたい。その為に大砲はより大きな弾をより強力な火薬で飛ばすという方向に進化する。そうなれば大砲の方はそれに耐えうるためにより大きく重くなっていく」
荻原「はい」
神楽「しかし山中など交通の便の悪い場所では大きく巨大な砲は使いにくい。そこで威力や射程の低下には目を瞑って、小型軽量であり、必要に応じて簡単に分解できる使い勝手の良い大砲が野砲とは別に用意されるようになったの。それが山砲」
荻原「なるほど」
深海「そして、維新が進みいよいよ大砲も新しくなる。七糎野砲及び山砲だ。口径は7.5センチで、四斤砲と同じく旧式な青銅製だが、砲口から砲弾を装填する先込め式から砲尾から装填する元込め式に進歩している」
神楽「先込め式の場合、砲口から砲尾まで砲弾を押し込めなくてはならない。その点、直接砲尾に弾を装填する元込め式は装填スピードが圧倒的に早い」
深海「日清戦争時の主力野砲だ。さて、師団に配備される野砲が整備されるとともに、より上位の部隊で使われる重砲の配備も始まった」
荻原「重砲ですか。重い砲ってことですか?」
神楽「野砲より大型で威力の大きい大砲と覚えておけばいいよ。ただ野砲のように使い勝手は良くないし、数も多くないので上位部隊に配置して必要に応じて前線に出すって使い方が普通」
深海「日清戦争の頃には九糎臼砲、一五糎臼砲、一二糎加農砲などが配備されていたらしい」
神楽「臼砲というのは砲口に比して砲身が短く高い角度で砲弾を発射する大砲。射程が短く精度も低いけど、威力に比べて大砲そのものの大きさは小柄なのが特徴」
深海「加農砲ってのは野砲の大型ヴァージョンだと思えばいい」
神楽「さらに、この時に各地に要塞が設けられ、要塞砲が設置された」
荻原「要塞砲というのは、これまでの砲となにか違うんですか?」
深海「野戦砲というのは部隊とともに移動するから、威力だけじゃなくて使い勝手や動きやすさも求められる。それとは違って要塞砲というのは基本的に要塞に据えつけられていて動かさないから、動きやすさを考えずに巨大に造ることが出来る」
神楽「野戦砲だと口径は100センチ台以下が普通で、大きくても200センチ前後。しかし要塞砲だと200センチ以上が普通」
深海「日露戦争で活躍した二八糎榴弾砲はこの時期に要塞砲として導入されたものだね」
神楽「そして、日清戦争の後、日本陸軍兵器開発者のスーパースター!有坂成章閣下が登場する!」
荻原「有坂さん?」
深海「有坂氏は当時の陸軍における銃砲の権威で、三十年式歩兵銃の開発者として知られる。これから後の日本陸軍の制式小銃はどれも三十年式の設計が基礎になっている」
神楽「それ故に日本の小銃は欧米ではアリサカ・ライフルと呼ばれている」
荻原「凄い人なんですね」
深海「そして三十年式歩兵銃と並ぶ有坂氏の功績が口径75ミリの三十一年式速射野砲及び山砲の開発だ」
荻原「速射…ですか」
神楽「その通り。三十一年式は無煙火薬を使用することで装填スピードを大幅に向上させることに成功したの。それまでの黒色火薬だと大量の煤が砲身の中に残るので撃つたびに砲身の中を清掃しなくちゃいけなかった。その点、三十一年式は清掃を省略してすばやく装填できる」
深海「日露戦争はまさに有坂成章の成果で戦った戦争だった。彼の開発した新兵器が日本を勝利に導いたんだ」
神楽「同時に重砲の更新も行われたわ。ドイツのクルップ社から10.5センチ加農砲、12センチ榴弾砲、15センチ榴弾砲が導入された」
荻原「榴弾砲ってなんですか?」
深海「簡単に言えば爆発による破壊力を重視した大砲かな。特に見えない相手を味方部隊の誘導に基づいて攻撃する間接照準射撃を重視している」
神楽「それに対して加農砲は初速や射程を重視している。砲手から直接見える目標を射撃するの。砲弾をより速く撃ちだす砲だから装薬が強力で、同じ口径の榴弾砲に比べて重くなる傾向がある」
深海「まぁ、次第に大きな違いはなくなっちゃうんだけどね」
神楽「そして日露戦争が始まると、戦力アップのために様々な新兵器を導入する。それらの兵器は結局、戦争には間に合わなかったけど、その後の陸軍を支える重要な柱になる」
深海「採用された明治38(1905)年にちなんで三八式と呼ばれる各種兵器だね。三八式小銃は特に有名だよね」
神楽「大砲の世界では75ミリ口径の三八式野砲、三八式十糎加農砲、三八式十二糎榴弾砲、三八式十五糎榴弾砲が導入された。これらの兵器の特徴は駐退機を装備していることだ」
荻原「それはどういう仕組みなんですか?」
深海「簡単に言えばバネだね」
神楽「大砲を撃つと反動が大砲自身に返ってくる。三十一年式速射野砲の場合、一発撃つたびに反動で大砲が後ろに下がってしまって、再度砲撃するためには元の位置に戻して照準をやりなおさなくてはならないの」
荻原「大変ですね」
深海「そこでだ。砲身と台をがっちり固定せずに砲身が前後に動くようにして、間にバネを仕込むことにした。一発撃つと反動で砲身が後ろに動くが、バネが反動を吸収して台の方は動かない。そしてバネの反発で砲身が元に戻る」
荻原「そのまま続けて撃てるってことですか?」
神楽「そゆこと」
荻原「凄い進歩ですね。ところで三八式のレパートリーの中に山砲がないようですが?」
深海「山砲は少し遅れて明治41(1908)年に採用されている。野砲と同じ75ミリ口径の四一式山砲だ。これは傑作だね」
神楽「後に後継の九四式山砲が導入されたんだけど、用済みになった四一式山砲を歩兵部隊にまわして使わせることにしたんだ。そしたら好評でね!」
深海「自分の都合で使える大砲があると前線部隊には便利だからね。かくして四一式山砲は各歩兵連隊の歩兵砲隊に配備されて終戦まで活躍することになる。将兵から連隊砲と呼ばれて親しまれた」
神楽「まぁ、ここらへんの兵器は大抵、終戦まで現役に残ることになったけど」
深海「さらに旅順戦の教訓から巨大な攻城砲も導入される。四五式二十四糎榴弾砲と四五式十五糎加農砲だ。ちなみに二次大戦最後の激戦地、虎頭要塞にはこの二種の大砲が配備されていたと言われている」
神楽「さて、時代は明治から大正に代わります!」
荻原「時代が変わって新しい大砲が配備されるんですか?」
深海「その通り!と言いたいところだけれど…」
神楽「大正は軍縮の時代だからね。新型兵器の配備は下火になる」
深海「大正期には重砲を中心に近代化がされた。まず大正4(1915)年に四年式十五糎榴弾砲が採用された。これは三八式十五糎榴弾砲が重く巨大で移動が不便だったことを反省して、砲身と放架の2つに分解して輸送できるようにしたものだ」
神楽「ただ丁度、第一次世界大戦の途中で採用してしまったもので、大戦の戦訓を反映することができず全体的に性能不足になってしまった。特に射程の不足が問題」
深海「続いて配備されたのが七年式三十糎榴弾砲だ。これは日露戦争で活躍した二十八糎榴弾砲の後継だね」
神楽「試製四十一糎榴弾砲が虎頭要塞に配備されるまで、陸軍最大の大砲だった」
深海「そして大正期の火砲の最後を飾るのが十四年式十糎加農砲だ。この砲の最大の特徴は日本で始めて自動車牽引に対応した大砲ってことだ」
神楽「それまでは全て馬で牽引する砲だった。日本にも機械化の波が押し寄せてきたってことだね。まぁ十四年式は馬による牽引も考慮して性能は抑えられていたけど」
荻原「凄い進歩ですね。ところで大正期の大砲はこれで終わりですか?」
深海「うん、終わり。一番多い師団野砲の方は手が回らず、射程を伸ばす改良をしてお茶を濁している」
神楽「そして改造三八式野砲は第二次大戦時にも事実上日本の主力野砲として活躍するのであった」
深海「そして、いよいよ昭和期。グンクツの足音が聞こえてくるぜ!」
神楽「昭和期の大砲第一号は八九式十五糎加農砲ね。香港、シンガポール、フィリピンと太平洋戦争の緒戦で各地の戦場に投入され、日本の快進撃を支えた兵器よ。沖縄戦でも活躍した」
荻原「突然、数字がぐっと増えましたね」
深海「昭和期になって命名規則が変わったんだ。それまでは年号の数字を使ってたんだけど、大正が15年で終わってしまった為に番号が重複する可能性が生じたんだ」
神楽「大正3年に採用された兵器と昭和3年に採用された兵器はどちらも三年式になるからね」
深海「そこで重複を避ける為に皇紀を使うことにした」
荻原「皇紀ですか?」
神楽「日本独特の暦法で、初代天皇である神武天皇が即位した年を起源とする暦で、西暦に660年足したものと覚えればいいわ」
深海「ちなみに有名なゼロ戦は正式には零式艦上戦闘機というが、これは西暦1940年、皇紀では2600年に正式採用されたのに由来して命名された」
神楽「つまり八九式十五加は皇紀2589年、つまり1929年に採用された兵器なんだ」
深海「そして大正期に放置された野砲の更新も始まった。昭和になって続々と新野砲が就役するが、日本陸軍の次世代師団野砲について試行錯誤をしているようで、その方針は二転三転する」
神楽「最初に採用されたのが1930年に制式化された九〇式野砲。これはフランスのシュナイダー社は開発した75ミリ野砲M1897を改良したものだ」
荻原「原型が随分古くありませんか?三八式より古いじゃないですか」
深海「それを突かれると辛いが、傑作砲であることは間違いない。日本軍を苦しめたアメリカ軍のM4戦車の主砲だって、実はM1897の改良型なのだ」
荻原「敵味方とも同じ大砲を原型とする砲で戦っていたと言うことですか」
神楽「そういうことだね。九〇式野砲は射程、初速ともに三八式を大きく上回っていた。特に初速は日本軍の大砲の中で高初速で、対戦車砲としてもそれなりの威力があったことが特徴だね」
深海「それ故に三式中戦車や一式砲戦車といった戦闘車両の主砲としても使われた。また自動車牽引に対応したゴムタイヤ装備のものもあった」
荻原「ものもあったということは、そうじゃないものもあったんですか?」
神楽「当時の日本の工業力は全てを機械化することはできなかったからね。重砲優先で、数の多い野砲は後回しにされてた。自動車牽引に対応した砲は機動九〇式野砲として区別されていた」
深海「まぁ21世紀になるまで自動車化を達成できなかった陸上自衛隊も旧軍のことを笑えないがね」
神楽「そっちの場合は国のやる気の問題でしょ。さて、優れた性能の九〇式野砲だが、1つ不満があった。それは重量だ」
深海「機械化が進んでおらず、馬に頼る場面が多かった陸軍としては重量過多は無視できない問題だった。だから参謀本部を中心に性能を妥協しても軽量な砲を配備すべきだと主張する一派が出てきた」
神楽「一方、現場の砲兵は射程を中心に性能重視の砲を求めていた」
深海「軽量砲一派の主張を元に九〇式を軽量化した砲が開発された。それが九五式野砲だ」
神楽「九〇式に比べると射程、初速など性能は全体的に落ちたけど、300キログラム以上の軽量化に成功して改造三八式よりも軽くなった。また砲身の寿命も九〇式に比べ長くなった。使い勝手の良い大砲になったのね」
深海「ただ、結局は射程の方が重要ってことであまり量産されなかった。まぁ実際に使用した前線部隊からの評判は悪くなかったみたいだけど」
神楽「その頃、師団野砲について別のアプローチが試みられた。第一次世界大戦で欧州諸国は師団砲兵部隊に野砲だけじゃなくて小型の榴弾砲も配備して、大きな戦果をあげた」
荻原「榴弾砲って破壊力を重視した大砲ですよね」
深海「その通り。榴弾砲を配備して師団砲兵の火力を底上げしようというわけだ。そして師団に配備する為の小型榴弾砲として開発されたのが九一式十糎榴弾砲だ。重量は九〇式野砲より100キログラムほど重い程度だけど、口径は105ミリで野砲より大きく破壊力は2倍近い」
神楽「開発したと言ってもフランスのシュナイダー製のものを基にしたんだけどね。ちなみに九一式榴弾砲は基本的に輓馬牽引砲だけど、九〇式野砲と同じように自動車牽引に対応した機動九一式榴弾砲も並行して開発・配備された」
荻原「九〇式と同じですね」
深海「また山砲も更新された。新型の口径75ミリの九四式山砲が開発されたんだ。これは全体的に性能は四一式を上回っている上に、四一式以上に細かく、つまり小さく軽くまで分解できるという優れものだ」
神楽「さらに、これまでの山砲はどれも75ミリだけど威力増強を狙って105ミリ口径の山砲が開発された。例によってフランスのシュナイダー製の大砲を基にした九九式十糎山砲ね」
深海「中国軍から鹵獲したものを参考にして開発した。まぁそれほどは造られなかったけど」
神楽「そして重砲も次々と新型が導入された。いろいろな変り種もね」
深海「前述の八九式に続いて導入されたのが九〇式二十四糎列車加農だ。これは日本で唯一の列車砲で、最大射程は50キロ。戦艦<大和>の主砲をも上回っている旧軍の中で最も射程の長い大砲だ」
荻原「列車砲ってことは列車に載ってるんですか?」
神楽「その通り。鉄道なら馬や自動車だと運べないような大きな大砲を載せることができるからね」
深海「次に導入されたのが陸軍野戦重砲の主力の1つ、九二式十糎加農砲だ。前任の十四年式は自動車牽引に対応していたものの輓馬牽引も考慮していた為に重量を抑えなくてはならなかったのに対して、九二式は自動車牽引専用砲として開発され性能は大きく向上した。例えば射程は3キロ伸びた18キロメートルだ」
神楽「そして九二式の4年後に導入されたのが陸軍野戦重砲のもう1つの主力、九六式十五糎榴弾砲よ。こちらも自動車牽引専用砲として開発され性能は高かった。日中戦争から南方作戦、沖縄戦に至るまで活躍して、九二式加農砲と九六式榴弾砲はアメリカ軍から“ピストル・ピート”と呼ばれて恐れられたの」
荻原「凄いんですね」
深海「さて、これらの大型砲は野戦重砲に分類され、師団には属さない独立部隊に配備されていた。しかしながら陸軍は火力強化の為に組織改編を構想していた」
荻原「と、言いますと?」
神楽「当時のドイツ軍やアメリカ軍の師団砲兵は100ミリ級の小型榴弾砲と150ミリ級の中型榴弾砲を混成配備した編制になっていた。日本もそれに倣おうとしたのよ」
深海「具体的に言えば75ミリ級野砲と九一式榴弾砲の混成だったのと、九一式榴弾砲と九六式十五糎榴弾砲の混成に変えようとしたのさ。実際、昭和10年代後半になると生産の重点が野砲から榴弾砲に移されている」
荻原「75ミリと105ミリが105ミリと150ミリになるんですから、凄い強化ですね」
神楽「まぁ実現しなかったけどね…」
荻原「なぜですか?」
深海「日中戦争の真っ最中だからね。どんどん師団を増やしていたから、砲兵の改編に手が回らなかった。日中戦争が陸軍の近代化に与えた悪影響は本当に大きいと思う。日中戦争がなければ自動車化だってもっと進んでいたと思うし」
神楽「まぁ自業自得だけどね」
深海「ともかく陸軍は決して火力を軽視していたわけでも近代化を怠っていたわけでもないんだ」
神楽「問題は旧式火砲を終戦まで使い続けなくちゃいけなかったことだよね。アメリカは大型砲を何千門って作っているのに、日本は九一式榴弾砲がやっと1200門だもん」
深海「全ては貧乏が悪いんや」
荻原「まぁまぁ」
神楽「次へ進みましょう。1936年には十五糎榴弾砲以外にも重砲が導入されているわ。まずは九六式十五糎加農砲!」
深海「これは要塞砲、もしくは八九式十五糎加農砲を後方から支援する重砲として開発された。最大射程は26キロメートルで、列車加農には及ばないものの陸軍随一の長射程砲だ」
神楽「そして同じ年、四五式二四糎榴弾砲の後継として九六式二四糎榴弾砲。四五式が射撃の際に地面を掘って埋め込んで大砲を固定しなくてはいけなかったのに対して、九六式はその必要がないので射撃の準備に必要な時間は四五式の半分以下になったのが特徴」
深海「この2つの巨砲はコレヒドール要塞攻略戦に投入された」
神楽「さらに2年後の1938年には九八式臼砲が採用された」
荻原「臼砲って短い砲身から大きな弾を発射する大砲でしたっけ?」
深海「臼砲の定義はその通りだけど、この九八式臼砲は特殊だ。この砲の最大の特徴は砲身がないこと」
神楽「砲弾を発射台に被せて、それで火薬を爆発させて砲弾を飛ばすの。射程は短く、命中精度も低いけど、大威力の割には移動が簡単」
深海「硫黄島の戦いで使用されたことで有名だね。『硫黄島からの手紙』にも登場したね」
神楽「とりあえず噴進砲を除いて史実の陸軍火砲は紹介できたね」
深海「次からは帝國世界の設定の紹介だ」
―帝國世界編―
神楽「史実と違って連合国側に立って参戦し、枢軸国側のソ連と主に戦った日本。その日本の火砲は史実とはなにが違うか?最大の違いはアメリカからレンドリースにより多数の兵器を入手したことだろうね」
深海「帝國世界の歴史を見ると、ソ連が極東侵攻を開始したときに日本はボロ負けしているけど、このときに多くの火砲を失ってそうだね」
神楽「退却するときには重くて運びづらい重装備は取り残されがちだからね。その穴埋めをレンドリースでしたわけ。また欧州派遣部隊も当初は日本から直接、装備を持って行ったけど、兵站の維持が難しくなってね。大戦中盤から人員だけ派遣して現地でレンドリース兵器を受け取りという形になってる」
荻原「それでどんな兵器を受け取ったんですか?」
神楽「まず九四式山砲の代替として75ミリ榴弾砲M1A1ね。ジープで牽引することができる小型火砲よ」
深海「九四式に比べ100キログラムほど重い650キログラムで、射程は400メートル長い8700メートルか」
神楽「まぁ師団砲兵というよりも歩兵連隊の連隊砲隊に配備されて、107ミリ重迫撃砲とともに連隊砲の代替として使われることの方が多かったみたいだけど」
荻原「なるほど」
神楽「次は105ミリ榴弾砲M2A1ね。これは九一式榴弾砲及び野砲の代替。スペック的には九一式に近いけど、500キログラムほど重い2300キログラム、代わりに射程は1キロメートルほど長い11160メートル」
荻原「日本の砲より高性能だけど、重いんですね」
深海「機械化が進んでいない日本軍だと移動の利便性の為にどうしても軽量化を優先するからね。その点、アメリカは完全に自動車化しているから。これらの砲も全て自動車牽引前提だ」
神楽「ちゃんと牽引用自動車込みのレンドリースだから日本軍大助かりだね」
深海「ちなみにM2A1は史実でも大戦後に自衛隊に貸与され、FH-70が配備される80年代まで主力野砲だった。58式榴弾砲として国産化までしてる」
神楽「次からは野戦重砲よ。155ミリ榴弾砲M1は九六式一五糎榴弾砲や九二式十糎加農砲の代替。性能は九六式榴弾砲に近いけど例によって…」
荻原「重量がかさむ代わりに射程が長いんですね」
深海「うん。重量は1t近く重い5700キログラムだけど、射程は2キロ以上長い14キロだ。ちなみに自衛隊にも配備されM2A1と同じように58式榴弾砲として国産化もされている」
神楽「さらに日本軍の重砲クラスの大砲も貸与された。まず155ミリ加農砲M2。最大射程23キロに達するカノン砲」
荻原「日本の九六式と比較すると…珍しく射程で勝っていますね」
深海「まぁ九六式の方は機動性なんて捨ててるからな。ちなみに自衛隊にも配備され、長きに渡って陸自火砲中最大射程を誇っていた」
神楽「そして203ミリ榴弾砲M1。それにしてもことあたりの口径の砲は当時の日本だとまともに動かせないようなのばっかりだけど、アメリカはしっかり車両牽引しているんだね…」
深海「すべて貧乏が悪いんや…ちなみにこの203ミリ榴弾砲の末裔は自衛隊で今でも現役だ」
神楽「203ミリ自走榴弾砲だね。日韓大戦でも登場した」
荻原「自走砲ですか」
深海「そう。これまでの大砲は全て馬や牽引車両で引っ張る牽引砲だ。それに対して第二次大戦の頃になると戦車のようなキャタピラの車体に大砲を載せて、自走する大砲が本格的に投入されはじめたんだ」
神楽「そして日本陸軍も本格的な自走砲の開発に乗り出した。最初に開発が始まったのがホイ車こと二式砲戦車。これは一式中戦車の車体に四一式山砲を改良した主砲を載せたもので、戦車部隊に随伴して敵の対戦車砲陣地を制圧することを目的としていた。だから自走砲とは少し趣旨が違う兵器と言えるかもしれない」
深海「まぁ対戦車能力が低くて、史実では一式砲戦車にとって替わられたわけだが」
荻原「砲戦車ですか?」
神楽「同じ大砲を載せた車でも、使う兵科によって呼称が変わるんだよ。砲兵部隊なら自走砲、戦車部隊なら砲戦車。ホイは戦車の支援用だから砲戦車」
深海「そして砲兵部隊向けの自走砲の開発も始まる。ホニ車がそれで、九七式中戦車の車体に九〇式75ミリ野砲を載せたものと、九一式十糎榴弾砲を載せたものが開発されて、両者が一式自走砲として採用された。最初に開発された二式砲戦車より制式化はこちらが早く、日本初の自走砲となった」
神楽「史実では九〇式野砲が日本陸軍の大砲の中では比較的対戦車攻撃に適していた点を買われて、75ミリ砲型の一式自走砲も戦車駆逐車的な使われ方をした。戦車部隊にも一式砲戦車として配備された」
深海「史実では他にもいろいろと作っているけど、後は割愛」
神楽「史実では連合軍の優勢な戦車に対抗する為に、対戦車能力に主眼を置いた自走砲の開発が進められるんだけど、そこらへんは帝國世界ではアメリカから戦車駆逐車を導入して埋め合わせしているからね。普通の自走砲も貸与されてる」
深海「M7プリーストだね。M3中戦車の車体に105ミリ榴弾砲M2を装備した自走砲だ」
荻原「日本の一式自走砲と同じなんですね」
深海「ただ同じ中戦車の車体でも、アメリカの軽戦車以下の大きさの九七式中戦車とM3中戦車じゃ大きさがだいぶ違うからね。搭載できる砲弾の数も作業効率も段違いだ」
神楽「こうした貸与兵器で対ソ戦緒戦で失った戦力の回復を図るとともに、急造兵器の開発を始めた」
深海「噴進砲だね」
荻原「なんですか?それは」
深海「簡単に言えばロケット砲だ。あまり高度な技術を使わず、簡単に量産できる上に、ロケットで自ら飛んでいくから、大砲のような大掛かりな発射装置がいらず威力の割には移動が簡単。そういう長所がある」
神楽「その代わり、射程が短く命中精度も低い。大戦中に導入されたロケット砲はソ連のカチューシャが有名ね」
深海「日本軍も四式二〇糎噴進砲及び四〇糎噴進砲が開発されて、硫黄島の戦いなどで活躍した」
神楽「帝國世界においても重砲の不足を補う火砲として重用されたよ」
荻原「なるほど」
神楽「かくして大日本帝國は第二次世界大戦を切り抜けたわけだけど、大戦後の話は次回にまわすとして、これから劇中の陸軍に配備された大砲を紹介するとしようかしら」
―牽引砲―
神楽「まずは牽引砲よ」
荻原「馬や自動車で引っ張る砲ですよね」
深海「その通り。現在は専用の牽引車両で引っ張るのが普通だ」
神楽「自走砲に比べて能力は劣るけど、安価なのが特徴かな」
一六式一〇糎半山砲
口径:14口径105mm
重量:1100kg
射程:9500m
九四式七糎半山砲や九九式一〇糎半山砲の後継として開発された小型榴弾砲で、自動車牽引に対応した最初の山砲である。また自動車による牽引を前提としているが分解しての駄載や輓馬による牽引も可能であり自動車化していない部隊にも対応している。
山岳地帯で活動する部隊や空挺部隊、海軍陸戦隊などで使用され、『空挺砲』として親しまれた。ただ駄載や輓馬牽引に対応しているとはいえ従来までの山砲に比べると重量がある為、大陸で活動する多くの部隊では旧式の山砲が継続して使用された。一六式に完全に更新されるのは1962年の大陸大撤退以降である。
軽量なためにヘリコプターやジープクラスの車輌での輸送が可能である。現在では後継の三六式と置き換えられているが、一部の丙師団(戦時特設師団)では野砲として配備され、平時は保管状態にある。
神楽「モデルはオート・メラーラMod56榴弾砲ね」
深海「他に特に言うことはないかな」
三六式一〇糎榴弾砲
最大射程:17km(通常弾)/22km(長射程弾)
口径:30口径105ミリ
重量:2000kg
1960年代、ソ連はD30型122ミリ榴弾砲を開発した。その射程は西側の同クラスの榴弾砲を凌駕する15kmであった。
当時の日本陸軍の主力野砲は射程11kmのア式一〇糎榴弾砲(アメリカ製のM101榴弾砲)や射程10kmの機動九一式一〇糎榴弾砲でD30には対抗できず、新型榴弾砲の開発が迫られた。そして完成したのが三六式一〇糎榴弾砲である。
しかしながら陸軍は師団野砲を155ミリ榴弾砲に統一することを決定した。その為、本砲は新鋭主力野砲として日の目を見ることはなくなってしまった。だが155ミリ榴弾砲に比べ軽量で小型トラックや中型ヘリコプターで輸送可能なことが評価され、『空挺砲』の後継として海軍陸戦隊や空挺部隊に配備されている。
荻原「これは劇中にも登場した大砲ですね」
神楽「大連に上陸した105ミリ榴弾砲ってのがコレだね」
深海「モデルはイギリスの105ミリ榴弾砲L118だね。九一式の後継として師団野砲にするつもりだったと」
荻原「旧軍は師団砲兵を九一式榴弾砲と九六式榴弾砲の混成編制にするつもりだったんですよね」
神楽「戦後にそれが実現したわけだけど、さらに15センチ榴弾砲に師団砲兵を統一した」
深海「史実の自衛隊と同じだね」
三九式一五糎榴弾砲
最大射程:22km(通常弾) 30km(長射程弾)
口径:42口径155ミリ
重量:7200kg
陸軍が第二次大戦前後に採用した各種師団野砲の後継として配備した牽引式榴弾砲である。1960年に開発が始まり1979年に正式採用された。
陸軍の標準的火砲であり、乙師団砲兵連隊に配備されている。三四式大型六輪自動貨車を改造した牽引車によって移動し、砲兵陣地を構築して射撃を行なう。また大型ヘリコプターで空中輸送することもあり、自走砲に比べると戦略機動能力は高い。
しかし近年の対砲兵レーダーシステムの進歩や射程の長大化により旧式化しつつあり、52口径に砲身を伸ばした長砲身型やトラックに車載化した試製特殊機動砲など後継の砲が模索されている。
神楽「そして、現陸軍主力火砲です」
深海「陸自のFH-70とは違うみたいだね」
神楽「いいところに気がついたね。三九式はFH-70よりもアメリカ軍のM198榴弾砲に近い」
荻原「なにが違うんですか?」
深海「FH-70は近距離移動用の小型エンジンがついていて、ある程度自走できる上に、装填補助装置が備えられていて素早い再装填が可能なのが特徴だ」
神楽「三九式はそうした装備がない。代わりに軽量かつ頑丈だ」
―自走砲―
深海「次は自走砲か」
荻原「ようするに車の上に乗ってて自分で動ける大砲ってことですよね」
神楽「その通り。最大の長所は素早い陣地転換ができること。牽引砲だと牽引車から外して陣地を作らなくちゃいけないけど、自走砲なら射撃位置にそのままつけるだけ」
深海「撤収する時にも同じことが言えるね。特に対砲兵レーダーが発達した近年では自走できるってことは圧倒的なアドバンテージになれるんだよ」
試製特殊機動砲トキ
兵装:52口径155ミリ榴弾砲
牽引砲は自走砲に比べ安価かつ軽量ながら、陣地転換に時間を要するという欠点があった。対砲兵レーダーや通信システムの発達した現代の戦場において、それは致命的なものであった。
そこで三九式榴弾砲を長砲身化して新型八輪自動貨車に搭載して簡易な自走砲を開発した。射撃時には反動を抑えるために脚を出して地面に固定せねばならず自走砲のように迅速な陣地転換はできないが、牽引砲に比べれば格段に早い。また装甲が施されておらず防御力は低い。
現在、第五師団で試験的に運用中である
荻原「これは美香さんが劇中で言及していた奴ですね」
神楽「えぇ。今のところ本編未登場ね」
深海「カエサル自走砲もどきか。これからのトレンドになるかもしれないタイプの自走砲だ」
荻原「牽引砲と自走砲の中間的な感じですか」
三一式一五糎自走砲ホタ
重量:26t
射程:19km
兵装:30口径155ミリ榴弾砲/12.7ミリ機関銃
帝国陸軍が七式一〇糎榴弾砲並びに一〇式一五糎榴弾砲の後継として開発された自走榴弾砲である。開発は1950年代中ごろに開発が始まったが、支那内戦の影響もあって開発が長期化し、1971年にようやく制式化された。
三一式一五糎自走砲は、当時は珍しかった自動装填装置を有し毎分6発射撃することができるなど採用当時は十分な能力を持っていたが、19kmという射程距離は現在で完全に時代遅れなものとなってしまった。
本来は一〇式の後継として開発されたが、陸軍は師団砲兵の野砲を155ミリで統一する方針にした為、七式も更新して機械化師団や戦車師団の砲兵部隊の主力として配備されているが、今後、五七式に更新されてゆくだろう。
神楽「そして現主力自走砲」
深海「自衛隊の75式自走りゅう弾砲の帝國バージョンか」
荻原「史実より早く生まれたってことですか」
五七式一五糎自走砲ホレ
全長:11.3m
重量:45t
最大射程:30km(通常弾)/40km(長射程弾)
兵装:52口径155ミリ榴弾砲/12.7ミリ機関銃
帝国陸軍の次世代自走砲。三一式一五糎自走砲の後継車両として機械化師団や機甲師団の砲兵部隊に配備される。
車体は四八式歩兵戦闘車の車体を延長したものを使用し、その上に主砲の長砲身52口径155ミリ榴弾砲を装備している。同砲は通常弾で最大射程30kmを誇り、長射程弾では40kmに達する。
射撃統制装置は高度に自動化されていて、データリンクに接続することで指揮所から直接、照準・射撃を行なうことができる。また自動装填装置を搭載しているので連続射撃が可能であり、複数の目標に同時に着弾させるTOT射撃も行なえる。
1997年より配備を開始し、2000年11月時点では独立機動砲兵第一連隊への配備を完了し、戦車第一師団機動砲兵第一連隊への配備が始まった。
深海「そして99式自走りゅう弾砲の帝國バージョンですか」
神楽「その通り。長砲身の主砲を装備して射程が向上している他、高度な射撃統制システムを搭載しているのが特徴」
荻原「データリンクですか」
神楽「それまでは観測手が目視確認した目標を口頭による報告に基づいて照準をしていたわけだけど、これからはデータを直接受け取って迅速かつ正確な射撃ができるようになる」
荻原「凄いですね」
ア式二〇糎自走砲
兵装:37口径203ミリ榴弾砲
射程:24km(通常弾)/30km(ロケット推進弾)
方面軍直轄の野戦重砲連隊に配備される自走砲。アメリカ陸軍のM110A2自走砲をライセンス生産したもの。
1960年代、日本陸軍は旧式化した各種野戦重砲の後継砲としてM110自走砲をアメリカから導入した。M110は、大戦中に開発されて日本にも貸与された203ミリ榴弾砲M2を自走化したものである。しかし、その射程は17キロ弱に過ぎず、70年代後半には技術の進歩により旧式化した。
そこで日本陸軍は、砲身を伸ばしてマズルブレーキを装着して射程を向上させた改良型のM110A2の導入を決定し、1983年より国内でライセンス生産が始まった。
2000年現在も陸軍最大の火砲として、MLRSとともに野戦重砲連隊の主力を担っている。
荻原「これが前に言っていた戦時中の203ミリ榴弾砲の末裔ですか?」
神楽「そう。いろいろと改良が加えられているけどね」
深海「ちなみに自衛隊にも配備されている。そろそろ退役時期だと思うけど、後継どうするのかな?」
神楽「純減じゃない?大砲も400まで減らすんでしょ」
深海「そうでしたorz」