表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/24

魅力

「ハヤトすごいやん!。もしかしてヒーローってやつ?」


飯を食っている最中に、このバカは大声で騒ぎ始めた。


でかい声を出すなと叱責するのも忘れるくらいハヤトは呆気にとられている。


「亮太、お前って奴はぁ。」


と言って続く言葉も見当たらず、ハヤトの視線がが宙を舞う。


これじゃあどっちがバカだか分からない。

言い返す代わりにハヤトは紙パックの牛乳をストローから一気にに飲み干し、くしゃくしゃとスーパーの袋に入れた。


「何も照れることないじゃん。あのウェルニアのお姫様の世話役な上に、世界平和に奮闘する騎士様。こんなロマンチックが身近に存在するなんて、私感激!。」


テーブルの向かいに座っている頭の中お花畑女子りつ子は、自分の顔の横で両手を握り締め、目を瞑りながら妄想に耽っている。


「勝手に人の相談事を英雄譚にするな。」


ハヤトがりつ子を睨みつけ、すぐに諦めたようにはぁとため息をついた。

ハヤトはテーブルに向かって前かがみにしていた姿勢を崩し、いすの背もたれに預けて空を見上げた。


雲ひとつない晴天に春の陽光が程良い眩しさを降り注いでいる。


ハヤト、亮太、そしてりつ子の三人がいるのは、彼らの拠点となっている神楽町総合運転所の中央に位置する事務所の屋上階だ。


傍からだと白のコンクリート壁に年季の入った黄ばみがついていたりと何かしらみすぼらしい建物だが、屋上は木の板を敷き詰め、三人がけのテーブルをいくつも配置したおしゃれなレイアウトになっている。


何でもハヤト達がこの運転所に配属される前に簡単なリフォームが施工され、こんな屋上テラスが誕生したらしい。


テラスからは運転所の列車発着線がいくつも並んでいる様子や、田園風景、遠くの山脈を一望することができる。


職場の中ではちょっとした人気スポットだ。


ハヤト達もよくこのテラスで昼食を食べにやってくる。



鉄道という職業柄、三人が同じ時間に休憩することはほとんど無いのだが、今日は珍しく揃っているのでみんなでランチというところだ。


ハヤトは昨日、ウェルニアから戻ってきたばかりで、今が機会とばかりに彼がウェルニアであった王女とのやり取りを二人に話したのだが、どうやら間違いだったようだ。


解決策とは言わないまでも、ハヤトが担った重責に対する悩みもこの二人に打ち明けたら少しは気も和らぐと思ったが、アテが外れたようだ。


「まぁ、ハヤトも大変やろうけど思いつめすぎると体に毒やで。どうや、ここは俺が高校時代に培ってきた女の子口説き落としテクニック伝授したろか?。異世界のお姫様もイチコロやで!。」


全く持って亮太は参考にならない。


「そうよ。こんなときこそ楽しまないといけないのよ。」


りつ子の言う、そうよ、が何に対する賛成なのか良く分からない上に無駄なポジティブシンキングを押し付けてくる。


ハヤトは二人を交互に見やり、深くため息をついた。


視線を再び空に向けて先日のフェミルの言葉を思い出す。


ウェルニアの繁栄のために。

フェミルが打ち明けた祖国への思いが、まじめなハヤトに使命感の火を灯したのは事実だったが、ハヤトは明確な行き詰まりに頭を打ち付けていた。


昨日、帰りのエスペランザに乗務するまでの残り時間、淡々と鉄道の机上教育をしていたのだが、早速暗雲が立ち込めている。


昨日は主に鉄道の歴史から、ATSの基本概念、信号機の種類、安全運転のために運転士が心がけるべきことなどをハヤトのできる限り噛み砕いて教えたのだが、メモを取っていたフェミルの手は途中からフリーズし、しまいには頭から湯気が出るのではと思うくらいに顔が真っ赤になっていた。


分かってはいたことだが、内容が意味不明過ぎたのだ。


自分の不甲斐なさを心底嘆いていたフェミルだが、彼女自身は何も悪くない。


彼女に科学技術という概念が薄いからだ。


ウェルニアは魔法が発達した国。


モーターの基本原理である誘導電力やフレミングの法則、オームの法則はあちらの世界ではほとんど知られていない。その基本概念に突入しても無理がある。


ハヤトだって向こうの世界に移住して、さあ高等魔法を会得しましょうといってもできない相談だ。分かってはいるのだが、本当に基本から教えていたら、それこそ一年の研修期間では到底足りない。


この矛盾の狭間でハヤトはフェミルに負けず劣らず悶々としているのだから、自分でも始末に悪いと悩んでいる。


「ハヤトは肩に力を入れすぎなんじゃない?」


ハヤトの考えていたことが透けて見えたのか、りつ子はハヤトの顔を覗きこむようにみてそう言った。


だが、ハヤトはいまいちりつ子の言わんとすることが理解できないでいる。


「そういうこと?」


人指しを顎にあて、視線を宙に浮かせて適当な言葉を探す。


「何ていいいたらいいのかな。ハヤトはお姫様にどうなってほしいと思っているの?」


漠然とした質問だったがハヤトは明確な答えを持っていた。


「どうって、それはもちろんウェルニアの発展のために、フェミル様は自分の身を捧げているんだよ。その熱意に応えるために、鉄道のことをたくさん教えているよ。」


「じゃあ、具体的にその内容は?」


更なる問いに、ハヤトはムっとしつつも即答する。


「それは、僕が今まで培ってきた運転士としての経験だよ。車両の知識や運転士の操縦技術、鉄道の安全や・・・。」

と感情任せに熱弁していたのを、ハヤトはりつ子の表情を見て止めた。


目をきょとんとさせている彼女の表情は驚きというよりも呆れ顔に近かった。


さっきまでハヤトの専売特許だった深いため息をを今度はりつ子がついた。


食べ終えた小柄な弁当箱のふたをパチンと閉め、慣れた手つきでナプキンに包む。


「なんだよ。なんかおかしいこと言ったかよ。」


ハヤトがおもむろに怒る。


自分がやってきたことが無言で否定されているような気がして腹が立ったからだ。


まだ分からないのかと言う視線をりつ子が向けてくる。


話の出だし時とは完全に攻守が逆転していた。


「そりゃお互い苦しいはずよ。」


ハヤトはしかめっ面をしたまま黙る。


まだ分かっていないハヤトに、しょうがないなぁ、とばかりにりつ子は得意げに続けた。


「ハヤト、例えばだけどさあ、自分がもし結婚して子供ができたとするでしょ。その子供に鉄道を好きになってもらいたかったら、まず何をするの?」


いきなり突拍子のない質問にハヤトは目を丸くした。


一瞬脳が思考停止に陥るも、頭を再起動させてとっさに浮かんだ答えを出す。


「そうだな、かっこいい電車に乗せたりだとか、博物館に連れて行ったりとかかな。」


「そのときハヤトはその子に、運転士の何たるかとか、保安装置のうんぬんかんぬんなんて長ったらしく講義するの。」


りつ子はバカにしているのかとハヤトは訝った。


「そんなことするわけ無いだろう。面白くないって、子供が一発で飽きちゃうじゃ・・・。」

って言いかけたところでハヤトは、はっと我に振り返った。


もしかしたら今までフェミルに良かれと思って教えてきたことって・・・。


そんな根本的な所を揺るがす問いがハヤトの脳裏を掠める。


ハヤトが核心に触れたことに気づいたのか、りつ子は少し誇らしげになっていた。


「ま、ハヤトは視野は狭いけど、賢いから何とかできるでしょう。」


「視野が狭いは余計だ。」


そう言ってハヤトはりつ子を睨みつけたが、さっきまでのやりとりでほめざるを得ない点はあるなと胸中で呟いた。


「そうやな。ハヤトはとりあえずお姫様にウマイ飯を教えてあげたらいいと思うで!。」


隣で特大のハンバーグ弁当を満足そうに完食した亮太は全く人の話を聞いてなかったようだ。




「ハヤト、今日もご指導よろしくお願いします。」


元気な声は一国のお姫様というより、魔法使いに弟子入りした孤高な少女というほうが相応しかった。


ハヤトにはこの挨拶は初めてではなかったが未だに慣れないでいる。


「ああ、よろしく。」


ハヤトは少しぎこちない返事をした。


二人が研修の際に待ち合わせををする場所は運転所の事務所2階にある運転本部と呼ばれる場所だ。


通常、運転所から回送列車に乗務する際には、どの運転士がいつどの列車を運転するか全て運転本部で管理されている。


出勤してきた運転士はここで作業ダイヤと呼ばれる運転士専用の時刻表を受け取り、点呼を受けて担当の列車に乗務することになっている。


ハヤトとフェミルが乗るエスペランザの発車までまだ数時間あったが、入念に出区点検をしておきたいハヤトは点呼を受ける時間を前倒しにしたのだ。


「それじゃ受付に行こうか。」


ハヤトがフェミルに話しかけると、フェミルは、はいっと元気な返事をして彼の後に続いた。


運転本部のフロアは列車の輸送の中枢である指令と通信している騒がしさを除けば至って普通のオフィスのそれだ。


扉を開けてすぐに乗務員の点呼受けつげがあり、そのすぐ奥では今日の当直が忙しなくパソコンと書類をにらめっこしている。このフロアもつい最近リフォームしたばかりで、壁も床も清潔感のある白を保っていた。


南向きに設置されている無数の窓から心地よい陽光が差し込んでいる。


入ってきたフェミルとハヤトに気づいた当直はすっ席を立ち、受付になおった。



ハヤトは彼の目を見て声高くあいさつをする。


「運転士、高峰ハヤトです。次の回9006M列車の乗務点呼に参りました。」


ハヤトは慣れた動作で敬礼をした。


当直の彼も同じく敬礼をする。


「お疲れ様です。こちらが回9006Mの時刻表です。」


受付の下に用意していた時刻表をゆっくり取り出し、ハヤトに渡した。

気のせいか、当直の手が少し震えているような気がする。


ふと、ハヤトが彼の顔を見ると、彼の視線はちらちらと隣のフェミルに向けられていた。


やっぱり目立つよなぁ。


ハヤトは意心地が悪くなり、ダイヤをさっとカバンにしまうと、フェミルと共に足早に受付から立ち去った。



事務所からエスペランザ発車線へ向かう途中、フェミルは浮かない顔をしていた。


ハヤトにはその原因がなんとなく分かっていたがあえて彼女に尋ねてみた。


「どうかした?。」


話しかけられてフェミルははっとするが、心のうちがばれてしまったとばかりに正直に思っていたことを話した。


「先ほどのお方に失礼な態度をとりましたでしょうか。」


やはりか、とハヤトは肩を竦めてすぐに彼女をフォローした。


「いや、違うよ。あの当直は緊張していただけさ。」


「緊張ですか?」


「そっ。見ての通り、女性の少ないところだからさ、女慣れしていない人が多いのさ。ましてやフェミルは異世界のお姫様だし、みんなしどろもどろになるのも無理がないよ。」


「そうなのですか。」


恥ずかしさと複雑さが絡み合った声を彼女は漏らす。


フェミルが神楽総合運転所に来て以来、彼女は注目の的だ。


白いストレートヘアに、軽装とはいえ常にドレスコードのワンピースを着ているフェミルはどこを歩いていもスポットライトを当てられているようなオーラを出している。


初めて彼女と運転本部へ行ったときは係りのものが緊張のあまり、呂律が回らず、時刻表の受渡しを3度も間違えたぐらいだ。


悪目立ちとまでは言わないが、鉄道という泥臭い組織にとってフェミルの存在は少々美しすぎる。


そんな周囲からの目線と、鉄道の勉強で一杯一杯のフェミルに、今の状況が重荷なのは火を見るからに明からだ。


気休め程度かもしれないが、ハヤトはフェミルをフォローした。


「まぁ、要するにフェミルは何も気にしなくていいってことだよ。」


フェミルはハヤトにそう言われ、彼女はハヤトの顔を一瞥し、黙って彼の後に付いて行く。


これで彼女の肩の力が抜けたかどうかまでは分からないけれどとりあえずよしとしよう。


そうこうしている内に、二人は数十本も並ぶ発車線の最奥に到達しようとしていた。


真昼間ということもあって運転所構内にある列車の本数は少ない。


ダイヤ通りなら発車線に留置している列車はおそらくエスペランザだけのはず。


他の列車の発着がないか念のため調べようと、ハヤトはカバンから構内留置表を取り出して確認する。


「ん?」


ハヤトはある列車番号を見つけ、首をかしげた。


この時間帯に?。


ハヤトは若干不思議に思いながらその番号を見つめる。


ハヤトが不意に見つけたその列車はエスペランザの隣に停車している。


彼は腕時計に目をやった。


まだ時間はありそうだな。


「フェミル!」


いきなり話しかけられてびっくりしたのか、ブンと顔を横に向けた。


「何でしょうか!?。」


「ちょっと寄り道しようか。」




二人は出発信号機の手前にある線路横断コンクリートを横切り、エスペランザの先頭車に到着した。


このまま、乗車するものと思っていたフェミルは自然と歩調を緩めてたが、ハヤトはエスペランザの流線型

を一瞥しながらその目の前を通りすぎようとしていた。


さすがのフェミルも不安に感じ、ハヤトに尋ねた。


「ハヤト、私たちが乗るのはこちらでは?」


彼の意図するところが掴めず、心配そうな声を出す。


「もちろんそうだよ。それよりこっちに来て!。」


そう言われるとフェミルは考えることをやめ、言われるがままに付いて行くことにした。


ハヤトが手を振っているのはエスペランザのちょうど隣の発車線だった。


何事だろうとフェミルもエスペランザの先頭を横切り、ハヤトガ手招く法までまでぎこちなく足を運ぶと目に飛び込むものがあった。


彼女が見たのはとある列車だった。


白いボディを基調としたエスペランザとは対照的に、全体が深緑のボディに黄色のラインカラーが車体の中央に引かれている。


正面は真四角で無骨だが、深緑の色合いがその重苦しさを消している。


正面の鼻っ柱にはまん丸なステッカーが掛けられていた。


フェミルは興味深くステッカーに近寄り、ハヤトに質問した。


「ハヤト、この列車は?」


ハヤトは先頭車のヘッドマークを見上げて答えた。


「トワイライトエクスプレス。動くホテルの異名を持つ豪華列車さ。」


一間置き、ハヤトは続ける。


「この列車は中が凄いんだ。」


「車内が・・・ですか?」


外装をジロジロと見ていたフェミルガハヤトの横顔を見つめる。


外見だけでも目を惹くのに、中はもっと凄いのか。


彼女はそんな胸中を顔で物語っていた。




トワイライトエクスプレスは先頭の電気機関車と、それに牽引される客車9両で編成されている。


もっとも機関車にくっついている最初の一両目は電源車と呼ばれ、客車の設備等に電気を巨給するためだけに連結されている。


列車の仕組みを詳しく知るならこの電源車は見る必要があるだろう。


少し前のハヤトならそう思っていた。


しかし、ハヤトは電源車の横を何も存在しないかのように通り過ぎる。


フェミルもハヤトの後ろをぎこちなく付いていく。


二人が歩いているのは、駅のホームのような舗装された場所ではなく、バラストでゴツゴツとした実に不安定な足場だ。


ハヤトならともかく、なれない場所を歩くフェミルの姿は実に心もとなかった。


「ゆっくりでいいから足元に気をつけて。」


「あっ、はい。」


フェミルは足元とハヤトを交互に見やりながら進み、電源車の次の車両の入り口に到達した。


「ちょっと待ってて。」


ハヤトはポケットからジャラリと鍵の束を取り出し、手を伸ばして鍵を錠口に差し込んだ。


ガチャリと解錠音がなり、車体が若干傾いているせいか、ドアが重みで自然と開いた。


「ほぉ、列車にも鍵が付いているのですね。私始めて見ました。」


また面白いものを見たとばかりにフェミルは話した。


「全部というわけじゃないけどね。この扉だけ特別なのさ。」


フェミルが再び好奇心を露にする。


「と、言いますと?」


「ここを入ると車掌室に繋がっているんだ。乗務員さんしか入ってはいけない場所にお客さんが入るとマズイからこうやって鍵が掛かっているんだ。」


そう言ってハヤトは先ほど使った忍び錠をフェミルに見せる。


直径十センチ程度の丸い棒に、先端は車体側の錠を回す四角形の構造と実にシンプルだ。


何か非常事態が発生した際にどの列車の鍵でも開けれるようにとこのような鍵が考案されたのだが、複製が簡単で泥棒が入るのではないかとお偉いさん方は心配しているらしい。


ハヤトは錠をポケットにしまい、車体の手すりを掴んでステップを昇った。


続いて、フェミルもステップに足を掛ける。


地面からステップまで高さは見た目以上にあるので、彼女は最初の一歩を上げるのに難儀し始めた。


「結構高いですね。」


「無理せずに上がってきて。」


ハヤトのその発言が無理だったかもしれない。


フェミルが力を入れて片足を掛けようとしたとき、彼女のシンボルとも言える純白のワンピスースがステップの端に引っかかってしまった。


このままだと、もう片方の足を持ち上げたときに確実に破けてしまう。


マズイと判断したハヤトはフェミルに手を差し伸べた。


「掴まって。」


「え?」


「そのままだと服が破けちゃうよ。僕の手をにぎって空いた片方の手で引っかかった服の先を外すといいさ。」


そう言われてフェミルは一瞬困惑するも、手を伸ばしてハヤトの右手を掴んだ。


しっとりとした手の甲の感触が、確かな力でハヤトの手を握り締めてくる。


意外と華奢だな。


ハヤトの素直な感覚だった。


よく考えたらフェミルの体に触れるのはこれが初めてだったな。


異世界の住人で、フェミルは厳密には人でないとは言え女性だ。


男であるハヤトに比べて小柄であることに今更驚く道理は無いが、初めて彼女にあったときのあの神々しい

挨拶や宮殿での毅然とした立ち振る舞いを目の前にしているハヤトにとって、彼女は小さすぎるように思えた。


それでも、弱くない力でフェミルはハヤトの手を掴んでいる。


その力は、フェミルが住むウェルニアを変えたいという意思もこの手にこめられているのだろうか。


宮殿の一室で、フェミルガ聞かせてくれた胸のうちを頭で思い出しながら、ハヤトはそんなことを考えていた。


一方、ハヤトの今の心境などお構いなしにフェミルは引っかかったワンピースの先を一生懸命解いていた。


「外れましたわ!。」


先ほどまで難しい顔をしていたフェミルの表情がぱっと明るくなった。


「よし、じゃあそのまま昇ってきて。」


「はい。」


ハヤトの手に掴まりながら、フェミルはゆっくりとステップに足を掛けた。



「こ、これは!」


フェミルは感嘆の声を上げた。


それは、普段エスペランザのような普通の列車には無い光景が彼女の目の前にあったからだ。

列車と言えば、左右に2列ずつ座席が設置され、その中央に通路があると言うシンプルな構成を思い浮かべるだろう。


その理由は、可能な限りたくさんのお客さんを目的地まで運ぶために最適化されているからだ。

しかし、経済が上向きだった時代に、鉄道にもお金持ちを楽しませるためのエンターテインメントが必要だと鉄道公社の上層部は考えた。


その結果生まれたのが“乗ることそのものが楽しい列車”だ。


移動の時間をより優雅に楽しんでもらおうと製造されたのが、いま二人がいるトワイライトエクスプレスに他ならない。


その豪華絢爛ぶりはフェミルの感嘆の声からも伺える。


車両の天井まである大きな窓を左右に、薄緑色のソファーが車両の端から端まで伸びている。


天井は木目調のシックなデザインで、見つめているだけで心が落ち着く。


ハヤト達がいるのはサロンカーと呼ばれる、いわばホテルのロビーのような客車だ。


穴が開くほど隅々を見ているフェミルの目はまるで大きな宝石を見つけたような双眸になっていた。


「す、素敵です!。ハヤト、この列車は何なのですか!?」


ばっとハヤトの方を向き、ねだるように質問した。


「このトワイライトは乗ることを楽しんでもらうために造られたのさ。」


ハヤトは得意になり続ける。


「トワイライトエクスプレスは日本のとある離れた街と街を1泊2日かけて走るんだ。それこそウェルニアの北から南の果てよりも長い距離をね。」


距離感がイメージできたのか、フェミルはさらに驚いた表情を出した。


「それだけ長時間乗っていたら、座席しかない列車だと退屈だし、第一寝れないでしょ。だからこうやって内装を豪華にしてお客さんに旅のひとときを楽しんでもらおうと工夫しているんだ。」


「す、素晴らしいです!。」


きゃっきゃっとはしゃぎながらフェミルは車内を歩き回った。


こうやって見るとフェミルは実に無邪気な子供っぽい。


いや、実際純粋無垢なのだろう。


公の場で見せる王女然とした振る舞いや宮殿のステンドグラスで見せたさびしげな表情は純真さから来る喜怒哀楽の一つなのかもしれない。


ハヤトはそんなことを思いながら、観察するようにフェミルの後を付いて行く。

続いて食堂車、Bコンパートメントと言われる2階建ての寝台車、A個室と呼ばれる少し豪華めの個室がたくさん並んでいる車両を手短に案内したところで、ハヤトとフェミルは列車の最後尾に到着した。


「ここが一番の目玉かな。」


横にいるフェミルはハヤトを見上げ、扉の前に向きなおる。


今さっきまで通ってきた車両は、食堂車を除く全ての客車が窓際に客室が寄せられていた。


この最後尾も例外ではないが、その通路は車両半ばで行き止まりになっている。

つまり、この扉を開けると車両の半分をも占有する何かが待ち受けていることになる。


ハヤトは横を見やるまでもなく、フェミルの全身から好奇心が伝わってくるのを感じた。


せっかくだしとハヤトはフェミルに頼んでみた。


「開けてみて。鍵はかかっていないはずだし。」


そう言われるなり、フェミルはハヤトの方を見た。


「よろしいのですか?」


コクッとハヤトは頷いた。


フェミルは一歩前に出て、ゆっくりとドアノブに手をかけた。


まるでそのしぐさは宝箱のふたを開けるような心地よい緊張感の表れだった。


カチャッ


ドアノブをひねる音が通路に静かに響く。


ゆっくりとフェミルガ扉を開けると、少し強い光が差し込んできた。


一瞬目を細め、フェミルは視点を合わせる。


扉を開け切ったところでフェミルが止まった。


刹那の時だったはずだが、その瞬間だけ時間が止まったように静寂が訪れた。


肌色のカーペットを基調に、ピンク色のかけぶとん使用したダブルベッドが部屋の中央壁際に設置されている。


奥には木目のついた足長の丸テーブルに、アンティークな長イスが二つ向かい合っている。


バックには客車の最後尾を全てガラスにしているのかというくらい大きな窓が昼の光をとりこんでいた。


トワイライトが今停まっている場所は、発車線の中でも一番北よりに位置しているため、窓からは遠くの山脈が絵のようによく見える。


まさに、イズンの宮殿の一室をそのまま繰り抜いたような光景だ。


信じられない。


フェミルは表情でそう言い、心を奪われていた。


「どう、すごいでしょ。トワイライトエクスプレス最上級個室、デラックススイートルームだよ。」


ハヤトが後ろから一歩近づく。


「美しすぎます。まるで魔法で宮殿の一室を再現したようにさえ感じました。このような列車があったなんて。」


フェミルは掴んでいたドアノブを離し、胸の前で両手を握り締めた。


彼女の目が宝石のように輝いている。


ハヤトはそんな彼女の様子を見て、得意な気持ちを持ちつつ安堵の笑みを浮かべた。


良かった。連れて来て。


「もう少し中を見てもよろしいですか?」


フェミルは振り返ってハヤトに尋ねた。


ハヤトは腕時計を一瞥する。


エスペランザの発車までまだ時間があるし、ハヤトは二つ返事でOKを出した。


「あっ、ただ入るときは気をつけー」


と言った頃にはもう遅かった。


室内は土足では上がってはいけないため、靴を脱ぐための玄関口のようなスペースが設けられている。


ちょうどそのスペースと室内は段差になっているから躓きやすいのだ。


だから、注意してとハヤトが呼びかけたのだが、聞く前にお姫様は好奇心に引っ張られて向こう見ずに最初

の一歩を踏み出してしまった。


「あっ。」


フェミルの声と共に、カツンと段差に躓く音が静かに響く。


今バランスを崩したフェミルは自力で体勢を立て直すことはできず、このままだと床に激突してしまう。


「危ない!。」


ハヤトは慌てて駆け出し、斜めになっていたフェミルの体を支えようとしたがだいぶ無理があった。


「キャッ」


「おわ!」


叫びと共に、千鳥足になりながら二人ともバランスを崩す。


床が目に飛び込んできたきたと思ったら、くるっと上を向いてそのままバターンと倒れこんでしまった。


「あう、痛え。」


視界が暗転したせいでハヤトは状況を掴めずにいた。


倒れた感触からして柔らかかったから床の上ということは無さそうだが。


そう思い、ハヤトは目を開けると思わず息を止めた。


すぐ目の前にフェミルの顔があったからだ。


それだけならまだ驚きはしない。


ベッドの上で彼女は仰向けになっていて、その上からハヤトが半ば押し倒したように覆いかぶさっていたのだ。


今にも泣き出しそうな瞳でフェミルがハヤトを見つめている。


彼女の透き通るような白い頬が桜色に変わっていく。


ハヤトは心臓の鼓動が高鳴って、頭が真っ白になっていた。


一瞬なのか、永遠なのかも区別が付かない沈黙が豪華列車のスイートルームを包み込んだ。


「あの・・・。ハヤト・・・。」


決まりが悪そうにフェミルが呟く。


彼女の声でハヤトははっと我に返った。


「うわっ!。ごめん!。」


ハヤトは覆いかぶしていた自分の体をすぐに離した。


続いて、フェミルも仰向けになっていた体を起こし、乱れていた白いストレートヘアを整えた。


「そ、その。本当にごめん。」


言葉がうまく見つからず、ハヤトは再び謝罪した。


「いえ、謝るのは私の方です。私の不注意でこんなことになってしまって。」


何かを請うような声でフェミルが頭を下げた。


微妙な空気が二人の間に流れる。


気まずい沈黙を続かせてはいけないと思ったのかフェミルが再び話し始めた。


「そう言えばですが、ハヤトはなぜ私をここを案内して下さったのですか?。」


少しぎこちない口調で尋ねる。


「えーと、それは・・・。」


ハヤトはボソッと呟き、視線を宙に泳がせる。


一番重要なことのはずなのに、さっきフェミルを押し倒したせいで完全に忘れていた。


「フェミルに肩の力を抜いてもらおうと思ってさ。」


「?」


フェミルはハヤトの意図するところを掴めなかった。


言葉足らずと分かり、ハヤトは続けた。


「フェミルはすごく勉強熱心で何でも吸収してやろうって気持ちが伝わってくるんだけど、ちょっと気負いし過ぎなんじゃないかって思ったんだ。もちろん、それはウェルニア王国の王女としての使命だからってことも僕は十分理解しているつもりさ。」


黙ってフェミルはハヤトの話に耳を傾ける。


「だからこそ、僕はフェミルに鉄道のことを好きになって欲しいんだ。」


「好きになるのですか?。」


「そう、列車の具体的な仕組みなんて小難しい話は二の次にして、鉄道のすばらしさを知ってもらおうと思ってこのトワイライトエクスプレスを見せたんだ。」


フェミルは半分ぽかんとした様子だったが、なんとなくハヤトの言わんとするところを理化したようだった。


何か新しいことを覚えるためには、いきなり本質に迫ることではなく、その物事が持つ魅力に目を向けるべきだ。


飛行機に例えるなら、離陸するメカニズムを勉強するよりも、実際に飛行機が飛び立つ瞬間をみて興味を持ってもらうほうが、うまくいく確率は高い。


鉄道においてもそのプロセスは変わらないだろう。


それはフェミルがこの列車で見せた反応からも明らかだった。


その物の魅力を伝える。


簡単なことのはずなのに、ハヤトはりつ子に言われるまで気づかなかったのだ。


ハヤトは情けない気持ちになりつつも、先日あのテラスで昼御飯を食べたときにアドバイスしてくれたりつ子に胸中で感謝した。


「ハヤト。」


「はい?」


隣に座るハヤトをフェミルは見つめ、少し間を置いてから言った。


「ありがとうございます。そこまで気遣って戴いたことを心より感謝いたします。」


「いや、そんな大それたことじゃないよ。そもそも、この列車を見せようと思ったのは僕の友人の助言の賜物さ。」


若干早口になりながら、ハヤトは恥ずかしさで目線を足元に落とす。


ふふっと、フェミルは小さく笑った。


「とても良いご友人をお持ちですね。」


「うん・・・、まぁ、そうだね。」


おせっかいなりつ子の姿を頭に浮かべながら、ハヤトは苦笑混じりに返事をした。


お互い笑ったせいで、気づけばベッドにだダイブしたときの沈鬱な空気は完全にどこかへ消えて行った。


そして、もうエスペランザに向かわなければならない時間だ。


ハヤトはすっと腰を上げいすまいを正した。


「よし、行こうか。」


はいっと、フェミルもゆっくりと立ち上がる。


乱れてしまったベッドをさっと直し、二人は沈黙する豪華列車を後にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ