国の事情
折り返し列車の乗務が夕方になるため、ハヤトはフェミルの寝室も兼ねた応接間で待機することになった。もちろんその間も研修としてフェミルと鉄道の勉強をしていた。
蒸気機関車から現在の最新列車に至るまでの歴史や、運転士に求められる能力、車両の駆動の仕組みなどをできる限り平易な言葉を選んでハヤトは説明した。
ハヤトが入社当初に使用した乗務員の入門書を使ったため、かなり噛み砕いて教えたがそれでもフェミルにはハードルが高かったようだ。
「つまり、ブレーキと言うものは強い空気の力で列車を止めているのですか?」
フェミルが怪訝そうに尋ねた。
「そう、電車にはコンプレッサーと言う機械があって、信じられないくらいの圧力を生み出すんだ。そこから作られた空気がブレーキシリンダーに伝わって車輪を押さえつけて列車が止まるのさ。」
ハヤトは説明するが、依然フェミルは眉間皺を寄せたまま黙っている。
フェミルの様子を見ると、レベルどうこうの話じゃなくないかもしれない。
何か、フェミルのイメージに訴えられるものはないかと、数少ないウェルニアの知識を搾り出し、ひとつ良さそうな例が浮かんだ。
「それじゃあ馬車を例にしようか。」
「馬車・・・ですか?」
フェミルはきょとんとした表情でハヤトの意図を掴めずにいる。
ハヤトは続けた。
「そう、馬車だよ。馬車はどうやったらとまるかな?」
「それは手綱を打って馬を止めればいいのですわ。」
「それでもとめられなかったら?」
えっと、フェミルは予想だにしていなかった問いに口をつぐむ。
だが、王女たるプライドゆえか、分からないという回答は出てこなかった。
「馬車の車輪を止めるしかないのでは?」
喋ってから突拍子がないと分かったのか、声に自信無さが伺えた。
だが、回答としては悪くない。
「そうだね、もちろん車輪を手で止めるなんて正気の沙汰じゃない。そんなことをしたら手ごともぎ取られてしまう。だけど、」
ハヤトが一間置く。
「熊ほどの力があり、手に鋼鉄のグローブをはめていたらどうだろう。」
「それはもちろん、馬車でも止められますわ。まさかハヤト、私をからかっておいでで?」
フェミルは子供のように頬を膨らませ、ハヤトを怪訝な顔を向けた。
ハヤトは苦笑して答える。
「いやいや、そんなつもりじゃないよ。今話したことはまさしく電車のブレーキのことなんだ。」
少し得意になりつつハヤトは話す。
「つまり圧縮空気という人一人が吹き飛ぶほどの力が制輪子という鋼鉄の手で車輪を押さえ込むんだ。ウェルニアで言うなら圧縮空気が魔法力みたいなもんかな。」
「なるほど。」
合点とばかりにフェミルは、その内容をメモした。
メモと言っても日本にあるようなメモ帳ではなく、近くで見なくてもざらつきの分かる薄茶色の羊皮紙だった。紙の上に添えつけの羽ペンをインクに浸し、フェミルはカリカリと記録する。
ハヤトはその様を物珍しげに見つめていた。
ハヤトの視線が気になり、フェミルが手を止め、ハヤトを見た。
「あの、どうかされましたでしょうか?」
「い、いや。羽ペンにインクだなんて日本じゃ見ないからついまじまじと。」
「そういうことですか。確か、日本にはボールペンという便利な筆記具ありますわね。
私も何度か使ったことがありますがとても書き易かったですわ。ただ、私はこの羽ペンが自分の手になじんでいます。」
掴んでいたペンををそっと机の上に置く。
フェミルの言ったとおり利便性よりも大切なものがあることを日常生活で示しているのは王女としての愛国心故なのかとハヤトは感じた。
その理由は今ハヤトとフェミルがいる部屋の内装からハヤトは思った。
ハヤト達がいるのは王宮の最上階にあるフェミルの寝室だ。文字通り、王女であるフェミルの寝床なのだが、来賓用の応接間も兼ねているため、寝部屋以上の広さと装飾が施されている。
ハヤト達が座っているテーブルはちょうど寝室の中央に位置し、部屋の扉を背に左手にはベッド、右手には戸棚や本棚というシンプルな構造で、ハヤトの正面に座るフェミルの後ろには一面窓が張られていて外はバルコニーになっている。
ベッドはフェミルほどの少女が二人大の字になって寝転んで有り余る広さで、天井からは刺繍の施されたベッドカーペンが降ろされている。
一方右手の壁際には歴代の王女と思しき肖像画が十数枚掲げられている。
他にも棚に置かれた調度品の数々といい、天井のまだら模様など、ハヤトには二度とお目通りできないような景色が二人を包んでいた。
部屋に入ったときは思わず立ち尽くしたが、集中力が途切れるとまた、部屋をきょろきょろ見渡してしまった。
そうしながらフェミルの頑張っている姿を見ると、ハヤトはいけないと思い心を切り換える。
ハヤトが室内をジロジロ見ている間にも、フェミルは黙々とペンを走らせているのだ。
教育係である自分だけ集中力を切らして言いわけがないとハヤトは心に喝を入れた。
上品な王女の寝室にフェミルのカリカリと羊皮紙に文字を走らせる音が静かに響く。
その姿にハヤトはひたすら敬意を表するばかりだった。
「すごい熱意だね。」
「はい?」
ハヤトの賞賛に、ペンを止めて羊皮紙に注視していた目をハヤトに向けた。
「いや、きみが必死になって勉強している姿をみると、僕も見習わなくちゃっておもってさ。」
「いえ、そんなことは・・・。」
フェミルは、ハヤトから掛けられた賞賛に少しうつむき加減に返事を濁す。
彼女の目が下を向きながらばつ悪く動く。
そのしぐさは照れ隠しというよりも、触れてはいけない琴線に触れたときのような反応だった。
ハヤトがフェミルのこんな表情を見たのは今回だけではない。
王宮前のステンドグラス前でもだ。そしてその前、城門前で起こったアクシデント。余りにもハヤトにはあずかり知らぬことが多い。
「フェミル!。」
「はい。」
語気強めに名前を呼ばれたフェミルは体をビクッとさせ返事をした。
一瞬間を置き、ハヤトはすうっと息を吸って尋ねた。
「今日、僕が城門で襲われそうになったことなんだけど・・・。」
そう言ったとたん、フェミルの表情が悲しみ混じりの真剣な面持ちに様変わりした。
一瞬沈黙が二人を包み、フェミルは観念したかのように小さくため息をついた。
「いつか尋ねられると思っておりました。」
フェミルは目を閉じ、カタっと羽ペンを羊皮紙を机の上に置いた。
フェミルが上目使いでハヤトを見据える。
「あの時はハヤトに不安な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。」
「い、いや。そんなことは全然気にしなくていいんだよ。別にフェミルが悪いわけじゃないし。ただ・・・。」
自ら切り出したものの、ハヤトはどう話を進めたらいいものか考えあぐねてしまった。
ほおを人差し指で掻きながらハヤトは宙に目を泳がせる。
フェミルは俯かせていた顔をあげ、ハヤトをまっすぐ見据えた。
「ハヤトはウェルニア、いえ、この世界のことをどこまでご存知でしょうか。」
予期せぬ突然の質問にハヤトは目線を天井に向けて頭の奥底を探った。
「気候と種族と、人口、国土の面積くらいかな。」
自分が持っているだけの知識を羅列させると、これだけのことしか知らないのかとハヤトは少し恥ずかしかった。だが、おそらくフェミルがハヤトにそのような質問をしたのはこんな表面的な回答を欲していたからではないと思う。それは岩をどけて裏に隠れている所かもしれない。
それはえてして汚れた場所なのだ。
フェミルは目を少し俯かせる。
羽ペンの先のインクが羊皮紙に滲み始めた。
「このウェルニアは四方を大小数十の国に囲まれた大国。ある国から別の国へ移動するには大半の場合このウェルニアを通らなければなりません。そのため、我がウェルニアそのものが諸外国との交易の要所として栄えてきました。しかし、」
フェミルは一瞬口を真一文字に閉じ、意を決するように核心を話した。
「時折、嵐などで交易が途絶えると諸国の民は苦しみ、富を奪い合うための戦が後を絶ちませんでした。今でこそ、規模が小さくなっていますが、戦争が後を絶ちません。誰よりも世界平和を願った我が父、ウェルニア国王は各国との和平締結に身を捧げました。」
ウェルニア国王。
その言葉をハヤトは反芻する。
数年前、ウェルニアとの路線が開通して間もない頃に日本への表敬訪問でウェルニア国王が来日していたときのことを思い出す。
ハヤトが見たのは中継されていたテレビの画面越しの国王だったが、少し年季の入った皺に大きな双眸と茶色いひげ、銀色の甲冑に青色のマントを纏った姿は良く覚えている。
いかにも民衆の心を掴みそうな力強いイメージの持ち主だ。
この話を聴いているうちにハヤトはますますフェミルの意図するところが分からなくなった。
「結構複雑なお国柄だね。だけど正門で僕が襲われそうになったこととウェルニアの国勢って関係があるの?」
ハヤトは素朴な疑問を投げかける。
今までの話と、日本人であるハヤトには何の接点もない。
ましてやハヤトのウェルニア訪問は初めてだ。
うらまれる筋合いがどこにも無い。
ハヤトの質問が核心を突いたのか、フェミルは口を引き結んだ。
「それは・・・、日本がもたらしてくれた鉄道に関係がございます。」
フェミルはハヤトの目を直視せず、つぶやくように言い話を続ける。
「この世界が不安定なのは、諸外国間に交易の障壁があるからです。現在でも物資の輸送手段は馬車や人手のみで隣国に届けるには何日もかかります。旅の途中には野党や獣に襲われる恐れも去ること名から、嵐に遭遇すれば運び荷そのものが台無しになる可能性もあります。その結果交易が途絶えがちになり、他国からの供給で成り立ってきた小国は追い詰められます。最悪の結果は国ごと滅ぶかもしくは」
「戦争」
ハヤトが付け加えるとフェミルはコクっと頷いた。
ハヤトが想像していたよりもこの世界は穏やかではないようだ。
フェミルは再びハヤトの目を見つめ、話を続ける。
「そして、鉄道はこの世界の暗雲を振り払う希望になるかもしれないのです。」
いきなりの突飛な発言にハヤトは目を見開いた。
「どういうこと?」
「はい、つまり鉄道の建設が進めば馬車で何日もかかっていたモノの輸送がわずか数時間で事足ります。独学で身に着けた知識ではありますが、鉄路は自然災害にも強いと聞きました。」
強いというほど鉄道は強力な手段かは分からないが、この世界で言う強力とは多少の雪や嵐でもビクともしないと言う意味だろう。
人一人くらいしか乗れない馬にわずかな物資しか積載できない馬車で何日もかけて国と国を横断することに比べたら、鉄道は奇跡の箱舟だ。
ハヤトはようやく趣旨を掴み始めた。
「つまり、鉄道輸送を普及させたら、不安定な交易はなくなるし、それに伴って戦争もなくなるんじゃないか。沿うフェミルはかんがえているんだね。」
いかにも、とフェミルは大きく首を縦に振った。
だが、フェミルの言わんとしていることはハヤトに大きな矛盾を突きつけた。
「それなら何で僕は襲われたの?鉄道を持ち込んできた僕たちならむしろ歓迎されるべきじゃ。」
ハヤトが尋ねるとはフェミルは言いにくそうな面持ちになる。
羊皮紙にしみていた羽ペンのインクが乾いて、紙の端が萎れていた。
「おそらく、あの者は職を失うことを恐れているのです。」
「仕事を?」
そう問い返したとき、ハヤトはある可能性が浮かび上がった。
訪れるかも知れない平和の未来と控えになること。
「鉄道がこの世界に普及すれば、大量のモノ、ヒトを高速で運ぶことができます。一方で、数多の品を運ぶことを生業としてきた行商人、馬屋、道中にある宿場町は衰退を余儀なくされることでしょう。」
「なるほどね。」
ハヤトの中で点と点になっていた事象が線になって繋がった。
つまり、鉄道員であるハヤトは将来あの人たちの生活を脅かしかねない害悪名となるわけだ。
恨まれる筋合いは十分にある。
初めて訪れた異世界の国での自分の立場にハヤトは複雑な思いが渦巻く。
知るべきだったような知ってはいけなかったようなウェルニアの事情で、寝室に沈黙が下りた。
さびしげな表情のまま、沈黙を破るようにフェミルが口を開いた。
「ですが。」
カタっと椅子から腰を上げ、フェミルはバルコニーの外を見つめる。
「私は信じているのです。」
ハヤトが座る位置からも見える彼女の横顔は、はるか遠くの景色を見つめているような面持ちだ。その表情と語気は確信に満ちている。
彼女はゆっくりとバルコニーに向かって歩き、入り口に掛かっていたカーテンを優しく開ける。
日差しは決して強くはないが、雲ひとつない青空の眼下に王都イズンの町並みが広がっている。
王都を囲む城壁の向こうには見渡す限りの草原に一本の線路がはるか彼方まで伸びている。
フェミルは景色を見つめたまま続けた。
「日本が私たちにもたらしてくれた鉄道は、ウェルニアにとってまさに奇跡の乗り物。いつか我が王国、いえ、この世界に平和をもたらす助けになってくれると確信しています。そしてエスペランザはこの世界の希望の象徴として語り継がれることになるでしょう。今は確かに軋轢があることは否定できない事実です。ですが、鉄道が普及すれば人々の考えも自ずと変わる。私はそう信じているのです。」
叫ぶようにフェミルが胸のうちを吐露し、カーテンを掴みながらハヤトの方を振り向く。
フェミルの顔は今にも泣き出しそうに見えた。
「確かにフェミルの言いたことは分かる。でも、僕にできることなんて・・・。」
何も無い。そういうしかなかった。
あくまでもこれは王女の鉄道研修であって、異国の平和に尽力することとは訳が違う。
「もちろん、私からハヤトにお願いできることは限られているかもしれません。でもそのわずかでもいい。鉄道の知識を深め、鉄道のすばらしさ、鉄道がこの世界にもたらしてくれる恩恵を多くの民に伝えることが私に課された使命です。私はその責を全うしなければなりません。」
フェミルは自分の胸に握りこぶしをつくる。カーテンを掴んでいるもう一方の手にはよりいっそう力が入っているように見えた。
ハヤトは思う。フェミルの助けになりたい。
同時に、自分にできることがウェルニアの平和に寄与するには余りに微力で、少なくない劣等感も感じた。
ハヤトはフェミルの後ろに広がる景色に目をやる。
バルコニーの外に広がる青々とした空と深緑の平原は、戦の絶えない国とが嘘みたいに平穏に見える。
だが、それは表面的なものなのだろう。
かつての大国が正義の名のもとに栄華を誇った一方で、迫害されてきた民族が存在したように。
「ハヤト。」
「はい!」
力のこもった声でフェミルが名前を呼び、ハヤトは反射的に敬礼口調な返事をした。
ハヤトは厳しい上官に呼ばれたときのように椅子の上で背筋を伸ばす。
白い髪をふわりとさせて、フェミルはハヤトの方へ向いた。
強い意志に満ちた彼女の青い双眸がまっすぐにハヤトを捉える。
すうっと息を吸い、フェミルは話した。
「どうか、短い期間ではございますが、このフェミルに力をお貸し下さい。」
ハヤトは心音が高くなるのを感じた。
椅子から腰を上げてハヤトは背筋を伸ばし、答えた。
「了解です。日本鉄道公社、高峰ハヤト。確かにその任仰せつかりました。」
慣れた動作でこめかみに指先を当てて敬礼した。
フェミルの目が見開き、希望に満ちたそれに変わる。
バルコニーからほの明るい陽光がカーテンの隙間から差し込み、優しく部屋を照らしていた。