ここにいる理由
ウェルニアが非常事態に入っているのは本当のようだった。
ケビュンの森を通過し、広大なヨルム平原を走行しているときは、平原の上空を飛んでいるドラゴンの数が若干多いくらいで、それ以外に変わった様子はなかった。
しかし、王都イズンに近づくと状況が一変していた。
線路と並走し、王都と各遠方都市を結ぶ交易路に、依然見た行商人や馬車の姿はほとんどない。
代わりに、人の二倍の長さはあろう槍を上に立て、鉄の甲冑を身に纏った兵士達が何百人と列を成して物々しく行進していた。
高速で走るエスペランザの運転席にいるハヤトからでさえも、列を成す兵士一人ひとりのさっきが伝わってくる。
その隊列は、線路の先にある王都イズンの城壁から途切れることなく続いていた。
これが戦時のウェルニアなのかと、ハヤトはあまりの光景に額から汗を滲ませる。
絶え間ない兵たちの流れに気を取られている間に、エスペランザは王都のすぐそこまで近づいていた。
制限速度標識が見え、ハヤトはブレーキをかける。
速度が45km/hまで下がった瞬間にノッチオフし、惰行したままエスペランザは城壁手前のレンガ造りの高架橋にさしかかった。
慌しく人影が右往左往する城下町を飛び越えて、王都最上層である王城1階のホームにエスペランザが滑り込んだ。
折り返し出発時刻までまだ5時間近くあるのに、まばらながらもホームに乗客が待っていたことにハヤトは驚いた。
列車を待っている人たちは皆在留邦人で、ウェルニア人、アールブ、もちろん獣人族の姿もない。
ウェルニアでしばらく商売ができないからなのか、戦火が王都にまで及ぶかもしれない不安から早く日本へ帰りたいからなのかは分からないが、ホームにいる人たちの表情は皆暗鬱だ。
前方の車止めと列車停止目標が間近に迫ってきて、ハヤトはブレーキをとる。
列車のノーズと停止目標がぴったり合う直前、シューっと言うブレーキシリンダーの排気音と共に、エスペランザは無事王都イズンに到着した。
同時に、最後部にいる車掌がドアを開ける。
時刻表を往路から復路のそれに差し替え、ハヤトはカバンを整理してホームに出る。
ホームには鉄道公社の職員が一人待っていた。
「お疲れ様です。弟9003M列車運転士、高峰ハヤトです。」
「ご苦労様です。同じく弟9003M列車に乗車します臨時乗務員の倉本達夫と申します。」
倉本と名乗るもう一人の乗務員は、元気良く挨拶をした。
ハヤトよりも背が小さく、ふくよかに腹が出ているからそれなりに存在感がある。
目は顔の脂肪が被さって細目に見えるが、瞳の奥に戦時中のウェルニア滞在に対する不安は見えてこなかった。
普段のエスペランザと違い、今日は大勢のお客さんを乗せて日本に戻るから、いつも以上にプレッシャーがかかる。
もし、走行中に列車に何か緊急事態が発生したら、運転士と車掌、臨時乗務員の三人で対応しなければならない。
新人運転士はその重圧に堪えられず、運転士をやめることもあるくらいだ。
そんなとき、倉本さんみたいなどっしり構えた人がいると、それだけで心強い。
負けてはいられないとばかりに、ハヤトも精一杯お礼を述べた。
「倉本さん、ありがとうございます。今日は終点大阪までよろしくお願いします。」
向こうも笑みで答えると、ハヤトはすぐ情報収集に入った。
「倉本さん。早速なのですが現在のイズンの状況と、お客様の安否を教えていただけますか。」
ハヤトはポケットからメモを取り出す。
呼応するように、倉本も真剣な面持ちになった。
「はい、戦時中ということもあって王都はかなり慌しい雰囲気です。ですが、王都そのものに差し迫った脅威はありません。今王都にいる在留邦人も皆宿から出ているか、もしくは出立の準備をしているところです。列車の出発まで時間もありますし、特に支障はないかと。」
倉本は淡々と情報を過不足なく伝える。
王都でいさかいが起こる様子はないと聞いてハヤトはホっとするが、お客さんが全員乗り、無事日本に帰還するまでは安心できない。
「情報伝達ありがとうございます。それと倉本さん、一つお願いしたいことがあるのですがよろしいですか。」
倉本は一瞬きょとんとした。
「はい、なんでしょうか?」
若干躊躇いそうになるが、ハヤトは口を開いた。
「僕、もう一つ仕事がありまして、王城へ出向かなければいけないんです。そこで僕が列車から離れている間、エスペランザで待機していただきたいのです。」
原則、旅客列車は緊急事態のために運転士と車掌の最低二人は列車内で待機しなければならない。
そのため、ハヤトがエスペランザを離れる代わりに、誰かが車内に残らなければならくなる。
フェミルにどうしても会わなければならないから。
ワガママを承知で、ハヤトは倉本にお願いした。
倉本は、ハヤトが想像していた以上に驚いた表情をしている。
それは特に、面倒事を押し付けられているからではなさそうだった。
「もちろんお引き受けしますが、今王城の警備はいつになく厳重です。そう簡単に入れるとは。」
「それでも、僕は行かなければならないんです。」
ハヤトが叫ぶように訴える。
今度こそ、倉本はびっくりして半歩下がった。
少々強引な態度を取っていることは承知だが、ハヤト自身も今ここで何もせず日本に帰ったら一生後悔するに違いない。
城へ入れないかもしれない懸念など、ハヤトの本能がねじ伏せていた。
横を見れば、ホームに入ってくるお客さんも増えている。
時間は待ってくれないのだ。
倉本はハヤトの事情を知らないが、ハヤトに並々ならぬ危機が迫っていることは伝わったようだ。
倉本は居すまいを正し、背筋を伸ばす。
「了解です。お気をつけて行って下さい。」
ハヤトは急に胸元が熱くなった。
倉本に対する申し訳なさと、期待に応える使命感がハヤトの心をいっぱいにする。
「ありがとうございます。エスペランザの発車までに必ず戻ってきます。」
お互い写し鏡の如く同時に敬礼をする。
ハヤトは倉本に乗務員カバンを預け、ハヤトは王城広場へ向かう。
ホームから広場へ抜ける道は、いつもより強い風が吹いていた。
広場の様子は、ハヤトが予想していた状況と全く違っていた。
広場には、駅舎にへばりつくように列車を待つ長蛇の列ができている。
まだ車内に入れないのかと腕時計を見て苛立ちを顕にするスーツ姿の中年や、政府関係者らしき人達とその家族。
どの人も例外なく、表情が不安と焦燥で陰っている。
変わっていたのはそこだけではない。
広場に王都市民の姿は一人も見当たらなかった。
かつて噴水近くで談笑していた獣人族の戦士とアールブ、遠方からやってきた旅の商人、傭兵、走り回る子どもたち。
誰一人として王城広場には存在しない。
まるで神隠しが起こったかのようにまっさらな光景が、ハヤトの目に飛び込んできた。
変わらなかったのは、淡々と水を吹き上げる噴水だけだ。
駅出入口を出て、左手の大階段を登り城門へ向かう。
左右に広がる城の入り口には、以前は三人しか衛兵がいなかったが、今日は四人等間隔で仁王立ちしている。
装備は銀色の甲冑と鎧に、長い槍は以前来たときとと変わらなかったが、始終周囲を見渡している様子から戦時下の緊張感がハヤトにも伝わってくる。
衛兵の一人が、階段を登ってくるハヤトに気がついた。
「何者だ貴様!。止まれ!」
殺意全開で槍を構えられ、ハヤトは思わず立ち止まった。
衛兵は、城に近づくものは皆敵と言わんばかりの気迫を出している。
「城への出入りは禁止だと街へは通告しているはずだぞ。それなのになぜ貴様はここに来た?」
ハヤトに槍を突きつけたまま、衛兵はジリジリと近寄ってくる。
残りの三人も駆け寄って来た。
ハヤトの心臓は死の恐怖で心臓がはちきれんばかりに脈打ち始めた。
このままでは訳も分からず串刺しにされかねない。
「まっ、待って下さい。僕は高峰ハヤト、日本人です。」
「日本人?」
警戒が緩んだのか、衛兵の槍が少し下に下がる。
「はい、私は日本鉄道公社でエスペランザの運転をしている者です。この度、弊社で研修中のフェミル姫様にお会いしに参ったのですが。」
ハヤトがそう言うなり、再び衛兵が怪訝な顔をする。
「フェミル様に?。バカげた事を言うんじゃない。貴様のような異世界の庶民がフェミル様と関わりあるわけがなかろう。」
「いえ、本当なんです。戦時中でお忙しいのは十分承知していますが、フェミル様に会わせてもらえませんか?。僕の名前を伝えてもらったら分かるはずです。」
「黙れ!。」
衛兵が怒鳴り、再度槍をハヤトの胸元に突きつけた。
「そんな話を聞いた覚えはない。そうか・・・、さては貴様スパイだな?」
ハヤトの緊張が一気に恐怖へ変わる。
「おかしいはずだ。街には城の入城を許可していないはずなのを知らない上に、貴様の焦り方は尋常ではない。貴様、戦争のどさくさに紛れてフェミル様のお命を奪おうとするガリアの手先だな。」
甲冑の奥から光る敵意の瞳がハヤトを射抜く。
残りの三人の衛兵も槍を構えなおした。
「そ、そんな。誤解です!。話だけでも」
「うるさい。小汚いガルデの狗めがあ。ちょうどいい、ここでお前の首をフェミル様への手土産にしてやろう。」
ハヤトの血の気が一気に引いた。
歯がカタカタとなり、逃げようにも蛇に睨まれた蛙のように動けない。
衛兵達が突きの構えで槍を一気に引いた。
「覚悟おおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
衛兵の叫びと共にハヤトがギュッと目を瞑ったときだった。
「おやめなさい!!。」
その声に、衛兵達とハヤトが門の方向を見たのは同時だった。
優美な王城をバックにハヤトと衛兵達を睥睨しているのはアルムだった。
以前見たメイド服の姿に、耳下に切り揃えられたストレートヘアは変わりなく健在だった。
しかし、衛兵を睨みつけるアルムには、前にハヤトに見せた穏やかなフェミルの側近の表情を持ち合わせていなかった。
「その方の仰っていることは事実です。ハヤト様はフェミル様の鉄道における教育係、言わばフェミル様に指示をする権限を与えられた人ですわ。」
アルムは城門をくぐり、ゆっくりとハヤトたちに近づいてくる。
本当にこんな奴が?と言わんばかりの目で衛兵がハヤトとアルムを交互に見やる。
しかしフェミルの側近であるアルムがそう言う以上疑えないと分かった途端、衛兵の一人が顔を真っ青にした。
その理由は誰に教えられなくとも、ハヤトにだって分かる。
「フェミル様の大事な客人をガルデの手先呼ばわりした挙句、そのお命まで奪おうとするとは・・・。」
衛兵四人の目を順々に見て、アルムはドスを利かせて凄む。
「報いを受ける用意はできていますわね?」
氷よりも冷たい問いかけに、衛兵達は鎧越しにカタカタと震えた。
甲冑のせいで彼らの目元しか見えないが、それだけでも衛兵たちの恐怖の色がハヤトにもはっきりと分かる。
自分達がどれほどの失態を犯したか骨の髄まで理解しているからだ。
つい先ほどまでのハヤトの恐怖心が、形を変えてそっくりそのまま転移している。
「ど、どうかお赦しを!!!」
衛兵達は槍を捨て、一斉にハヤトにひざまづく。
ここまで怯えて謝罪に入るとは、いったいどれほどの処罰が下されるのだろうと、ハヤトはつい先ほどまで殺されそうになったにも関わらず、衛兵たちの心配をしてしまった。
衛兵の一人がさっき言ったように、ハヤトの情報は彼らに伝わっていなかったのだろう。
戦時中ということもあるし、敵国の人間と誤解されても無理はない。
そもそも、この人たちに恨みはないしなあっと、ハヤトが顎を人差し指で掻いているときだった。
アルムがハヤトを横目に尋ねる。
「どうなさいますか?ハヤト様?」
生かすも殺すもハヤト様の自由ですが?と、彼女の目が促している。
ハヤトは少し考える仕草をするなり、すぐに答えた。
「いや、いいよ。今は戦争中ってこともあるし、それに焦りながら城に入ることを無理強いした僕にも非がある。衛兵さんたちは次から気をつけてください。」
衛兵達はハヤトの赦しを聞くなり、神の救いに預かった迷い子のように瞳を見開いた。
「ということでお前たち、ハヤト様のご慈悲に感謝なさい。」
「ははー!」
大げさなまでに衛兵達がひざまづく。
だが、ハヤトは人に頭を下げさせるのは自分の良心的に気が引けたので、もういいと衛兵達を解放した。
彼らが元の任に戻ると同時に、アルムが謝罪した。
「ハヤト様、このたびはご無礼を働き大変申し訳ございませんでした。この償いはアルムが代わりまして償い差し上げます。どんなことでも何なりとお申し付け下さい。」
「いや、いいよ!。そんなことより。」
そう、ハヤトにはやるべきことがある。
「アルム、フェミルは今どこにいるの?」
一瞬、王都にいない可能性が頭をよぎったが、ハヤトはとりあえず聞いてみた。
「フェミル様は今、神殿におられます。」
「神殿?」
聞きなれない単語を、ハヤトは復唱する。
「はい、フェミル様はお暇があれば、城のすぐ裏手にある神殿で祈りささげておられるのです。今は戦時中ということもあるのでしょうか、神殿で過ごされる時間が少し多くなっているように感じます。」
ハヤトには、その事が少し意外だった。
戦争中の国の王なら、政治的やりとりや戦争の指揮など胃を締めつけられるような決断に忙殺されているのではとハヤトは心配していたからだ。
やはり実権を握っているのはフェミルの父や兄のダリアンなのだろう。
難しい政治的な事情はハヤトの教養の範囲内でしか想像できないが、それは置いとき、フェミルには会えそうだ。
「アルム、ありがとう。フェミルに会いに行くよ。」
時間が惜しく、ハヤトが城門から城の中庭へ駆け出そうとしたときだった。
「待って下さい!。」
ハヤトは呼び止められ、アルムの方を振り向く。
アルムは口を少し開いて何かを言おうとしては、目をそらして口を閉じる。
しかし、意を決するようにアルムはハヤトを見据えた。
「なぜ・・・、またお戻りになられたのですか?。」
少し間を置き、フェミルが質問を重ねる。
「なぜ、またフェミル様に会いに来られたのですか?」
ハヤトはきょとんとする。
理由はアルムも当然理解しているものとハヤトは思っていたからだ。
ハヤトは自身満々に口を開いた。
「それはもちろんフェミル・・・。」
といったところで、大口を叩こうとしていたハヤトの語尾が窄む。
なぜここに来た?
自信に満ちて答えられるはずだったのに、ハヤトの意志が回答の言語化を困難にさせている。
会いに行くからなんなのだ?
会ってどうする?
最後にフェミルに会ったあの日、兄ダリアンと遭遇し城を放り出されてから全てを知って、ハヤトは何をすべきか分かっていたはずだ。
しかし、会うだけで何が解決されようか。
マルバラの悲劇で犠牲になった先代の王女、フェミルの母はもう戻っては来ない。
フェミルの心の傷を癒せるともハヤトは正直思っていない。
王都最上階の城で、非常な事実を浴びせてくるかのように強い風がハヤトの傍を吹き抜ける。
ハヤトが俯いていた顔を上げると、アルムが不安そうな眼差しをしている。
彼女が尋ねた質問には、実はアルムの中でも答えは出ているのかもしれない。
あえて問いをハヤトに投げかけたのは、ハヤトとアルムの答えに相違がないと知りたいからだろう。
早くあなたの答えを聞きたい。
アルムは訴えるような双眸を露わにしている。
ハヤトはなんと答えたらよい?
宙に答えがないなら地面にと思ったわけではないが、ハヤトは探すように目を下に向ける。
しかし、目に映るのは青く茂る芝生だけ。
苛立ちが募り、不意に顔を上げようとしたときだった。
ハヤトは、ズボンのポケットの奥にキラリと光る物を見つけた。
何だろうと手にとって見る。
入っていたのはエメラレルドグリーンに輝く宝石。
少し見つめるなり、ハヤトはそれが何かを思い出した。
アルムに案内されて、街で買った風の魔法石。
”アンタ、良い風をもっているじゃねえか”
魔法石商の野太い声がハヤトの脳内に響く。
このエメラルドグリーンの輝石が起こせた風は一度きりだったが、ハヤトは自問する。
石がなければもう風はできないのか、フェミルに思いを届けられないのか。
ハヤトは石をギュッと力を込めて、城の尖塔を見上げる。
初めてフェミルにここへ連れて来られたとき、ウラルのステンドグラスの前でフェミルは呟いた。
光はいつ訪れるのだろうと。
ハヤトは思う。
光は待ってて来るものじゃない。
ハヤトはじっと目を閉じ、決心したように見開いてアルムへ正対した。
「アルム、僕はエスペランザの運転士であり、フェミルの教育係でもある。僕はその職責を全うしなければならない。そして、その責任は果たされていない。だから僕は今ここにいるんだ。」
打って変わり、ハヤトはハツラツと答えた。
自分でも驚くほど、その答えはシンプルで嘘偽りはない。
問いかけたアルム本人も予期せぬ返答内容だったのか、目を丸くする。
しかし彼女の瞳の奥に失望の色はなく、むしろ期待に満ちたそれだった。
強張っていたアルムの表情が一気に安堵に変わる。
「了解しました。お気をつけて行って下さい。」
アルムが深く一礼する。
「うん!ありがとう!。」
ハヤトは精一杯の感謝を胸に、ハヤトは神殿へ駆け出した。




