蝶ドローン
合コンで知り合ったケチで女たらしのダメンズ・剛に弄ばれたアラサーOL・美咲は、ひそかに復讐を考えていた。
「ざけんなよ、この野郎!絶対、絶対にあいつに復讐できる罠を考えてやる」
キンキンに冷えたビールを冷蔵庫から取り出し、美咲はテレビをつけた。
テレビでは、ドローン規制についての法案の是非を問う討論が、学者らを中心に連日、繰り広げられている。例のいくつかの騒動が問題視され、それまで殆ど知られていなかったこの無人航空機の一種は、本来は空中や人の入れない場所での撮影などに重宝するのだが、正しい使い方をしない連中の法的対策が急務となっている。
美咲は、機械オタクの弟・和雄に相談した。
「じゃあさ、そいつの住所教えろよ。俺、いま超小型ドローンの研究をやってるんだ。その実験も兼ねていいなら、協力するよ、姉ちゃん」
聞けばこの超小型ドローン、モンシロチョウ程度の大きさで、外観は普通の蝶にしか見えない。よく見ると触覚を模した二本の小型アンテナが特徴で、若干羽根が固そうに見えるなど、まだまだ改良の余地はそこかしこに見える。
「なにこれ、超かわいい!で、これでどうするの?」
「コイツに、ソイツの大嫌いだっていうゴキブリの卵を括りつけ、マンションまで運ぶんだ。部屋の中に入るのは難しい。だから、ベランダで孵化させる。三日もすりゃ、ヤツのバルコニーはゴキブリまみれだ」
まあ、何という地味な復讐法…。とりあえず、美咲は和雄の説明を聞いた。
「でもさ、殺虫剤撒かれちゃったら、それで終わりじゃん」
「だからさ、その都度何度も飛ばすんだ。耐久性はテスト済みだから心配要らん。それが三ヶ月も続けば、ヤツは相当参っちゃうと思うぜ」
「うーん…、超地味だけど、ねちっこい性格の和雄らしい作戦ね。じゃ、これがアイツのマンションね。一階の、ここがベランダ」
一週間後。ゴキブリ繁殖大作戦の結構日の夜がやってきた。
「よし。落下防止の為に、両面テープでしっかり卵を固定して…」
かくして、ゴキブリの卵を腹に括りつけた和雄作の「蝶ドローン」はひらひらと、飛行に成功した。JPSも兼ねる小型アンテナが剛のマンションの方向を瞬時に察知。超小型カメラを内蔵しているおかげで、美咲と和雄が見るパソコン画面を通じ、蝶目線で現在地の様子がわかる仕組みだ。
蝶ドローンは、剛宅までゴキブリの卵を搬送することに成功した。見た目は普通の蝶で、しかも目を凝らして見ても、まるでゴミが浮遊しているようにしか見えず、周囲も剛も全く気付いていない。
これを一日一回、根気よく続けたおかげで、剛のマンションのベランダでは次々とゴキブリの孵化が始まっていた。
二週間後の夜。剛は、なにやらガサゴソとうるさいベランダの不気味な音で、目を覚ました。
「ウワッ!な、何だよこれ!ギャー」
ベランダには、今までに見たこともない大量のゴキブリが蠢いていた。
「ちょっと!お宅の部屋からゴキブリが入って来ちゃってるみたいなんですけど、ちゃんと掃除してるんですか?」
一部のそれらは一人暮らしの女性の隣室にも入り込み、それが剛の部屋からのものだとわかると、彼女は怒鳴り込んできた。
「生ゴミ置いてるわけでもないのに、なんでまた、急に…」
慌てて殺虫剤を撒く剛。だが、一週間も経たないうちに再飛来する蝶ドローンの活躍で、同じ状況が何度も繰り返される。
ベランダの手すりに佇む蝶ドローン。内蔵カメラからの、ベランダの状況をパソコン画面で確認する美咲と和雄姉弟。ひとまず、美咲の復讐目的であった剛への嫌がらせ作戦は成功したかのように思えた。
だが、ひそかにこの蝶ドローンの存在に気付いている者がいた。
剛の向かいのマンションに住む、生物学者の御前崎。彼は、最新の注意を払って飛ばした筈の蝶ドローンを、偶然にも電柱の街灯に一瞬、照らされた姿を見てしまったのだ。
「見たこともない珍しい蝶が飛んでるぞ!あれは何なんだ?日本にいない新種の蝶だとしたら、世紀の大発見だ」
御前崎は、百均で買った虫取り網で蝶ドローンを捕獲してしまった。
「あ、やばい!蝶ドローンが落下した!」
その瞬間、美咲と和雄の見ていたパソコン画面は真っ暗になった。
当然ながら自然界の蝶ではなく人工の蝶ドローンは、御前崎には単なる、初めて見る子供のおもちゃに見えたのだった。
「ちぇっ!何だよ。こんなもん要らねえよ」
失望した御前崎は、ゴキブリの卵が付着したままの蝶ドローンをごみ箱に投げ捨ててしまった。
三日後。御前崎の部屋にもまた、ゴキブリが大量発生していた。もちろん、その原因が捨てた蝶ドローンのせいだとは気付いていない。これまたゴキブリが大嫌いな御前崎は、ショックで寝込んでしまった。
テレビでは、ドローン規制法案が全会一致で衆議院を通過したニュースを伝えていた。