月光
夜風を纏いながら宜花は歩いた。池に月光が映り、金波となっている。
このまま夜が留まれば良いと宜花は不意に思った。喧騒のない静寂な夜が何故か心地よかったからである。
今の彼女からすれば朝はあまりにも眩しく喧騒に満ちていたからだ。
宜花は静かに目を閉じた。すると、風に乗って笛の音が聴こえてきた。
静かな夜に響く笛の音はしんみりとしている。どこから聴こえてくるのか分からないが、その笛の音に宜花は興味を持った。
そこに小寧が上着を持って現れた。すかさず宜花は聞いた。
「この笛の音は?」
「はい。蜀の太子のものでございます」
「蜀の太子がなぜ?」
「陛下に親書をお渡しにやって来たのでございます。公主さまには政治の話をせぬよう言われておりましたので申し上げませんでした」
「そう。ならば挨拶はしない方が良いですね。下手に挨拶をして疑われても困りますもの」
「さようでございますね」
皇帝は猜疑心の強い男だった。長子であったから皇帝になっただけの凡庸な男だったが、猜疑心だけはずば抜けていた。
この前も外国の使節と個別に会った異母弟を反乱者として処刑したばかりだった。皇帝は己が凡庸だと知っているからこそ、その地位が危うく誰にも奪うことが容易いのだと感じていた。
宜花は猜疑心の犠牲にはなりたくなかった。運命を犠牲にしているからこそ、自分がこれ以上、なにかの犠牲にはなりたくなかったのだ。
ふっ、と辺りが暗くなった。宜花が見上げると月が雲に隠れていた。小寧は言った。
「さあ、もうお休みなさいませ。明日は送別の儀がございます」
「わかりました。すぐに寝所で休みます」
宜花は小寧に体を預けて歩き出した。雲間から月光が現れたが、宜花は振り向いて眺める事はしなかった。
どこかで区切りをつけねばいけないと感じたからである。寝所に入った宜花は冷たい絹の布団に身を横たえた。そして全てを閉ざすかのように瞼を閉じた。