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9:森のピアノ

 

 胸のすくような森の香りがした。

 辺りが暗くてよく見えない。突然奪われた視界に軽いパニックになりかけたが、

「夜、だね」

 真鳥の一言で、状況が飲み込める。

 ――昼夜逆転。それも、そうか。向こうが昼だからって、こちらも昼とは限らない。

 それにしても、心臓に悪い。なるだけ時間帯は合わせてほしいものだと思う。


 真鳥は少しだけ右手の指を動かした。すると、徐々に視界が明るさを増していく。――夜目が、利くようになっている。これも身体強化の魔法の一環なのだろう。真鳥はさっきまでと同じ、よく目立つ白いワンピースを着ている。俺の格好も同じ(カッターシャツ+ジーンズ)だが、二人とも足元はスリッパではなくスニーカーに履き替えさせられている。

 どうやら、木材を組んで作られた小高い祭壇の上にいるようだ。周囲の木々の影は濃く、太い輪郭はそれぞれが闇に紛れて溶け合って、まるで巨大な壁に囲われてしまったようにも思える。木々の大きさが、日本の森とは比較にならない。まるで一本一本がケヤキの大樹だ。見上げても空が見えないほど生い茂った枝と枝が、夜風に揺さぶられて五月雨のようにざわめいている。


「あ、ピアノだ」

 真鳥は嬉しそうに一声上げてから、祭壇を下ってすぐの敷地に置かれているグランドピアノの方に駆けていく。――ほんとに送れるのか、グランドピアノ。どうせならついでに戦車でも送ってくれればよかったのに。

 周囲の様子を確認しながら、ゆっくりと後を追う。人の気配はない。ただ、太い木々の横枝の上に、ツリーハウスのような建物の影が幾つも見受けられる。小男たちはあそこで暮らしているのだろうか。――いや、先週見た限りでは遊牧民のような住居だったよな。また別の種族がいるのかもしれない。

 真鳥はピアノの蓋を開け、椅子に座った。椅子は高さを調節できる金具がついた代物で、これも地球から送られてきたもののようだ。

 真鳥は軽く俺に微笑みかけてから、目を閉じてそっと鍵盤の上に指を置く。


 控えめで、美しい音色が奏でられ始める。いたわるような優しい指使いに見えるのに、音はしっかりと耳の中に届いてくる。濁りのない丁寧な和音。正確に踏み継がれていくペダル。ゆったりとしたテンポと要所のタメが心地いい。まるで寝付けない子供をあやして、頭を撫でてやっているような、何処までも優しい音色が、木の葉のざわめきの中に染み入って、森全体に広がっていく。

 曲が終わり、真鳥が指を鍵盤から離すまで、口を挟むどころか、身じろぎすることもできなかった。


「――すごいね」

 他に言い表しようもない。拍手をしたいところだったが、自分の両手が打ち鳴らされる音でさえ、今は聞きたくないと思ってしまう。まだ耳の奥に旋律が残っているからだ。

「ありがと」

 真鳥は名残惜し気に蓋を閉めた。

「聞き覚えあるでしょう? ショパンのノクターン」

「うん。でも、こんなにいい曲だとは、思ってなかった」

「いい曲なのよ。夜想曲なりにいろんな解釈ができるけど、私は子守歌のつもりで弾くのが好きかな」

「子守歌か。たしかに、そんなふうにも聞こえたね。優しい音色だった」

「最後の方をちょっと変奏してるの。原曲通りに弾くと、どうしても最後の盛り上がるところに気持ちが入っちゃって、人を眠らせるのには不向きになっちゃうから」

「……眠らせる?」

「起こしたら悪いかなって。今の演奏で起きた人は一人もいないと思うよ。むしろ朝までぐっすりなはず」

 真鳥は自信たっぷりにそう言い放った。実際、誰が起きてくる気配もない。どのツリーハウスも灯りが灯りはしなかった。

「俺は眠くないけど」

「実物のピアノを弾いてるときは、そのくらいのコントロールはできるよ。エアピアノだとどうしても走っちゃうんだけどね。なんでなのかなぁ」


 ――へぇ、器用なものだな。

 てっきり大雑把な全体強化しかできないのかと思っていたけれど、ピアノを通しての魔法なら、効果や対象をきっちりと選べるらしい。


「どうしよっか。変な時間に来ちゃったね」

 真鳥はそっと椅子を引いて立ち上がる。

「そうだな……。ここが巫女の花園(シャンヴェリア)なら、ヴァネッタさんを探そうか」

「賛成」

「と言っても、手がかりないな。やっぱり誰かを起こして聞こうか」

「それは却下」と真鳥は言う。

「せっかく寝かしつけたんだから、ちょっと探り入れておきたいんだよね」

「探りって、どういう意味?」

「ヴァネッタさんが暁の魔女の一族の味方なのかどうかってこと。私は六分四分で敵かもしれないって思ってるの」

「彼女が……? それってもしかして、先週俺が余計なこと言ったから?」

 今にして思うと、いくら頭痛のせいで焦っていたからって、やりすぎたよな。これから一緒に仕事をしようってときに、あの言い草はない。

「そうじゃないよ。彼女がへそを曲げているとしたら、もっと前。実は彼女、一族への供与義務を怠ってるのよね」

「供与義務……?」

「私も全部知ってるわけじゃないんだけど」と前置きしつつ、真鳥は説明してくれた。


 暁の魔女の一族は様々な世界に領土を持っていて、その領土の大半を、地元の魔法使いに管理させている。何を管理させているかというと、精神体だ。


「精神体っていうのはつまり、思考や感情の履歴、データなの。上位の魔法使いたちはそれらを丸ごと読み取って、ただ単に楽しんだり、あらゆる世界のあらゆるものに転写したりできるの」

「データ……」

「地球のメジャーな宗教だと、死後の魂があの世に行ったり輪廻したりってイメージだけど。ほんとの精神体って、あくまでも肉体に付随してるデータに過ぎないんだ。独立して存在してるものじゃないの。いずれ地球の科学技術が進んだら、一族と同じことが科学でもできるようになるかもね。ある肉体に付随するあらゆる精神的な活動を、データにして保存する。管理者たちは、一族からそのための魔法を与えられているの」


「それって、つまり――。その世界のことならなんでも知ることができるってことか?」

「なんでもじゃないよ。ありとあらゆる生き物たちが、知ってることだけ」


 真鳥はそう言うと、目を閉じて胸元に手を当てる。

「例えば鳥が空を飛ぶ感覚とか、魚が水をかき分ける感覚とか、そんなものまで体験できるの。リアルタイムで好きな人が考えていることが分かったり、遠い昔の出来事を目撃できたり。とにかく、すごいの。はぁ……。私だって、小さい頃はそうだったのに」

 真鳥は切なげにため息をついて、小さく指を震わせた。

「今は、違うの?」

「うん。今の私じゃ、管理者なんてとてもとても。自分のデータなら好きなように閲覧できるから、勉強は捗るんだけどね。一度覚えたことは、基本、忘れないし」

「だからあんなに成績いいのか……」

 真鳥は謙遜しているが、俺からしてみればその能力だけでも羨ましくてたまらない。

「いんちきばれちゃったね」と真鳥は舌を出す。

「ほどほどにしといてくれよ。特待生の立場がない」

「あぁ、そういや服部くんって特待生だったっけ。一生懸命勉強してるんだよね。偉いねぇ」

 真鳥はにこにこしながら煽ってくるが、こっちは学費を節約するために必死こいて点数稼いでいるのだ。悪しき既得権者め……。そのうち足元掬ってやる。


「……話戻すぞ。ってことは、ヴァネッタさんから見れば俺の思考も筒抜けなんだよな。そういう大事なことは最初に教えておいてほしいんだけど」

 先週のはったりは何の役にも立たなかったということになる。ひどい間抜けを晒したものだ。

「ちゃんと対策はしてあるよ」と真鳥は微笑む。

「私たちの思考は読まれないようになってるから、安心して。疑似身体(ホムンクルス)にその辺りの対抗魔法はちゃんと仕込まれてるからさ」

「言い切れるの?」

「先週、服部くんのでたらめが通じたでしょう? ――それに、今の彼女はそもそも、管理者としての力を失っているはずなの」


 聞くに、この数カ月の間、ヴァネッタは暁の魔女の一族へのデータの供与を怠っているらしい。

 そういう場合、たいていは敵対している魔法使いに管理者が殺されたか、乗っ取られたかということになるそうだ。一族はすぐさまヴァネッタとの魔法的な繋がりを断ち、巨人の庭ジャウッド・ティアンスを注意深く監視しながら、敵の出方をうかがっていたらしい。


「今のヴァネッタさんに使える魔法は、彼女がこの世界で、自力で習得したものに限られる。管理者だった頃に使えていた魔法は、全て失っているはずだよ」

「そうか……」

 本当に、そうだろうか。

「仮にヴァネッタさんが裏切ったとするなら、何の対策もなく力を失うとは思えない。例えば一族と敵対している魔法使いに、似たような力を授かっているのかもしれないよな。――念のために、ピアノの傍にいた方がいいんじゃないか。ヴァネッタさんを探すのは俺がやるよ」

「大丈夫だよ。先週もう、会ってるでしょう? 何かあるならあの時に仕掛けられてるよ」


 それも……そうだな。ずいぶん真鳥を舐めてるみたいだったし、襲うなら先週襲ってるか。


「でも、あの襲ってきた骨格がヴァネッタさんの仕込みだったのかもしれない。今にして思えば、中途半端な攻撃にも思えるし」

「だとしても、やっぱり大したことないよ」

 真鳥はそう言い切ると、近くに落ちていた石ころを拾い上げて、ぎゅっと右手で強く握った。

 手のひらを開いて、こちらに見せてくる。石は砂粒のように粉々になっており、真鳥が息を吹きかけると、闇の中に舞い上がって、煙のように姿を消した。

 なんて握力だ。

「ピアノ弾けたからね。もう体の強化も終わってる。ともかく、彼女が寝ているうちに、直接精神体にふれておきたいの。口ではなんとでも言えるけど、データは嘘をつかないからね」



      ○ 


「ヴァネッタさんがここじゃ一番偉いんだろう? ってことは、一番立派な家に住んでるんじゃないかな」

「ふんふん、たしかに。じゃ、そこ目指して歩きましょうか」

 真鳥は両手の中指を三度こすり合わせてから、あやとりの紐を引くようにすっと手のひらを離した。

 すると、真鳥の手の中に巻物(スクロール)が現れる。――さっきの動作が、取り出すための鍵になっているようだ。

 巻物(スクロール)を覗き込むと、付近一帯の様子が簡素な記号で書き込まれている。今いる祭壇は段々の記号で表現されており、それと重なるようにして、棒人間が二人分書き加えられている。顔を寄せ合って地図を覗き込んでいる今の体勢が、まさにそのまま描き出されているようだ。

「ちょっと持ってて」

「分かった」

 俺が巻物(スクロール)を受け取って広げ直すと、真鳥は祭壇の周囲の白紙の部分を指で丸くなぞり始めた。すると、その軌跡に幾つかの三角形が浮かび上がってくる。その三角形の姿と重なるように、何人かの棒人間たちが寝そべっているのも見て取れる。家と、その家で寝ている人を表しているのだろう。

「音色の反響だけで、周りの地形とか、精神体の位置とか、ある程度把握できるんだ」と真鳥は言う。

「センサーにもなるってことか……。ピアノがあるだけで、まるで別人みたいだな」

「それってどういう意味?」

「すごいってこと」

 含みはない。さすがは魔女様だ。

「もっと褒めてもいいよ?」

 真鳥はまんざらでもなさそうにそう言いながら、少しずつ指を動かす範囲を広げていく。

 次第に、ツリーハウスの集落の全体像が見えてきた。家の数は三十ほど。人数は、一つの家につき三人か四人、多くても百を少し越えるくらいだろう。

 その中に一つ、一人の棒人間の姿しか重なっていない三角形を見つけた。たった一人に占有されている家は他にはない。きっとここにヴァネッタがいるのだろう。

 方向の把握に少し手間取ったが、巻物(スクロール)と暗い足元をこまめに確認しながら歩いていくうちに、目的の木にたどり着いた。

 木の幹には板切れがらせん状に打ち込まれていて、それを階段代わりにくるくると上っていくようだ。ずいぶんと危なっかしい造りをしている。この頼りない階段を毎日上っているのだろうか。幹を一周する頃には足元を確認するのが怖くなり、二周する頃には歯の根が浮いてくる。ずんずん上っていく真鳥に遅れないように必死でついていくと、三周した辺りでようやくツリーハウスにたどり着いた。

 ワンルームくらいの大きさだ。三角形の屋根をはり合わせた布で覆い、板壁と床の木材の幅はきれいに揃えられている。階段と比較すると几帳面な造りだった。

「おじゃましまーす」

 真鳥は小声で挨拶してから、遠慮もひったくれもなくドアを開けた。ミシリと音がして、ドアが軋む。どうやらつっかえのようなものが内側にしてあったようだが、ゴリラ並みの腕力になっている今の真鳥にとっては障害にならない。

 ヴァネッタは分厚い毛皮を何枚か敷いたベッドの上ですやすやと眠っている。物音にも反応した様子はない。――どうやら、寝るときは裸になる主義のようだった。うつ伏せ寝なのが悔やまれる。

「服部くん、外出ててね」

「いや、何かあったら大変だから、俺も見張っておくよ」と言い張ってみると、

「つねるよ?」と低音で脅された。

 仕方なく外に出る。破壊された半開きのドアの隙間からそっと様子をうかがうと、真鳥はヴァネッタの傍にしゃがみこんで、まるでピアノを弾くかのように、十指をヴァネッタの背中の上で動かしている。

 なんだか悪いことをしている気になってきた。あれだけされても大人しく眠っているということは、真鳥の魔法の力が本物だということだろう。

「魔法、か」

 よく分からない力だ。なんでもできるようでいて、何らかの縛りはあるらしい。真鳥の場合はピアノがそれだ。あるとないとじゃ大違い。先週とは別人としか思えないような有能さを発揮している。

 

 パーカーのポケットにいつの間にか入っている骨の欠片を撫でる。これが魔法の産物だとして、どういう効果があるんだろう。エーコさんははっきり教えてくれそうにない。真鳥に尋ねても分からないと答えられる。血なまぐさい夢を見せてくれる他には、今のところ、役に立ちそうもない。


 夜風に当たりながらぼんやりと巨人たちの戦いを追想していると、ようやく真鳥が中から出てきた。

「どうだった?」

「だいたい分かったよ」と真鳥は答え、悲しげに、とぼとぼと階段を下りていく。

 何も言わずに後を追う。下りは上りよりもずっと怖い。細い板切れを踏み外さないよう足元に目を凝らしながらゆっくり下りていると、


「ヴァネッタさん、裏切りそこなったんだ」

 真鳥は同情と哀れみの詰まったような口調で、ぽつりとそう呟いた。

 

 

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