5:ちょっとした狂気の縁
帰りのバスの中で来週までにハープの練習をしておくようにとしつこく言い含めていると、
「もういいから」と真鳥は機嫌を損ねてしまった。
「ヴァネッタさんがちゃんと祭壇作ってくれてたらいろんなものが送れるし、ハープに頼る必要ないもん」
「いろんなものと言っても、グランドピアノが送れるわけじゃないだろう?」
「送れます」
「そんな大きなものまで送れるの?」
「余裕余裕。といってもエーコさんが送ってくれるんだけどね」
真鳥が言うには、影送りと似たような要領で、物そのものを向こうに送るというよりも、物の模造品を向こうに複製する、というようなことらしい。
「複製というよりは投影って感じかなぁ。物体の量子的な位置を把握して、その情報を骨子にして向こうで再現するの。3Dプリンターと量子テレポを組み合わせましたー、みたいな原理、のはず。疑似身体も基本的には、こっちの世界の体をそのまんま再現している、ってことらしいよ」
歯切れが悪いなぁ。ともかく難しいことを平然とやれるのが暁の魔女のお偉いさんということらしい。
「でも、あのハープの攻撃力自体はすごかったじゃないか。適当にかき鳴らしてあれだけのダメージを与えられるってことは、練習してうまくなったらそれだけで庭中の骨が砕けるかもよ」
「文句言われるからやだ。もう弾かない」
真鳥は拗ねた口調でそう言って、スマホを取り出して落ち物のアプリゲームをやりだした。
ピアノは本当にうまいんだよなと念を押したくなったが、さすがにそこまで言うと魔女の怒りが火を噴くだろう。余計なことは言わないでおこう。
利くかどうかは分からないけど、いちおう耳栓を持っていこう。
○
駅前で真鳥と別れ、弁当屋に寄ってから家に帰ると、同居している伯父の服部宗人が、玄関に高く積まれた段ボールをひょいひょいと軽快に、仕事場である奥の和室に運んでいるところだった。
「ただいま」
「おかえりなさい。いいとこに帰ってきたな。ちょっと手伝ってくれ」
「何仕入れたの?」
「服だよ服。売れ線のミリタリージャケットの最新モデル。今回はけっこう固い商売だぞ」
伯父はミリタリーグッズやサバイバルゲームに使うエアガン、キャンプ用具など、アウトドアな商品を扱っているネットショップのオーナーだ。どのくらい儲かっているのかは決して教えてくれないが、いつもぼろっちい作務衣を着ているし、頑なに一日一食しか食べようとしないし、かなりぎりぎりの生活なのだろうと思う。
「弁当置いてくるからちょい待ってて。というか豚汁冷めるし、先に食べない?」
「豚汁? 豪気だなぁ。奢ってくれるのか」と伯父は目を丸くする。
伯父は毎晩弁当屋「ホームラン亭」の野菜炒め定食ばかり食べている。普通盛りのごはんに汁物もなし。修行僧のような食生活のせいでずいぶんと痩せているが、見た目より随分と丈夫で、風邪も引かない怪我もしない、重たい荷物もすいすい運んで涼しい顔をしている人だ。
その昔、高校を卒業してから十年ほどの間、禅寺にこもって修行をしていたというのはたしかなようだ。機嫌がいいときは仏教のありがたーい説話を披露してくれることもあるが、自分のことはめったに話さないので、それ以上のことはよく知らない。気さくな人でもあり、不気味な人でもある。そんな伯父だった。
「夏休みにバイトすることになったんだよ」
スニーカーを脱いで台所に向かいながら、いつもの弁当に豚汁が追加された経緯を説明する。
「おお、いいことだな。どんなバイトだ?」
伯父は段ボールをいったん置いてから、首にかけている手ぬぐいで汗をぬぐった。髪は五厘刈り、髭を丁寧に剃っていることもあり、実年齢(四十四)よりはだいぶ若く見える。独身で、一緒に暮らすようになってからもう三年以上になるが、女と話しているところは見たことがない。
「ハウスキーパーというか、どぶさらいというか。クラスメイトの親戚が金持ちでさ、そこの別荘を掃除するんだよ」
「ほう、親戚が金持ちのクラスメイトか。景気のいい話じゃないか。女か?」
「まあね」
「嘘も方便、詐欺も方便、生き方が親に似てきたな」
伯父ははっはっはと溌剌と笑いながら、流しで丁寧に手を洗っている。
「あれと一緒にしないでよ」
「まあともかくめでたいことだ。ということは、そちらに泊まり込んでの仕事になるのか?」
「たぶんね。庭がものすごく広くてさ。ゴルフ場みたいなんだよ。手入れするだけで日が暮れるだろうね」
「ふうむ、ゴルフ場か。ということは、夏の間はこっちの仕事を手伝ってもらえんのだな?」
「あっちの方が時給いいからね」
「いくらだ?」
「千円」――の三倍と正直に言ってしまうと、さすがに怪しまれるだろう。
「高校生に千円か……。負けた負けた。金持ちには勝てん」
伯父はテキパキと箸をテーブルに並べて、弁当の包みを袋から取り出す。寺での修行の成果だろう、日常のありとあらゆる動作がパリッとしているのである。
「ところで、外でバイトをするとなると、携帯端末がないと不便だろう。相手方にも迷惑がかかりかねん。建て替えといてやるから、近いうちにショップにでも行くか」
「じゃ、遠慮なくいいスマホ買ってもらおうかな」
席について手を合わせる。いただきますと唱和する。この辺の挨拶をしっかりしないと伯父は機嫌を悪くする。
「それにしても、今時携帯端末も抜きでよく女が落とせたものだな」
しかし、食事中の会話は大好きのようで、毎日シャキシャキ顎を動かす合間に話かけてくる。
「仕事を紹介してもらうということはそれなりの仲なのだろう。うん?」
「それなりの仲になりつつはあるよ。――まあ、向こうがいい子なんだよな」
「どんな子だ?」
「……一生懸命な感じの子」
真鳥は、教室の中では愛嬌と女子力を発揮して華々しく目立っているタイプなのだが、今日の出来事でかなり違った側面が見られた。
実際、携帯もなし、金もなしじゃ口説きようがないと思っていた。荻野と真鳥が同じ女子グループなこともあって、多少話す間柄ではあったが、脈があるかと言われると全然自信がなかった。
「ラッキー、なんだろうな」
今回のような事情でもなければ、仲が深まることはなかっただろう。
「けっこうなことだ」と伯父は頷く。
「人とまじめに付き合う真心が、お前にはある。男女の仲など一時の夢になるかもしれんが、縁を感じたなら大事にしなさい」
いかにも坊主らしい感想をどうも、と言いたくもなる。
「俺のことより、伯父さんこそ彼女でも探したら? まだ枯れる年でもないでしょ」
「もう枯れたよ。人と付き合う真心よりも、自分の孤独の方が大事だ」
この絶妙に突っ込みにくい抽象的な切り返し。見事なものだ。
○
食器を洗って伯父の仕事を手伝う。様々な商品が整然と積まれた八畳の和室に、また段ボールが増えていく。
この家は祖父の代からの持ち家だ。そこそこ広い二階建てで、この家がなければ俺も伯父も、今は刑務所で臭い飯を食べている父もまとめて路頭に迷っていることだろう。祖父の姿は遺影でしか見たことがないが、感謝してもしきれない。
「先に風呂入りなさい。私はまだ作業があるから」
ハンガーラックに吊るしたミリタリージャケットのタグを確認しながら伯父は言う。
「じゃ、いただくね」
着替えを取りに部屋に向かう。部屋は二階の階段を上がった右手にある。飾り気のない部屋だが、伯父が譲ってくれたベッド代わりの室内ハンモックだけが唯一の自慢だ。冬は寒くてゆらゆら揺れてもいられないので、売れ残りの寝袋を使って寝ている。
タンス代わりのプラスチックケースから着替えを取り出していると、
ぎしり、ぎしりと、突然背後のハンモックが揺れ始めた。
ぎょっとして振り向くと、そこには白いパジャマ姿のエーコさんが仰向けに寝そべっていた。
「え……え……?」
「このハンモック、いい感じだね。私も買おうかなぁ」
エーコさんは猫のように体を丸めたり伸ばしたりしながらご機嫌である。
「――なんでここに?」
「魔女だから」
「……左様でございますか魔女様」
なんとなく突っ込む気力が失せてしまった。どうにでもなれだ。多世界とやらを好きなように移動できるのだから、当然、地球上の移動も思いのままなのだろう。不思議の国のアリスのチュシャ猫のようなものだと思っておこう。
「お茶でも飲みます?」
「おかまいなくー」
「で、何の用なんですかね」
そういや俺、いつの間にか敬語で話しかけてるな。姿かたちは子供なのに、なんとなくそうした方が自然だと、心が納得してしまっている。
「セールストークをしに来たんだよー」
エーコさんは小さなお尻でぐりぐりとハンモックを揺らしながら、器用にあぐらをかいて、こっちを見上げる。
「ちょっと長くなるかもだから、お風呂入ってからにする? 待ってるよ」
「……なら、そうさせてもらいますね。伯父は風呂の順番が狂うのが嫌いなんですよ」
「偏屈だねー。じゃ、いってらっしゃい」
「いってきます」
部屋から送り出されてしまった。なんじゃそりゃ。登場のタイミングがおかしいだろ。こっちがのんびり風呂に入ってから出てきてくれればいいのに。
風呂場は一階の、伯父の部屋からトイレを挟んだ向かいにある。洗面所兼脱衣所に入って服を脱いでいると、パーカーのポケットに膨らみがあることに気が付く。
取り出してみると、巨人の庭で拾った骨の欠片だった。――ん? これってどういうことだろう。真鳥の説明によると、俺は影送りで精神だけを向こうに飛ばされていたはずだ。向こうの疑似身体が拾ってポケットに入れた欠片が、ここにあるのは理屈に合わない。
どういうことなんだろうなと不思議に思ったが、考え込んでも答えは出ない。そもそも異世界に渡るということ自体がまだピンときていないのだ。せっかく部屋にいるのだし、あとでエーコさんに聞いてみよう。
風呂場に入って、湯船を覆うロール式のふたをめくると、
「やっほー」
――栗色の髪の裸の幼女が、膝を抱えて小さくなりながら、俺より先に浸かっていた。
「な……な……」
舌がもつれてうまく言葉が発せられない。
「あはは、びっくりしてるねー。ドッキリ大成功だね」
エーコさんはいかにもぷにぷにしていそうな二の腕を湯船の縁に置いて体を支えながら、足先を動かしてぴちゃぴちゃと水面を波立たせる。
「まじ勘弁してください」
「私もお風呂まだだったんだもん」
「自由すぎるでしょう。事によっては警察呼びますよ?」
「そしたら捕まるのは君だねー」
……それもそうだ。
騒いで伯父に見つかるのが何よりもまずい。
「さっさとドア閉めてよ。寒い寒い」
――だんだん腹が立ってきた。腰にタオルを巻いて体裁を整えてからドアを閉める。
「エーコさん、ちょっと」
しゃがみこんで手招きすると、エーコさんは無警戒に顔を寄せてきた。
そのほっぺたをつねってやると、エーコさんは痛そうにするでもなく、にへらと子供そのもののように、表情を崩した。
「おほった?」
「怒った。次やったらしっぺな」
「ごめんなはーい」
調子が狂う。得体の知れない生き物が、子供の皮を被っている。――禍々しい。
手を離してシャワーの蛇口をひねる。テキパキ洗うものを洗って、さっさと出よう。
「お詫びに背中流してあげようか?」
「おかまいなく」
無言で頭と体を洗っていると、エーコさんは退屈なのか、手のひらを組んで水鉄砲を飛ばしてくる。邪魔だなぁほんと。なんとかしてやりこめられないものだろうか。
体を洗い終わって風呂場から出ようとすると、
「交代交代」と、エーコさんが湯船から上がって、小さな足をぺたりぺたりと簀の子につける。
「湯船浸からないの?」
「浸かりません」
「浸かってよ。仕事の話するからさ」
「部屋でしましょうよ」
「風呂場でしかできないぶっちゃけトークもあるんだよ」
「付き合いません」
「じゃあ大声出して世間に存在を知らしめるよ?」
――くそう。どうにもならん。状況が悪すぎる。
湯船に浸かって幼女が体を洗うのをぼんやりと眺める。特にシャンプーやボディーソープにこだわりはないらしい。まあ、子供だからな。
「質問があるんですけど」
せっかくだから、拾ってきた骨のことについて、聞いてみることにした。
「巨人の庭で骨を拾って、なんとなくパーカーに入れてたんですけどね。それをそのまま、こっちに持ってきちゃったみたいなんですよ。真鳥の説明だと、精神だけが向こうとこっちを行き来していて、向こうの体は使い捨てなんだから、アイテムの持ち越しもできないですよね。これってどういうことなんですか?」
「ふむふむ。では問いましょう。君の精神とはなんぞや?」
エーコさんは洗いタオルを泡立てながらそう聞き返してくる。
「俺の精神……? まあ、思考とか、記憶とか、無意識とか、そんなようなものですか?」
「そうだね。概ね、そんなようなものの集合体だよ。ということは、こうも言えると思わない? 思考されたもの、記憶されたもの、無意識化されたものは、君の精神に取り込まれている君の一部なのではないか」
「……はぁ」
「ピンと来ないみたいだね」
エーコさんはしゃこしゃこと首の周りを擦りながら、愉快そうに微笑む。
「君が持ち帰った骨は、君が精神に取り込んだ骨なんだ。実物は疑似身体が塵に還ったときに地面にポロリと落ちて、それまでさ。君が取り込んだ骨をどう使うかは、君次第だよ」
「……ピンと来ないです」
「寝れば分かるさ。君ももはや、多世界を漂う魔法使いの一人なんだ。夢の見方が今までとは変わってくる」
「魔法使いって……俺が?」
「チカに魔法をかけられるだけのでくのぼう、というわけにはいかないよ。君はチカのパートナーであると同時に、私の使いっぱしりでもあるんだからね」
「……やっぱり、風呂場でする話じゃないですね。集中できない。さっぱり付いていけそうもない」
「お? 私の裸に興奮してるの?」
「冗談。つるぺたでしょうに」
「あらら、そっちの趣味はないのか」
エーコさんはシャワーで体を洗い流すと、何処から取り出したのか髪の毛をゴム紐でくくって、いそいそと当然のように、俺の浸かっている湯船に入ってきた。
――お湯があふれる。
「影送りは暁の魔法使いが生み出した画期的な発明なんだ。命の危険を伴うことなく、気楽に好き勝手に冒険できる、楽しい魔法。でも、デメリットがないわけじゃない。体と切り離されて無節操にあれこれ取り込んでしまった精神は、多かれ少なかれ、狂っていく。死、苦痛、罪悪感、魔法使いはできることが多い分、余計なことに苦しまなくちゃならなくもある」
ぷにぷにした腕を俺の腕に重ねながら、エーコさんは予言とも警告とも取れるようなことを言う。
「君はあの骨を取り込んだことによって、ちょっとした狂気に侵されることになる。それは、選びようのないことなんだ。精神はなんでもかんでも取り込んでしまう。運命、縁、因果、そういう言葉でしか表現できない、唯一の偶然。魔法使いは、そういうものを読み解いて、少しずつ狂いながら、自分なりの魔法を身に着けていく。――そのちっぽけな骨の欠片が、君の始まりだ」
――と、言われてもな。
「ありがたいお言葉は、無意識の方に取り込んどいておきますよ」
「うん。――君は自分で思っているよりも理解している。だからくれぐれも、チカに寄りかかりすぎないように、気を付けてね。引き際は自分で見極めるといい。懐具合と精神の健康を天秤にかけることだね」
「分かりましたよ。金もらってるんだから、辛い目にあっても、真鳥を責めるなってことですね」
「ざっくりしてるけど、素晴らしい理解だよ」
エーコさんはそれきり子供になりきって、体拭いてだの髪乾かしてだのと好き勝手な要求を繰り返してきた。
「そろそろ時給が発生しますよ」と追及するとあっけなく「払う」というので、バスタオルで体を拭いてやってから、いつの間にか脱衣所に置いてあった着たきりパジャマを着せてやった。
ドライヤーで髪を乾かしてやるうちに、随分と時間が経ってしまった。おそるおそる洗面所を出てそうっと階段を上るよう促したが、エーコさんは遠慮もへったくれもなく牛乳を求めて冷蔵庫に向かってしまう。
おりしも台所には作業を終えた伯父がいて、文庫本を読みながら風呂が空くのを待っていた。
「どもどもー」と手をひらひらさせながら勝手に冷蔵庫を開けるエーコさん。
しかし伯父はまるでその姿に反応しない。声すらも聞こえていないようだった。
「お風呂空いたよ」
「うむ」
読書が佳境に入っているのか、顔も上げずに返事をする。
――たぶん、エーコさんが魔法で何かやっているのだろう。勝手だとは思うが、邪魔はすまい。俺だって、伯父の精神に余計なものを取り込ませるのは、嫌だからな。
「牛乳もらってもいいよね?」
「あとで牛乳代くださいね」
「けちー」
牛乳代払うんだったら一本丸ごともらっていくと言い張って、エーコさんはコップも使わずにぐい飲みでごくごくとやると、そのままパックを持って廊下を歩き出した。
まあ、素直に玄関には向かわないだろうなとは思っていたが、当然のように階段を上っていく。
「まだ帰らないんですか?」
「用が済んでないし。お風呂場でのぶっちゃけトークは楽しめたけど、ビジネストークの方はまだやってないよ?」
まだなんかあるのかよ。
「ビジネストークってなんですか? 給料が日払い可能とか?」
「日払いにする? どっちでもいいよ」
「断然日払いがいいですね」
たしかに、その辺のことはもう少しきちんと詰めておいた方がいいな。交通費も請求しないとだし。
「でもとりあえずさ、課金アイテムの話しない?」
エーコさんは階段の上で振り返って、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。




