29:雲外蒼天
石棺から手を伸ばすと、ちょうど両手が天井にぴったりとついた。
非現実的なサイズと重さに歯を食いしばっているうちに、何処からか伸びてきたバオバブの根が何本も絡みついてきた。指先からくるくると肩まで伝って、がっちりと固定してくる。
(接続完了、ってことで。目を閉じて)
言われるままに目を閉じると、途端に両手が膨れ上がった。指が何十本にも増えたようなおぞましい痛痒感が腕を伝ってくる。グネグネと勝手に動いては地面の隙間という隙間に潜り込み、水気を肌という肌から吸い取っていく。指の根元までびっしりと口が生えたような不快感。あまり意識をやると気が狂いそうだ。
(バオバブと感覚繋げたから、大体の地面の深さとか掴めるんじゃないかな。根と幹の境目の辺りだよ)
(植物の感覚なんて知りたくなかったんだけど)
(何事も慣れだよ。植物タイプの疑似身体だってないことはないし)
(そんなもん何処で使うの?)
(虫と植物しかいないような世界もあるから。で、どう?)
(――なんとなくじんわり来てる部分が頭の上の方に……)
(おっけー。それが光合成中の葉っぱだよ)
(ってことは幹がこの――すごく長い喉? 喉が幾つあるんだこれ)
(バオバブ十二本連ねて連結してるの。円状に配置してぎっちり根で周りの土を固定してる。中心部からは水を吸い抜いてなるだけ軽くしてるから、上の地層から順番に吹き飛ばしていけば大穴開けても崩壊しないはずだよ。全体の感覚、掴める?)
(掴みたいけど……。難しいな。刺激が、感覚が多すぎて何がどうなってるのか)
体中を逆巻く水の流れ。根先で土を抉る滑らかな心地よさ。腐水の味は――飲みごたえがよく、スッと無数の喉を通って幹に吸い込まれていく。幹はパキパキと内側から破れ続け、地球の木々なら年単位でする成長を数秒で終えてしまう。天を衝くような枝ぶりは陽光に向かってアンテナのようにみっしりと蠢く。葉の一枚一枚まで水が詰まり、まだ足りないまだ足りないと光を求めている。一体何処まで伸びるつもりなのか――。環状に膨らんでいく体たち。全能感と飢餓感。キスキアのそれを思い出す。
(むしろ刺激がない、ぽっかり穴が開いてる空間があるはず。そこに意念を向けてみて。最初は軽くね)
無数の根先が壁に突き当たる。この先には行けない――行きたくないと無数の指が思っている。乾いた土を避けるべくもっと深く、岩盤を貫いてその先のごちそうを啜る。だがそのごちそうも長くは持たない。もっと深く、もっと奥へ。柔らかくて吸い付きやすい土を――。ああ、そうか。分かってきた。この土の質の感覚が地層か。
たぶん――この辺りか。幹や太い根が傷まないように、ポップコーンを一粒弾けさせるようなイメージで、意念を飛ばす。
(もうちょっと下から、突き上げるように)
ならばと太鼓を叩くくらいの気持ちで、面を意識しつつ意念を飛ばす。砂埃が舞い、土砂の雨が幹にぼたぼたと降りかかる。えぐられた地層からの振動が指先を震えさせる。――大丈夫だ、下層の岩盤は十分に固い。
(それくらいの力加減だね。小刻みに連打しよっか。BGМは、えーっと、よし。火山になったつもりでいきましょう。フニクリフニクラの和音に合わせて)
真鳥は言うや否や軽快に左手を弾き出した。くすぐってくるようなリズミカルな和音が脳裏に染み込み、意念のトリガーを半ば勝手に押す。爆音の連打と振動が木々たちの幹や根を通じて跳ね返ってくる。本能的に根と根が絡まり、まとまって壁のように土を固める。自分たちの根拠を全て持っていかれないようにと。一方で振動からの手ごたえが、見えもしない地表の感覚を教えてくれる。もっと深く、もっと激しく。意念を強めることは難しいことではない。なにせフニクリフニクラはノリがいい。ノリがいいけど中学校で合唱やらされたときの記憶が蘇って少々気恥ずかしくなる。あの日本語の歌詞ときたら。
(歌ってくれてもいいよ?)
絶対やだ。――集中しよう。真上に意念を向けるだけではダメだとだんだん分かってくる。飛ばした土砂が滝のような雨になって戻ってくるからだ。太鼓のふちの傍を叩くように、角度を付けながら少しずつ、小刻みに。行こう行こう火の山へ――。あーくそ、ダメだ。歌っちゃう。
○
バコン、ベコン、ズダン、ズドンと、岩盤越しに響いてくる振動が徐々に重くなる。相当深くまで来たなと思ううちに、フニクリフニクラの大サビが唐突に途切れた。
(ふにっくりふにっくらーぁああ、よっしストップ。最後の岩盤は特に慎重に吹き飛ばさないとね)
(いいところだったのに)
(まあまあ。ちゃんとオチは付けるよ。さあ、立ち上がろっか。まずはゆっくり膝上げて。親衛隊のみんなはウゲンチャさん回収して避難ね。あ、そうそうポキィちゃん。――うん、そうそう。大丈夫、水気があるかどうか分かるんでしょ。――うん、お願いね)
真鳥はポキィに何事かを頼んだらしい。わざわざ隠す意味のあることだろうか。親衛隊たちはチームワークよく石棺を乗り越えているようで、微かな足音が耳に響いてくる。
(じゃ、そのまま巨人の足元に隠れててね。うん、みんな揃った? ポキィちゃんは? ――よし、ありがとアーズァンダーさん。準備おっけー。服部くんはこのまま立ち上がって岩盤持ち上げて。今からバオバブの根っこ無理やり差し込んで切れ目入れるから)
言うや否や、最下層の根が一斉に土の中でたわんで、不穏な地響きを響かせた。槍のように繰り出された無数の根先は、岩盤の固さに潰されながらも無理やりに押し込んで、玄室の天井を破壊していく。落盤がそこらじゅうで発生し、玄室の入口は埋まってしまった。
――やるしかないか。
腹筋に力を込める。――その肉の、筋の多さ、一つ一つの大きさ。熱量。腕に力を込めて体を起こすと、支えていたバオバブの根が何本もちぎれて落ちる。太ももからふくらはぎ、足先へと順々に意識を移す。この鈍い感覚。立ち上がるだけでも簡単じゃない。体をかがめて、膝を曲げて、意識をやって背筋を伸ばす。肘を曲げて、岩盤に頭と指を突き立てる。やっと体勢が整った。
力を込めて、岩盤を押す。ギシギシと凄まじい擦過音が裂け目から響いてくる。ぶちぶちと潰れるのを嫌って根は急速に引っ込み、円形の隙間が後には残る。
やってることはマンホールの蓋を持ち上げるのと同じだ。巨人の筋肉と真鳥の強化魔法のおかげか、それほどの重さは感じない。むしろ力を込めすぎると岩盤にピキリとひびの入る感触がある。うっかり崩壊させてしまうと足元のみんながどうなるか分からない。ゆっくりと膝を伸ばし、肘を伸ばしていく。どれほど気を付けても円周の部分はぽろぽろと崩れ落ち、そこから新鮮な、生臭いけれど地下よりはよっぽどマシな風がこぼれ出てくる。
やがて手足はすっかり伸びきった。見下ろせば高層ビルほどの高さがあり、足元の様子はよく分からない。だが、まだ高さが足りない。このまま指の先まで伸ばしても、地上まで岩盤は届きそうになかった。
(こっからどうする)
(そこまでで大丈夫だよ。そのまま支えておいて。そこならバオバブの枝が届くから)
(枝?)
円周部の隙間から無数のしなやかな枝先が顔をのぞかせる。それは枝というより、細かな節に分かれたミミズの胴体のような見た目をしていた。葉は一葉もついていない。明らかに光合成のための枝ではなかった。
(地下に下りてから思ったより大変だったけど)
無数の枝は縦に横にと絡みつき、岩盤を隙間なくみっちりと囲っていく。
(これでやっと、出られるね)
弾力溢れる無数の枝が、パチンコのゴムのように引き絞られていく。腕にのしかかっていた重さはやがて、指で掴んで止めるのが精いっぱいなほどの張力へと移り変わっていく。
(合図で指を離してね。――せーの、やっぱやっぱや、ふにっくりふにっくら、っへい!)
真鳥が曲を弾き終えたタイミングで指を離すと、岩盤は瞬く間に空へと放り出された。枝はばらけ、雲一つない晴天が巨大な穴から顔をのぞかせる。
本当に、地下に下りてからそう時間は立っていないはずなのに、なんて空が懐かしいのだろうと、じんわりと嬉しさが心のうちに広がってくる。
やがて遠くから地響きが聞こえ、岩盤が何処かに落ちたのが分かった。何もかもが非現実的なサイズだった。バオバブも、巨人も。思いきり息を吸うだけで鼻の奥から風鳴りがしていることが、今もなお、信じられない。
(とんでも、ないな)
この巨体に入っているせいか、地下での危うい戦いも、自分のもう一つの精神体が腐ったゾンビになったことも、それほど騒ぐこともない気がしてきた。魔法とは、一体何処まで事をなせるのだろう。真鳥は何処でどうやってこれほどの魔力を身に着けたのだろう。
(油断しないでね)と真鳥は言う。
(むこうもそれなりに強敵だって、分かったから。あと、ほんとごめん。ゾンビ化した方の服部くんの精神体は、たぶん回収できないと思う。いちおう死ぬまでの流れは私を通じて伝えられるけど)
(いいよ、あんなおぞましいの、同期したくないし。――それよりさ)
聞こうかと思ったが、聞くまでもないだろうなと思い直した。
たぶん、ここにいるこの俺は、事が終わるまで、巨人の体から出られないのだろう。意念でなんでも吹き飛ばせる強力な兵器は、当然、意念がなければ使い物にはならない。もちろん、この中で眠っているキスキアの意念を起こすわけにもいかない。
(それより?)
(俺の精神体ってけっこう手軽に複製できたりする?)
(適切な脳があれば手軽にできるよ)
(なら、人間サイズの疑似身体もう一体用意して、作っておいてくれないかな。いくら巨人の体でも残機ゼロだと不安になる)
(うーん、いいけど。でも、疑似身体作るのはエーコさんに頼むことになるから、有料だよ。たぶん十万くらい取られる)
(……有料なの?)
(うん。だから、なるべく死なないように気を付けてね。その分儲けが少なくなっちゃうから)
……そうだった。すっかり忘れかけていたけど、そもそもこれバイトだった。
(えーっと、時給いくらで死んだりゾンビになったりするんだったっけ)
(三千円。――嫌になった?)
――三千円。
いや、やっぱ、高いわ。
死んだりゾンビになるのを含めても、破格だわ。
(頑張らせていただきます)
(うん、頑張ろうね。服部くんがいてくれて、心強いよ)
たぶん死んでゾンビになった方の俺と同期したならまるで感想も違うのだろうけれど。
この俺自身は、痛い目にあっていないからな。
天下無敵の巨人の体にも入れたし、この俺が死ぬことはないだろう。死ぬとしても新しく造られるスペアの俺だ。楽勝楽勝。せいぜい時間をかけて攻略するとしよう。
(あんまり舐めてるとフラグになるよ)
あはは、大丈夫大丈夫、見ろよこの腕回り。生命力に満ちた巨人の体。もう絶対に死なないって。俺は死にましぇーん。
(マッチョになるとハイになるって、男の子だよね……)