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23:遠泳ブレインストーミング


 屍術師ペナクィテの魔法はまだ解けていない。骨格たちは骨だけになっても戦意を失っていなかった。手近な生き物に襲い掛かるべく、ゆっくりと歩を進めてくる。――動きは鈍い。キスキアの精神体が眠っているのと関係があるのだろうか。

 しかし、動きが鈍っているのは骨格だけではない。湖底の水位はいつの間にかみぞおちの辺りにまで迫ってきている。戦うにしても逃げるにしても、簡単ではなさそうだ。背の低いマルダ人とヴェスパ人はもう胸の辺りまで浸かってしまっているだろう。いくら真鳥の魔法で体が強化されていようと、この濁った水の中で目を開けては泳げない。戦っている、時間はないな。一刻も早く地上に出ないと、このまま溺れて全滅だ。


「おおい、皆、こっちへ来い」

 遠くに見える北側の高台で、バーンスさんらしき人影が、大きく松明を左右に振っているのが見える。あちこちで跳ねまわっているバオバブの根が立てる水音の隙間を埋めるように、何度も何度も叫んでいる。

「抜け道がある。少なくとも、こっちから水は来ておらん」

 抜け道……そうか。ザニカも言っていた。地底湖は元々、草原から逃げてきたプャスカ族の拠点だったのだ。来た道とはまた別に、草原側に抜ける道があってもおかしくはない。

 でも、その草原への道の先も既に、ほとんどが沼に沈んでしまっているはずでは――?

 そもそもこの水は一体何処から湧いてきているんだ?

「急げ」

 その通りだ。考えても埒が明かない。近づいてきた骨格を数体撫で斬りにして吹き飛ばしてから、巻物(スクロール)を開く。近くの棒人間のマーカーのうち、どれが親衛隊のものかはすぐに分かった。この水位の中でも統率を保って北に進み始めている。取り残されているのはヴェスパ人の二人、ウゲンチャとザニカだ。俺の今いる位置からかなり離れてしまっている。――間に合うだろうか。強化された今の脚力であっても、水を掻き分けながらでは思うようには進めない。


 真鳥、また根で引っ掴んで俺を二人のところへ投げ飛ばしてくれ。


(まだ無理。活性バオバブの回復にもう少しかかりそう)


 なら他に手はないのか。あの二人はろくに武器も持ってない。今まさに、骨に襲われているところかもしれない。


(即効性のある手は一つだけ。精神魔法で服部くんの精神体をコピーして、ウゲンチャに貼り付ける。今はウゲンチャも、彼の中にいるキスキアも眠っているから、人格が破たんするほどに混ざり合うことはないはず)


 コピー?


(言ったでしょ。精神体なんてただのデータ。いくらでも複製は利く。そもそも今その疑似身体(ホムンクルス)で動いてるのも、地球で寝てる精神体のコピーだよ)


 ――分かった。なんでもいい、やってくれ。




 次の瞬間、視界が切り替わる。

 少し緑がかった夜目の利く瞳が、すぐ目の前で腕を振りかぶる骨格の姿を捉えていた。とっさに剣を構える。骨の拳が剣先に食い込み、爆発音と共に粉々に四散する。

 エーコさんは魔法剣が精神体に紐つけられていると言っていた。コピーであっても魔法剣はちゃんと発動してくれるようだ。

 だが、細い腕に伝わる反動は、さっきまでの疑似身体(ホムンクルス)とは比べ物にならないほど強いものだった。我慢できずに手離すと、魔法の剣は条件付けの通りにあっけなく消えてくれた。だが、両手は痺れたままだ。特に肘から先に思うように力が入らない。

 もう肩の辺りまでがとっぷりと浸かってしまっている。このままでは泳ぐのも難しい。

「おい、起きたのか」

 近くで潜って隠れていたらしいザニカが、水面から頭を出した。

「もうダメかと思ったが……。さっきの剣は魔女の従者と同じ魔法か。いつの間に手に入れたんだ」

「僕のじゃない。あいつのさ」

 口から出てくる声の調子に違和感がある。普通に答えたはずなのに、無理やり絞り出したような声だった。それだけではなく、思っていることと口から出てきた言葉がズレている気がする。どうしてだろう、他人の脳みそを使っているからだろうか。頭もうまく働いていないようだ。次は何をするべきだったのか、ど忘れをした直後みたいな不安が胃からせり上がってくる。


(音色に集中してよ)


 聞きなれたマズルカ。真鳥は無理やり脳みそにピアノの音色をねじ込んでくる。効き目はすぐに表れて、視界と脳みそがすっきりとした清涼感で満ちてきた。腕の痺れも取れている。

「行こう、ザニカさん。かがり火の方だ」

「薄気味悪い」とザニカは吐き捨てる。

「襲ってくる先祖も、その骨も、いつの間にか泳ぐなんてことを覚えている俺自身もだ。何がどうなってるのかさっぱり分からん」

「僕にもさ。たぶん誰にも分からないよ」

 

 遠くに見えるかがり火のわずかな光の他に、手がかりになるものは何もない。親衛隊たちも泳ぐために松明と斧を捨ててしまっているようだった。平泳ぎで必死に距離を稼ぎながら、顔を水面に出して周囲の様子を確認する。――さらに水位は上がり、もうヴェスパ人の骨格も頭まで水に浸かってしまっているようだった。わずかな波紋、気配、そのようなものでしか位置がつかめない。いつ泳いでいる手足を掴まれて水の中に引きずり込まれてもおかしくない状況だった。

 ヴェスパ人の細い手足は泳ぐのには不向きで、思った以上に進みが遅い。焦る気持ちと、自分の体とは違う体を動かしている違和感が頭の中でせめぎ合う。この手と足は本当に俺が動かしているのだろうか。ピアノの音色で動く操り人形にでもなった気分だ。


 泳ぎ続けるうちに、ぼんやりしてきた頭の中に風景が流れてくる。――これは、キスキアの夢の続きか。檻の中に閉じ込められ、何も食べさせてもらえない少女。檻の周りには多くの人々が集まって、思い思いに果実や肉を頬張っている。

 だが今度は少女の、檻の内側の視点ではない。他の群衆に混ざって檻の中で苦しむ彼女を見下ろしている他の誰かの視点だった。


「よかった、こっち側に来られた」


 すぐ隣では、小柄なヴェスパ人の少女が座り込んで、大皿に山盛りになったザクロに似た赤い果実を頬張っている。見覚えのある顔――ポキィの顔だ。キスキアに体を乗っ取られていた、かわいそうな女の子。

「どうして君がここに?」

「分からない。私、地底湖を散歩するのが好きだったの。静かで広くて、目を閉じるといろんな声が語りかけてきて。ね、先祖の声が聞こえるヴェスパ人は他にもいるけど、もっと他の誰かの声が聞こえるのは私くらいなの。ちょっと自慢にしてたんだ」

 先祖の声が聞こえる――。ヴェスパ人のそういった側面は、今初めて知った。この世界で魔法に縁があるのはヴェリア人だけではないのだろうか。

「誰かの声……。誰の声を聞いたんだ」


「そこで苦しんでる人」


 ポキィは目を細めて、乱暴にキスキアを顎でしゃくった。

「初めてだよ。こんなに無茶苦茶されて、体まで乗っ取られたの。声が聞こえるって、いいことばかりじゃないんだね」

 ポキィはキスキアに見せつけるように果実を頬張り続ける。キスキアは両手で胃の辺りを押さえつけながら倒れ込み、恨めしそうな目でポキィを睨み付けている。


 互いを睨み合う二人の視線をさえぎるように、檻の傍に一人のヴェスパ人がしゃがみ込んだ。――ウゲンチャだ。疲れた横顔を見せながら、檻の根元をあてどなく指で探っている。

「この檻、扉がないな。どうやって彼女を中に入れたんだろう」

 そういえば、檻には扉も鍵も備わっていない。おそらく魔法でも使って、単純に上から被せたのだろう。絶対に出さないとでも言うように。

 檻は固く整地された開けた通りの端にぽつりと取り残されている。通りには様々な出店が並んでいた。様々な種類の果実、でっぷりと太った食用蝙蝠、タコやイカに似た甲殻類のような食材も並んでいる。賑わう人々の多くはヴェリア人だったが、ヴェスパ人やマルダ人の姿も見える。彼ら一人ひとりの顔かたちは克明だったが、少し色褪せているようにも見える。光の当たり方が、ポキィやウゲンチャとは違うのだ。

 通りの突き当たりには円形の広場があり、さらにその向こうにはオペラハウスを思わせるような多層の屋根がついた大きな建物が見える。かつてヴァネッタはあそこに住んでいたのだろうか。場違いなほどに文明を感じる、異質な建物だった。

「出してやりたいな」とウゲンチャは言う。

「やめてよ」とポキィが色をなす。「こんなの外に出したら大変なことになるよ」

「閉じ込め続けたから大変なことになってるんじゃないのか」ウゲンチャは地面をほじくりながら、独り言のようにそう呟いた。

「出してやりたい。彼女の気持ちはよく分かるし、僕にとっては恩人だ。かつての暮らしを支えてくれたという意味でも、今、こうして、僕らのくだらない穴倉を押し流そうとしてくれていることも」


 突然背景が変わる。開けた市場は川沿いの工場へと夢の中のように移り変わった。川沿いに巨大な水車を並べた製鉄所――そう理解できるのはこの夢を見ているウゲンチャの知識のおかげだろう。周囲の森から取れる豊富な木材と、採掘場から掘り出した鉄鉱石。そのどちらもが、乱雑に床に打ち捨てられている。

「ここを放棄してどうなる」とウゲンチャは言う。

「また不便な地下に戻るのか。どうして。魔女の手助けがなくても僕らはやっていけるはずだ」

「時期が悪い」

 答えているのはザニカだった。数人の供を連れて、銀の首飾りをまとっている。その姿に威厳はなく、彼もまた眉間にしわを寄せて、疲れている様子だった。

「鉄を作ったところで誰に売ればいい。流通が死んでおる。魔女が森に籠った途端に、マルダ人どもは運び手から略奪者に戻った。ヴェリア人どもも互いの縄張りを見張るのに精一杯だ。そもそもここの古い設備だけではろくな火力が出せんことも、あんたは知っているだろう。何もかも魔法のおかげだったのだ。魔女はあんたらに仕事のようなことをさせ続けていた。魔法抜きでは何もできないように、腑抜けにしながらな。――もう魔法は解けたんだ。諦めろウゲンチャ」

「だったら僕らは、工場で働いていた僕らは何をすればいい。地下に戻って、一体どれくらいの連中が仕事にありつけるっていうんだ。そりゃ、あんたらギィルメロン家は痛まないだろうよ。魔女の機嫌を取りながら、細々と昔ながらの蝙蝠養殖と銀細工ばかりやってきたんだから」

「そうだな。長い年月魔法で浮かれてたあんたらとは違うよ。プャスカを仕切るのは、結局昔ながらの伝統ということだ。魔法も使えずに魔法に手を出し、結局魔女の使いっぱしりでしかなかったあんたらを、俺らが雇うことはない。適当に、自分でうまくやることだな」


「――工場の再建に手を貸す気はないんだな」

「ない」

「いいさ。なら僕がうまくやってやる。どんなに時間がかかったとしても」

 ウゲンチャは檻に取りすがる。

「キスキアと言ったか。君はヴァネッタの代わりになれないのか。――いや、なれなくてもいい。ほんの少しの助言でいい。かつて僕らはもっと多くのことを知っていた。魔法についても、製鉄についても。でもヴァネッタが力を失った途端に、僕らの中からそういう知識がごっそり抜き取られてしまったんだ。……もう一度取り戻したい。なんでもいい、知っていることを分けてくれさえすれば、食べ物でもなんでもくれてやる」

 キスキアは答えずに、ただ胃袋を押さえてウゲンチャを睨み付けるばかりだった。

「腹が減っているんだよな。食べ物は、何かないのか」

 ウゲンチャはポキィが頬張っている果実に目を付ける。

「それだ。それを彼女に渡すんだ」

「絶対やだ」

 ポキィはそう言うと、素早く果実を頬張って、ジャクジャクと口の中で噛みちぎってしまった。

 ポキィの傍に山盛りになっていたはずの赤い果実も、いつの間にか消えてしまっているようだった。

「全部食べたの?」

 俺がそう尋ねると、ポキィは口をいっぱいにしたまま頷く。

「くそ、何か他にないのか、食べ物は」

 ウゲンチャは魚でも探す気なのか、川の方へと歩いていく。


 一つの脳みそを土台に、俺/ポキィ/ウゲンチャ/キスキアの精神体が互いに干渉しあっている。

 これはどうやらそういう夢らしい。

 図らずもポキィとウゲンチャを通じて、今のヴェスパ人が置かれている立場はよく分かった。この世界を外敵から守れたとして、真鳥はどうするつもりなのだろう。もう一度彼らに魔法をかけ直すことはあるのだろうか。


 それはそれとして、喫緊の問題もある。

 檻の中で苦しんでいるキスキアは、どうやらまだ、眠り切れていないようなのだ。



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