18:確執の歴史
捜索隊が戻ってくるまでには少し時間がかかりそうだった。
しばらく地図を睨みながら、下層の地理についてシーゲルに聞くことにした。
下層には、財産や採掘用の機材などを保管している倉庫が多い。東西に伸びている大きな横穴は、他の部族と共同で採掘を進めていた作業区にそれぞれ繋がっている。しかし、ヴァネッタが管理者としての魔力を失い、統制が取れなくなったせいで周囲の部族との争いが頻発。今はどちらの道も鉄格子でふさがれているのだという。
「鍵はギィルメロン家で管理してるの?」
『ああ。親父が持ってる。親父も捜索に出てて、西側を担当してるはずだ。じきに戻ってくるだろうぜ』
捜索隊が少しずつ戻ってくるに連れ、状況の悪さがよく分かってきた。通路のほとんどが胸の辺りまで冠水してしまって、身動きが取れなかったらしい。壁にロープを打ち込んで少しずつ進んでいたと話す彼らの体はびっしょりと濡れて悪臭を放っている。
「何かに襲われるようなことはありませんでしたか」
と尋ねたが、彼らは首をかしげるばかりだった。
やがてシーゲルの父であるザニカ・ギィルメロンが部下を引き連れて戻ってきた。息子とほとんど変わらない背格好をしているが、頭に孫悟空がつけているような金の輪っかを付けていて、よく目立っている。顔もそっくり――というか、ヴェスパ人の童顔は年齢どころか、男と女の区別すら付きにくい。
『なんだ貴様は』
見慣れない人種である俺にザニカはいきなり掴みかかってきたが、息子と同じように、俺の体に触れた途端に反射的に手を引っ込めてしまった。
『何者だ……』
どうやらそうとう痛いらしい。一体俺の体はどうなってしまっているのだろう。
不安になってきたが、黙り込むわけにもいかない。
「俺は暁の魔女の使いっぱしりで――」
お決まりの自己紹介と状況説明をすると、ザニカは意外にもすんなりと理解してくれた。
『ヴェリアの巫女の親玉の組織ってことか』
「まあ、そんなようなものです。それで――」
『洞窟から骨を追い出すにはハープを弾かにゃならんというのは分かった。だが、骨を追い出したら水は引くのか? 草原の沼と繋がってるんなら、そっちをなんとかしねぇと水位は上がる一方だろう』
ザニカは細く筋張った腕を組んで、的を得た質問をしてくる。
「沼をなんとかする手立てはあります。でも、すぐに水が引くかは分かりません。どのみち避難してもらわないと」
『頼りないな。――それで娘は』
「調べます」
巻物を広げて地図を確認する。捜索隊らしき棒人間はまだ通路をうろついているが、みな近くまで来ているようだ。ウゲンチャを引き連れた親衛隊の面々の行列も見える。どうやら冠水した通路で足止めを食らっているらしく、さほどここから離れていない。
一番遠く、移動している気配もない棒人間は一人だけ。親衛隊の行列のかなり前方に、それらしいマーカーがある。
「この辺りには何が?」
マーカーを指さすと、
『……ちょうど地底湖の辺りだな』とザニカは答えた。
望み薄……だろうか。
いや、地底湖に埋まっているであろうヴェスパ人の遺体が記されていないことから考えても、この巻物には生きている人間しか示されないはずだ。
「地図に載っているということは、まだ生きているはずです」
『そうなのか……? いや、そうだな。地底湖の北側の高度はこことほとんど変わらないはずだ。まだ冠水してはいない可能性はある。取り残されているのかもしれない』
「すぐに向かいます。みなさんは早く上層に逃げてください」
『……水は引くんだな?』
ザニカは一泊置いて念押ししてくる。
「引きます」
根拠はあやふやでもそう言い切るしかない。
『分かった。いったん、財産のことは諦めよう。シーゲル、じじいと一緒にみなを引き連れて上に行け』
『親父はどうすんだよ』とシーゲルがザニカの肩を掴む。二人が並んでいると、親子というより兄弟のように見える。
『ポキィを助けんわけにもいかんだろ。親なんだからな』
『だったら俺も』
『じじいに任せておくのが不安だから言ってるんだ。つべこべ言ってるとぶん殴るぞ』
『やってみろ』とシーゲルが言うや否や、ザニカは息子の顎を殴りつけて、ふらついたところを思いきり突き飛ばした。バシャンと激しい水音を立てて、シーゲルが地面に倒れ伏す。
『さあ俺の勝ちだ。行った行った』
シーゲルはよろよろと立ち上がり、恨みがましそうにザニカを睨み付けたが、やがて諦めてエレベーターの方に歩いていった。
「ずいぶん乱暴ですね」
『そうか? まあ、これがうちのやり方だ。洞窟のような狭い場所でうまく儲けようと思ったら、面倒くさがらずに殴り合うしかねぇんだ』
どうやらギィルメロン家の当主は、親衛隊に負けず劣らず血の気が多いらしい。揉めなければよいのだが……。
○
地底湖へと続く通路を進んでいく。道幅は日本の一般的な二車線道路と同じくらい広く、壁も天井もしっかりと、漆喰か何かで固められているようだった。
「しっかりした地下道ですね」
ざぶざぶと、くるぶしの辺りまで染み込んでくる水を蹴り上げながら進んでいく。ここまで来ると壁松明の明かりはほとんど灯っておらず、後ろから付いてくるザニカの持っている松明が頼りだった。
『元々、うちの部族は地底湖跡に住み着いていたからな。そこから少しずつ地下道を伸ばしていって、真なる山の鉱脈に行きついたんだ』
「なるほど。――言わば、ここが幹線道路なんですね」
『まあな。そんなわけで、元から山で鉱石を掘っていたヴェスパ人とは、微妙に出自がずれてるんだ』
「ズレ、ですか」
『ああ。俺らプャスカにはマルダ人の血が混ざっていると、他の部族の連中は思っている。馬鹿馬鹿しい話なんだがな。巨人の戦争から逃れるために、地底湖に隠れたか、洞窟に隠れたか。それだけの違いなのに、そんなことだけでも、子孫に尾を引いてしまう。だからヴェリアの巫女の無理やりな強制労働は、俺らにとっては、そう悪い話でもなかった。部族の不和なんざ関係ない、働けば働いた分だけ財を貯め込むことができたからな』
「そうなんですか。部族のみなさんの評判は、あまり良くなさそうでしたけど」
『巫女は露骨な見せしめが好きだったからな。冷酷だったのさ。どの人種にも分け隔てなく冷酷だったから、俺は嫌いじゃなかったがね。分かりやすくて』
「恐怖政治、ですか」
『あんたも同じことをやりに来たのかい?』
「器じゃありませんね。……それより、巨人の戦争、の部分について、もう少しお聞きしたいんですが」
夢で何夜となく見続けたアレと、何か関係はあるのだろうか。
『気になるか? というか、知らねーのか?』
「来たばっかりなもので」
『そうか。――今となっては伝説でしかないが、はるか昔はこの大陸全土を巨人が治めていたんだ。と言っても、統一はされてなかった。真なる山を挟んで、草原の巨人と森の巨人は、ずいぶん仲が悪かったそうだ。気が遠くなるほどの長い年月争いを繰り返し続けて、やがてどちらも滅んでいった』
「そうだったんですか。なら、みなさんの先祖は、その頃は?」
『奴隷か棄民だな。マルダ人は草原の巨人の奴隷、ヴェリア人は森の巨人の奴隷。ヴェスパ人は洞窟コウモリみたいにふらふらしながら、地面の奥の暗がりに潜んでいた。やがて巨人の数が減るとマルダ人は反乱を起こして草原の巨人を狩り始め、ヴェリア人には魔法を使える巫女が現れて、森の巨人を殺していった。俺らの先祖はコツコツと自分の生活を固めて、傍観を決め込んでいたようだな』
「なるほど。――もしかしてマルダ人と仲が悪いのは、その傍観のせいですか」
『かもな。巨人との戦争で割を食ったマルダ人が、真なる山に略奪にやって来たとき、何故お前らから奪ってはいけないのかと問われた当時のヴェスパ人たちは、みな答えに窮したそうだ。マルダ人に対して何の恩も売ってこなかった自分たちの不明、ではあったんだろう。それからはヴェリアの巫女が出張ってくるまで、殺し合いの歴史が続いたそうだ』
「それで……。先に言っておきますけど、この先にいるマルダ人の一隊は、暁の魔女の一族の影響下にあります。ヴェスパ人から奪いに来たわけじゃありません。事態が収まったら、出ていくことを約束します」
『そうかい。本当にそうならいいがね』
「彼らも敵の魔法使い――屍術師を倒したくて焦ってるんですよ。草原が丸ごと沼に沈みかけていますから」
『倒せる算段はあるのか?』
「それはもちろん。ただ、沼がかなりの広範囲に広がってしまいましたから、すぐには決着がつかないかもしれません。その間、みなさんには森側に避難してもらわないといけないでしょう」
『で、倒した後は』
「倒した後……?」
『またヴェリアの巫女は力を取り戻すのか。それとも、あんたらの魔法がかった組織はこの世界から手を引くのか、どっちなんだ』
……そこまでは、聞いてなかったな。
『もっと直接的に聞こうか。あんたが次の王様になるのかい? だったら、先祖の失敗を鑑みて、今恩を売っておきたいところなんだがな』
「それは、ありませんよ」
笑い飛ばしてしまうような質問だったが、なるほど、鋭い質問でもある。どうやらそうとう頭の切れる人らしい。
『なら、何のためにここにいるんだ?』
「金のためです。危険な仕事だから、割がいいんですよ」
『そうか。分かりやすくて、けっこうなことだ』
○
やがて前方にマルダ人たちの行列の明かりが見えてきた。
近づいていくに連れて、足元の水が脛の辺りまで急に水位を増し、歩きにくくなってきた。どうやらこの辺りは下りの斜面のようだ。
「すみません」と声をかけると、
『やっと来たか』と隊長の声がする。
松明の明かりをかき分けて前に出ると、異様な光景が照らされていた。
壁に一人のヴェスパ人が張り付けにされている。首元には斧が深く突き刺さっており、左半分が深くえぐれている。黒いシミが固まってできたような手足はひどい悪臭を放っていて、顔をしかめずにはいられない。バンザイするように広げられた両手には短剣が突き刺さっていて、首元の斧と合わせて、蛾の標本のように壁に縫い止められている。
「これは……」
腐臭を伴う肉はズルズルとした粘液のようにしたたり落ち、ピチャリピチャリと不愉快な水音を立てながら足元の汚水と混ざっていく。
『おもしろいだろう』と隊長が背後で告げた。
『骨だけじゃない。肉をまとった死体がふらふらと、さまよい歩いてきてな』
「すみません、松明を」
隊長から松明を借り受けてよく見ると、死体の足の先――肉が剥がれ落ちた部分から、菌糸のような粘っこい繊維が伸びているのが分かった。足の指の関節部分も、健ではなくその繊維で繋がっているようだ。見ているうちにズルリと繊維は伸びていき、やがて足の指の骨もポチャンと音を立てて水面に落ちる。
「死んでまもない……ということかな」
『いいや』
否定したのは、ザニカだった。顔を突き合わせるほど死体の傍に近づいて、しげしげと眺めまわす。
『地底湖に埋める前に、いったん地上で火葬するのがうちの葬式のやり方だ。肉が付いてるってのはどう考えても理屈に合わない』
『なんだ貴様は』と隊長がザニカの肩を掴むと、
『この穴の主人だ』と言って、ザニカはその手を振り払おうとした。しかし隊長はよほど強く掴んでいるのか、ザニカが爪を立てても振り払えないようだった。
『やれやれ、野蛮なマルダ人だな』
『質問には正確に答えろ。陰気な穴倉の住人め』
「喧嘩はやめてもらいますよ」
ザニカの肩を掴んでいる隊長の手を上から掴むと、隊長はびくりと手を引きつらせて手を離した。
『……っち、妙な魔法を使うな』
俺がいつの間にか身にまとっている妙な痛みの魔法は、強化されている親衛隊にも有効らしい。
「彼はプャスカで一番の財産家です。地底湖までの案内を頼んでいます」
『案内ならウゲンチャがいるだろう』
隊長がそう言うと、隊列の隅で小さくなっていたらしいウゲンチャが、松明を両手にこちらに歩いてきた。
『文句はないよな、ザニカさん。僕が引き受けた、僕の仕事だ』
『好きにしろよ。マルダ人がまともに払うと思うんならな』
にらみ合う二人の間には浅からぬ因縁がありそうだった。
「揉めてる暇はありませんよ。骨に肉がついたのがどういう意味かは分かりませんが、敵であることは間違いないでしょう。水中で襲われたら面倒です。ここでハープを使います」
そう俺が提案すると、
『水中を突っ切るのか?』と、バーンスさんの声がする。
どうやら前方の深いところまで潜っていたらしく、頭の上までぐっしょりと濡れている。手に斧を持っていないところから察するに、ヴェスパ人の死体を縫い止めている斧は彼の物のようだった。
『あまりいい案とは思えないな。魔法のおかげか松明程度の明かりでもよく見えているが、さすがに濁った水中ではどうにもならんようだ。襲われると面倒だぞ』
「ハープだけでは心もとない、という意見ですか」
『ああ。水中では音も濁るからな。効き目がどのくらいあるか、怪しいものだ』
……それもそうだな。
『他に方法はないんだろう?』とザニカが言う。
『なんなら俺が先頭でいい。さっさと渡っちまわないと、地底湖が完全に冠水したら娘が死んじまう』
『お前の娘などどうでもいい』と隊長が声を荒げる。『だが、他にやりようがないなら、そうするしかないだろう』
その通りだ。ここまでは危険なしに来られたが、ここから先はそうも行かなくなるだろう。
――真鳥、そろそろ話を聞けよ。
他にやりようがないんなら、ハープ弾いてから突撃するからな。
(はいはい、聞いてますよ)
久しぶりの真鳥の声は、ずいぶんのんびりしたトーンだった。
――のんきだな。
(いやね、思ったより調子いいんだよ)
――何が?
(魔法。んーとね、みんなにもう少しだけ後退するように言ってくれない?)
――それは構わないけど。何かするなら急いでくれよ。女の子が一人、冠水した通路の向こうに取り残されてるんだ。
(分かってるよ。今から水かさを減らすから、足が立つようになったら急いでね)
――減らすって、どうやるんだ?
(ん? そりゃ、活性バオバブを使うんだよ。別動隊の人に袋預けてくれたでしょ。今、地上で一本、育ててるところなの)
――え?
頭上から不吉な地響きがして、パラパラと漆喰の破片が落ちてくる。
「みんな下がって!」
自分で思っている以上の大声が通路中に響く。
「急いで、天井が崩れる」
ザニカとウゲンチャの手を引いて、無理やりに通路の奥へと引きずっていく。隊長は少しの間面食らっていたが、やがて天井に目をやり、「下がれ」と一言、命を下した。
親衛隊の全員が下りの斜面から足を引いたか引かないかのうちに、天井にピシリと亀裂が入り、ついでハンマーで殴りつけたような鈍い音がして、太く分厚い、蛸の触手のようにうごめく影が何本も天井を突き破ってきた。