16:責任の感じ方
Y字路にたどり着いたところでいったん足を止めてもらい、巻物を確認する。
出口は右側。左側に進むと下りのエレベーターがあり、そこから複雑に入り組んだ居住区へと繋がっている。地図に浮き出ている細かな棒人間の数からして、かなりの多くのヴェスパ人たちが居住区に残っているようだ。
さっき倒したヴェスパ人によれば、洞窟の下層には既に汚水が入り込んでしまっているらしい。しかし、腐臭が漂ってきてはいるものの、Y字路の辺りの地面にはぬかるんでいるような様子はない。
ここを通った形跡がないということは、骨どもはひょっとして、右側の出口からやってきたのではないのだろうか。もっと深い階層の地下から……?
『敵が何処から攻めてこようとも、草原との連絡路は確保せねばならん』と隊長は言う。
『部隊を二手に分ける。カンタラと北部の七人で草原への出口が空いているか確認してこい。問題なければそのまま草原側の昇降機の守備に当たれ』
『八人もいるんね?』とカンタラと呼ばれたひげもじゃの小男が前に出る。
『それくらいは必要だろう。ついでに、下からヴェスパどもが追い立てられて来たら、巫女の庭側に誘導しておけ。むかついても殺すなよ。骨になられたら面倒だ』
『了解です隊長』
『残りは俺たちと下に下りて骨どもを追い払う。魔女の従者よ。文句はないな?』
「はい」的確な指示だと思う。
『この種はどうするんね』とカンタラは、持っていたバオバブの種の詰まった袋を持ち上げる。
「そうだな……」
真鳥の魔法で成長が促進されるとしても、植物が育つには太陽光が必要だろう。地下で使えるとは思えない。
「いちおう、何粒かだけ、もらっておきます。残りは持っていてください。もし敵がいなくて余裕がありそうなら、一粒沼に放り込んでみてくれませんか?」
効果のほどを知りたいしな。
『分かった。頑張ってきんねぇ』とカンタラは頷き、手振り一つで割り当てられた部下を率いて、右側の道を進んでいった。
受け取った種を二粒ポケットに入れ、バーンスさんの後ろに続いて左側の道を歩く。まばらな松明の明かりを気にしていると、すぐに下りのエレベーターにたどり着いた。十畳ほどのかなり大きなエレベーターで、今まさに下から上がってきたばかりなのか、三人のヴェスパ人が必死で荷物を下ろしているところだった。
荷物はやはり布にくるまれた貴金属や食器のようだ。装飾のたっぷりついた椅子や壺など、大きめの家具もある。
『おい、手伝ってやれ』と隊長がけしかけると、親衛隊たちは武器をしまって、遠慮なくエレベーターの方へと歩いていく。見とがめたヴェスパ人たちが立ちはだかったが、あっけなく尻を蹴とばされて追い払われた。
『邪魔だ邪魔だ』
『どうしてこんな大荷物を運んでくるかねぇ』
親衛隊たちは強化された腕力で荷物を掴んでは、通路の奥まで投げ飛ばしていく。ヴェスパ人のうち二人は金切り声を上げながら荷物を追って走っていってしまったが、残りの一人は通路の端に座り込んで、ぼんやりとなされるがままを見守っている。
どうやら話が聞けそうだなと思ったので、声をかけてみた。魔女の従者だと名乗ると、
『僕はウゲンチャだ』と彼は答えた。若く見えるが、三十路は越えているらしい。他のヴェスパ人たちと比べても格好は簡素で、局部を隠す腰巻の他はほとんど裸と言っていいくらいだった。細い腕にはめられた鈍色の腕輪と、ぺらぺらの革のサンダルくらいなものだ。
「地下の様子はどうなってますか」と尋ねると、
『やばいよ』と、率直な答えが返ってきた。
『枯れていたはずの地底湖が腐った水で満たされようとしてる。どんどん水位が上がってきてるんだ。遠からず全部浸かってしまうと思う』
「まだ地下に人はいるでしょうに。どうして荷物を先に?」
『僕らも馬鹿じゃない。若い女と子供は先に逃がしているさ。残っているのは五十を越えてるのばかりだ』
「五十を越えたって荷物よりは大事な命ですよ」
そう言うと、ウゲンチャはくすんだ色の歯を見せて笑った。
『まあ、よそのとこから来た人には分からんかな。僕らはね、寿命が長いんだ。だいたい自然に死ぬまでに、どんなに短くても九十年はかかってしまう。だが、まともに動けるのはせいぜい六十歳までだ。そこから先は、若い者に養ってもらうか、苦しんで見苦しく死ぬか、どちらかしかない。だから僕らは、全体として、命よりも金を惜しむ傾向にある。若い者がタダで養ってくれるわけでもないからね』
「……それは」
なんだか日本と状況が似ているせいか、うまい反論の言葉が浮かんでこない。
『マルダ人は走れなくなると置き去りにされる。ヴェリア人は耄碌することを恐れて毒をあおる。だが、僕らには自殺の習慣がないんだ。だからその分、他の人種よりも激しく老いと戦わなくてはならない。よそ者から見れば見苦しいだろうがね。生きぎたないんだ。蓄えない代わりに容易く奪うマルダ人よりはマシだとは思っているがね』
「――言い分は分かりました。でも、やっぱりみなさんは、パニックに陥ってるように見えますよ。貴金属なら汚水で腐ることもないでしょう。ここは暁の魔女の力を信じて、荷物を後回しにするように、みんなを説得してはもらえませんか」
『銀は錆びるさ。それに、僕の言葉なんて誰も聞かない』
「なら、この洞窟で一番影響力を持っている人の名前を教えてください」
『一番金を持っているのはギィルメロン家の連中だ。まだ地下にいて、自分たちの財産が運び出せるかどうかを心配しているよ』
「……その人を説得すれば、ヴェスパ人たちはみな、荷物を放り出してくれますか?」
『無理だろうな。ギィルメロン家が財産を保証すればあるいは、とは思うが。ギィルメロン家は決してそんな真似はしないだろう』
「政治家はいないんですか」
『いない。金持ちしかいない。金を持たなければ誰に命令することもできない。ヴェリアの巫女に無理やり外で働かされている間も、僕らは僕らの本質を見失うことはなかった』
――厄介だな。
『話は終わったか』
隊長が会話に割り込んでくる。
『昇降機は空っぽにしてやったぞ。貴様もさっさと来い』
「はい……」
ヴェスパ人の説得は、どうにも難しいようだ。たとえできたとしても時間がかかりすぎる気がする。やはりハープで無理やり追い出すより他はない。……あと何回弾かないといけないんだろうか。
『おい、ヴェスパ』
隊長はしゃがみこんで、ウゲンチャの顎を掴んで無理やり自分の方を向かせた。
『貴様を雇ってやろう。松明を持つ者が必要だ。我らの後ろについて来い』
「それは、危ないですよ」
『従者よ、斧を振るうには両手が必要だ。短剣だけでは心もとない。我は間違ったことを言っているか?』
「……いえ」
それは、その通りかもしれないが。
『貴様もヴェスパどもも命を大事にしすぎる。大事にしすぎると見苦しくなり、結局は命も落とす。それだけのことだ』
『賃金はいくらだ』とウゲンチャは言う。
『全てが終わったら、その辺りに投げ捨てたものをいくらでも拾うがいい』
『それではただの泥棒だ』
『違うな。我らマルダ人が貴様らから奪って、それから投げ捨てたんだ。だから今は、もう誰のものでもない。――理屈は分かるな?』
ウゲンチャは少し考えてから、立ち上がって朗らかに歯を見せた。
『分かった』
『よし。付いてこい』
ウゲンチャはすっかりご機嫌な様子で、何のためらいもなくエレベーターに乗り込んだ。
「うまく乗せますね」と言うと、
『ヴェスパどもを乗せるなんてのは、数を数えるのと同じくらい簡単だ』と、隊長は笑いもせずに首を振った。
○
居住区は思ったよりも広々としていた。回廊のような作りになっていて、中央に空いた大きなうろの周りにらせん状の石階段が組まれている。壁面の家々からはヴェスパ人たちが重い荷物を運び出そうとしていて、そのせいで渋滞が起こっている。見えている範囲だけでも、刀を振り回しての深刻な脅し合いがそこかしこで見受けられる。
『煩わしい』隊長は歯噛みをする。
『押し通っていたら時間がかかりすぎるな。ハープでなんとかならんか』
「この場所から弾いたら、ヴェスパ人は奥の方に逃げちゃいますよ」
『別にそれでもかまわんだろう。我らが下層まで到達したら、下からもう一度弾きなおして、上に追い立ててやればいい。奴らめ、追い回されて荷物を運ぶ元気も失くすことだろう』
『そんな酷なことをするのはやめてくれ』とウゲンチャが早口で割り込んできた。
『あっちの吊るしの昇降機で一気に下まで降りられる。ギィルメロン家が独占してるが、あんたらならどうにでもなるだろう』
『ふむ。ならそうするか』
吊るしエレベーターも先ほどのエレベーターと同じ大きさで、分厚い何本もの鎖によって天井から吊るされていた。数人の刀を持ったヴェスパ人が番をしていたが、隊長の指示で何人かの親衛隊が飛びかかり、あっという間に武器を奪って蹴りだしてしまった。
『で、どうやって使うんだ』
『下層で何回かに分けておもりを付け替えてるんだ。僕が合図を送る』
ウゲンチャに言われるままに全員でエレベーターに乗り込む。ウゲンチャはエレベーターの一番右端に立って、そこで二本の松明を手に持ったまま、手旗信号のように手を上下左右に振り回した。
ガコンと重い音がして、エレベーターがゆっくりと下がっていく。階段を何周分か下に下りると下降が止まった。
『一気に最下層まで行くのか』とウゲンチャが尋ねてくる。
「行けるところまで行きますよ」
『……分かった』
ウゲンチャは唾を飲み込んでから、再び手旗信号を送る。
下層に下りるにつれて空気の腐臭はひどくなり、壁松明の明かりはか細くなっていった。階段の渋滞も途切れ、何人かの腰の曲がったヴェスパ人たちがゆっくりと上っていく姿が見えるばかりだ。――彼らのような年寄りは、ハープで脅したてるだけじゃどうにもならない。このエレベーターに乗せないといけないのかと気づく。
どうしたものか。避難ってこんなに難しいものなのかと、頭を抱えたくなってしまう。
『そう考え込む必要はないよ』
よっぽど難しい顔をしていたのか、バーンスさんが朱塗りの胴を軽くたたいて、声をかけてきてくれた。
『彼らの命は彼らのものだ。奪う必要も、与える必要もない。あるがままに任せればいい』
「そこまで割り切れませんよ」
『どうしてだ? ヴェスパ人が何人死のうが、君の知ったことではあるまい』
「死なれたら後味が悪いじゃないですか」
『……それだけか?』
「――なんて言うかな。自分がうまくやらないと、大勢死んでしまうって状況なんです。だから、うまくやりたいんですよ」
『責任を感じているのか』
「いけませんか?」
他に言い表しようもない。真鳥の感心はどちらかというと、外敵を倒す方向に傾いているようだ。それが悪いとは言わないが、だったら人命の保護は俺の方でフォローする必要がある。
『感じ方が間違っていると、私は思うがな』とバーンスさんは言う。
『少しだけ昔話をしよう。私の遠い先祖の話だ。我らマルダ人は巨人の生き残りどもと、草原の支配権をかけて争っていた。数少ない巨人たちを草原の果てまで追い回して、踏みつぶされる代わりに足の裏を刺し、一人が握りつぶされる間に数本の投げ槍を刺す。一人の巨人を屠るのに百人以上もの犠牲が出たと伝わっている』
「巨人と……?」
初耳だ。
『その戦争のさなか、私の先祖は巨人に命乞いをして助かった。部族の長で、背後に控える女子供を守るためだったと聞いている。人質に取られたのだ。――そして先祖は、巨人に命じられるがままに、同じマルダ人に対して槍を向けた。相当な数のマルダ人が、同士討ちによって殺されてしまった。……やがて、そこまでして守った子供たちは、巨人の奴隷としてくだらぬ成長を遂げたそうだ。そうして巨人たちと共に、ほとんどが殺された』
バーンスさんは淡々とそう語る。エレベーターがまた止まり、ウゲンチャが手旗信号を送る間も、他に誰一人として口を開くものはいなかった。
『責任の感じ方を間違うとそうなる、ということだ。脅威を根から絶やさなければ、何かを守ったことにはならない。巨人の奴隷の子孫はアーズァンダーと呼ばれ、子々孫々への教訓のために、生き残ることを許されている。――そして私は、先祖の汚名を晴らせる機会を得たことを光栄に思っている。今度こそ間違いたくはないと思っている。だから君も、間違えないでほしい。ヴェスパ人が己の愚かさで身を亡ぼすことに、責任を感じる必要などない。敵を倒すことに集中しろ』
……答えに、詰まった。
必死で言葉を探したが、結局エレベーターが底につくまで、一言も口を利くことができなかった。
いつの間にか自分が、金と美少女に釣られてのこのこと、のっぴきならないところまで深入りしてしまっているということだけは、背筋にしみわたるほどよく分かってきた。