14:小競り合い
洞窟の手前でしばらくヴェスパ人たちの荷運び作業を眺めるうちに、バーンスさんがハープを片手に戻ってきた。隣には親衛隊長の姿も見える。
『貴様が弾くのか』と親衛隊長が尋ねてくる。
「ええ。骨を追い出すにはそれが一番手っ取り早そうですから」
『あまり感心しない思いつきだな。穴倉の中では音が響く。貴様自身もただでは済むまい』
「できれば俺も弾きたくはないですけど、ヴェスパ人たちをさっさと追い出すためにも、必要なことだと思います。――魔女が強化してくれますから、なんとかなるでしょう」
『ずいぶん簡単に言うんだな』
「他にやりようがありません」
『あるだろう。俺たちと共に正攻法で叩き潰せばいい』
隊長はそう言って、背負っている斧を顎でしゃくった。
『暁の魔女に渡りをつけて、俺たちを強化させろ。それだけで事は済む』
親衛隊長はそう言って、歯を見せて威嚇するような笑みを浮かべた。
バーンスさんも親衛隊長の意見に従うようで、半歩後ろに下がってハープを後ろ手に隠してしまう。
『前線に立つのは我らだ。手柄の独り占めは許されん』
親衛隊長は俺のすぐ前に立つと、頭から足の先までを大仰に眺めまわした。
『さして強そうにも見えんしな。魔法をかける兵士として、我らの方が優秀なのは明らかだろう』
「身体能力だけなら、もちろんそうだと思います」と俺は答える。
「でも、この体はいわば、使い捨てなんです。俺はこの体が壊れても、死にはしません。新しい体の中に入って、また戻ってくることもできます」
『だからなんだ』
「あなた方よりも斥候に向いている、ということです。広い草原ならともかく、状況がよく分かっていない洞窟の中に、いきなり主戦力を投入できませんよ。洞窟から骨を追い出してから、草原で戦った方がいい。その方がみなさんも力を発揮できるでしょう?」
『……筋は通るが、しかしな』
親衛隊長は目をつむってから、厳しい目つきで俺を見上げた。
『貴様自身の力量が、今一つ信用できん。貴様一人を送り込んで、あっけなく敵に羽肋弦を奪われてしまえば、我らは穴倉に近寄ることもできなくなる。草原との連絡も途絶する』
――それも、道理か。
「洞窟は他にもあるんですよね?」
『入口だけなら幾つもあるが、全ての穴倉は地下の奥深くで繋がっている。ヴェリアの巫女の指示で横穴が掘られたのだ。ヴェスパどもはふさいでしまっているが、丸ごと穴を埋めてしまったわけではない。少し壁を崩せば腐った水は何処までも広がっていくだろう』
「そうですか……」
ならばなおさら、この洞窟から逃げるわけにはいかなくなる。
「俺じゃなくて、暁の魔女の力は信用できませんか。今の俺は彼女に強化されています」
『我らの方が適任だと言っているのだ。貴様か我らかの問題だ』
(こじれそう?)
――いや。
こじれさせる意味がない。
少し息を吐いてから、視線を少し遠くの森に向ける。眉根を寄せて口を半開きにすると、親衛隊長は気になったのか、俺の見ている方向に振り向こうとした。
その隙をついて、親衛隊長の肩を両手で強く押し、バーンスさんの方向に突き飛ばした。
親衛隊長はたたらを踏んでバーンスさんによりかかる。その隙に背後に回り込んでバーンスさんの手からハープを奪う――はずだったのだが、バーンスさんはよりかかってきた親衛隊長を片手で受け止めて、勢いをそのままいなすように、左手の方から回り込もうとした俺に向かって押し返してきた。
――やる。感心しながら馬跳びの要領で親衛隊長の頭を跳び越える。バーンスさんは俺の着地際を狙ってショルダータックルのように半身で突っ込んできた。手に持ったハープを体の裏に隠しながらの攻撃。見事なまでの最適解を、絶妙のタイミングで仕掛けてくる。躱すことはできなかった。でも、今の俺の筋力なら正面から受け止めることだってできる。
着地しながらがっちりと肩を押さえて受け止める。手のひらを押し返す分厚い圧力が、しかし、ふっと弱まった。思わずよろけた俺の左の足の甲を、バーンスさんは踏みつけてくる。気づいてからじゃもう遅い。躱すことはできそうにない。
歯を食いしばって体重を右足に移す。左足を少し持ち上げた矢先にバーンスさんの分厚い革靴が足の甲にふれる。――そのまま、蹴り上げの要領で、体重をかけてくるバーンスさんごと左足を持ち上げる。
バーンスさんは俺の蹴り上げに戸惑うことなく、足に力を込めてさらに押し返してくる。だが、今の力は俺が上だ。宙に浮いたバーンスさんは、俺の足の甲を踏み台のように使ってとんぼ返りをする。――今度はこちらが着地際を狙う番だ。そう思ったが、背後から親衛隊長が襲ってくるのが気配で分かる。左足を振り下ろし気味に横蹴りで迎撃すると、胴当てにヒットした。加減をしながら軽く押し込むと、親衛隊長は大きく後ろに吹き飛んで、ヴェスパ人たちの荷運びの列の中に突っ込んだ。
列は乱れ、運ばれていた荷が幾つか地面に散乱してしまった。布でくるまれていたのはどうやら銀製の食器や宝飾品のようで、ヴェスパ人たちは慌てて地面に這いつくばりながら、甲高い声で俺やマルダの兵士たちをののしり始める。
親衛隊長はすぐに起き上がった。バーンスさんは反対側で半身に構え、挟み撃ちの態勢を整えている。
――見事、という他なかった。
『武術は未熟だな』とバーンスさんは言う。
『私に君と同じ程度の強化がかかっていたなら、今頃君の左足は踏み砕かれていた。隊長が斧を使っていたなら、君の脚は大きくえぐられていただろう』
「認めます。――それはそれとして、ハープを渡してはもらえませんか」
『渡す必要はないぞ、アーズァンダー』
親衛隊長は背中の斧を留めていた金具を外して、右肩に担ぐようにして斧を構えた。それを見たヴェスパ人たちは、さすがに荷運びを中断して、彼から距離を取っていく。
『今度は斧を使う。しのいでみせろ』
――本気、だよな。
弱ったな。ミスっても素手の喧嘩で済むかと思ってたのに。
(こじれたね)
ハープを奪って弾いてしまえば手っ取り早いと思ったのだが、もたついてしまった。
(強化のレベル上げるけど、気を付けてね。ちょっと顔を殴っただけでも殺しちゃうかもしれない。斧だけをうまいこともぎ取って)
――そこまでの、命のやり取りをする度胸はない。
ここは、別の手を使った方がよさそうだ。
(別の手?)
「そっちが斧を使うなら、俺も剣を使いますよ」
俺が親衛隊長を睨みながらそう言うと、
『剣など持っておらんではないか』と親衛隊長は顔をしかめた。
俺は親衛隊長の方でも背後のバーンスさんの方でもなく、洞窟の反対側の方へと駆け出した。目指すのは森の手前の野原にぽつんと取り残された一本の木だ。よく陽が当たっているせいか、立派な枝ぶりと太い幹を持っている。
頭の中に両手大剣の姿を思い浮かべる。手に持った重さ、振ったときの手ごたえ。幹の少し手前から、踏み込みを調節して上段に振りかぶる。真上から、真下に斬り下ろす。竹刀と同じ位置での止めはできそうにない。左ひじを少し後ろに抜きながら、ひざ下の辺りまで一気に下ろして、そこで止める。
――イメージ通りの動きで振りかぶった途端、手の中に重さが現れた。
そして、その重さに向かっていく、全身を伝う力の流れのようなものを感じた。悪寒に似ている。だが、この悪寒には粘性がある。腹の底から背筋を伝って肩をくすぐり、そこから肘に伝わる頃には不気味なほどの力強さと、せき止められている手ごたえを感じる。手先がまるで――になったようだ。むずがゆさと我慢のできなさには覚えがある。
――解き放つ。
刃先が幹にふれた途端、爆音が轟いた。耳の底で鳴り続けていたピアノの音色もかき消される。だが、不快ではない。耳が痛くもならない。快感すら覚える振動を伴って、体中に衝撃が響いていく。
遠く天幕の手前の辺りまで吹き飛ばされていく木の幹の姿を目で追う。まるで現実感のない光景だった。ぐるりぐるりと豪快に回転しながら飛んでいく木は、鈍い悲鳴のような音を立てて地面に逆さに突き刺さる。えぐりとられた幹の根元は黒々と焦げ、細い白煙をたなびかせている。
たしかにいい手ごたえだったが、それにしたって過剰な威力だ。
閉口していると、
『それも魔女の武器か』と背後から親衛隊長の声がかかった。
「見ての通りです」と開き直るしかない。
振り向くと、バーンスさんもヴェスパ人たちも凍りついたかのように動きを止めて、俺の手元の剣を凝視していた。
「俺が適任だとは思いませんか」
『むぅ……』
親衛隊長は不服げに斧を構えて唸るばかりだったが、
『思うぞ』
バーンスさんは意外にも、微笑を浮かべてそう言ってくれた。
『だが、その武器は洞窟の中では使えまい』
「ですね。だからハープを使うしかありません」
『ならば私たちも連れていけ。先週、暁の魔女様は私と君を同時に強化することができた。複数の人間を同時に強化できるなら、私たちを連れて行かない理由はないだろう』
「でも、痛いですよ?」
『君が我慢できる痛みなら、私たち親衛隊に耐えられない道理がない』
(落としどころじゃない?)
真鳥は悩む俺にそう告げる。
(服部くんの気持ちも分かるけど、どのみちマルダ人の力は借りないといけないんだからさ。一人でカバーできるような広さじゃないんだし)
――死なれるかもと考えると、怖いんだよ。俺の体が使い捨てだから、なおさらそう思う。
(優しいね。なら、上司として命令するね。彼らも一緒に連れて行って。死なれないように思いっきり強化するし、死なれても、私の責任だから)
責任とかそういう問題じゃ……。
(私だって、たとえ体が使い捨てだろうと、服部くんに死なれるのは嫌なの。だから、一人で行こうとしないでよ)
――その意見に反論しようとして、反論しようとする自分に、戸惑った。
俺だって死ぬのは嫌だし、痛いのも嫌だろ。真鳥の意見は正しいじゃないか。部下を使い捨てない立派な上司だ。そもそも使い捨てにされないようにと、告白までして言質を取ったのは俺のはず……。
何が気に入らないんだ?
――頭の中に、夢が、フラッシュバックする。草原での巨人たちの殺し合い。血なまぐささ、激突音、一撃で互いの命を屠りあう凄まじさ。
もう何夜と繰り返し見てきた巨人の夢に、影響されているのだろうか。
戦って死んでみたいと、そう思っているのだろうか。
「分かりました。一緒に行きましょう」
柄を離すと、ツヴァイヘンダーは跡形もなくかき消える。
それでも右手には骨の欠片が引っかかっている。いつの間にか手の中に滑り込んでくるこいつのせいで、随分と調子が狂ってしまっているようだった。
バーンスさんは親衛隊長に促すように視線を向ける。親衛隊長はしばらくの間唸っていたが、やがて小さく頷いた。
バーンスさんは近づいてきて、俺にハープを手渡した。サイズは一メートルかそこらというところか。支柱は太くしっかりとした作りをしているが、見た目よりも重さは軽い。
真鳥は抱えながら適当にじゃこじゃこ弾きならしていたが、台座に置くなりして肩で支えながら座らないとまともに弦が弾けそうにない。
――試して、みるか。
その場に座り込んで、あぐらを掻いた足の間にハープを挟む。
適当に一本ずつ指で弦を弾いてみる。間延びした弦の音が、アンプの音量を間違えたエレキギターのような不愉快さで野原に響く。ドやレといったまともな音のそれじゃない。弦の張り方自体が致命的に間違っているような気がする。テクニックの問題じゃないな。
構わずに十本の指で掻きならしてみる。音が重なるごとに、頭蓋骨から奥歯を伝って、痛みが体の芯まで響いてくる。沁みわたる痛みのせいで肋骨の一本一本の位置がはっきりと分かるほどだ。背骨には太い針をトンカチか何かで打ち込まれているような鋭い痛みが絶え間なく走っている。腰には尾てい骨の辺りからじんわりとした痛みが広がり、太ももから足先を伝う。すねがジンジンと腫れてきたような錯覚がする。
――きつい。
だが、先週味わったほどの鮮烈な痛みではない。俺が真鳥の魔力を使って間接的に弾いているせいだろうか。これくらいなら、なんとか我慢できる……かな。あと一回くらいなら。
目を開けると、ヴェスパ人たちのほとんどは口から泡を吹き出して倒れてしまっていた。荷物を放り出して狂騒的に走り回っている者もいる。悪いことをしたな。
顔をしかめながらも真っすぐに立っているのは、親衛隊長とバーンスさんだけだった。
「よく立っていられますね」
『大したことはない』と親衛隊長は強がる。
『我らには巨人の加護が備わっているからな』
「巨人の加護?」
『貴様に言っても分からんだろうが、我らマルダの旅人は、生まれたときから一本の骨を手のひらに握っている。強く握り込みさえすれば、痛みや疲れはなくなり、勇気と力が湧いてくるのだ』
『それでも先週のアレは堪えたがね』とバーンスさんは首を振る。
俺は演奏をやめて立ち上がり、二人の方へと歩いていって、握り込んだ右手を差し出し、ゆっくりと手を開いた。
「その骨って、もしかしてこれですか?」
右手に握り込まれた骨の欠片を見せる。
二人は違いの顔を見合わせてから、改めて骨の欠片に目をやった。ついで、同じタイミングで顎髭に手を当てた。
『なんで貴様が持っておる』
「拾ったら捨てられなくなったんですよ」
――どうやら巨人の夢を見ているのは、俺だけではないようだった。