13:足止めと逡巡
どれくらい森を走っただろうか。
木々の匂いに混ざって金気のある匂いが鼻をくすぐってくる。古いスプーンを舐めたときのような、ツンとする匂いだ。
木陰のざわめきに雑踏の音が混ざる。大勢の人の気配。――徐々に速度を落としながら周囲の様子を伺うと、木々の合間に丸太小屋が幾つか作られているのが分かった。
小屋の周囲に人の姿を探すうち、唐突に森が開け、開けた野原に出た。目の前には真なる山の威容がそびえ立っている。山腹はたっぷりと木を蓄えているが、その上の岩肌はまるで巨大な手のひらでこねられたかのように不自然にそそり立っている。えぐれ、盛り立てられ、付け足され、踏みつぶされ――。連なる山脈の一つ一つにオブジェのような作為がある。
巨人の仕業だろうか。自然な現象とはとても思えない。山脈は視界の端から端まで途切れることなく続いているが、円錐型に整っているまっとうな形の山は見当たらなかった。
山脈の麓に、一つ大きな洞窟が口を開けているのが見える。洞窟の周囲には大勢の人間が集まって、荷運びのようなことをしている。先週出会ったマルダ人たちと同じくらいの背丈だが、細身の体型はむしろヴェリア人に近い。どうやら彼らがヴェスパ人だ。
男たちは汚れたズボンを履いた半裸姿で、赤銅色の肌が汗にまみれて光っている。少し膨らんだ胸を粗末な前掛けで覆っている女性の姿も目に付く。
ヴェスパ人たちは洞窟の奥から二列を作って、バケツリレーの要領で荷物を手渡しで運んでいる。布にまかれたそれらが一体何なのかは、もう少し近づかないと分からない。それにしても、みな随分焦っているようだ。何か異変が起こったのだろうか。
走って近づくうちに、野原の斜面に天幕を見つけた。先週世話になったマルダ人たちの天幕だと、脇に積まれた見覚えのある樽のおかげですぐに分かった。
斜面を少し下っていくと、天幕の手前で座り込みながら穴の方を見つめているマルダ人の一行の姿を見つけることができた。みな丈夫な胴当てを付け、背中の斧を抜き放ち、柄を地面に突き立てている。隅には達人アーズァンダーことバーンス・ジック、朱塗りの胴当ての姿もあった。
――臨戦態勢、なのか?
「どうしましたか」
声をかけると、マルダ人たちのある者は驚いたように髭を撫で、ある者はさも当然とばかりに小さく頷き立ち上がった。
『来るべきときには来るものだ。魔女の従者』
声をかけてきたのは、先週も喋った覚えのある喧嘩腰の小男だった。
『俺は隊長だ。ヴェリアの巫女の親衛隊長、つまりはこの世界の戦士の中で一番偉いということだ』
ふざけているのかと少し面食らったが、彼は大まじめな様子で先を続けた。
『ヴェリアの巫女は老いて力を失ったが、代わりに万能の魔女を呼び出された。俺たちは彼女の指示に従うだろう。そうするべきときだ』
「ありがたい話です。……で、あれはどういう騒ぎなんです」
『見たままよ。大騒ぎだ。骨どもが襲ってきおったわ』
親衛隊長は苦々しげに吐き捨てた。
『丘の上の陣地を捨てたツケだ。貴様、何か策は持ってきたんだろうな』
マルダ人たちは隊長と同じ険のある目つきで、思い思いに睨みつけてくる。
丘から山にまで、もう侵食は広まってしまったということか。
いくらなんでも早すぎるとも思ったが、沼のみならず地面そのものが腐りかけていたような先週の草原の様子からして、意外すぎるとも思えなかった。
一週間も時間を空けたのは失敗だったな。はたして取り返せるだろうか。
「策はあります」
俺がバオバブの詰まった袋を少し持ち上げると、マルダ人たちはきょとんとしてお互いの顔を見合わせた。
「ありますけど、とりあえず、避難手伝いましょう」
『やめておけ』と隊長は首を振る。
『入り込む隙間がない。ヴェスパどもは集団行動を乱されるのを嫌う』
「どれくらいの数があの中に?」
『誰も数えたことがないが、穴底に潜むヴェスパどもは、庭の人で一番数が多い。だが、誰も数えてはおらん』
親衛隊長は苛立ち気味にそう言って、ため息をついた。
『そもそも言葉が通じんのだ。あいつらは同族か巫女の言うことしか聞かん』
「マルダ人とは仲が悪いんですか?」
『巫女が庭の人を統べるまでは、ヴェスパどもは格好の獲物だった。ヴェスパどもは穴倉に財産を貯め込むからな。もう何百年と昔のことだが、あいつらは未だに我らを許そうとせん」
――遊牧民族と定住民族の争いか。
住む星は違っても、争う理由は地球人と似ているんだな。
「ヴェスパ人に状況を聞きに行ってきます」
『好きにしろ。それより、暁の魔女様はいずこだ。ずっと指令を待っておったのだが、何も頭に響いて来ない。我らは何をすればいいんだ』
「大雑把に言うと、大勢で草原に種を蒔く――って作戦なんですけどね。草原への道がふさがれたんじゃ話にならない。なんとしても通路を確保しないといけない」
『ならば穴倉で戦うのか?』
「そうなるでしょうね。――ちょっとの間、持っておいてください」
俺はバオバブの種が詰まった革袋を親衛隊長に預け、ヴェスパ人たちが群がる洞窟に向かった。
ヴェスパ人たちは誰に監督されることもなく、一糸乱れぬバケツリレーを続けながら、近づいてくる俺にジロリと目を向けた。
『君は誰?』
手前にいる女性が手を動かしながら声をかけて来る。甲高い、ディズニーアニメの小動物のような声をしている。童顔なせいで年の頃は分かりにくいが、子供とは思わない方がいいだろう。
「暁の魔女の使いっぱしりです。洞窟が襲われたんですね」
『そうだよ。そのせいでみんな大慌てさ』
「何処から襲ってきているか分かりますか」
『奥だよ』
「……でしょうね。この洞窟の先は、草原まで続いていますか」
『そりゃあ、そうだよ。じゃなきゃ襲ってこれないだろう』
――だよなぁ。
「草原まで続いている洞窟って、他に幾つくらいあるか分かりますか」
他の洞窟から回り込んで裏を取れたらそれに越したことはないなと思いそう尋ねたが、
『他の穴のことは知らないね。私らは私らの穴のことしか興味ないんだ』
女性は細い手でひっきりなしに荷物を受け渡しながら、あっち行けとばかりに睨み付けてくる。
「私ら、というのは」
『私らは、私らだよ。他に呼びようがあるの?』
「ヴェスパ人」
『違うね。私らはプャスカだ。巫女が勝手にまとめちまった名前で呼ばれても、返事のしようがないよ』
「プャスカ……ですか」
『部族の名前だ』
背後から男の声がした。振り向くと、朱塗りの胴当てを身に着けたバーンス・ジックがいつの間にか後ろに立っている。
『ヴェスパ人は洞窟ごとに部族単位で分かれて暮らしている。他の部族とはあまり交流しないんだ。巫女が力を失ってからというもの、すっかりそういう伝統的な暮らしに戻っちまった。彼女にいくら尋ねても、他の洞窟が今どうなっているのかは分からんぞ』
「そういうものですか……」
ヴァネッタさんは部族ごとに分かれていたヴェスパ人を統合して計画経済を敷いた――という話だったが。現状では種族単位の連帯すらないらしい。
『なに、難しく考えることはない。正面から仕掛けて、堂々と打ち破ればいいんだ』とバーンスさんは言う。
――そう、するしかなさそうだな。
しかし、洞窟での戦闘か。考えてもみなかった。
『何か問題でもあるのか?』
「ええ……まぁ、その。課金が無駄になったショックがちょっとね」
狭い洞窟の中じゃ、せっかく買った魔法剣が使えそうにない。ちょっとした指向性爆弾のようなものとエーコさんは言っていたし、使ってしまえば骨ごと俺まで埋まってしまうだろう。
「先週みたく、ハープを使いましょうか。穴から追い出すだけならあれで十分でしょう」
『あれか。巫女の指示で親衛隊が預かっているが……。君が弾くのか?』
「今の俺は真鳥の魔法の影響下にありますから、弾けば音は響くと思います。まともな音色にはならないと思うんで、避難を待つ必要はあります」
『ずいぶん簡単に言うが、あの音色を最も間近で味わうのは君だぞ。大丈夫なのか?』
「大丈夫ですよ」
俺がそう言って笑いかけると、バーンスさんは感心したように髭を撫でて、「持ってこよう」と天幕の方に駆けていった。
つい強がってしまったが、さっぱり大丈夫な気がしない。
(服部くん服部くん、聞こえますか)
いきなり頭の中に真鳥の声が響いてきた。
(今、あなたの頭の中に直接話しかけています)
いちいち言わなくても分かるよ。――それで、状況は掴めてるの?
(服部くんと精神体をリンクしてるから、服部くんが知ってることならなんでも分かるよ)
そうか。――話の流れでもう一回ハープを使うことになっちゃったんだけど、なんとかならないかな。痛いの嫌なんだけど。
(えーっと、鼓膜破ってみるとか? そしたら騒音も聞こえないよね)
先週も鼓膜破れたんだけど、いつの間にか治ってたり骨伝導でどのみち痛かったりしたよ。
(なら、痛みに耐えるしかないんじゃないのかな)
無理無理。――他の作戦を考えるか。
とは思うのだが、魔法剣が使えないとなると、俺には他に武器がない。かといってマルダ人たちを前線に押し出すというのも気が引ける。魔法で強化されたときの彼らの強さは先週目撃したところではあるけれど、何をしてくるか分からない魔法使い相手の矢面に立たせるのは、ちょっと怖い。死なれでもしたらと思うと……。やはりここは、使い捨ての疑似身体を持っている俺が先陣を切るのが筋だろう。
(あ、っていうか今の私、ハープ弾けるよ。ヴァネッタさんの記憶さらって、弾き方覚えちゃえばいいんだよ。それをそのまま服部くんの精神体に転送しちゃえば万事解決だよ)
なるほど、それもそうか。ナイス思いつきだ。さすがは暁の魔女様だ。
(でもちょっと待ってね。演奏って手続き記憶だから掘り返すのにちょっと手間がかかるんだよね)
そうなの? まあ、ヴェスパ人の避難が終わるまでもう少しかかりそうだし、時間は――
いや、待てよ。ヴェスパ人たちはのんきに荷物を運んでいるけど、ほんとにそんな余裕があるのか?
「すいません、荷物を運び出すのにあとどれくらいかかるか分かりますか」
さっきの女性にそう尋ねると、
『あと一日はかかるね』とあっさり答えられた。
「一日って、そんなにかかっちゃダメでしょう。今すぐ荷物を捨てて、全員避難させないと」
『何を言ってるんだい』と女性は大声で言い返してくる。
『財産を捨てるなんてできるわけないよ』
「俺が骨どもを追い返しますから、いったん諦めてください。全員の無事を確保するのが先決だ」
『何人か死のうが構いやしないよ。腐った水に飲み込まれたら、もう取り戻せやしないんだよ』
女性はくりくりとした瞳を上目遣いにして、歯をむき出しにして威嚇してくる。その間も手はひっきりなしに動いて、隣のヴェスパ人たちと荷物のやり取りを続けている。
「人命より、財産ですか?」
『みなが生きていくためには必要なものだよ。君に文句を言われる筋合いはないね』
「……相手は死体を使う魔法使いなんですよ。殺されたヴェスパ人が骨になって襲ってくるかもしれないんです」
『だからなんだよ。骨を追い返すんなら早くしてよ。私らはどのみちこうするしかないんだからね』
女性が甲高い叫び声でそう言うと、そうだそうだと周りのヴェスパ人たちも追従をする。洞窟の奥からも同じような声が響いてくる。
『捨てられないものは捨てられないんだよ。追い返すんならさっさとしてよ』
――価値観が、違うのか。
人命を何より優先するべきという倫理観が、ヴェスパ人には通用しない……?
だとするなら、嫌だけど、すごく嫌だけど。
他に方法が思いつかないのなら、こうするしかない。
「真鳥、ハープは下手なままでいい。骨をヴェスパ人ごと洞窟から追い出す」
(――痛いよ?)
死なれるよりましだ。――で、物は相談なんだけど、痛みを中和する魔法ってないかな。こう、モルヒネみたいに。
(え、難しい)
難しいの?
(だって神経麻痺させちゃったらハープ弾けないよ?)
……そうですね。
(頑張ってね)
はい。
(人命優先だもんね)
……なんだかヴェスパ人がちょっとくらい死んでもかまわないような気がしてきた。
(知的生命体の保護こそが魔法使いの使命です)
真鳥に改まってそう言われると、それ以上言い返しようもなかった。




