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ななせさまと七不思議 下

「木村ああああああ!」


 屋上の扉を絶叫しながら体当たりで破ったのは、すっかり存在を忘れかけていたこの一連の怪異の元凶と言えなくもない――いじめの首謀者で不良の広瀬だった。ハジメは思わずその姿を見て悲鳴を上げる。何度も自分に危害を加えた者だからという理由からではない。


 広瀬はすっかり様変わりしていた。声を聞かなければ同一人物と判定できなかったかもしれない。

 髪は乱れ、自慢のリーゼントもすっかり形無しだ。だがそれはまだマシな方だろう。

 彼の片目は開いていない。黒々した青あざがある上に、頭からだらだらと血が滴っている。かなりひどい殴られ方をしたのではないかと思う。

 それから制服。丈を短くしたりおかしな刺繍をしていたご自慢のズボンは汚れて皺になっており、さっきから引きずっている右足が何だか変な形になっていた。そのせいだろうか、バットを杖のようにして足を引きずりながらなんとか歩いている。進むたびに床に黒い線ができた。上半身の服も破けていて、彼がついに身体を支えきれずに倒れこむと理由がわかる。背中に三本の大きな線が入っていた。すぐにそれは獣の爪痕と結びつく。だが、あんなに大きな爪を持つ獣がいるだろうか。

 無様に倒れこんだ広瀬は血走った片目を一に向け、吠えた。


「てめえ、何しやがった! 中村も、田端も! お前が、お前がああああ――」

「ちがいますよ」


 泡のようなものを吹きながらなおも喚こうとする広瀬に、静かな声が割って入る。広瀬もビビッて黙ったらしいが、一はそれ以上に震えあがった。

 広瀬に投げかける声は不機嫌さを隠そうともしない。それでいて、一に話しかけると一転して甘える少女のそれになる。


「お兄ちゃん、知ってる? この人ね、とっても悪い人なのよ。だから、みんなでちょっとずつ、お仕置きをしたのよ。ちゃんと警告してあげたのに言う事聞いてくれないんだもの」


 一は自分が尻餅をついてガチガチ歯を鳴らせていたことに気が付く。

 そう、彼の行動は正しかった。彼の本能的な恐怖と冷静な思考がこの学校たちを多少寛容にさせていただけ。よいこでなければならなかったのだ。でなければ、


(ああなっていたのは、僕だ)


 広瀬はズタボロだ。怒りか不良の面子か恐慌か、とにかく気力だけでなんとか動いているように見える。一があの傷を負っていたらまず歩けない自信があった。


 そう、他人ごとではないのだ。今まで怪奇現象の中にあっても妙に親しげな怪異たちのせいか、少しずつ恐怖を忘れかけていた。それが一気に蘇る。


 こいつらは、普通じゃない。こいつらは、人じゃない。

 人の、平常の価値観が。この場所では、彼らには通用しない。


「ぼーちゃんはね、あんまりお行儀が悪い人をひとり潰して燃やして埋めてあげました。静かにしてれば怒らないのに、悪い子がいけないんですよ? 大体あなたたち二人は、なかむら君が熱い熱い待って待ってって言っても見捨てて逃げたじゃないですか。ななせはね、この学校のことならなんでもわかるんですよ。嘘ついたってだめなんだからね」


 少女の口調はとても可愛い。どこか楽しそうにさえ喋っている。だがその内容は、どうだ。

 もともと青かった広瀬の顔がさらに血の気を失っていく。一は今は自分の冷静な思考と豊富な想像力を恨んだ。


(ななふしぎその一、校庭の墓地。墓地でうるさくした子は、墓石に潰され焼かれて埋められ、お墓のみんなの仲間入り)


 ノートはそう語っていた。まさにその通りになったのだ。

 中村は広瀬の子分だったが、ただの使いっぱしりの小者みたいなやつだった。一は胃の辺りが急激に活動を始めるのを覚えていた。


「ピアノもちゃんと最後まで聞いてあげればいいだけなのに、触ったりするから。それにあなた、なかむら君に続き、またお友達を盾にしましたね? たばし君、両手がなくなって泣いてたじゃないですか。ひどい事するなあ。あんまり可哀想だから、りかさんたちが仲間にしてあげたのよ。とっても素敵な骨になったわ。あれならもう血も流さないし苦しまずに済むでしょう。ね、ななせたちって優しいでしょう?」


(……音楽室のピアノ。演奏を妨害すると、潰される。鍵盤を触ると特にひどい。開いていた蓋がすごい勢いで閉まって、手首が飛ぶ)


 一の思考はやめようと意志が努力しているのに噂を、ノートの内容を思いだす。


(理科室の標本。触った相手の皮をはぎ、肉を削ぎ、同じ標本仲間にしてしまう。生きながら人体模型にされたり、骨格標本にされたりする。田端が……)


 顔を背けて嘔吐する。田端はどちらかと言うと広瀬の牽制役で、広瀬が調子に乗ったりやり過ぎたりしそうになると止める係だった。田端のせいで広瀬が増長した、より長期にわたって苦しめられた人がいたことも確かだろうが、田端がいなかったら洒落にならないリンチになっていただろう過去を一は思い出している。


(やめとけよ、広瀬。そんな金額いきなり出てこねえよ)


 そう。一の胸倉を掴んでゆする広瀬に田端がそう声をかけたから、彼は注意が逸れた隙に逃げてこられた。中村も田端も庇うつもりはない。悪だった。だが、それだって――そんな、むごたらしい死に方をする理由になるのだろうか。


(いや。たぶん、そうじゃない。学校の外でどれだけ悪でも、学校の中でいい子ならそんな目には遭わずに済んだ。あいつらは、ここでやっちゃいけないことをしたんだ)


「それにあなたの怪我は自業自得です。にゃーごは怒るとななせも宥めるのが大変なの。一番丁寧にしてあげないといけないのに、蹴っ飛ばしたりするからお返しされるのよ。でも感謝してくださいね? ななせがあなたを助けてあげたんですから」


(廊下に出る猫は気紛れ。適当に構ってやれば悪さはしない。変な事をして機嫌を損ねると、化け猫になって襲い掛かってくる)


 一は広瀬の脚が変な形をしている理由を、背中の傷をつけた犯人を理解した。人畜無害みたいな顔をして毛づくろいをしていた、あの手が、あの口が。


 ななせさま、と名乗った少女が一歩一歩広瀬に近づいていく。不良は一瞬でも勇ましく歯向かおうとしたらしいが、すぐに怖じ気づいて這いながら屋上を出て行こうとする。


 扉はすでに固く閉ざされていた。

 何事か口から絶え間なくこぼしながらがりがりと引き戸を引っ掻き始めた広瀬に、少女は静かに続ける。


「かがみんのこともちゃんと見たのでしょう? だったら自分がどうやって死ぬかも、知っているはずですね」


 広瀬が情けなく悲鳴を上げた。


(女子トイレの合わせ鏡はサボり魔で適当。覗き込んでも何も映らない普通の鏡のこともある。幸せな自分が見えることも。だけどもし、万が一合わせ鏡に不吉なものが、特に自分の死相が映ったら。鏡の予言する通りの未来を、覗いた者はたどる。絶対に回避はできない)


 一は誤解しそうになっていた。彼はいい子だったから、彼女もそう言った顔しか見せなかった。

 だが、あれは表層。面の皮。

 今広瀬に向けている冷たい側面こそが彼女の本性だ。


 ――いや。それともやはりこんなことはあり得ない。これは悪夢だ。悪い夢を見ているのだ。


(だったら早く、早く早く早く! 見たくない、見たくない! なんでつねったらこんなに痛いんだよ、夢のくせに!)


「ねえ、ひろせくん。あなた、十三段目を踏んだのに何も起こらなかったこと、おかしいと思いませんでした?」


 ななせさまは広瀬のすぐ後ろにまで迫っていた。

 しかしそこで広瀬が彼女のもはや囁くトーンに近い声に振り返ると、不意打ちでバットを振りかぶったのだ。

 今までの気弱な姿勢はおびき寄せるためか!


 一は息を飲んだ。広瀬が成功したからではない。

 広瀬のバットは音を立てて屋上を転がっていった。広瀬本人は空中に吊られている。突如出現した夥しい縄の群れが彼を戒めている。縄はどれもカウボーイの投げ縄のような形で、手首や足首をひっかけて広瀬を大の字に固定していた。


(違う。あれは、首つり紐だ。首を吊らないのは、きっと)


「だんちゃん、ありがとう。その人うるさくて嫌いよ、喋らせないでね」


 広瀬は口にまで縄を詰め込まれ、もはや声を上げることもかなわない。一はこの後のことが予想できるのに、目を離すべきだと知っているのに、どうしたことか動けない。


「きむらくんはいい子だったのに、どうしてあなたたちは学校に悪いことばっかりするの? いい子にして遊んでくれたら私たち、なんにもしなかったのに」


 ななせさまはどちらかと言うと、不思議で仕方ない、とでも言いたげな、どこか困惑したような調子すら含んでいる声である。


「なあに? 今から謝ったって無駄よ。ななせ、もう怒ってるの。わかる? ななせはね、この学校の神様なんですよ。怒らせちゃいけないんです。一度怒ったら取り返しがつかないんです。でも頭の悪い子には説明してもわからないみたい」


(七不思議の七番目。出てきてはいけない、七番目。やっぱり怪談作りなんて、やっちゃいけないことだったんだ!)


 一の身体を寒気が駆け上がっていく。子どもの遊び。暇つぶし。都市伝説。そのはずだったのに彼女は現れた。


(ななせさまが本当にいたら、面白いのにね)


 子どもたちの密かなつぶやきに応えて、神様はやってきた。七星小学校の魔物を操る化け物として。

 ななせさまが右手を上げた。それを真下に下ろす瞬間、かろうじて一は目を閉じることができた。


「だからね、お仕置きですよ」


 だが、瞼の裏に広瀬の恐慌の形相は残るし、死の痛みの絶叫は防げない。


「い、いだいいだいいだいいだいいだいいだいいだ、ア――」


 叫び声は案外短い。

 ばきっ、ぶちぶちぶちん。ごりっ。

 そんな音が聞こえた気がした。

 一は叫びながら目を固く閉ざす。見てはいけない。音の意味も考えない。理解してしまったらきっと、


(忘れられなくなる)


 むっと何かの臭いが漂ってくる。臭い。一は目を閉じて耳をふさぎ絶叫しながら、とぎれとぎれにえずいた。しかしもう何も出てこない。


 しばらくそうしていて、不意に傍らに誰かが立っていることに気が付く。


「お兄ちゃん、何も怖い事なんてありませんよ?」


 たぶん少女は不思議そうに笑っているのだろう。小首をかしげて。


「さあ、お願い事を言ってください。ななせ、張り切って叶えちゃいますよ。悪い子はいなくなりましたから」


 一の思考はもはやぐしゃぐしゃだった。ゆえにシンプルになっている。

 彼はお願い事、と言われて絞り出すように答えた。


「か、帰りたい――うちに帰してくれ、元の通りに――!」


 結果として、それは英断だっただろう。

 彼があともう少し、「こんなところ」だとか「ふざけるな」とか「化け物め」とか本心を口走っていたら、きっと彼女は機嫌を損ねていた。この神はとても幼い。機嫌一つで願い事を曲げる程度に。だから一は本当に幸運だったのだろう。


 全部、随分と後でわかったことなのだが。


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