入学試験と魔法の深遠 ①
雷神暦4106年8月24日
今日は王都普通学院の入学試験日である。
朝食の席でピトロは少し蒼ざめているようだった。
それでも、ちゃんと朝ご飯は食べていたし、気持ち悪そうにもしていなかった。
リオネルとしてはひたすらにピトロが本来の実力を発揮できる事を祈るばかりだ。
リオネルがハイナに聞いた所、24日は筆記試験の日らしい。
明日の25日が実技試験で、魔法を披露する事になるそうだ。
出陣前のピトロに何と声をかけるべきか迷ったリオネルだったが、
「ピトロ兄さん。気楽にね!」
と、ピトロに声を掛けると、ピトロはニカッと笑って見せた。
ピトロは両親と一緒に試験場へと歩いて向かった。
馬車を回しても良かったのだが、風に当たる方が気分は落ち着くだろうという配慮からだった。
リオネルはお留守番である。
独りきりのリオネルを気遣って若いメイドのラーナがリオネルの遊び相手を勤めようと、リオネルとピトロの部屋の開け放たれている扉から覗いた。(ピトロがドアを開けても締めないタイプなため、共部屋のリオネルは空いている扉に対して鈍感になりつつある。)
しかし、何やら真剣に机に向かうリオネルに気付いて、ラーナはそっと扉を閉める。
――リオ坊ちゃんはお勉強中のようだし、紅茶と御菓子でも持っていってあげましょう。
リオネルは昨日の魔法の結果に悩んでいた。
現在のリオネルの魔法を整理してみる。
光球:魔力魚 8匹分
光矢:魔力魚 12匹分
光盾:魔力魚 8匹分
闇球:魔力魚 8匹分
闇矢:魔力魚 8匹分
闇盾:魔力魚 8匹分
総量:魔力魚116匹分
限度魔力が4匹から8匹の変化では、魔力量は確かに12匹分増えていた。
そして、今回、8匹から12匹への変化で、魔力量は20匹分増えたのだ。
――レベルアップする毎に4匹増えるのは確定だと思うが・・・。まだまだサンプル数が足りないか。
リオネルがサンプル数を増やすには、光矢をもう一段階レベルアップさせることが望ましい。
その場合、今後も光矢をひたすら撃ちまくるのが良いのだが。
しかし、そこには問題がある。
リオネルは条件を揃える為にも、また直感的に習熟度上昇の為にも魔力の最高注入限度に達した魔法を訓練すべきだと考えている。
その場合、現在の光矢は最高魔力限度が12だ。
一方、魔力総量は116なので、一日当たり9回しか練習できない。
しかし、先日までは8匹を12匹にレベルアップさせるために一日12回練習していたのだ。
前世のRPGゲームとかいうものの慣習を考慮に入れると、レベルが上がるほど次のレベルアップは時間が掛るようになる。
それなのに練習回数が減ってしまうのは不味い。
これは効率が悪いのではないかとリオネルは思い至ったのだ。
ハイナもアドバイスとして満遍無く練習するようにと言っていた。
例えば、他の基本魔法を一つずつ上げていくとどうなるか。
まずは光球を上げると、一日14回練習できる。
レベルアップしたら、総魔力量はおそらく20増えて136だ。
次に光盾を上げると、一日17回練習できる。レベルが上がるまでの時間は短くなるだろう。
そして、レベルアップ後、魔力総量は156になる。
次の闇球は一日あたり19回だ。レベルアップで魔力総量は176へ。
そうしたら闇矢は一日当たり22回へ。レベルが上がれば、魔力総量は196に。
最後の闇盾は一日当たり24回も練習可能だ。
つまり、一日当たり12回練習していた光矢の2倍の速さで習得できる事になる。
最終的に魔力総量は216に達している計算になる。
ここで、限界値12の光矢を練習し始めれば、一日当たり18回だ。
現在の魔力総量116だと一日当たり9回が限界になるから、倍速で習得できる事になる。
勿論、それまでに他の5つを習得する時間が必要だから、トータルで見れば習得自体は今日から光矢だけを練習する方が短くて済むだろう。・・・もっとも、次のレベルアップまでの必要経験量が膨大でなければだが。
しかし、全体の効率や魔力総量の上昇を考えた場合、やはり先に他の基本魔法をレベルアップさせるべきだ。
あくまでも現状のサンプルだけから推測できる結論としては、基本魔法の訓練は満遍無くやるべきだが、レベルアップするまでは一つの魔法に集中すべきという事だ。
今後は更に詳細なデータを取るためにもきちんとレベルアップまでの魔法使用回数を数えていた方が良いかも知れない。
リオネルは当面の予定として基本魔法を順々にレベルアップさせていく事と、魔法の使用回数を数える事に決めた。
が、決めた瞬間、
「あー、しまった。失念してた。」
と、リオネルは額に手を当てて椅子の背もたれに仰け反りかえった。
ふぅと小さく息を吐く。
――操作の基本魔法の影響のこと全然考えて無かったわ。
そのとき、コンコンと軽く扉をノックする音が聞こえて来た。
「リオ坊ちゃま。軽食をお持ちしました。お召し上がりになりませんか?」
メイドのラーナの声だ。
「頂きます。」
リオネルは居住まいを正して返答する。
ラーナがお盆を持って部屋の中に入ってきた。
ビスケットの乗った皿と紅茶のカップだ。
ラーナはリオネルの机の上に広げてある羊皮紙を避けて、皿とカップを配膳する。
チラッとラーナの視線が羊皮紙の上に落ちる。
羊皮紙には魔法の呪文と数字が所狭しと書きこまれていた。
落書きでは無く、明らかに意味ある数字として並んでいる。
「いつも有難う。ラーナ。」
「いえいえ。メイドとして当然の事で御座います。それにしても、リオ坊ちゃまはもう算術がお出来になるのですね。凄いです。」
「あ、ああ。」
ラーナが誉める。
リオネルは適当に首肯した。
――やべ、そう言えば俺って未だ算術習って無いわ・・・。
リオネルは先日ピトロがハイナに連立方程式を完璧に解く事が出来たと喜んで報告していた情景を思い出した。
羊皮紙に目を落とす。
割り算のオンパレードだ。連立方程式は使っていない。
――いや、問題はそこじゃなくて。
ラーナが去った後、リオネルは深く溜息をつく。
6歳の内からこんな溜息をついているようじゃ先が思いやられるばかりだ。
ビスケットも紅茶も美味しかったが、甘くは無かった。
夕刻になって、ピトロが帰ってきた。
リオネルが迎えに出ると、ハイナと笑顔で話していた。
――これは、良かったって事かな?
それとなく探りを入れてみると、ピトロは今日の試験に関して自信があるようだった。
無意味にリオネルの頭をグリグリと何度も撫でてきたので、相当に機嫌が良いのだろう。
ピトロは機嫌が悪いとスキンシップを減らす傾向にあるのだ。
ピトロの帰宅に続いて、姉のアルナに次兄のランスまで帰って来る。
二人とも夏季休暇を満喫するため各地に飛び回って過ごしているせいで、久しぶりの帰還だ。
満喫と言っても、遊興目的の旅行ではなく実験の為の検体集めや、試薬の材料の採集、ダンジョンの遺跡や生態調査などをしているらしい。旅行費用などは現地の冒険者ギルドに登録して雑用をこなして稼ぎ出すそうだ。10代前半とは思えない行動力である。
それを切り上げて急いで帰って来たというわけだ。
明日の普通学院の入学試験の参観のためらしい。
「参観?」
「そっか、リオは覚えてないか。リオが3歳の時にもアルナの試験に連れて行ってるんだけどね。」
「3歳じゃ、覚えちゃいないでしょ。」
リオネルの疑問に、ちょっと肌を日焼けさせたランスが話しだすが、ややむくれてしまったアルナに横槍を入れられる。アルナの方も日焼けしていた。
「ははは。リオも普通学院の入学試験が24日の筆記と25日の実技試験に分かれるのは知ってるだろ。で、25日の実技試験の方は公開されるんだ。剣技の部と魔法の部があってね。生徒の関係者は優先的に観戦できる。偉い人達も視察に来るみたいだよ。」
「なんで、公開されているんですか?」
「公平性の為だろうね。筆記試験がキッチリ点数が出せるのと違って、実技試験は試験官のつける評価点数が得点になるからね。密室でやると試験官が故意に点数を上下させても分からないし、不正の温床になってしまう。後は、青田買いのためとか、子供達の晴れの舞台とか、一種の娯楽としてとか、我が子の優秀さを見せつけたい上級貴族の意向とかまあそんなもんかな。」
――確かに、試験官の胸三寸で点数が決められる類の試験は不正の温床になりえそうだ。
リオネルはランスの話に納得する。
「というわけで、明日は一家総出で魔法の部の参観をするんだよ。」
「ピトロ。私達が見てる前で恥ずかしい結果出すんじゃないわよ。ド派手な魔法で鼻もちならない伯爵や侯爵なんかの子供の度肝抜いてやりなさい。」
「こら、アルナ。ピトロにプレッシャー掛けちゃ駄目じゃないか。」
「気合い入れてあげてるだけよ。」
ランスとアルナの遣り取りを聞いてピトロは苦笑いしていた。
翌日、8月25日。
朝食の席にはアッガード一家が揃っていた。
ただし、長兄のダントは不在である。
「あれ? ダント兄さんはどうしたのかな?」
「あ、ああ、ダントなら今、手が離せない実験の最中だから見に行けないとの事だ。ピトロに謝っといてくれと言われた。」
ランスの疑問にカルロスが答える。
弟の晴れの舞台よりも自分の研究の方が忙しいらしい。
「全く。あの子はどうしてこうなのかしら。誰に似たのかしらね?」
「いや、あれは私以上だと思うよ。」
皮肉げにカルロスを見るハイナに対して、カルロスは疲れた様に首を振る。
どうやら、アッガード家一番の研究馬鹿大賞は長兄ダントに決定のようだ。
「気にすること無いわよ。ピトロ。ダント兄様の分まで私が応援してあげるから。」
「え、はい。」
胸を張ってピトロを励ますアルナに少々迷惑げな顔をしているピトロ。
リオネルはアルナの『応援』が精神的な物に留まるのかやや不安になる。
朝食を終えると、アッガード一家は屋敷の前に回してあった馬車に乗り込んだ。
馬車は朝の王都の道をガタゴト鳴らしながら進んでいく。
市場は既に活発に活動しているらしい。
遠くから賑やかな喧騒が聞こえる。
アッガード男爵家も末端とは言え貴族の端クレなので、その構える邸宅は貴族街にある。
勿論、端っこの方で、平民の富裕層街と接しているが。
学院は貴族も平民も通う事から、貴族街と平民街の両方に接している。
アッガード家は仕来たり通りに貴族街に向けて空いている門から入る事が求められるので、通る道も自然と貴族街側の道だ。
市場の喧噪の真っただ中を通るという様な事は無い。
学院の門の前で馬車を降りるとピトロは軽く「行ってきます。」と言って受験者用の入口へと向かっていった。
他の面々は観戦席へと係り員の指示に従って誘導されていく。
そこは巨大な石造りの円形競技場だった。
――古代ローマ帝国のコロッセオはこんな感じだったのだろうか。
リオネルはふと前世の遠い過去に想いを馳せる。
競技場はドーム球場のように、階段状に並ぶ客席の上方にはせり出した日よけの天井があった。
――晴れていて何よりだ。
夏の強い日光に照らされる競技者にとってはもっと雲が出ていた方が嬉しいかもしれないが。
ただし、前世の日本の夏ほどの蒸し暑さのような物は感じない。
ユーティア王国の王都が北の方にあるからなのか、単純に地形による気候の特色なのか。
「お飲み物はお召し上がりになりませんか?」
売り子が小型の台車を押してやって来る。
カルロスがワインを頼もうとして、ハイナに脛をつねられていた。
リオネルは適当に果実ジュースをねだっておく。
「ランス兄さん。試験ってどんな事をするんですか?」
リオネルは待ち時間の暇つぶしにと、ランスに話を振る。
「普通学院の試験か。確か、最初に魔力審査があって、そこをパスしたら基本魔法の球が使えるかを観るのが第一審査だ。で、第二審査、第三審査で矢、盾と順番に規定の規模以上のものが出来るか確かめていって、全部パスしたら最終審査でこの競技場にこれるわけさ。」
「狭き門ですね。」
「ああ、いや別に最終審査まで来れなくても合格は出来るからね。というか、魔力審査を通ったら入学自体はまず問題無く許されるんだよ。そこから先は授業の効率化のためのクラス分けの材料に使われるわけさ。第一審査まで通った組とか、第二審査まで通った組とかって感じで。で、さらに最終審査まで来ると成績特典とかを目指して点数を積み上げていくための工程になるね。」
――ということは、現段階で基本魔法の盾まで出来る俺は間違いなく最終審査までは来れるのが確定していると言うわけだ。
規定の規模なんて言葉は忘れて、わりと楽勝だなと思うリオネルだった。
「で、メインは当然この競技場で行われる最終審査だ。受験者は魔法を使って5つの物体を順番に破壊していって点数を競うんだよ。木製、土製、軟石製、硬石製、金属製の箱を破壊するんだ。破壊出来た具合によって点数が決まっていく。各ステージ毎に有意な傷を付ける事が出来たらその時点で5点与えられて、破壊の段階に応じてさらに5点満点で点数を貰えるのさ。」
ランスはどこか懐かしそうに競技場を見回す。
「ほら。あそこ。運ばれてきたみたいだよ。」
ランスが競技場の一角を指差す。
確かに、通用門から台車に乗った立方体の物体が多数運び込まれてきていた。
台車群は広い競技場の四方向に分かれていく。
一度に4人ずつ行うのだろうか。
立方体が順々に置かれていく。
運搬している人間との縮尺からして、大きさは1メートル四方といった所か。
「あれを破壊するって事は、攻撃的な魔法を使うって事ですよね。客席にいて危なくないんですか?」
「ちゃんと結界が張ってあるから大丈夫よ。」
リオネルの疑問に答えたのはアルナだった。
アルナは憎々しげに並べられている立方体群を見ている。
「私、あれに傷をつけたけのに有意判定されなかったのよね。傷が小さ過ぎて。」
「金属製の箱の話かい? アルナは属性が属性だからね。仕方ないよ。」
歯噛みしているアルナをランスが宥める。
「むぅー。物体破壊とかどう考えても地属性が有利じゃない。きっと此処の学園の責任者は地属性贔屓なのよ。どうせなら、対人戦を試験にしてくれてたら良かったのに。」
ランスの言葉はかえって、アルナを不満たらたらにするだけだった。
と、そこへ人影が近寄って来た。
「ほぉっ、ほぉっ。ミス・アッガード。それは誤解じゃよ。」
「まあ、そういう風に見られる向きがあるのは仕方ない事ではありますがな。」
リオネルが振り返ると、二人の人物がそこに立っていた。
ピトロ 「入学試験編は5話続きます。宜しくお願いします。」
冥界神 「次回、テンプレ校長登場。」