魚魔法 ①
リオネル・アッガードは雷神暦4106年6月9日に6歳の誕生日を迎えた。
それから2日経った今日、雷神暦4016年6月11日。
リオネルは初めて魔法の習得の講義を受ける。
その日の朝食後、リオネルは神妙な面持ちで石壁に囲まれた地下実験室にいた。
部屋の広さは8畳くらいだろうか。
天上までは高い。5mくらいありそうだ。リオネルの6歳児の背丈から見ている分、尚のこと高く見えているのだろうが。
部屋はひどく殺風景で、焼け焦げた跡が目立つ木製の机がたった一台中央に据えられている他はくすんだ色の椅子が2脚あるだけだ。
天井付近には灯りがともされていて、橙色の暖色光が部屋に満ちている。
魔石による発光らしいので、酸欠の心配は無い。勿論、通気口もある。
この優しい灯火がいくらか閉塞感のあるこの実験室の居心地をましにしているようだ。
壁や床、天上を覆う灰青色の石板はゴツゴツとした岩肌を自然なまま残している。
さながら仙人の住む洞窟に入っているかの如くに感じる。これが人工的なブロック状であったら、牢屋に放り込まれた囚人のような気分にさせられていたことだろう。
それでも、決して日々の生活の為に使いたい様な部屋では無いが、魔法を習う場としては中々に雰囲気があると言える。ただ立っているだけで、どことなく神秘的な体験が向こうから勝手に訪れてくれそうな予感を与えてくれる内装だった。
因みに、この壁面を覆う灰青色の石は耐魔石と言ってある程度魔法干渉に耐性があるらしい。
おかげで、この実験室は『研究馬鹿』なアッガード家の面々がちょっと『刺激的』な魔法実験を行う際に大活躍してくれるのだ。
リオネルはそんな洞窟のような実験室の中で突っ立ったまま腕組みして母が来るのを待っていた。
どことなくリオネルの眉が寄っているのは待ち人来ずでイライラしているからではない。
油断すると、にやけ顔になりそうなのを抑えているからだ。
なんせ、生まれて初めての魔法訓練である。
魔法に対する期待感は前世今世など関係無いのだ。
昨日行った、情報開示も魔法ではあるが、あれは魔道具の指輪を使っている。前世的な感覚で言うとライターを使って火をつけながら、火の魔法を使ったとかほざくようなものだ。
雷属性が冥界神のせいで適性外になってしまった事は一応リオネルの中で消化している。
昨日、冥界神とのやり取りを思い出しながらメモを作っていた時は砂を飲まされたような気分だったのは確かだ。
しかし、リオネルは思い出すうちに、属性に拘っていたせいで最後の僅かな質問時間を無為に過ごしてしまった事に気付いたり、また冥界神は全く雷属性を特別視した態度をとっていなかった事を思い起こすにつれて、考えを改めることにしたのだ。
カルロスの言葉ではないが、有り得た可能性に固執するのではなく、現在与えられた能力を活かす事に集中すべきだと気持ちを切り替える。
さらに、どの属性であろうと魔法が使えるならそれで充分ではないかと、魔法の無い世界であった前世の記憶を想起して自身を納得させた面もある。
もっとも、万が一雷属性の人間に出会ったら陰険な嫉妬をしないか、やや自信の無い所ではあるが。
「お待たせ。リオ。」
ハイナ・アッガード。リオネルの母が微笑みながら地下実験室にやってきた。
ベージュを基調とした布地の厚そうなシンプルなワンピース姿だ。
魔法の訓練中に服がダメになってしまう可能性を考慮しているのだろう。
地下室の明かりが弱いせいか、長い濃緑色の髪は殆ど黒に近く見える。
きっと、リオネルの髪も同じように見えている事だろう。
今日はハイナがリオネルの魔法講師役である。
専門の家庭教師を付けて貰うのはもっと先の事だ。
とはいえ、ハイナ自身が若い頃は小遣い稼ぎに貴族の子弟に対して家庭教師をしていたそうだから、このままハイナに教わり続ける事になっても問題無いのだろうが。
ハイナは机を挟んでリオネルの反対側へと移動すると、椅子に腰かける。椅子を動かす際に椅子の足とザラザラの岩肌がゴリゴリと摩擦音を立てた。
リオネルもハイナに見習って椅子の上によじ登る様にして座る。足先は地面から浮いてしまっていた。
ハイナはリオネルが座るのを見届けるとリオネルと同じ漆黒の瞳でリオネルを見詰め、厳粛な空気を醸し出した。
「それでは今から魔法の授業を始めます。」
「宜しくお願いします。」
リオネルは気を引き締める。
ハイナの作り出す生真面目な空気は自然とリオネルを真面目な生徒の役回りになさしめた。
ハイナが厳かに説明を始める。普段の口調とは異なっている。
「そもそも魔法とは、魂 力を消費し、精霊世界に対して精霊回廊を通し、そこから引き出した精霊の属性力の助けを借りて、体内に存在する魔力に形を与えて効果を世界に対して顕現させる事を言います。因みに、加護と言うのは、魂 力を消費し、精霊回廊を通す所までは同じですが、そこから直接与えられる精霊力によって発現します。まれに、悪意ある精霊によって無理矢理回廊を繋がれて呪いを受ける場合があり、これを被呪と呼びます。ですから、被呪は加護の一形態とも言えますね。」
――悪意・・・ねぇ。
リオネルが分かった様な分からない様な顔をしているのを見て、ハイナは微笑む。
陰影の作るマジックか、何か含む所のある顔に見えた。
「理論の方に興味が出てきたら、学院に入った時に研究してみたらいいと思うわよ。もっとも、多くの人はこんな理屈に頓着せずに魔法を使っているから、今の話は参考までに留めておいてくれたら、それで良いわ。」
――深遠なる魔法理論の探求か。機会がある時に考察してみよう。
「折角、この地下室に居るのだから、実践していく方が良いでしょう。それではまず魔力を感じて、引き出し、魔法を形作る所から始めましょう。」
「その前に、精霊回廊を開く訓練がいるのでは?」
リオネルが首を傾げて尋ねる。
ハイナは質問を予期していたらしく、一つ頷くと再度説明を開始する。
「その必要は有りません。精霊回廊は普通無意識的に解放されますし、これを意識する必要性が出て来るのはより高度で複雑な魔法を為そうとする段階においてです。・・・さて、魔力を感じる訓練ですが、幾つか方法があります。主に使われている方法は、1つ目が他人に自分の体の中に他人の魔力を流して貰ったり、ぶつけて貰ったりして感覚を掴むと言う方法。過激な場合は魔法攻撃に何度も身をさらす事で魔力への感性を高めるという訓練をするそうですが。・・・貧民出身の魔法使いなんかに話を聞くとこの方法をとっていた方は少なくないですね。在野の魔法剣士は殆どがこの作用によって自然と魔法が使えるようになった人達ですね。2つ目は魔石などによる自身の魔力を一時的に増強する事により魔力を把握しやすくする方法。習得できるまで魔石を無駄に消費するので富裕な貴族しか使わない方法ですね。ただし、魔石を潤沢に揃える財力さえあれば一人でも習得可能という利点があります。3つ目は他人に自分の体の中の魔力を直接動かして貰って、その存在を把握すると言う方法。これは高度な術者でなければ施せない方法です。術者と被術者の魔力の相性も良くないといけません。その代わり一つ目と違って自分自身の魔力が動くのを直接感じ取れるので習熟速度は格段に速くなります。・・・今までの所で何か質問は有りますか?」
「いいえ。ありません。」
リオネルは首を横に振る。
ハイナの説明はとても覚え切れそうにないが、さっさと早く魔力というものを感じてみたくて仕方ないのだ。再説明を要求する気など起きない。
「さて、普通は一つ目の方法を使うわけですが、私達は3つ目の方法を使いましょう。家族同士の魔力は相性が良いですからね。勿論、私は3つ目の方法を選択できるだけの技術を持っています。ダントもランスもアルナもピトロも全員同じ方法で学習させました。」
――経験豊富と言うわけか。・・・そう言えば、両親の魔法の腕前がどれくらいかよく知らないんだよね。低くは無いってことなんだろうけど。
ハイナもリオネルも二つ目の方法に関しては存在を無視した。
「それじゃ、両腕を前に出してくれる?」
ハイナに言われた通りに、リオネルは机の上で両腕をハイナに向けて差し出した。
ハイナはリオネルの両腕の服の裾を捲りあげてしまう。
生白く細い腕が橙色に照らし出された。
――前世で予防接種の注射をされる時のような緊張感だな。
リオネルの腕の筋肉が次に何をされるのかと不安がって強張っている。
ハイナはそんな事はお構い無しにリオネルの右腕を掴むと肘関節の内側に左手の指をそっと乗せる。それから、リオネルの左腕の手首を自分の右手で包んだ。
「集中して感性を高めてちょうだい。今からリオの体内の魔力を右回りで動かしていくから、それを感じ取って欲しいの。良いわね?」
「はい。母上。」
リオネルは固く目を閉じる。
視界が閉ざされ、他の感覚が相対的に上昇する。
緊張感と期待感でドクドクと脈打つ血脈の音が聞こえる。
地下特有の僅かなカビ臭さにハイナの香水の香りが混じっている。
ハイナの握る関節にやや熱を感じた。
リオネルの体の中に何か温かいものが浸透していく。
驚きながら、その『何か』を掴み取ろうと全身の神経を集中させる。
最初は漠然として存在の知覚すら抽象的とも言えた『何か』は、次第にリオネルの中で渦巻いている事が分かってきた。リオネルの腹部から吹きあがり、右肩へと達すると、心臓へと引き込まれ、胃へと落ちてから腹部へと流れ込む。そんな『何か』の循環が確かに感じられた。
――ふむ。これが魔力ってやつか。意外と簡単に感じ取れたな。
「リオ。もし動きが感じられるようなら、それに抵抗してみてね。私が動かす流れを防ぐようにして見て欲しいの。」
リオネルはハイナに言われた通り体の中に感じる循環に抵抗を試みる。
もっとも、どうやって抵抗すれば良いか見当がつかない。
腹筋に力を入れて抑え込もうとして見る。
――ダメか。
流れを止める事を想像して、遮蔽物となる板のような物を体の中に作る想像をしてみた。
――ダメか。想像しただけじゃ効果は無いな。
筋肉の収縮運動も呼吸法も全て無駄だ。
ならば、後はこの循環する魔力そのものに干渉して逆向きの流れに為る様にする他ない。
そもそもこれは魔力を感じて操作できるようにする訓練なのだから、それが一番正統な方法だろう。
リオネルはウンウン唸りながら自らの中を巡る渦を制御下におけないかと模索する。
物理的に操作しようがないために、結局想像力で介入するしかないらしい。
あれやこれやと色々なイメージを作っては自分の中の渦に投下していった。
30分ほど経ったろうか。
しかし中々、魔力の水流は妨害されているように思えない。
次第にリオネルは焦れて来る。
魔法の才能が足りないという事は無いはずだ。先天性の魔法指向があるのだから。
要領が悪いのか、アプローチの仕方が悪いのか、それとも才能依然に想像力が欠如しているのか。
――渦。水流。水流か。ちょっと試してみるか。
リオネルは少々ヤケクソ気味である。
頭の中で小さな魚のイメージを作る。
鮭みたいな形で、銀色の鱗で、急流を溯っていけるような魚。
そんな魚を想像してまずは一匹渦に投下してみる。
変化は無い。
――ま、一匹だけじゃな。
リオネルは2匹、3匹と同じような魚を投下していった。
次第に数が増えて、総勢12匹の魚が魔力の流れに逆らって縦列に為って泳いでいる。
「あら?」
ハイナが声を漏らした。
――効果ありって事か!
リオネルは確信する。これはいける、と。
リオネルの指揮の下に、縦列陣を敷いていた魚達は泳ぎながら隊列を変えていく。
2列×6の縦隊へ。3列×4の縦隊へ。4列×3の隊列へと。
次第に、魔力の流れは大きく阻害を受けているのか、始めの頃に感じた速さからは格段に遅くなっていた。
――しかし、未だ足りないか。
想像力の限界に挑むが如く、リオネルは更に12匹の魚を投入した。
総勢24匹の魚がリオネルの中でゆったりと流れる渦に逆らって泳ぎだす。
魚達が生みだす水流が渦の流れを掻き乱し、一瞬凪になると、ついには流れる方向が逆転し始めた。
――成功だな。
リオネルは内心驚喜するが、母に子供っぽく見られたくないという心から頬を引き攣らせて神妙な顔つきを維持して見せた。たかが6歳、されど6歳の意地である。
「ねえ、リオ。確かに、魔力が扱えてるみたいだけど・・・。貴方の魔力の扱い方、なんか変よ?」
「へ? そうですか?」
「ええ。普通魔力って液体みたいな捉え方なんだけど・・・。どんな想像してたの?」
純粋に誉めて貰える事を期待していたリオネルだが、ハイナに変人の判子を押される。
――確かに魚型の魔力なんてヤケクソだったとはいえ変なやり方だろうな。
リオネルの魚型魔力の説明を聞くとハイナはひどく呆れた顔をした。
「リオがそれで魔力の存在を掴み易いって言うなら、それでも構わないけれど。こういうのは人それぞれのやり方があるって言うものね。本当はこの訓練を一週間以上かけてジックリやるつもりだったのだけど・・・。」
ハイナは複雑そうな顔をする。
リオネルとしては標準的な訓練時間を言っておいて欲しかったと思わないでも無い。
一週間以上掛けても良いなら、ヤケクソになって魚型魔力なんて馬鹿な真似はしなかった所だ。
「今日はひとまずこれで置いておきましょう。魔力操作もできちゃってるみたいだし、明日からは実際に魔法を使ってみましょうね。」
「はい。御指導有難う御座いました。母上。」
一週間以上の工程を一日で終えられたと考えれば僥倖ではある。
にもかかわらず、リオネルには少々不安の残る魔法修行の開幕となった。
冥界神 「うちが好きな魚はブリやで。照り焼き美味しいわ~。」
リオネル「そんな事より予告お願いします。」
冥界神 「次回、リオネル君の更なる暴走!」