2.更衣室が血の海になってしまうお話
いったい、寝ている間に何があったんだ?周囲の状況を見るに僕に何かあったらしい。それも全員がかなり驚くレベルの何かが。それはすぐにわかった。僕の手が明らかに違っていたのだ。
「……ましゃか」
僕は頭に手をやってみた。髪の毛が長い。
「……」
次に胸に手をやる。むにっ。ふむ。なるほどなるほど。僕は立ち上がった。
「先生、少し席を外していいでしょうか?」
「あ、ああ」
本当なら授業中に外に出るなんて許可されないだろう。だが、突発的事態に頭がついていってない教師は言われるがままにOKを出した。とりあえず許可を得たのでドアにいた生徒たちをかきわけて外に出る。そして、皆から見えない位置にまで行くとズボンがズレないようにベルトをきつくして全速力で駆けだした。目的地は当然あの研究所だ。僕は勉強だけでなく運動もからっきしだ。当然、走りも人よりも遅い。それがどうしたことか。いまの僕は驚くほどに体が動くのだ。
「す、すごい」
ただ単に体を作り変えられただけだと思っていたのにどうしてどうして身体能力まで変化しているとは。
「うっほほーい」
思いがけない事に僕は気分がハイになって街中をキーンと走り抜けた。昨日の研究所は学校からさほど離れていない4丁目6番地25号にあった。
“ピンポーン”
呼び鈴を鳴らす。応答が無い。もう一度鳴らす。やはり応答は無い。留守かな?困ったな。博士がいないと元にもどれないじゃないか。今更、こんな姿で学校にもどれないし。途方に暮れていると、玄関チャイムと塀の間に紙が挟まれているのに気づいた。ちょこっとしか出ていないから掴みにくいけど、どうにかして引き出しに成功する。丸めてあるので広げてみたら字が書いてあった。
「僕宛てだ。どれどれ……」
手紙にはこう書いてあった。
『君がこの手紙を読んでいる頃には君はまた昨日の姿になっておるという事じゃろう。君はまた変身したと思うじゃろうがそれは違う。君は変わったのではなくもどったのじゃ。すでに君は体を作り変えられている。昨日の薬で前の君になれたのは“元にもどれた”ではなく“前の君に変身した”に過ぎないんじゃ。すまん、じゃがそれしか君を救う手立てが無かったんじゃ。ワシは故あってここを引き払うことにした。じゃが、心配はいらん。前の君になれる薬を作り方を書いておく。専門的な知識が無くても作れるから君にもできるじゃろう。もう気づいておるじゃろうが、薬の効き目はほぼ24時間前後で切れるぞ』
僕はもう昨日までの僕じゃない……?ショックでフラフラとなり地面に座り込む。だが、すぐに気を取り直す。薬さえあれば僕は前の自分をキープできる。ただでさえみんなからの印象が最悪なのに、体を作り変えられたとあってはさらに気持ち悪がられるにきまってるよ。
「とにかく学校にもどろう」
僕は大急ぎで学校にもどった。
-・-・-・-
僕は学校にもどると先生に理科室の使用許可を求めた。
「何に使うんだ?」
僕は事情を説明した。
「ほう、その薬でお前は元にもどるのか。でもな、いまは授業中だぞ?後にしろ」
しょうがないので放課後になるのを待つ。しぶしぶ席にもどると周囲のヒソヒソ話が聞こえてくる。小さくて詳細な内容まではわからないが、恐らく「キモい」とか「ありえない」とか言われてるのだろう。まさか、今朝以上に肩身の狭い思いをするとは。でも、放課後になれば薬で元にもどれる。無くさないように保管しておこう。クリアファイルに挟んでおくか。と、そこへ後ろの席の男子が声をかけてきた。
「なあなあ、ちょっとその紙見せてくれよ」
「あ、う、うん…」
彼から声をかけられるのは滅多に無いので反射的に渡してしまった。すると、皆が見たい見たいと言い出した。手紙は本人の承諾も無しにたらい回しにされた。
「まあ、いいか」
あとで返してくれたらいいんだから。放課後になって紙が返されると僕は理科室に向かった。紙を返してくれた時の皆のニヤニヤした顔がなんか気になるが。紙に書かれたものを用意していざ始める。
「……」
外野が気になる。どうしたわけかクラスの皆が廊下からこっちを見ているのだ。
「あの…」
「こっちは気にしないで始めて」
「そうそう、俺らは見ているだけだから」
まあ確かに気になるかも。よござんす。そこで見てておくんなせえ。皆から注目されるなんて初めてだ。失敗しないように紙に書かれた説明を念入りに確認する。メモに書いてあるように僕でも簡単に作れる。薬ってこんなに簡単に作れるものなの?
「よしできた」
は、いいけど昨日となんか色が違う……。調合間違えたかな?ちゃんとメモの通りに作ったのに。試しに飲んでみよう。ゴクゴクっ。……ダメだ何も起こらない。なんで?
「メモの内容が間違ってた?」
どうしよう。博士はもうあの研究所には帰ってこないつもりみたいだし……。そうだ、研究所になにかあるかもしれない。僕はもう一度研究所に行くことにした。……みんながガッツポーズしたり「イェーイ」と手を叩きあったりしているのが妙に気になる。
-・-・-・-
研究所の門は鍵がかかっていたので塀をのぼって中に入る。庭を通過して建物の中へ。そこで僕は荒らされている室内を目にした。まるで家宅捜索を受けたかのようだった。
「これってどういう……」
もしかしてあの博士ワケあり?と、その時、人の気配がしたので僕は慌てて身を隠した。現れたのはギャングみたいな出で立ちの二人組だった。一人は180以上はあるだろう長身の男で鋭い目をしている。もう一人は平均的な身長だががっしりとした体形でサングラスをしている。
「アニキ、どうやらあのジジイ感づいたようですぜ」
サングラスの男が長身の男に話しかける。
「ああ、そのようだな。例の奴に関する資料だけが持ち出されている」
例の奴?何のことだ?長身の男は携帯電話を取り出した。
「…俺だ、例のジジイが行方をくらわした。至急、探し出せ。見つけても手を出すな。例の奴が完成するまであのジジイは生かしておかなければならないからな。…ああ、そうだ。『人類再編計画』のためにもアレは絶対に手に入れる必要がある。俺たちもすぐに合流する」
電話が切られた。
「サーモンのアニキ、あのジジイを探すにしてもこりゃちと骨が折れますぜ?」
サーモン?変な名前だな。
「いや、奴には姉がいる。ずっと音信不通だったようだがな。奴には他に身寄りはいない。必ず姉と接触を図るはずだ」
「なるほど…」
サングラスの男が不敵に笑う。二人はその後、ベランダから出て行った。おかげで玄関に置いてある僕の靴が見つからずに済んだ。一体、連中は何者なんだ?想像するに博士はあの連中から逃げようとしていたのは間違いない。だからか、急いでいるあまり僕を元にもどす薬の調合法をメモする時に間違えてしまったんだ。
「ということは……」
僕はずっとこの姿のまま?
-・-・-・-
家に帰った僕は途方に暮れた。どうしよう。明日からどうやって学校に通うんだ?休むにしても動けない状態でも無いから名分が成り立たない。
「これからどうしたらいいんだろう……」
最初は博士を探すことも考えた。しかし、あんな怖そうな連中が関わっているとわかったらとてもそんな気にはなれない。明日から僕のキモキャラ認定は確固たるものになるだろう。
「……いままでとそんなに変わんないな」
もう十分にキモキャラ扱いされてるんだから今更ジタバタしてもしょうがないな。でも、いまの自分を受け入れてしまったら、それまでの自分を否定することになる。誰にも相手にされない哀れな男を、せめて本人だけでも肯定してならなければあまりにも報われない。しかし……
「それよりか命の方が大事だもんな」
僕はあっさりと過去の自分を捨て去ることにした。さて、風呂に入ろう。服を脱いで風呂場へ。と、ふと洗面所の鏡に映る自分を見る。
「かわいい……」
直後、僕はものすごい自己嫌悪に陥った。鏡の自分にむかって「かわいい」はなんだよ。アホか?自分でも自分を「キモい」と思うわ。何とか前向きになろうとしていた僕はこの何気ない行為をきっかけに完膚なきまでに叩きのめされた。こんなの学校の連中に特に女子に聞かれたら、「やだ、キモーい」とか言われるに決まっている。当人が自分でキモいと思ったんだから他人がそれ以上にキモいと感じるのは当然だ。とにかく、服脱いじゃったから風呂に入ろう。えと、体の洗い方はいままでと一緒で良いのかな?風呂から上がって首にタオルにパンツ一丁で二階に上がろうとした時だった。玄関の引き戸が思いっきり開けられた。
「回覧板だよーっ……」
隣の小学生がドアを開いた途端、回覧板を持ったまま硬直した。声をかけようとしたら小学生は顔を真っ赤にして逃げ出した。
「あんだよ、人の顔を見るなり逃げ出すなんて」
そりゃ、前に夜道でばったり出くわした女性に悲鳴を上げられて逃げられた前科がある僕だけどさ、何度も顔をあわせてるじゃん。今更、逃げ出す事もなかろうに。それも顔を真っ赤にして……
「あっ」
原因がわかった。小学生は自分が見た人間が僕だってまだ知らないんだ。女性が我が家を訪ねるなんて天地がひっくり返っても無いって思っていたから、風呂上りや夏の暑い日はパンツ一丁で過ごしていたからな。とりあえず服を着とこう。パジャマを着たところで外から先ほどの小学生の声が聞こえてきた。
「本当だってば父ちゃん」
「なに寝言言ってやがる。夢でも見たんだろ」
「本当にいたんだよ。信じてくれよぉ」
どうやら父親も連れてきたようだ。ここに来るのがわかっているので玄関で待つ。玄関が開いて二人が姿を見せる。飲んでいる最中だったのか父親は酔っぱらっているようだ。
「……」
息子と同じく父親も僕を見るなり体が固まってしまった。手に持っていた大関が落ちて割れた。
「ね、俺が言ったとおりだろ?」
「ああ、こりゃたまげたな。あの、お宅どちらさん?」
「えーと…」
どう説明するか。しかし、もう学校の連中には知られてるんだ。隠したところでいずれば発覚する。
「僕ですよ…」
「「は?」」
さすが親子、見事にハモッてやがる。僕は事情を説明した。まあ、信じないだろうとは思う。こんなの信じる方がどうかしている。と思いきや
「へー、そうかい、そりゃ災難だったな」
あれ?あっさり信じた?
「そりゃ、あの博士ならそれくらいできるだろうぜ、らっしゃい」
ん?あの博士を知っているんですか?
「近所じゃ有名だぜ。俺も一回壊れた家電を直してもらった事がある」
そうだったのか。僕はほとんど近所づきあいしないからそういうのはわかりようがない。
「しっかし、人間ってこうも簡単に変われるもんだねえ。おう、お前も体を作り変えてもらったらどうだ?少しはわんぱくも治るんじゃねえか?」
「やだよ、俺いまの自分が好きなんだ」
その意見には同意する。好きというのはちょっと語弊があるように思えるが。
「でもよ、良かったじゃねーか可愛くなってよ。俺はいつお前さんが世を儚んで現世とさよならするかマジで心配してたんだ。だが、もうその心配はいらねえな」
余計なお世話だ。僕は決して人生の敗北主義者になったりはしない。それにいくら見た目が変わったって、元は僕だってわかってるんだから気持ち悪がられるにきまってるよ。あーあ、明日学校に行くのが憂鬱だ。ところで、いつまでいるつもりなんだ?この父子は。
「おう、これは長居しちまったな。おい、帰るぞ」
「うん、またね、兄ちゃん…じゃなかった」
いや、兄ちゃんでいいよ……。
-・-・-・-
次の日の朝、僕は顔を洗うため洗面所に立っていた。つい昨日までこの鏡に映っていたのは、いまの姿をしている人間とは同一人物とは思えない逆美男子だ。
「君は誰だ?」
鏡の向こうの人間に問いかける。相手は答えない。まるで言うまでもないだろうと言わんばかりに。猫は今日も帰らないのだろうか。帰ってきて僕を見たら驚くだろうか、それとも人間は皆同じと意に介さないだろうか。しょせんは猫畜生といったところか。制服に着替えて家を出る。とうとう僕は元にもどれなかった。学校内でほとんど居場所が無い僕だが、逆にこれ以上環境や待遇が悪くなることはないだろうとある意味安心もしていた。その状況を甘受してしまえば、それほどいまの生活も悪くは無い。特に全校の女子の裸(当然、不美人を除く)を見たことがあるのは恐らく僕だけで、イケメンくんですら女子全員の裸を見たことは無いだろうからちょっとした優越感にも浸れる。だが、今日からはどうなるかわからない。少なくともよくはならないだろう。たとえばクラス一のブサイクくんがイケメンに整形したとして、クラスの面々は彼を快く受け入れるだろうか。恐らく、皆が皆ひくと思う。僕にいたっては整形どころか体全体を作り変えられてしまっているから、そりゃもうひくどころの騒ぎじゃないだろう。
「なあ、あの娘誰だよ?」
「いや、知らねえ。転校生かな?」
「めっちゃかわいいじゃねーか」
「ああ、胸も大きいしよ」
「でも、なんで男の制服を着てるんだ?」
学校に行くまでの道中、周囲の会話が漏れ聞こえる。他の学年やクラスの生徒たちだ。“かわいい”というのは同意見だが、正体が僕だと知ったら「なに女になってんだ?気持ち悪っ」になるだろう。教室に着いて自分の席に座ると、教室にいた皆が僕の方を見てヒソヒソ話を始めた。こんなにも注目を集めるのは生まれて初めてだ。できれば違う事で注目を集めたかった。
「ねえねえ、ちょっといい?」
一人の女子が声をかけてきた。その娘は普段僕を人一倍毛嫌いしていたので僕は何かキツイ事言われるだろうと身構えた。
「髪、触っていいかな?」
「……はい?」
かみ?紙かな?ティッシュの事だろうか。
「違うわよ、髪の毛触っていいかって聞いてんのよ」
「?????」
なんで僕の髪なんか?わけがわからないがとりあえず頷く。
「すっごいサラサラしてる。何か手入れしてるの?」
「いや、特には」
「ええーっ、何にもしないでこんなきれいな髪になるの?」
そうは言ってもいまの姿になったのは一昨日が初めてだ。
「肌もツルツルしてるし、皆触って見なよ」
女子の一声で教室にいた女子たちが群がってきた。
「わーっ本当だ」
「ツルツルーっ」
「スベスベーっ」
「サラサラーっ」
「おまけにえいっ!」
「ひゃあああっ!?」
背後から思いっきり胸を掴まれた僕は悲鳴をあげた。
「これ本物だよ?しかも大きい。私らより大きいよ」
「えーっそんなの許せない」
「こっちの方はどうかな?」
女子の一人が股間を触ってきた。嫁入り前の娘がなんちゅうことを。
「無いよ、全然無い!」
「嘘っ、マジで女の子になっちゃってる?」
「どれどれ、本当だっ無いよ」
……こういうのを逆セクハラというのだろうか。その後も僕は女子に体中を弄繰り回され、チャイムが鳴って先生が来たところでようやく解放された。
「皆ーっ席に着いたか?出席とるぞ。朝井長政 (はい)、浅倉義景 (はい)、井伊直正 (はい)、上杉剣心 (はい)、小田信長 (はい)、加藤清昌 (はい)、樹下藤吉郎 (はい)……」
順番に名前を呼ばれる。僕の順番が来たので「はい」と答えた。
「あー、お前は結局元にもどれなかったんだな」
ええ、まあ。
「大変だろうがな、まあがんばれ」
他人事だな。まあどう接すればわかんないだろうな。H.Rが終わって一時限目は体育だ。更衣室にて着替える。自分のロッカーの前でベルトを緩めてズボンを脱いで次にカッターシャツのボタンを外していく。
(初めの時より明らかに大きいよな…)
元に戻る薬(厳密には違うようだが)の副作用だろうか。胸が初めて女になった時より大きくなっている。別に小さくてもいいのになとボーっとしながらカッターシャツを脱いでTシャツも脱ぐ。その時、トランクスがストンと落ちてしまった。そうだった、体がスリムになったからいま穿いているトランクスとかサイズが合わなくなったんだ。別にまた上に上げればいいだけだ。ところが、更衣室にいた男子全員が一斉に鼻血を噴出したのである。室内は一瞬にして辺り一面血の海となり、僕以外の男子はその海に沈んだ。どえらい惨状にパニックになった僕は倒れている奴の両肩を強く揺さぶった。
「おい、しっかりしろ!」
すると奴は目を開けて僕に笑って見せた。よかった、命に別状は無いようだ。と安心していると
「予想以上の破壊力だぜ……」
意味がわかんない事言って奴はガクッとなった。他にも「我が人生に一片の悔い無し」とか「これで死ねるなら本望」などと君らの命の重さってどんだけ軽いの?と疑いたくなるような事ばっかし言って事切れる男子が相次いだ。こんなところで死んだら絶対にあの世で悔いるだろ。
「おい、どうしたんだ!?」
近くを通りかかった別クラスの男子が異変に気づいて更衣室に入ってきて、僕を見るなりそいつも鼻血を噴き出して倒れた。幸い、全員命は取り留めたが体育の授業は当然中止となった。僕は惨劇の原因として先生方から散々注意された。
「お前、帰りに制服作ってこい」
「制服ならありますよ、先生」
「それじゃない、女子用の制服だ」
「へ?」
「職員会議でお前を女子として扱う事に決定した。明日から女子の制服着て登校しろ」
「待って、僕に女装しろと?」
そんな趣味は持ち合わせていない。
「決定事項だ。絶対着て来いよ」
そんなぁ。ところが話はそれだけに終わらなかった。どこでその事を聞きつけたのか女子たちが僕に下着も買わないとダメと言ってきたのだ。当然、女子用の下着である。
「いいよ別に」
もう一度言うが僕にそんな趣味は無い。盗撮はしても下着泥棒はしない。そんな事するのは真面目で勉強ばっかしている級長のガリ勉くんで、しかも彼は盗んだ下着を自分で見に着けるという筋金入りの変態だ。どこが真面目だ?と思われるだろうが人間誰にだって裏表はある。
「駄目よ、せっかくそんないい胸をしているんだからちゃんとブラをしないと。私たちが選んであげる」
……はひ?