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ピエロの恋

夏の日差しがフルパワーで叫び出す午後の2時、僕は国道沿いにある吉野家のカウンター

に腰掛け遅い昼食をとっていた。大盛りのつゆだくにプラス卵、豪華すぎる組み合わせに

は訳があった。今日、例の追試があった。テスト終了後すぐ採点がおこなわれ、結果は数

学も古文もはカンニングを疑われるほど良い点数だった。担任の遠藤先生は狐につままれ

たような顔で答案を眺めていた。

「あ~ぁ・・・」

本音を言えば彼女と一緒に祝いたい気分だった。しかしあの日以来、大間が洞窟へ来るこ

とはなかった。奥歯で飯をすり潰しながらもうこれっきりなのかなと思った。両頬をリス

のように脹らませたままボンヤリと周りを眺めた。カウンターを取り囲み黙々と牛丼をか

っ込む人たち、箸が丼に当たる音が何かの虫が鳴いているように聞こえた。ささやかな祝

いも箸の先についた飯粒をしゃぶった時に終わった うす茶色のコップの水を飲み干し、

レジ前の列に並んだ。テイクアウトの客が支払いしている間に財布から小銭を取り出し、

視線を泳がせると、反対側のガラスの向こうでなにやら言い争いをする男女が見えた。

少し雰囲気は違ったがまぎれもなく大間だった。中年男が彼女の左腕をつかみ怒鳴った。

終いには無理矢理車の中に押し込めようとしている。持っていた代金をレジのトレーに放

り込み慌てて店を飛び出した。駐車場の入り口付近に止められていたセドリックの助手席

付近でもみ合う二人、誘拐犯だと思い無我夢中で中年男に殴りかかった。男は太陽の熱に

溶けはじめたアスファルトに顔から突っ込んだ。大間は僕に気づくと腕をつかみ言った。

「小林、車に乗って」

「え?でも、こいつを警察に、それに君免許は?」

「昨日取ったわ、そんなこといいから早くして」

エンジンは野太い重低音とともに目を覚ました。いわれるがままに助手席に飛び乗ると大

間は一気にアクセルを踏んだ。頬を押さえアスファルトにうずくまる男を残し、車は道路

に向かってロケットスタートを決めた。助手席のフロントガラスから見える光景はF1さ

ながらのスリルとスピードだった。

「警察いこうよ」

「なんで」

「なんでって、これじゃあ僕たちが車盗んだことになるだろ、誘拐されそうになって仕方

なく犯人の車で逃げたんだって話そ」

「そんなこと心配しなくてもいいわ」

「どういうことだよ」

大間はハンドルから右手を放し、吹き出しそうになる口を押さえた。興奮のさめない僕は

不真面目すぎる彼女の態度に腹を立てた。連れ去られていたら命も危いというのに一体何

を考えているんだと睨みつけた。

「あの人、母親の男よ」

予想もしなかった答えに僕は頭を抱えた。

「知り合い?それならそうと言ってくれよ。てっきり誘拐犯だと思ってぶんなぐっちまっ

たじゃないか」

「いいのよ、それくらい」

髪をかき上げ大間は遠くを見た。

「よくないよ、それに大体なんで母親の男と大間がもめてんだ?なんかあったのか?」

まくし立てながら僕の目は大間の姿を目でなぞった。胸元が大きく開いた麻のタイトなワ

ンピース、一見ブレスレットのような文字盤のない時計、爪には濃紺のマニキュア、漆の

ようにしっとりした色の口紅、まるでファッション雑誌から抜け出たようだった。とても

自分と同年代とは思えない姿に違和感と疑問を感じた。彼女は僕の視線に気づくと鼻で笑

った。

「見れば分かるでしょ、さっきまでデートしてたのよ」

「さっきの男と?」

当然と言いたげに大間は首を縦に振った。

「ええ、服を買ってもらって、食事をして、で、その後は・・・」

それが何を意味するかぐらいは解った。けれどああそうかと頷けるわけもない、誘拐犯だ

と思った男は実は母親の彼氏で、事もあろうにそいつと娘である大間がデート?だが何よ

りも不可解なのは、それを何の躊躇いもなく言いのける彼女の神経だ。理解できない僕が

幼すぎるのか。

「なんか言いたそうね」

脇道から深紅のスポーツカーが現れ、僕たちの車の前に滑り込んだ。大間は慌てる様子も

なく少しアクセルを緩めた。ほっとした、車間距離が少しずつ広がっていく。

「母親は知ってるのかい」

前を行くスポーツカーの二人は恋人同士なのだろう、助手席の女が運転席の男の方にしな

だれかかり何か話しかけている。タバコを持った男の左手が窓から外にのび、細い煙の帯

が後ろに向かって流れた。大間はそれを見ながら感情のこもらない言葉を漏らした。

「ばかね、内緒にきまってるじゃない」

「そんな事をして楽しいのか」

「楽しいわよ、いけない?」

そういう彼女の横顔は少しも楽しそうじゃない。胸元にのぞく鎖骨のくぼみがやけに深く

見えた。痩せたのだろうか?

「幻滅した?いいのよ、それでも」

「投げやりな言い方するね、僕の知ってる大間と違う人みたいだ」

「またそれ?」

この言葉を大間に使うのは2度目だったが、今回は自分なりに彼女を理解した上で使った

つもりだ。

「あいつの事が好きなのか?」

「さあ、どうだろ」

大間はため息をつき、その空気が車の中にどんよりと漂った。

「他人の心配してる余裕あるの?確か今日追試だったわよね」

僕の口に戸を立てるように大間は話しを止めた。

「終わったよ」

「そう?でどうだった」

「大丈夫だった、君のおかげだ」

「なら遊べるんだ、じゃあつきあってよ、それともこんな女とじゃイヤ?」

あの男と何があってあんな喧嘩になったかは解らない。しかし今の彼女を見ていると放っ

ておくことなど出来なかった 前を走っていたスポーツカーが海に向かって進路を変えた。

大間は僕の答えも聞かないうちに同じように海に向かってハンドルを切った。車のフロン

トガラスが真夏の太陽へ向かい、きつい日差しが真っ白な彼女の両腕に反射した。

「シートベルトちゃんと締めときなさい、岬までとばすわよ」

つま先の尖った真っ白なハイヒールが一気にアクセルを踏み込んだ。セドリックは見る見

るうちに赤いスポーツカーと接近し、一呼吸おくとここぞばかりに一気に抜き去った。危

いと感じたのだろうスポーツカーは急激に減速し、そのせいでぶるぶると尻を振った。バ

ックミラーに映る助手席の女は、大きな口を開け怒っていた。大間は何も言わずアクセル

をベタ踏みした。もうどうにでもなれ、いやどうにでもしてくれという気持ちになってい

た。

夕暮れ近づく岬に腰を下ろし、僕たちは風に吹かれていた。空にはうっすらと月の影、金

色に波立つ夏の日本海は冬とはまるで別の海。やわらかな波音は時の感覚を曖昧にし、人

の心を丸裸にさせた。大間は水平線を見つめたままもう何時間もこうしている。何も語ろ

うとしない彼女、僕はかける言葉を探した。気づくと大間は目に涙を浮かべていた。声は

ない、ただ夕日を映した涙がぽろぽろと頬をつたい落ちていく。

「私、なに泣いてるんだろね」

僕は涙で濡れた彼女の頬を手の平でぬぐった。大間は恥ずかしそうに顔を背けた。

「よしてくれよ~夕日に感動しちゃったなんていうのは」

「いいじゃん」

「え?そうなの?いゃゃゃ痛いな、なら一緒に砂浜走らないとだめか?」

僕はピエロになろうとした。

「訳を聞かないの?」

「聞いてほしい?」

大間は僕に寄りかかった。

「うん、でも少しこのままでいさせて」

いつしか僕らは草の上に横になていった。夕日は波間に飲み込まれ、さっきまで見えなか

った星達が一斉に夜空一面輝きだした。少し強めな風が岬に吹きつけ夏草を揺らした。波

と風の音が僕らの空間に蓋をした。大間が深呼吸した。

「今日、お終いにしようっていわれたの」

「そう」

「うん、やっぱり好きなのは母さんで私じゃないんだって」

大間は猫のように体を丸め、僕の腕にからみついた。まるで何かに怯えているように見え

た。月が淡い光を夜に投げかけ空の広がりを教えてくれた。けれどそれは地上の僕らまで

は照らしてはくれず、互いの姿は暗闇に紛れたままだ。だがかえってそれが二人の鼓動を

重ねさせ、一つになったような錯覚を起こさせた。大間の細い指先が僕のシャツをつかみ

引き寄せた。

「父さんが死んでから私は変なの」

黙って頷いた。

「父が死んでから母は仕事が終わったら真っ直ぐうちに帰ってくる事もなくなったわ。誰

と遊んでいるのか知らないけれど夜遅く、髪にタバコの臭いさせて帰ってきた。化粧し直

したってのが小さかった私にも直ぐにわかった。とっても不潔に思えた。何でこの人が私

のお母さんなのっていつも思った。結婚もただの気まぐれ、父さんは初めから死ぬ運命だ

ったんだってね。母への憎しみが更に色濃くなっていった。そして中2になった頃、それ

は現実の行動となった。母が出張でいない日を見計らって、当時母がつき合っていた彼氏

を相談に乗ってと家に呼んだの。たしか医者だったわ。今日みたいに蒸し暑い夜だった、

アイスティーをガラスのテーブルに置き彼の横に座った タンクトップにミニのスカート

男の視線が身体をなめ回した。私は彼を見つめ言った。お母さんが好きになるのも解る、

貴方といるとなんか安心できるってね。私は男の肩に頭を乗せた。男は私を抱き寄せてき

た。ぎらついた目でキスしてきた、拒まなかった、そしてその夜私は女になったの」

「そう 」 ...

「母さんを幸せにさせたくなかった」

消え入りそうな声だった 僕は大間の頭に手を乗せた それから母親の男が変わるたび、

大間は横から奪い取った。彼女の口から語られる男たちの話は、女を知らない僕にとって

耳を塞ぎたくなるようなものだった。もうすこしで、もう止めてくれと言ってしまいそう

になった時、大間がほんの少し笑った。

「でも、さっきのあの人はそれまでの男たちとは違ったの、照れくさそうにはにかむとこ

ろとか、わがままを言って困らせたときに見せる表情が可愛くて」

「好きになったんだ」

「わからない、もしかしたら彼に父さんの面影を映したのかもしれない」

「じゃあ彼とは?」

「18歳の誕生日の夜、会社の帰りに花束をもってきてくれた。そのころ母、ゼミの進路

指導の部長になったばかりで忙しくってね。私一人の誕生日じゃ可愛そうだって自分も忙

しいのに時間作ってくれたの、馬鹿よね普通18の娘が親となんか誕生日するわけないの

に」

言葉とは裏腹に、その時、花束を受け取った喜びは今の彼女からも容易に感じ取れた。い

ったいどれほど孤独な日々をおくっていたのだろうと思った。

「彼は拒んだの、でも私は聞かなかった。キスをせがみ、押しのけようとする手を自分の

胸に触れさせた、そして求めたの、さみしいよって」

この三年間、遠くから憧れていた大間と今、傍らで震えている彼女のいったいどっちが本

当なのかわからなくなった。

「情けないよね、復讐のつもりで相手した男に弱音はくなんて」

大間は身体を起こそうとしたが、僕は彼女を離さなかった。

「安心したよ」

「なにが?」

「鉄の女じゃなかったんだって」

「なによそれ、そんな風に見てたの?」

大間は僕の胸をたたいた。

「言ったろ、憧れの女性だったって。美貌と才能に溢れ精神的にもマッチョな人間の完成

型に見えてた」

海風が強くなりはじめ、夜空を流れる雲が星の瞬きを覆い隠した。

「小林の夢こわしちゃったね、ごめんね、ごらんの通り本当はこんな女なのよ」

「そう言う言い方やめなよ」

「じゃなんていえばいい?私は小林の気持ち知ってて利用してるのよ。自分の汚いところ

貴方にはき出して捨てられた苦しみから楽になりたいの、だから軽蔑されても優しくして

らう資格ないの」

僕のシャツを掴む大間の手首を強く握った。

「仕方ないだろ」

伏せていた顔をあげ大間は僕を見た。小さな満月の月が彼女の瞳に碧く浮かんでいた。

「馬鹿ね、そんなふうだとこれから悪い女に騙されっぱなしになるわよ」

「言われなくても知ってるさ、でもそういう男がいてもいいだろ?それとも迷惑か」

「ええ、大迷惑よ」

「もてない男ってのは馬鹿だって知っとけよ」

このとき大間は初めて声をあげて泣き出した 波の音が高ぶる感情を洗い 月明かりの下

嗚咽が赤ん坊の泣き声のような素直さをあらわにした。

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