第7節『女神の贈物』
「ひぃ、みんな逃げろ!『女帝』だ~」
不良の一人が悲痛な叫び声を上げた。
「うろたえてはいけません、所詮は女です!」
しかし、『女帝』に散々痛めつけられてきた不良軍団は、光を眼にすると、一目散に逃げ出した。総司と光が対峙する。
「女だと思ってなめてもらっては困る。貧弱男め、その華奢な骨を砕いてやろうか?」
「か、会長に向かってその言い草は何ですか、副会長?」
冷静を装う総司であったが、彼は元より武闘派ではない。どこか及び腰だった。
「悪事の数々……私が気づかないとでも思ったのか?生徒会に入ったのもお前を監視する為だ。全ては貴様を潰す布石だったのだ。天誅を下してやる」
光は必死に逃げる総司を追いかけ、捉え、地面に叩きつけた。彼の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。あの優男の体は見る影もない。
総司はなんとか立ち上がると、何度も転びながら体育館の方に走って逃げていった。
一部始終をただ眺めていた誠はふと我に返った。見れば、光がこちらに近づいてくるではないか。
「怪我はないか、少年?」
誠はなんとか「はい、大丈夫です」とだけ言った。光の真一文字に結ばれた口元が少し綻んでいるように見えた。
「そういう顔をしていれば『女帝』なんて言われないのに……」
思わず、口走ってしまっていた。傷つくかも知れない。誠は後悔した。
「そうだな……よく言われる。いや、よく言われていたというべきか」
光は自嘲気味に笑っていた。引きつっている。満面の笑みのつもりだろうか?
(「『笑えるんだね、あんた?』」)
誠は一枝のあの言葉を思い出していた。声に出ていることには全く気づかずに。
「笑……えるん……だね……あんた?」
「え?」
誠は驚いた。自分の言葉に対してではない。そんなことよりも遥かに誠を驚かせる出来事がそこにはあった。光の表情は悲しみを湛えていた。彼女には悪いが、誠は普段の彼女より、この彼女の方が美しさが際立っているように思えた。
悲壮とはスパイスなのだ。誠は柄にもなく、恋愛の達人のようなことを考えていた。そんな自分を恥ずかしく思った。
「今なんと言った?」
「『笑えるんだね、あんた』だけど……」
『女帝』と普通に会話している。気位が高い、と聞いていた。実際の彼女はイメージと正反対だった。それが誠をより喜ばせることになって、まさに夢のような時間に感じられた。有頂天な誠と物憂げな光はまさに光と闇のコントラストになっていた。
「驚いた……。知り合いの台詞に似ていた。いや、まるで同じだった。よく言われたものだ」
「友達ですか?」
「そのようなものだな」
光は辛そうだった。誠もようやく光のおかしな様子を察し、それ以上聞くのは止めた。詰問のようになってしまっていた。十秒、二十秒と沈黙が続く。互いに互いの言葉を待っていた。
「と、とにかくありがとうございました。じゃあ、帰りますね」
「ああ、気をつけてな」
おかしなことが起こった。
誠の後ろを光が付いて行く。一キロ、二キロ歩いても付いて来る。
「あの……?」
誠は立ち止まった。すると、光も立ち止まった。
「ん、なんだ?」
「なんで付いてくるんですか?」
「私はただ帰宅しているだけだ。家がこっちにあるからな」
まもなく別れたが、結局自宅の一歩手前まで一緒だった。
「ただいま~」
母親はいつものように不在だった。誠はカレンダーに駆け寄った。日課である。普段と違うことといえば、『学校に行った』という事実だけだった。自宅はなんら変わりはない。11月21日を眺める。
「『光に会った?』」
「会ったよ。『いい子』だね?ところで、聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「『質問によるね』」
「彼女は知り合いなの?」
「『黄泉裁判法第……』」
「わかった、わかった教えられないんだね?」
「『そう、でもいい子なのは保証する。彼女のことは頼んだよ?光は孤独なんだ。すぐに頼れるのは誠だけ、ってことになるはず。あんたもいい子だからね、きっと気が合うし』」
「ん、気持ち悪いな、イチエ。君が僕を褒めるなんて……」
誠は照れながら、頭をぽりぽりと掻いた。
「『光を……よろしくね』」
「なんだか、今日の一枝……変だよ?」
「『変じゃないよ。そんなことはいいから明日の用意でもして早く寝なさい』」
「はいはい。母親じゃないんだから……」
誠はくるりと方向転換して、テレビをしばらく観た後、床に着いたのだった。
暗闇の中で、カレンダーの書き込みは密かに進行していた。無論、一枝もそれを承知でわざと誠の眠った隙を縫って更新していたわけだが。
このカレンダーは一般のカレンダーと同様に、2008年12月31日で終わってしまう。
しかし、11月に12月の日付を見る者はそうはいない。誠もその例に漏れなかった。尤も、一枝が「誠の書き込みは禁止、見るだけ」と言ったことが大きいのかもしれないが。
このカレンダーの最後の欄、つまり12月31日にはこのように書かれていた。
「『不可視から可視の愛を捧げます』」