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第9節『死せる女神の遺書』

(「何を言っているんだ、こいつは?」)

 光は誠の言葉の意味が理解できなかった。ただ、誠はふざけていない、それだけはわかった。

 ――何故か?

 理由を聞かれればきっと光はあの『夢』と答えたに違いない。

 ほんの数分前、真剣な眼差しを光に向けた小柄な少年が彼女の手を取り、駆け出した。同時に光も引っ張られるようにして駆け出す。そして、今に至る。彼女は手を引かれ、彼の行くままに身を委ねた。信用してやっても良い、いつのまにかそう思うようになってしまっていた。

 



(「口がこんなに動かせるものだということをすっかり忘れていた。どうやら、私は誰かと会話をしているようだ。口が勝手に動く。これは……夢?」)




 正面に座っているのはあの見慣れたはずの女の子だった。

(「不思議だ。私はこんなに笑えたのか?」) 

 光は笑っていた。彼女の消滅と共に消し去ったはずの『笑う』感覚。蘇って来る。『笑う』ことは幸福を呼び込むのだ、と誰かが言っていた。その通り……かも知れない。光は確かに幸せを感じていた。

「光ちゃん、そんなんじゃいつまで経っても友達できないよ。だって、強い人間は敵対視するし、弱い人間は恐れるでしょ?必要なのは『守る』ことじゃない、『支え合う』ことなんだよ」

「ならば、私は一枝と『支え合う』ことにしよう。お前さえ入れば、男はおろか女友達だって要らない」

「そんなこと言わないでよ、悲しくなるでしょ?光ちゃんの悪いところは正義感を燃やしすぎることだけ。そんなに強い人間じゃないんだから、ヒーロー気取りはやめなよ。普通に生きればいいんだよ」

「弱者を守るのが、強者の務めだ。それに、私は一枝さえいれば、無敵なのだ。恐れるものは何もない……」

「シスコンも大概にしてよね……はぁ」

 呆れる妹。しかし、すぐに彼女は歪んだ。











 一瞬のノイズが入り、場面が変わった。覚えている。三人で行った箱根旅行。あの男……並切玄はいない。


「ハイ、撮るよ~」

 母が笑っている。今より少しふっくらしているようだ。病気は彼女をやつれさせたのだと、改めて知った。隣の少女は不機嫌だった。

「家族写真の時くらい笑ってよ!いつも無愛想なんだから」

「すまない。上手く笑えないんだ」

 またもや口が自然に動く。その時、ようやく光は理解した。

(「そうか、これは回想なのか」)

「いつも家では笑っているじゃない?」

(「そうだった、よく笑っていたものだった。私の笑顔はいつもお前の……」)

「お前のものだ」

「え?」

 少女は戸惑いを隠せなかった。

「私の笑顔はお前だけのものだ」

「……」






 ――そして、あの『夢』に切り替わる。

「相野誠。光ちゃんと『支え合う』人」

 『夢』の中の一枝は、微笑みながらこればかり繰り返す。そして、光は一言「そうだな」とだけ言う。

 ここ最近毎日観ていた。でも、昨日に限って観なかった。胸騒ぎがした。






「……着いたってば」

「えっ?」

 誠の自宅、アパートの前。気づけば、出現していた。光はすっかり呆けてしまっていたようだ。誠の気遣うような優しい視線を感じると、「思い出に浸るなど、私らしくない」、とまたも光は自嘲したのだった。

(「私とお前は二人で一人だった。私に足りないものはお前が全て持っていた……」)

 誠にはもう光の独り言は耳に入っていなかった。アパートの一角、そしてその先にある目に見えぬカレンダーだけを見つめていたのだった。

「じゃあ、ちょっと行ってくる……ってえぇ!?」

「どうした?」

 誠はハンカチを取り出すと、つないだ光の手に無理やりそれを捻じ込んだ。

「要らないかも知れないけれど……拭きなよ。それと付いてきてもいいよ。一刻も早く会いたいだろうしね……」

 誠はそう言うと光から目を反らした。

「は?」

(「何を言っているんだ、こいつは?」)

「涙。もうすぐ会えるから泣かないで」

 光が自分の頬に触れると、涙の伝った痕がはっきりと分かった。

「要らない、返す!」

 誠は無視して、階段を上っていった。光は終始、意地でも涙を拭こうとはしなかった。









「ただいま~」

「おかえりなさい」

 誠の母がいた。何とも言えない嫌な予感がする。

「お子さんですか?」

 見知らぬ男が奥から出てくる。彼は警察の者だと名乗った。警察手帳を見せると、「石井と申します。はじめまして」とにこやかに挨拶した。誠も光も会釈で返した。

「この子は?」

「えぇと……その……」

 誠は何といったら良いのかわからない様子だった。誠は光を見つめる。『女帝』に気が引けているのだろう。光はなんとなくわかった。草食動物のようだ、と光は思った。

「友達です」

 光はきっぱりと言った。

「あら、そうなの。お友達がいらっしゃるなんて珍しいわね……」

 母は浮かない顔をしていた。石井は役者は出揃ったとばかりに徐にこう切り出す。

「実はですね。昨日、連続少女誘拐事件の犯人が逮捕されたのですよ。どうやらマスコミにはまだ知られてはいないようですが、恐らくは明日の朝刊には出ると思われます。何分、三年前の事件ですので覚えていらっしゃらないとは思いますが」

「それで……ウチとはどのような関係が?」

 誠や光は言うまでもなく、母でさえ話が見えないようだ。彼女は首を傾げている。

唐沢からさわは……ああ、すみません。容疑者ですが――彼が変な供述を始めたのです。奥さん、どうか驚かないでいただきたい」

「はい……」

 その場に緊張が走った。静寂が支配し、母の唾を呑み込む音でさえはっきりと聞き取れた程だった。それも、次にこの男から発せられる言葉が相野家にとって良いことだろうとは到底思えないからだ。

「実は、唐沢は図らずとも殺人をも犯してしまったと言っておりまして犯行現場が『此処』だったと言っているのです。死因は絞殺による窒息死。被害者は行方不明の……」

「そんな、まさか!前の住人が夜逃げしたとは聞いていましたけど、そんな……」

「黙れ!」

 誠とその母、そして石井までもが光を一斉に見た。光の顔はまさに鬼のような形相であり、そこに『女帝』の気品は一切無かった。

「話を続けろ……」

「ええ、はい。被害者は……」

 今度は誠が遮った。

「奥村一枝。奥村一枝なんでしょ!」

「何故知っているんだ、君は?」

 石井はまるで容疑者、例えばまだ見ぬ唐沢を見るような目つきで誠を見た。

「私が奥村一枝の姉の並切光だ……」

 光はそう言うと項垂れた。誠は光に掛ける言葉が見つからなかった。『行方不明』の方が『死亡』よりどれだけ楽だったか、察するに余りある。誠はカレンダーに駆け寄った。

「一枝、君のお姉さんが来たよ!わかったんだ、君の死因も素性も!出てきなよ!今出てこないと君のお姉さんは警察に行かなければならないからしばらく会えないんだ!」

 必死に訴える誠だったが、返事はなかった。

「おい、どうした?」

(「妹を知っていたのか?友達だったのか?」)

 誠は親友を『本当の意味で』失ったことで錯乱しているようにしか見えなかった。それは光だけでなく、彼の母や石井にとっても、である。

 光は誠が何をしているのかわからなかった。だから、傍にいることしか出来なかった。ただ駆け寄る。彼女は自分以上に妹を想って、悲しんでくれる人間がこの世にいることに驚いていた。

 石井は絶句していた。まさか、被害者の遺族が犯行現場に偶然いるなんて。石井はこの不幸な少年少女を憐れんだ。

「先程、お話いただいた『開かずの部屋』は後日、調べさせていただきます。今日は息子さんもお疲れのようですので、何か栄養のある物でも食べさせてあげてください。それではまた」

 石井はバツが悪そうに、一礼して帰っていった。

「此処にいるんだ、此処に!」

「もういい……わかっていたんだ。当に死んでいるということは。散々な家を借りてしまったな?」

「一枝、返事してよ!」

「もういいと言っているだろ?」

 そこにはかつてない程、柔和な顔をした光がいた。誠は徐々に落ち着いてきたようだった。カレンダーも注視する。ある事に気が付いた。

「あっ、そうだ!12月1日。今日は12月1日だ。めくればいい!」

 『11月』がめくられる。『12月』が現れた。光は傍観したままである。

 流麗な文字が並んでいた。二人は同時に驚愕する。

「一枝の字だ……」

 誠と光の口から同じ言葉が出た。互いが互いを見ていた。彼らの涙は床に静かに滴り落ちた。


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